『資本論』を読む会の報告

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2006年 12月 31日

第42回  12月26日 第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態

12月26日(火)に第42回の学習会を行いました。「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 a 商品の変態」の第5段落から第8段落までを輪読、検討しました。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 a 商品の変態


第5段落
・そこで、われわれは商品所持者のだれかといっしょに、たとえばわれわれの旧知のリンネル織職といっしょに、交換過程の場面に、商品市場に行ってみることにしよう。
・彼の商品、20エレのリンネルは、価格が決まっている。その価格は2ポンド・スターリングである。
・彼は、それを2ポンド・スターリングと交換し、次に、実直ものにふさわしく、この2ポンド・スターリングをさらに同じ価格の家庭用聖書と交換する。
・彼にとってはただ商品であり価値の担い手でしかないリンネルが、その価値姿態である金とひきかえに手放され、そして、この姿態からさらに他の一商品、聖書とひきかえに手放されるのであるが、この聖書は使用対象として織職の家にはいって行き、そこで信仰欲望を満足させることになる。
・こうして、商品の交換過程は、対立しつつ互いに補いあう二つの変態――商品の貨幣への転化と貨幣から商品へのその再転化とにおいて行なわれるのである。
・商品変態の諸契機は、同時に、商品所持者の諸取引――売り、すなわち商品の貨幣との交換、買い、すなわち貨幣の商品との交換、そして両行為の統一 、すなわち買うために売る、である。

●ここでの「商品所持者」は「商品生産者」であることに注意しておこう。
 
★「買うために売る」とは「買うために売り、手に入れた貨幣で買う」ということだろうか?

第6段落
・いま、リンネル織職が取引の最終結果を調べてみるとすれば、彼は、リンネルの代わりに聖書を、つまり、彼の最初の商品の代わりに価値は同じだが有用性の違う別の一商品をもっている。
・同じやり方で、彼はそのほかの生活手段や生産手段も手に入れる。
・彼の立場から見れば、全過程は、ただ彼の労働生産物と他人の労働生産物との交換、つまり生産物交換を媒介しているだけである。

★「彼の立場から見れば」とあるが、そうでない立場とは何か? 観察者の立場とか社会全体を考える立場ということか。

第7段落
・こういうわけで、商品の交換過程は次のような形態変換をなして行なわれる。
商品――貨幣――商品

  W――G――W

第8段落
・その素材的内容から見れば、この運動はW―W、商品と商品との交換であり、社会的労働の物質代謝であって、その結果では過程そのものは消えてしまっている。
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by shihonron | 2006-12-31 00:00 | 学習会の報告
2006年 12月 30日

第41回  12月19日 第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態

 12月19日(火)に第41回の学習会を行いました。「読む会通信№230」を使って前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 a 商品の変態」の第1段落から第4段落までを輪読、検討しました。
 また、前回議論になった第1節第20段落冒頭の「相対的価値形態一般」についての意見をまとめた文書が出されました。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 a 商品の変態


第1段落
・すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾した互いに排除しあう諸関係を含んでいる。
・商品の発展は、これらの矛盾の運動を可能にするような形態をつくりだす。
・これは一般に現実の矛盾が解決される方法である。
・たとえば、一物体が絶えず他の一物体に落下しながら、また同様に絶えずそれから飛び去るということは、一つの矛盾である。楕円は、この矛盾が実現されるとともに解決される諸運動形態の一つである。

●商品の交換過程に含まれている「矛盾した互いに排除しあう諸関係」とは、「商品は、使用価値として実現されるまえに価値として実現されなければならない」「他方では、商品は、自分を価値として実現しうるまえに、自分を使用価値として実証しなければならない」(国民文庫157-158頁・原頁100)ということ。

●「商品の発展」とは、貨幣が生み出されたことを指している。「商品は、ただそれが二重形態、すなわち現物形態と価値形態をもつかぎりでのみ、商品としてあらわれるのであり、言いかえれば商品という形態をもつのである。」(国民文庫93頁・原頁62)
「商品の発展」とは、価値形態の発展に他ならない。

●「一物体が絶えず他の一物体に落下しながら、また同様に絶えずそれから飛び去る」の例として、太陽に対する惑星や地球に対する月が考えられるのではないかとの発言がありました。

●「矛盾が実現される」とは、「矛盾があらわれる」というた意味と理解できる。


第2段落
・交換過程が諸商品を、それが非使用価値であるところの手から、それらが使用価値であるところの手に移すかぎりでは、この過程は社会的物質代謝である。
・ある有用な労働様式の生産物が、他の有用な労働様式の生産物と入れ替わるのである。
・ひとたび、使用価値として役だつ場所に達すれば、商品は、商品交換の部面から消費の部に落ちる。
・ここでわれわれが関心をもつのは、前の方の部面だけである。
・そこで、われわれは全課程を形態の面から、つまり、社会的物質代謝を媒介する諸商品の形態変換または変態だけを、考察しなければならない。

●「諸商品を、それが非使用価値であるところの手から、それらが使用価値であるところの手に移す」とは「使用価値としての商品の実現」のことである。

●「ある有用な労働様式の生産物」とは、具体的・有用的労働の生産物のことであり、ある使用価値という意味であろう。

■物質代謝  【代謝 たいしゃ】
物質代謝,物質交代,新陳代謝とも。生体内にある物質が分解・合成されることで,多くの化学反応の連続によって起こる。反応の一つ一つに別々の酵素が働くので,代謝には一群の酵素がリレー式に作用する。普通,合成代謝(同化)はエネルギーの消費を伴い,分解代謝は(異化)エネルギーの獲得を伴う。このように代謝をエネルギーの観点からみた場合,エネルギー代謝またはエネルギー交代という。また,酸素を必要とするかしないかによって好気的代謝,嫌気(けんき)的代謝,代謝を受ける物質の種類によって糖代謝,脂質代謝,タンパク質代謝などに分けられる。 (マイペディア)

■「労働は、使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会状態から独立した存在条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。」(第1章第2節「商品に表される労働の二重性」の第7段落 国民文庫85頁・原頁57)

★「社会的物質代謝」とは、人と人との間での物質代謝であり、人と自然との間での物質代謝と区別されているのではないか。

第3段落
・この形態変換の理解がまったく不十分なのは、価値概念そのものが明らかになっていないことを別とすれば、ある一つの商品の形態変換は、つねに二つの商品の、普通の商品と貨幣商品との交換において行なわれるという事情のせいである。
・商品と金の交換というこの素材的な契機だけを固執するならば、まさに見るべきもの、すなわち形態の上に起きるものを見落とすことになる。
・金はただの商品としては貨幣ではないということ、そして、他の商品は、それらの価格において、それら自身の貨幣姿態としての金に自分自身を関係させるのだということを、見落とすのである。

●商品の形態変化とは、まずはある商品が、商品形態から貨幣形態に変わることだと理解すべきだとの意見が出されました。

●「素材的な契機」とは、使用価値の側面という意味であり、ある使用価値が金という使用価値に姿を変えたことのみを捕らえるに留まるのは不十分ということ。

★ある商品の価値は、最初はある使用価値を担い手として価格の形態で表現され、実際に貨幣に転化することで、価値にふさわしい形態を得ると理解できるのではないか。

第4段落
・商品はさしあたりは金めっきもされず、砂糖もかけられないで、生まれたままの姿で、交換過程にはいる。
・交換過程は、商品と貨幣とへの商品の二重化、すなわち商品がその使用価値と価値との内的な対立をそこに表すところの外的な対立を生みだす。
・この対立では、使用価値としての諸商品が交換価値としての貨幣に相対する。
・他方、この対立のどちら側も商品であり、したがって使用価値と価値との統一体である。
・しかしこのような、差別の統一は、両極のそれぞれに逆に表されていて、そのことによって同時に両極の相互関係を表している。
・商品は実在的には使用価値であり、その価値存在は価格においてただ観念的に現われているだけである。
・そして、この価格が商品を、その実在の価値姿態としての対立する金に、関係させている。
・逆に、金材料は、ただ価値の物質化として、貨幣として、認められているだけである。
・それゆえ、金材料は実在的には交換価値である。
・その使用価値は、その実在の使用姿態の全範囲としての対立する諸商品にそれを関係させる一連の相対的価値表現において、ただ観念的に現われているだけである。
・このような、諸商品の対立的な諸形態が、諸商品の交換過程の現実の運動形態なのである。

★交換過程では、ある商品と貨幣が相対する。ある商品は、実在的には使用価値であり、その価値は価格によって観念的に表されている。貨幣は、実在的には交換価値であり、その使用価値は、価格をもつあらゆる商品のさまざまな使用価値によって観念的に表されている。

■「貨幣商品の使用価値は二重になる。それは、商品としてのその特殊な使用価値、たとえば金が虫歯の充填や奢侈品の原料などに役だつというような使用価値のほかに、その独自な社会的機能から生ずる一つの形態的使用価値を受け取るのである。
 他のすべての商品はただ貨幣の特殊的等価物でしかなく、貨幣は他の諸商品の一般的等価物なのだから、他の諸商品は、一般的商品としての貨幣に対して、特殊的諸商品として相対するのである。」(第2章交換過程 第12・13段落 国民文庫164頁・原頁104)

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【意見をまとめたメモ】

「相対的価値形態一般」とは何か  
                  
                                    2006.12.19 K・N

『資本論』第3章第1節「価値の尺度」の第20段落では次のように述べられている。

「相対的価値形態一般がそうであるように、価格は、ある商品たとえば1トンの鉄の価値を、一定量の等価物たとえば1オンスの金が直接に交換されうるということによって表現するのであるがけっして、逆に鉄のほうが金と直接に交換されうるということによって表現するのではない。」(国民文庫186頁・原頁117)

  問題は、ここで「相対的価値形態」と書かれているものは何であるかである。

 最初に、『資本論』において、「相対的価値形態」やこの用語と関連のある「相対的価値表現」がどのように用いられてきたのか見よう。

 相対的価値形態という表現が最初に登場するのは、第1章第3節「価値形態または交換価値」の「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 1.価値表現の両極 相対的価値形態と等価形態」の第2段落においてである。

そこでは次のように述べられている。

〈1.価値表現の両極・・相対的価値形態と等価形態

 すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちに潜んでいる。だから、この価値形態の分析には真の困難がある。
 ここでは、種類を異にする二つの商品AとB、われわれの例ではリンネルと上着とは、明らかに、二つの異なった役割を演じている。リンネルはその価値を上着で表現し、上着はこの価値表現の材料として役だっている。第一の商品は能動的役割を演じ、第二の商品は受動的役割を演じている。第一の商品の価値は相対的価値として表されている。すなわち、この商品は相対的価値形態にある。第二の商品は等価として機能する。すなわち、等価形態にある。

 相対的価値形態と等価形態とは、たがいに依存しあい、たがいに制約しあう、不可分の契機であるが、同時に、たがいに排除しあう、あるいは対立しあう、両極端、すなわち同一価値表現の両極である。この両極は、つねに、この価値表現によってたがいに関係させられる別々の商品に配分される。私は、たとえば、リンネルの価値をリンネルで表現することはできない。20エレのリンネル=20エレのリンネル というのは、決して価値表現ではない。この等式が語るのはむしろ逆に、二〇エレのリンネルは二〇エレのリンネル、すなわち一定量の使用対象であるリンネル、以外の何物でもないということである。したがって、リンネルの価値は、ただ相対的に、すなわち他の商品でしか、表現されえない。それゆえ、リンネルの相対的価値形態は、何かある他の商品がリンネルに相対して等価形態にあることを前提する。他面、等価の役をつとめるこの他の商品は、同時に相対的価値形態にあることはできない。この商品は自分の価値を表現するのではない。この商品は、他の商品の価値表現に材料を提供するだけである。

 たしかに、20エレのリンネル=1着の上着 または、二〇エレのリンネルは一着の上着に値する、という表現は、1着の上着=20エレのリンネル または、一着の上着は二〇エレのリンネルに値する、という逆の関係を含んでいる。しかし、そうは言っても、上着の価値を相対的に表現するためには、私はやはりこの等式を逆にしなければならず、そしてそうするやいなや、上着ではなくリンネルが等価物となる。したがって、同じ商品は同じ価値表現においては同時に両方の形態で現れることはできない。この両形態は、むしろ対極的に排除しあうのである。
 そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のそのつどの位置・・すなわち、その商品は、自分の価値を表現される商品なのか、それとも、それで価値が表現される商品なのか・・にかかっている。〉 (電子テキスト版・原頁63-64)

 ここでの「相対的価値形態一般」は、ある商品の価値が他の商品の使用価値で表現されること、つまり「相対的価値表現一般」あるいは「価値形態一般」のことであると思われる。それは価値方程式の左辺をさしているのではない。
 「相対的価値形態一般がそうであるように、価格は…」と書かれているように、ここでの主題は価格(価格形態・貨幣形態)であることからもそう理解すべきだと思われる。
 「相対的価値形態一般」とは、A(単純な 個別的な 偶然的な価値形態)、B(全体的な、または展開された価値形態)、C(統一的な価値形態)、D(貨幣形態)のどの価値形態においても共通なという意味でる。
 どの価値形態にあっても、相対的価値形態にある商品(価値方程式の左辺の商品)の価値を、一定量の等価物商品(等価形態にある商品、価値方程式の右辺に置かれている商品)が直接に交換される(相対的価値形態にある商品に対して直接的交換可能性をもつ)ということによって表現するのであって、逆に相対的価値形態にある商品のほうが等価物商品と直接に交換されうるということによって表現するのではないということを述べている。
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by shihonron | 2006-12-30 00:00 | 学習会の報告
2006年 12月 17日

第40回  12月12日 第3章 第1節 価値の尺度

12月12日(火)に第40回の学習会を行いました。「読む会通信№229」を使って前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度」の第18段落から最後(第21段落)までを輪読、検討しました。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度


第18段落
・価格は、商品に対象化されている労働の貨幣名である。それだから、商品と、その名が商品の価格であるところの貨幣量とが等価だということは、一つの同義反復である。というのは、およそ一商品の相対的価値表現はつねに二つの商品の等価性の表現だからである。
・しかし、商品の価値量の指標としての価格は、その商品と貨幣との交換割合の指標だとしても、逆にその商品と貨幣との交換割合の指標は必然的にその商品の価値量の指標だということにはならないのである。
・かりに、同じ量の社会的必要労働が1クォーターの小麦と2ポンド・スターリング(約1/2オンスの金)とで表されるとしよう。2ポンド・スターリングは1クォーターの小麦の価値量の表現、すなわち価格である。いま、事情が1クォーターの小麦を3ポンド・スターリングに値上げすることを許すか、またはそれを1ポンド・スターリングに値下げすることを強いるとすれば、1ポンド・スターリングと3とは、この小麦の価値量の表現としては過小または過大であるが、それにもかかわらずこの小麦の価格である。というのは、第一にはそれは小麦の価値形態、貨幣であり、第二には小麦と貨幣との交換割合の指標だからである。
・生産条件が変わらないかぎり、また労働の生産性が変わらないかぎり、相変わらず1クォーターの小麦の再生産には同じだけの社会的労働時間が支出されなければならない。このような事情は、小麦生産者の意志にも他の商品所持者たちの意志にもかかわりがない。だから、商品の価値量は、社会的労働時間にたいする或る必然的な、その商品の形成過程に内在する関係を表しているのである。
・価値量が価格に転化されるとともに、この必然的な関係は、一商品とその外にある貨幣商品との交換割合としてあらわれる。しかし、この割合では、商品の価値量が表現されるとともに、また与えられた事情のもとでその商品が手放される場合の価値量以上または以下も表現される。だから、価格と価値量との量的な不一致の可能性、また価値量からの価格の偏差の可能性は、価格形態そのもののうちにあるのである。
・このことは、けっしてこの形態の欠陥ではなく、むしろ逆に、この形態を、一つの生産様式の、すなわちそこでは原則がただ無原則性の盲目的に作用する平均法則としてのみ貫かれうるような生産様式の、適当な形態にするのである。

★価格は、ある商品の価値を貨幣商品である金の量で表したものである。しかし、価格は、ある商品の価値をいつでも正確に表現するわけではない。商品の価値量は、その生産に社会的に必要な労働の量(社会的必要労働時間)によつて決まる。価格は価値量を表現するとともに、価値量以上や価値量以下をも表現する。こうした価格形態は、資本主義的生産様式に適合した形態である。

●最後の文章の「適当」は、新日本出版社版では「適切」と訳されている。

●新日本出版版では、下線の箇所は「規律が、盲目的に作用する無規律性の平均法則としてのみ自己を貫徹しうる一つの生産様式」と訳されている。

●「そこでは原則がただ無原則性の盲目的に作用する平均法則としてのみ貫かれうるような生産様式」について、「原則」は何をさしているのか、この生産様式とは何かという疑問が出されました。「原則」については、価値法則を念頭に言われているのではないかという意見が出されました。また、この「生産様式」は、資本主義的生産様式をさしているだろうということになりました。
 これに関連して第1章第4節での以下の叙述が紹介されました。
「互いに独立に営まれながらしかも社会的分業の自然発生的な諸環として全面的に互いに依存しあう私的諸労働が、絶えずそれらの社会的に均衡のとれた限度に還元されるのは、私的諸労働の生産物の偶然的な絶えず変動する交換割合をつうじて、それらの生産物の生産に社会的に必要な労働時間が、たとえばだれかの頭上に家が倒れてくるときの重力の法則のように、規制的な自然法則として強力的に貫かれるからである、という科学的認識が経験そのものから生まれてくるまでには、十分に発展した商品生産が必要なのである。それだから、労働時間による価値量の規定は、相対的な商品価値の現象的な運動の下に隠れている秘密なのである。それの発見は、労働生産物の単に偶然的な規定という外観を解消させるが、しかしけっしてその物的な形態を解消させない。」(国民文庫139-140頁・原頁89) 

■ 【指標】物事の見当をつけるためのめじるし
■【適当】ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。相当。
■【生産様式】現実の生産は、つねに、特定の発展段階の生産力を持って、特定の形態の生産関係のもとで行なわれる生産である。特定の発展段階の生産力とそれに対応する特定の形態の歴史的生産関係のもとで行なわれている特定の生産のあり方を生産様式と呼ぶ。(大谷禎之介『図解社会経済学』15頁)

第19段落
・しかし、価格形態は、価値量と価格との、すなわち価値量とそれ自身の貨幣表現との、量的な不一致の可能性を許すだけではなく、一つの質的な矛盾、すなわち、貨幣はただ商品の価値形態でしかないにもかかわらず、価格がおよそ価値表現ではなくなるという矛盾を宿すことができる。
・それ自体としては商品ではないもの、たとえば良心や名誉などは、その所有者が貨幣とひきかえに売ることもできるものであり、こうしてその価格をつうじて商品形態を受け取ることができる。それゆえ、ある物は、価値を持つことなしに、形式的な価格をもつことができるのである。ここでは価値表現は、数学上のある種の量のように、想像的な物になる。
・他方、想像的な価格形態、たとえば、そこには人間労働が対象化されていないので少しも価値のない未開墾地の価格のようなものも、ある現実の価値関係、またはこれから派生した関係をひそませていることがありうるのである。

●「ある現実の価値関係、またはこれから派生した関係をひそませている」とはどういうことかとの疑問が出され、土地は価値を持っていないが、それがもたらすであろう地代の大きさと現行の利子率によってその価格が変動するといったことだろうという結論になりました。また『図解社会経済学』では、「企業の利潤の大きさを反映する配当の大きさと利子率によって株式の価格が変動する」場合について指摘していることが紹介されました。

第20段落
・相対的価値形態一般がそうであるように、価格は、ある商品たとえば1トンの鉄の価値を、一定量の等価物たとえば1オンスの金が直接に交換されうるということによって表現するのであるがけっして、逆に鉄のほうが金と直接に交換されうるということによって表現するのではない。
・だから、実際に交換価値の働きをするためには、商品はその自然の肉体を捨て去って、ただ想像されただけの金から現実の金に転化しなければならない。たとえ商品にとってこの化体が、エロニュムスにとつての原罪の脱却よりも「もっとつらい」ことであろうとも、商品は、その実在の姿、たとえば鉄という姿のほかに、価格において観念的な価値姿態または想像された金姿態をもつことはできるが、しかし、現実に鉄であると同時に金であることはできない。商品に価格を与えるためには、想像された金を商品に等置すればよい。商品がその所持者のために一般的等価物の役を果たそうとするならば、それは金と取り替えられなければならない。たとえば、金の所持者がある享楽商品の所持者に対面して、彼に鉄価格を指し示して、これが貨幣形態だというならば、享楽商品の所持者は、天国で聖ペテロが自分の信仰箇条を暗唱したダンテに答えたように、答えるであろう。
「この貨幣(かね)の混合物(まぜもの)とその重さとは 汝すでによくしらべたり されど言え、汝はこれを己が財布のなかにもつや」

●冒頭の「相対的価値形態一般」の意味するものについて議論がありました。出された意見はおおよそ次のようなものです。〈ここでの「相対的価値形態」は、「相対的価値表現」あるいは「価値形態」のことであり、価値等式の左辺の商品をさしているのではない。「相対的価値形態一般」とは、A(単純な 個別的な 偶然的な価値形態)、B(全体的な、または展開された価値形態)、C(統一的な価値形態)、D(貨幣形態)のどの形態においても共通なという意味だ。〉これについては、意見を簡単な文書にまとめて提出し、再度議論することになりました。

★「交換価値の働きをする」「一般的等価物の役を果たす」は同じことの異なった表現であり、その内容は「価値として妥当する(通用する・ゲルテンする)」こと、任意の商品と交換することである。

■【直接的交換可能性】「すでに見たように、一商品A(リンネル)は、その価値を異種の一商品B(上着)の使用価値で表すことによって、商品Bそのものに、一つの独特な価値形態、等価物という価値形態を押しつける、リンネル商品はそれ自身の価値存在を顕わにしてくるのであるが、それは上着がその物体形態とは違った価値形態をとることなしにリンネル商品に等しいとされることによってである。だから、リンネルは実際にそれ自身の価値存在を、上着が直接にリンネルと交換されうるものだということによって、表現するのである。したがって、一商品の等価形態は、その商品の他の商品との直接的交換可能性の形態である。(国民文庫106-107頁・原頁70)

第21段落

・価格形態は、貨幣とひきかえに商品を手放すことの可能性とこの手放すことの必然性とを含んでいる。
・他方、金は、ただそれがすでに交換過程で貨幣商品としてかけまわっているからこそ観念的な価値尺度のうちには堅い貨幣が待ち伏せているのである。

★「この手放すことの必然性」とは、商品所有者は自分の欲する他人の所持している商品を入手するためには、まず自分の商品を貨幣に転化しなければならないと言うことではないか。言いかえれば、「商品は売ることができるし、売られなければならない」。

■「価格は或る量の金という自然物であるが、価格においてはこの自然物は表象されているだけで、そこにそれの現物があるわけではない。つまり、商品の値札、正札の上にある金は表象された金でしかないのであって、現物の金ではない。けれども、そこで表象されているのは実在的な金、つまり現物の金である。商品世界から排除されて貨幣になった金が実在し、諸商品に相対しているからこそ、それを表象することができるのである。要するに、価値尺度としての貨幣は表象された観念的な貨幣であるが、それが表象・指示しているのは実在の貨幣である。」(大谷禎之介『図解社会経済学』93頁)
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by shihonron | 2006-12-17 14:53 | 学習会の報告
2006年 12月 10日

第39回  12月5日 第3章 第1節 価値の尺度

 12月5日(火)に第39回の学習会を行いました。「第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度」の第9段落から第17段落までを輪読、検討しました。

■テキストの内容と議論    
第3章 貨幣または商品流通 第1節 価値の尺度


第9段落
・まず第一に明らかなことは、金の価値変動は、金が価格の度量標準として機能することをけっして妨げないということである。金価値がどんなに変動しても、いろいろな金量は相変わらず互いに同じ価値関係を保っている。金価値が1000%下落したとしても、12オンスの金は相変わらず1オンスの金の12倍の価値をもっているであろう。そして、価格ではただいろいろな金量の相互の関係だけが問題なのである。
・他方、1オンスの金がその価値の増減につれてその重量を変えることは決してないのだから、同様にその可除部分の重量の変わらないのであるり、したがって、金は、その価値がどんなに変動しても、いろいろな価格の固定した度量標準としては、つねに同じ役立ちをするのである。

★価格とは、貨幣商品=金の量でもって、商品の価値を表したものであった。
価格の度量単位とは、価格=金量を計量するために固定されたある金量のことであり、価格の度量標準として機能するとは、こうした度量単位によって価格=金量を計量すること、簡単に言えば、一定の金量を、ある金量を単位として計ることに他ならない。したがつて、金の価値変動は、金量相互の関係にはどんな変化ももたらさない。

第10段落
・金の価値変動はまた金が価値尺度として機能することを妨げない。金の価値変動はすべての商品に対して同時に起きるのだから、その他の事情が同じならば、金の価値変動は諸商品の相互の相対的価値には変化を起こさないのである。といっても、いまでは商品はみな以前より高いかまたは低い金価格で表されるのであるが。

●「諸商品の相互の相対的価値」とはなんのことかとの疑問が出さ次のような結論になりました。
 100グラムのお茶=1グラムの金、1枚のセーター=3グラムの金 であったとして、金の価値が二分の一に下落するならば 100グラムのお茶=2グラムの金 1枚のセーター=6グラムの金 ということになる。その際、価格(価値を表現する金量)は変わっても、1枚のセーターは100グラムのお茶の3倍の価値をもっているということにはなんの変わりもない。こうした商品相互の価値量の関係(何倍とか何分のいくつとかの)を「相互の相対的価値」といっている。

第11段落
・一商品の価値をなんらかの別の商品の使用価値で表す場合と同様に、諸商品を金で評価する場合にも、そこに前提されているのは、ただ、一定の時には一定量の金の生産には一定量の労働が必要だということだけである。商品価格の運動に関しては、一般に、以前に展開された単純な相対的価値表現の諸法則があてはまるのである。

●ここで述べている「以前に展開された単純な相対的価値表現の諸法則」は、第1章第3節 A「単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」のb「相対的価値形態の量的規定性」で展開されているものである。(国民文庫103-105頁・原頁67-69)
 そこでは、4つの場合に分けて、価値量の変動と相対的価値の大きさの関係について解明し、「価値量の現実の変動は、価値量の相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも完全にも反映しないのである。一商品の相対的価値は、その価値が不変のままでも変動することがありうる。その商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありうる。そして最後に、その商品の価値量とこの価値量の相対的表現とに同時に生ずる変動が一致する必要は少しもないのである。」とまとめている。

第12段落
・商品価格が一般的に上がるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が上がる場合だけであり、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が下がる場合だけである。
・逆に、商品価格が一般的に下がるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が下がる場合だけであり、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が上がる場合だけである。
・だから、貨幣価値の上昇は商品価格の比例的な低下を必然にし貨幣価値の低下は商品価格の比例的な上昇を必然にするということには、決してならないのである。そうなるということは、ただ価値の変わらなかった商品についてだけにあてはまることである。たとえば、その価値が貨幣価値と同様に同時に上がる商品は、同じ価格を保っている。もし商品の価値が貨幣価値よりもおそく上がるかはやく上がるとすれば、その商品の価格の低下または上昇は、商品の価値運動と貨幣の価値運動との差によって規定される等々。

★第11段落で指摘した「商品価格の運動」について敷衍している。

第13段落
・そこで、また価格形態の考察に帰るとしよう。

第14段落
・種々の金属重量の貨幣名は、いろいろな原因によって、しだいにそれらの元来の重量名から離れてくるのであるが、その原因のうちでは次のものが歴史的に重要である。
・(一)発展程度の低い諸民族における外国貨幣の輸入。たとえば、古代ローマでは金銀の鋳貨は最初は外国商品として流通していた。このような外国貨幣の名称は国内の重量名とは違っている。
・(二)富の発展につれて、あまり高級でない金属はより高級な金属によって価値尺度機能から駆逐される。銅は銀によって、銀は金によって。たとえこの順序がすべての詩的年代記と矛盾していようとも。
・たとえば、ポンドは、現実の1ポンドの銀を表す貨幣名だった。金が価値尺度としての銀を駆逐するやいなや、同じ名称が、金と銀との価値比率にしたがって、たとえば15分の1ポンドというような金に付着する。貨幣名としてのポンドと、金の普通の重量名としてのポンドとは、いまでは別のものになっている。
・(三)何世紀にもわたって引き続き行なわれた王侯による貨幣変造。これは鋳貨の元来の重量から実際にはただ名称だけをあとに残した。

第15段落
・このような歴史的過程は、いろいろな金属重量の貨幣名がそれらの普通の重量名から分離することを国民的慣習にする。
・貨幣度量標準は、一方では純粋に慣習的であるが、他方では一般的な効力を必要とするので、結局は法律によって規制されることになる。貴金属の一定重量部分、たとえば1オンスの金は公式にいくつかの可除部分に分割されて、それらの部分にポンドとターレルとかいうような法定の洗礼名が与えられる。そこで、このような可除部分は、貨幣の固有の度量単位として認められるのであるが、それは、さらにシリングやペニーなどのような法定の洗礼名のついた別の可除部分に細分される。
・それでもやはり一定の金属重量が金属貨幣の度量標準である。変わったのは、分割と命名である。

第16段落
・こうして、価格、または、商品の価値が観念的に転化されている金量は、いまでは金の度量標準の貨幣名または法律上有効な計算名で表現される。そこで1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うのに代わって、イギリスでならば、それは3ポンド・スターリング17シリング101/2ペンスに等しいと言われることになるであろう。
・このようにして、諸商品は、自分たちがどれだけに値するかを、自分たちの貨幣名で互いに語り合うのであり、そして、貨幣は、ある物を価値として、したがって貨幣形態に固定することが必要なときには、いつでも計算貨幣として役だつのである。

●「計算貨幣」の意味について疑問が出されましたが、明確な結論には至りませんでした。

第17段落
・ある物の名称は、その物質の性質にとってはまったく外的なものである。ある人の名がヤコブだということを知っても、その人についてはなにもわからない。それと同じに、ポンドやターレルやフランやドゥカートなどという貨幣名では、価値関係の痕跡はすべて消えてしまっている。
・これらの不可思議な章標の秘義についての混乱は、貨幣名が商品の価値を表すと同時に或る金属重量の、すなわち貨幣度量標準の可除部分をも表すので、ますますはなはだしくなる。
・他面では、価値が、商品世界の雑多な物体から区別されて、このなんだかわからない物的な、しかしまた純粋に社会的な形態に達するまで発展を続けるということは、必然的なのである。

●「秘義」とはどういう意味かが問題になり、「秘儀」(非公開で、ひそかに行う儀式。密儀)ではないことを確認しました。「学問・技芸などの深遠な本質を究めるのに必要とされる極秘の事柄や教え。奥義。極意。」という意味だという結論になりました。英語版では、cabalistic signsです。「隠された(神秘の)意味」といったところでしょうか。

●「章標」という言葉は、一般には「シンボルマーク」の意味で用いられている。英語版では、signs となっている。
【sign】[sain] ━━ n. 符号, 記号; 合図; 身ぶり, 手まね; 暗号; 看板, 標識; 証拠, しるし; 徴候 ((of)); 形跡; 〔米〕 (pl.) (野獣の)足跡; 【聖】奇跡; 【天文・占星】(十二宮の)宮(きゅう).                   (エクシード英和辞典より)

■大谷禎之介『図解 社会経済学』では次のように述べられている。
「諸商品は、自己の価値を、価格で表象された金量で表現し、互いに比較しあう。そこで、それらのさまざまの金量を計量し、同一の名称で言い表すために、技術的に、ある金量を価格の度量単位として固定する必要が生じる。
 金は、それが貨幣になる以前から、ポンド、グラム、貫などのような重量による度量単位をもっている。これらの度量単位は、さらに下位の補助単位に分割されて、オンスやミリグラムや匁(もんめ)および分(ふん)などとなり、これらの単位の全体が一つの度量標準、すなわち度量システムを形成する。
 価格で表象された金量を計量するための度量標準、つまり価格の度量標準として役立ったのは、当初は、このような重量の度量システムであった。しかし、さまざまの原因によって、貨幣商品の重量を言い表す貨幣名は、重量の度量システムから離れて、重量名とは別のものにすることが普通のこととなってくる。もとの重量名がそのまま貨幣名になっている場合でも、貨幣名が言い表す金の重量は、重量名が言い表す重量とは異なるようになる。
 価格の度量標準は、価格である観念的な金量を測るばかりでなく、貨幣である実在の金そのものを計量するのにも用いられるから、貨幣の度量標準でもある。それは、いわば、金量を測る物差しである。商品の価格で表象されている金であれ、貨幣である現実の金であれ、およそ金量を言い表すために金の諸量が度量システムとなっているとき、金は計算貨幣として機能していると言う。」(94-95頁)

■資料
円[(通貨)] えん
日本の貨幣単位。補助単位は1円=100銭,1銭=10厘。1871年新貨条例により江戸時代以来の両に代わって,1円=純金1.5gと定めたことに始まる。それまで流通していた1両とほぼ同じ金の分量を含んでいたため物価体系の移行に不難な点で採用された。のち1897年貨幣法により1円=純金750mgと定め金本位制度を確立。1917年金本位制から離脱して以後,円は金との結びつきを失い,その価値は低落したが,1932年以降は対ポンドまたは対ドル相場の安定が円価値保持の基準とされた。戦後の1949年4月以降はドル平価(1ドル=360円)を基準として,金平価(1円=純金2.4685mg)が算出されていたが,1971年12月の通貨調整で1ドル=308円,1円=純金2.65751mgに切り上げた。さらに1973年以降は変動為替相場制に移行。国際的な流通・決済手段としての円の地位が高まった。1978年には,金が通貨基準の役割からはずされたので,金に自由相場が立つようになった。さらに1985年のG5(先進5ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議)でドル高是正のため為替市場への協調介入が決定され(プラザ合意),その後,急速な円高が進み,1995年4月には1ドル80円を切るまでに急騰した。1999年9月現在,1ドル110円前後で推移している。 「マイペディア」

【貨幣法】
鋳造貨幣について規定する法律。1897年(明治30)制定。金本位制を前提として貨幣の種類・価格の単位・品位・量目などを定めていた。1987年(昭和62)、管理通貨制度に即して廃止。  「大辞林 第二版」
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by shihonron | 2006-12-10 12:03 | 学習会の報告