『資本論』を読む会の報告

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2007年 09月 30日

第74回 9月26日 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程

 9月26日(水)に第74回の学習会を行いました。「読む会通信」№258を使って前回の復習をした後、「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程」の第12段落から第21段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告作成者によるまとめや個人的見解です。

■テキストの内容と議論
第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程
     

第12段落
・物はそれぞれさまざまな性質をもっており、したがっていろいろな用途に役立つことができるので、同じ生産物でも非常にさまざまな労働過程の原料になることができる。
・たとえば穀物は製粉業者や澱粉製造業者や酒造業者や飼畜業者などにとって原料である。
・それは、種子としてはそれ自身の原料になる。
・同様に、石炭は生産物としては鉱山業から出てくるが、生産手段としてはそれにはいっていく。

●「《石炭が生産手段として鉱山業にはいっていく》というのは、どういうことか」との疑問が出され、「水をくみ上げるポンプなど蒸気機関の燃料になるといったことが考えられる」との発言がありました。また、これに関連して、「蒸気機関が登場するまでは、都市ではなく水力を利用できる場所に工場がおかれた」との発言がありました。

第13段落
・同じ生産物が同じ労働過程で労働手段としても原料としても役だつことがある。
・たとえば家畜の肥育では、家畜という加工される原料が同時に肥料製造の手段でもある。

★ここでは同じ労働過程が、家畜の生産(肥育)と肥料製造という二つの側面をもっているということだろう。家畜の生産においては、家畜は労働対象(原料)であり、肥料製造においては、糞尿が労働対象、家畜が労働手段ということである。肥料製造において家畜が労働手段であるというのは、穀物生産において、土地が労働手段(労働対象は穀物)であることと同様に理解できる。

第14段落
・消費のために完成された形態で存在する生産物が、たとえばぶどうがぶどう酒の原料になるように、新しく別の生産物の原料になることもある。
・または、労働がその生産物を、再び原料として使うよりほかにはないような形態で手放すこともある。
・この状態にある原料、たとえば綿花や繊維や糸などのようなものは、半製品とよばれるが、中間製品と呼ぶほうがよいかもしれない。
・最初の原料は、それ自身すでに生産物であるにもかかわらず、いろいろな過程から成っている一つの全段階を通らなければならないことがあり、その場合には、それを完成生活手段または完成労働手段として押し出す最後の労働過程にいたるまでの各課程で、絶えざる変化する姿で絶えず原料として機能するのである。

■「半製品」と呼ばれる物として国民文庫版では、《綿花や繊維や糸など》があげられているが、フランス語版では《綿花や糸やキャラコなど》、長谷部訳では《綿花・縫糸・織糸など》、マルクス・コレクションでは《綿花、糸、撚糸》となっている。
  【綿花】ワタの種子を包む繊維。紡いで綿糸とする。
  【繊維】微細な糸状物質。
【糸】繊維が長く線状に連続したもの。綿糸・毛糸など短い繊維を紡績したものと、    生糸・合成繊維など長い繊維からなるものがある。
  【キャラコ】緻密に織った薄地平織り綿布。
【撚糸】糸によりをかけること。また、よりをかけた糸。

■ 【中間財】 他の生産物の原材料とされる生産物。中間生産物。 (大辞林 第二版)

第15段落
・要するに、ある使用価値が原料か労働手段か生産物のうちのどれとして現われるかは、まったくただ、それが労働過程で行なう特定の機能、それがそこで占める位置によるのであって、この位置が変ればかの諸規定も変るのである。

第16段落
・それだから、生産物は、生産手段として新たな労働過程にはいることによって、生産物という性格を失うのである。
・それは、ただ生きてい労働の対象的条件として機能するだけである。
・紡績工は、紡錘を、ただ自分が紡ぐための手段としてのみ取り扱い、亜麻を、ただ自分が紡ぐ対象としてのみ取り扱う。
・もちろん、紡績材料や紡錘なしでは紡ぐことはできない。
・だから、これらの生産物が現にあるということは、紡績が始るときには前提されている。
・しかし、この過程そのものでは、亜麻や紡錘が過去の労働の産物だということはどうでもよいのであって、それはちょうど栄養という行為ではパンが農民や製粉業者や製パン業者などの過去の労働の生産物だということはどうでもよいようなものである。
・むしろ、反対に、もし労働過程にある生産手段が過去の労働の生産物としての性格を感じさせるとすれば、それは欠陥のためである。
・切れないナイフや切れがちな糸などは、刃物屋のAとか蝋引工のEをまざまざと思い起こさせる。
・できのよい生産物では、その使用属性が過去の労働に媒介されているということ消え去っているのである。

■【紡績】短い繊維を平行に並べ、引き伸ばして撚(よ)りをかけ、一本の糸にすること
                                 (大辞林 第二版)
    
 紡績(ぼうせき)は、繊維・織物産業において、原料の繊維から糸の状態にするまでの工程をいう。「紡」はよりあわせることを意味し、「績」は引き伸ばすことを意味する漢字で、おもに綿や羊毛、麻などの短繊維(最長1.5m程度のもの)の繊維を非常に長い糸にする工程をいう。紡績によって作られた綿糸などが紡績糸(スパンヤーン、ステープルヤーン)と呼ばれる。
 手作業の時代、紡績は紡錘(つむ)や、糸車(紡ぎ車、手紡ぎ機)で行われた仕事であった。イギリスにおける綿織物の人気と自動織機の発達は綿糸の需要を大きくし、綿糸の生産性をあげる発明が相次いだ。紡績はイギリスの産業革命を飛躍させた重要な分野であった。1764年、ジェームズ・ハーグリーブスによって、複数の糸を紡ぐジェニー紡績機が発明され、1769年、リチャード・アークライトに
よって水力紡績機が発明されている。
        (ウィキペディア) http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%E7%B4%A1%E7%B8%BE

■【紡錘】糸を紡ぐ道具。つむ。

紡錘の仕組み、繊維のかたまり(a)から繊維を引き出し、回転軸(b)にまきとる。その下に回転力をつけるおもり(c)がある

■《栄養という行為》は、フランス語版では《栄養摂取の行為》、長谷部訳では《営養行為》となっている。

■【栄養/営養】
(1)〔生〕 生物が生命を維持し、生活してゆくために、体外から適当な物質を取り入れて、からだを成長させ、機能を保ち、エネルギーを得ること。
(2) (1) のために必要な成分・物質。滋養。
「―をとる」「―がある」「―にならない」
〔幕末につくられた語〕                        (大辞林 第二版)

第17段落
・労働過程で役立っていない機械は無用である。
・そのうえ、それは自然的物質代謝の破壊力によって侵される。
・鉄は錆び、木は腐る。織られも編まれもしない糸は、だめになった綿である。
・生きている労働は、これらの物をつかまえ、生き返らせて、単に可能的な使用価値から現実の有効な使用価値に変えなければならない。
・労働の火になめられ、労働の肉体として摂取され、労働過程で自分たちの概念と使命とにかなった機能を果たすように活気づけられて、これらの物は、確かに消費されにはちがいないが、しかし、目的に適するように消費されるのであり、生活手段として個人的消費にはいるかまたは生産手段として新たな労働過程にはいることのできる新しい使用価値、新しい生産物の形成要素として消費されるのである。

●《労働過程で役立っていない機械は無用である。》は、マルクス・コレクショクでは《労働過程において使用されない機械は無益である》と訳されていることが紹介され、この訳の方が適切であり理解しやすいとの発言がありました。また最初のところで機械=労働手段について述べているが、続いての箇所では生産手段(労働対象と労働手段)について述べているとの私的がありました。

■《だめになった綿》は、マルクス・コレクションでは《無駄になった綿花》長谷部訳では《だいなしにされた綿花》、新日本出版社訳では《廃物の綿花》となっている。また、フランス語版では綿花は登場せず《加工されない羊毛は虫に食われる》となっている。

■《商品は、まず第一に、外的対象であり、その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である。この欲望の種類は、それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと、少しも事柄を変えるものではない。ここではまた、物がどのようにして人間の欲望を満足させるか、直接に生活手段として、つまり受用の対象としてか、それとも回り道をして生産手段としてかということも、問題ではない。》(国民文庫71-72頁・原頁49)
●「《新しい生産物の形成要素として消費される》というのは生産的消費であり、続く箇所で生産的消費について述べていくことにつながっている」との発言がありました。

第18段落
・このように、現にある生産物は労働過程の結果であるだけではなくてその存在条件でもあるとすれば、他面では、それを労働過程に投げ入れることは、つまりそれが生きている労働に触れることは、これらの過去の労働の生産物を使用価値として維持し実現するための唯一の手段なのである。

●《使用価値として維持し実現する》とはどういうことかとの疑問が出され、「使用価値の実現とは消費することであり、ここでは生産的に消費されることで使用価値の実現がなされるということではないか」との発言がありました。

第19段落
・労働はその素材的諸要素を、その対象と手段とを消費し、それらを食い尽くすのであり、したがって消費過程である。
・この生産的消費が個人的消費から区別されるのは、後者は生産物を生きている個人の生活手段として消費し、前者はそれを労働の、すなわち個人の働きつつある労働力の生活手段として消費するということである。
・それゆえ、個人的消費の生産物は消費者自身であるが、生産的消費の結果は消費者とは別の生産物である。

■長谷部訳で次のようになっている。
《労働は、それらの質料的諸要素――それの対象とそれの手段――を消費し、それらを食い尽くすのであり、つまり消費過程である。》

第20段落
・その手段やその対象がそれ自身すでに生産物であるかぎりでは、労働は、生産物をつくるために生産物を消費する。
・言い換えれば、生産物の生産手段として生産物を利用する。
・しかし、労働過程が元来はただ人間とその助力なしに存在する土地とのあいだだけで行なわれるように、今もなお労働過程では、天然に存在していて自然素材と人間労働との結合を少しも表わしてはいない生産手段も役立っているのである。

■《元来は》は、長谷部訳と新日本出版社版では《本源的には》となっている。また、マルクス・コレクションでは《しかし、もともと労働過程は人間と、人間の手が加わることなく存在していた大地との間にのみ生じたものである。》(272頁)となっている。

第21段落
・これまでにわれわれがその単純な抽象的な諸契機について述べてきたような労働過程は、使用価値をつくるための合目的的活動であり、人間の欲望を満足させるための自然的なものの取得であり、人間と自然とのあいだの物質代謝の一般的条件であり、人間生活の永久的な自然条件であり、したがって、この生活のどの形態にもかかわりなく、むしろ人間生活のあらゆる社会形態に等しく共通の物である。
・それだから、われわれは労働者を他の労働者との関係のなかで示す必要はなかったのである。
・一方の側にある人間とその労働、他方の側にある自然とその素材、それだけで十分だったのである。
・小麦を味わってみても、誰がそれをつくったのかはわからないが、同様に、この過程を見ても、どんな条件のもとでそれが行なわれるのかはわからない。
・たとえば、奴隷監視人の残酷な鞭の下でか、それとも資本家の心配そうな目の前でか、あるいはまたキンキンナトゥス[古代ローマの将軍、隠退して耕作した]がわずかばかりの土地の耕作でそれを行なうのか、それとも石で野獣を倒す未開人がそれを行なうのか、というようなことはなにもわからないのである。

●《単純な抽象的な諸契機》とは何かという疑問が出され、「労働過程の分析の最初で述べられていた労働そのもの、労働対象、労働手段などのことだ」との発言がありました。

●「《労働者を他の労働者との関係のなかで示す》とはどういうことか、問題なのは労働者と資本家との関係といった生産関係についてではないか」の疑問が出されました。これについて「ここでは、社会的分業といったことが念頭におかれていたのではないか」との発言がありました。

■「第1章 第2節 労働の二重性」では次のように述べられていた。
《人間は、衣服を着ることの必要に強制されたところでは、だれかが仕立屋になるよりも何千年も前から裁縫をやってきた。しかし、上着やリンネルなど、すべて天然には存在しない素材的富の要素の存在は、つねに特殊な自然素材を特殊な人間欲望に適合させる特殊な合目的的生産活動によって媒介されなければならなかった。それゆえ、労働は、使用価値の形成者としては、有用労働としては、人間の、すべての社会形態から独立した存在条件であり、人間と自然とのあいだの物質代謝を、したがって人間の生活を媒介するための、永遠の自然必然性である。
 使用価値である上着、リンネルなど、簡単に商品体は、二つの要素の結合物、自然素材と労働の結合物である。上着やリンネルなどに含まれるいろいろな有用労働の総計を取りさってしまえば、あとには常に或る物質的な土台が残るが、それは人間の助力なしに天然に存在するものである。人間は、彼の生産において、ただ自然がやるとおりにやることができるだけである。すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである。それだけではない。この形をつける労働そのものにおいても、人間はつねに自然力にささえられている。だから、労働は、それによって生産される使用価値の、素材的富の、ただひとつの源泉なのではない。ウィリアム・ペティの言うように、労働は素材的富の父であり、土地はその母である。》(国民文庫85頁・原頁57-58)


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by shihonron | 2007-09-30 00:00 | 学習会の報告
2007年 09月 24日

第73回 9月19日 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程 

 9月19日(水)に第73回の学習会を行いました。「読む会通信」№256、№257を使って前々回、前回の復習をした後、「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程」の第7段落から第11段落までを輪読、検討しました。
 №256でとりあげた「神の見えざる手」について、「その手は誰の手かと言えば神の手だということではないか。アダムスミスが直接に《神の》と述べていなくても内容としては《神の見えざる手》だ」との発言がありました。これに関連して、学習会が終わった後に、大谷禎之介氏が講義のなかで次のように述べていたことが紹介されました。
 《市場の調節の機能(市場の配分のメカニズム)というのは、アダムスミスの「神の見えざる手」。スミス自身は「神の」という言葉を直接には使っていないが、実質的には、誰の力でもない、何かの特別な大きな力がある、超自然的な力があると言うわけですから、結局それは「神の見えざる手」です。それが働いて、みんなが勝手に自分の利益を最大にしようと行動する結果としてすべてうまくいくはずなんだ。それで市場の比例配分のメカニズムなんだ…。》
 №257の内容について、第5段落の《労働者は、いろいろな物の機械的、物理的、化学的な性質を利用して、それらのものを、彼の目的に応じて、ほかのいろいろな物にたいする力手段として作用させる》の「機械的」は、長谷部訳では「力学的」とされていることが紹介されました。
 また第6段落について、「ここで述べられているのは労働対象についてではなく労働手段についてである。《もっと広い意味で労働過程がその手段のうちに数えるものとしては、その対象への労働の働きかけを媒介ししたがってあれこれの仕方で活動の導体として役だつ物のほかに、およそ過程が行なわれるために必要なすべての対象的条件がある。》の「対象的条件」は、フランス語版では「物的条件」となっている」との発言がありました。

■テキストの内容と議論
第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程 
    

第7段落
・要するに労働過程では人間の活動が労働手段を使って一つの前もって企図された労働対象の変化を引き起こすのである。
・この過程は生産物では消えている。
・その生産物はある使用価値であり、形態変化によって人間の欲望に適合するようにされた自然素材である。
・労働はその対象と結びつけられた。
・労働は対象化されており、対象は労働を加えられている。
・労働者の側に不静止の形態で現われたものが、今では静止した性質として、存在の形態で、生産物のうちに現われる。
・労働者は紡いだのであり、生産物は紡がれたのである。

■《労働者の側に不静止の形態で現われたものが、今では静止した性質として、存在の形態で、生産物のうちに現われる。労働者は紡いだのであり、生産物は紡がれたのである。
》の部分は、フランス語版では《労働者のもとでは運動であったものが、いまや生産物にあっては静止的な属性として現われる。労働者は織ったのであり、生産物は織物なのである。》(171頁)となっている。

●「《労働は対象化されており》という表現があるが、ここでの労働は具体的有用労働のことであり、具体的有用労働の対象化が使用価値だといえる」との発言がありました。

★労働過程とその結果について次のように述べていると思われる。労働過程では、労働は流動状態にある=労働そのものであり、「過程」「運動」である。その結果は、「静止した性質(属性)」として「存在の形態」として生産物のうちに現われる。

第8段落
・この全過程をその結果である生産物の立場から見れば、二つのもの、労働手段と労働対象とは生産手段として現われ、労働そのものは生産的労働として現われる。

●「《生産物の立場から見れば》という表現があるが、それに対置されるのはどんな立場なのか。労働主体=労働者の立場と言うことだろうか」との発言がありました。

■フランス語版では《この運動全体を、その結果である生産物の観点から考察すれば、労働手段と労働対象は双方とも生産手段として現われ、労働そのものは生産労働として現われる。》(171頁)となっている。

★「生産物の立場」とは、「労働過程の結果の立場」であり、運動している状態で労働過程を捕らえるのが、やや苦しい言い方になるが「労働過程の立場」といえないだろうか。

第9段落
・ある一つの使用価値が生産物として労働過程から出てくるとき、それ以前のいくつもの労働過程の生産物である別の使用価値は生産手段としてこの労働過程にはいっていく。
・この労働の生産物であるその同じ使用価値が、あの労働の生産手段になる。
・それだから、生産物は、労働過程の結果であるだけではなく、同時にその条件でもあるのである。

●「この箇所は少し分りにくい。具体的には次のように考えればよいのではないか。布は織布という労働過程の生産物であるが、糸は生産手段としてこの労働過程に入っていく。
製糸労働の生産物である糸が、織布労働の生産手段になる。糸は、製糸という労働過程の結果であるだけではなく、織布という労働過程の条件でもある。」という発言がありました。

■フランス語版では次のようになっている。《ある使用価値はある労働過程の生産物ではあるが、この労働過程には他の使用価値――これもまた以前の労働の生産物である――が生産手段として入ってくる。一方の労働過程の生産物である当の使用価値が、他方の労働の生産手段にもなっている。それだから、生産物はたんに労働過程の結果であるばかりでなく、さらにその条件でもある。》(171頁)

第10段落
・鉱山業や狩猟業や漁業など(農業は、最初に処女地そのものを開墾するかぎりで)のように、その労働対象が天然に与えられている採取産業を除いて、他のすべての産業部門が取り扱う対象は、原料、すなわちすでに労働によって濾過された労働対象であり、それ自身すでに労働生産物である。
・たとえば農業における種子がそれである。
・自然の産物とみなされがちな動植物も、おそらくは前年の労働の生産物であるだけではなく、その現在の形態にあっては、多くの世代をつうじて人間の制御のもとに人間労働を介して継続された変化の産物である。
・しかし、特に労働手段について言えば、その大多数は、どんなに浅い観察眼にも過去の労働の痕跡を示しているのである。

●《農業は、最初に処女地そのものを開墾するかぎりで》と述べられているが、それは具体的にはどんなことなのかという疑問が出されました。「農業とあるが、原始林を伐採することなどが想定されているのではないか」との発言がありました。

★開墾とは山野を切り開いて新しく田畑にすることだが、それを採取産業と呼ぶのは適切ではないように思う。これ以前の叙述では一貫して土地は労働手段だとされおり、処女地そのものの開墾の労働対象がなにであるかは明確ではない。原始林を伐採するとか自生している果実をもぎ取る場合なら、切られる樹木、もぎとられる果実が労働対象であろう。

第10段落
・原料は、ある生産物の主要実体をなすことも、またはただ補助材料としてその形成に加わることもありうる。
・補助材料は、石炭が蒸気機関によって、油が車輪によって、乾草がひき馬によって消費されるように、労働手段によって消費されるか、または、塩素がまだ漂白されていないリンネルに、石炭が鉄に、染料が羊毛につけ加えられるように、原料のうちに素材的変化を起こすためにつけ加えられるか、または、たとえば作業場の照明や採暖のために用いられる材料のように、労働の遂行そのものを助ける。
・主要材料と補助材料との区別は本来の化学工業ではあいまいになる。
・なぜならば、充用された諸原料のうちで再び生産物の実体として現われるものはなにもないからである。

●「ここでは補助材料は原料に含められて述べられているが、後の箇所では《原料と補助材料》という言い方をしている」との発言がありました。

■《要するに、生産手段すなわち原料や補助材料や労働手段に転換される資本部分は、生産過程でその価値量を変えないのである。》(国民文庫363頁・原頁223)

●製鉄においては、鉄鉱石に含まれる酸素を取り除く(還元する)ために一酸化炭素を発生させる。そのために石炭やコークスなどがが用いられたとの紹介がありました。

■製鉄の歴史について説明されているページ↓
                 製鉄の歴史


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by shihonron | 2007-09-24 00:00 | 学習会の報告
2007年 09月 17日

第72回 9月4日  第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程

9月4日(火)に第72回の学習会を行いました。「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程」の第1段落から第6段落までを輪読、検討しました。

■テキストの内容と議論
第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程 
    

第1段落
・労働力の使用は労働そのものである。
・労働力の買い手は、労働力の売り手に労働させることによって労働力を消費する。
・このことによって労働力の売り手は、現実に、活動している労働力、労働者になるのであって、それ以前はただ潜勢的にそうだっただけである。
・彼の労働を商品に表わすには、彼はそれをなによりも使用価値に、なにかの種類の欲望を満足させるのに役だつ物に表わさなければならない。
・だから、資本家が労働者につくらせるものは、ある特殊な使用価値、ある一定の品物である。
・使用価値または財貨の生産は、それが資本家のために資本家の監督のもとで行なわれることによっては、その一般的な性質を変えるものではない。
・それゆえ、労働過程はまず第一にどんな特定の社会的形態にもかかわりなく考察されなければならないのである。

■表題の「第5章 労働過程と価値増殖過程」「第1節 労働過程」は、フランス語版では「第7章 使用価値の生産と剰余価値の生産」「第1節 使用価値の生産」となっている。

●「《彼の労働を商品に表わす》と述べられている箇所での労働は、具体的有用労働のことだろうかとの疑問が出されました。

★《彼の労働を商品に表わす》と述べられている箇所での労働は、具体的有用労働でもあり抽象的人間労働でもあると考えられる。商品は、使用価値であると同時に価値であり、具体的有用労働は使用価値に対象化され、抽象的人間労働は価値に対象化される。つづいて出てくる「それ」は「労働」を指しているが、ここでは使用価値に表わされるとされているかぎりで具体的有用労働のことである。商品はまず何よりも有用物でなければならない。《使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている――交換価値の。》(国民文庫73頁・原頁50)と述べられていたように、使用価値は価値の担い手なのである。

■フランス語版では次のようになっている。
《労働力の売り手が商品を生産するためには、彼の労働は有用でなければならない。すなわち、使用価値のうちに実現されなければならない。したがって、資本家が自分の労働者に生産させるものはある個別的な使用価値、ある個別的な物品である。》
《したがってわれわれは、社会のあれこれの経済的発展段階が有用労働に刻印するかもしれない個々の独自性はすべて度外視して、まず、有用労働一般の運動を考察しなければならない。》(上巻167頁)

■《[具体的労働=有用的労働]変形作用としての労働とは、特定の生産手段を特定の仕方で形態変化させて特定の使用価値を生産する合目的的活動のことである。(中略)この意味での労働は、特定の具体的形態における労働だから具体的労働と呼ばれ、また、なんらかの有用物を生産する労働だから有用的労働と呼ばれる。
[抽象的労働=人間的労働]労働力支出としての労働とは、人間の力の支出、発揮として見られた活動である。(中略)この意味での労働は、さまざまの具体的形態をもつ現実の労働から労働力支出という共通の質だけを抽象してみた労働だから抽象的労働と呼ばれ、またその共通の質が人間の労働力の支出だから人間的労働とも呼ばれる。抽象的労働の量は継続時間で測られる。その計測単位は、時間(time)の計測単位である、時間(hour)、分、などである。なお「人間の労働」、あるいはたんに「人間労働」と言うときには、一般に、具体的労働と抽象的労働との両面をもつ人間の労働のことを指し、「人間的労働」と言うとき、つまり「的」を入れて言うときには、人間の労働の一つの側面である、人間労働力の支出としての労働(つまり抽象的労働)のことを指す。》(大谷禎之介『図解社会経済学』18-19頁)

●「具体的有用労働は使用価値に対象化されるといった表現をすることができるのだろうか」との疑問が出され、そうした表現もありうるのではないかという発言がありました。

第2段落
・労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程である。
・この過程で人間は自分と自然との物質代謝を自分自身の行動によって媒介し、規制し、制御するのである。
・人間は、自然素材にたいして彼自身一つの自然力として相対する。
・彼は、自然素材を、彼自身の生活のために使用されうる形態で獲得するために、彼の肉体にそなわる自然力、腕や脚、頭や手を動かす。
・人間はこの運動によって自分の外の自然に働きかけてそれを変化させ、そうすることによって同時に自分自身の自然[天性]を変化させる。
・彼は、彼自身のうちに眠っている潜勢力を発現させ、その諸力の営みを彼自身の統御に従わせる。
・ここでは、労働の最初の動物的な本能的な諸形態は問題にしない。
・労働者が彼自身の労働力の売り手として商品市場に現われるという状態に対しては、人間労働がまだその最初の本能的な形態から抜け出していなかった状態は、太古的背景のなかに押しやられているのである。
・われわれは、ただ人間だけにそなわるものとしての形態にある労働を想定する。
・蜘蛛は、織匠の作業にも似た作業をするし、蜜蜂はその蝋房の構造によって多くの人間の建築師を赤面させる。
・しかし、もともと最悪の建築師でさえ最良の蜜蜂にまさっているというのは、建築師は蜜房を蝋で築く前にすでに頭のなかで築いているからである。
・労働過程の終わりには、その始めにすでに労働者の心像のなかには存在していた、つまり観念的にはすでに存在していた結果が出てくるのである。
・労働者は、自然的なものの形態変化を引き起こすだけではない。
・彼は自然的なもののうちに、同時に彼の目的を実現するのである。
・その目的は彼が知っているものであり、法則として彼の行動を規定するものであって、彼は自分の意志をこれに従わせなければならないのである。
・そして、これに従わせるということは、ただそれだけの孤立した行為ではない。
・労働する諸器官の緊張のほかに、注意力として現われる合目的的な意志が労働継続期間全体にわたって必要である。
・しかも、それは、労働がそれ自身の内容と実行の仕方とによって労働者を魅了することが少なければ少ないほど、したがって労働者が労働を彼自身の肉体的および精神的諸力の自由な営みとして享受することが少なければ少ないほど、ますます必要になるのである。

■《彼は、彼自身のうちに眠っている潜勢力を発現させ、その諸力の営みを彼自身の統御に従わせる。》は、新日本出版社版では《彼は自分の自然のうちに眠っている諸力能を発展させ、その諸力の働きを自分自身の統御に服させる。》(304頁)

●《労働の最初の動物的な本能的な諸形態》とはどんなものかとの疑問が出され、採取や狩猟ではないかとの発現がありました。

■《[労働は富の源泉であり、人間活動の基本である]労働は自然とともに物質的富の源泉であり、したがって人間生活の根本的条件である。労働はあらゆる社会を通じて、人間の生存と社会の存続にとっての第1の条件であったし、今後もそうであることをやめない。
[労働は個人の人間的発達の不可欠の条件である]労働によって人間は自分の外にある自然を変化させるが、同時に、自分自身の肉体にそなわる自然力、腕や脚や、頭や手を動かすことによって、自分自身の人間的自然を変化させる。すなわち、自分自身のなかに潜んでいる力を発現させ、自分自身の統御に従わせる。こうして自分自身の諸能力を発展させ、人間としての自分自身を発展させるのである。労働なしに個人の人間的発展はありえない。
[労働が人間そのものをつくりだした]歴史的には、ある種の類人猿がホモ・サピエンスに転化する過程で、労働が決定的な役割を果たした。自然史のなかでの人類の出現は労働なしにはありえなかった。まさしく労働が人間そのものをつくりだしたのである。
[労働は人間実践の本源的形態、人間の本源的存在形態である]人間生活の本質は、主体としての人間が客体としての現実を目的意識的、合目的的に変革する活動、つまり実践である。人間は、この活動によって、自分自身の欲求を満足させる。人間が行なうあらゆる実践活動のなかで、労働こそ最も本源的かつ基本的な実践である。労働は人間の本源的な存在形態そのものでさえある。だから人間諸個人は、本源的かつ本質的には労働する諸個人なのである。
[現代社会の労働はそのようなものとして現われていない]目的を達成することによって欲求を満足させる労働は、本来、人間にとって喜びの源泉であるはずであり、魅力あるものであり、それ自体が人間欲求の対象であるはずである。しかし現代の社会では、労働は一般にはそのようなものとして現われず、人間に喜びを与えるものであるどころか、しばしば苦痛の源泉であり、〈しなくてもよければしたくないもの〉となっている。なぜこのようなことになるのであろうか。経済学はこの問いに答えなければならない。》(大谷禎之介『図解社会経済学』13-14頁)

■《[自然過程の意識的統御としての労働]人間は、自然に働きかけて、自然から彼の欲求を充たす使用価値を取得し、消費後の廃棄物を自然のなかに戻す。これが人間特有の物質代謝の全過程である。このうち、使用価値を生産するための人間の活動が労働である。不要物の廃棄は、しばしば、意図しない自然の形態変化(環境の汚染や破壊など)を引き起こすのであり、生産活動に必然的にともなう人間活動として経済学の重要な一部をなしている。》(大谷禎之介『図解社会経済学』11頁)

第3段落
・労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象とその手段である。

第4段落
・人間のために最初から食料や完成生活手段を用意している土地(経済的には水もそれに含まれる)は、人間の手を加えることなしに、人間労働の一般的対象として存在する。
・労働によってただ大地との直接的な結びつきから引き離されるだけの物は、すべて、天然に存在する労働対象である。
・それは、たとえばその生活要素である水から引き離されて捕らえられる魚であり、原始林で伐り倒される木であり、鉱脈からはぎ取られる鉱石である。
・これに反して、労働対象がそれ自体すでに過去の労働によって濾過されているならば、われわれはそれを原料と呼ぶ。
・たとえば、すでにはぎ取られていてこれから洗鉱される鉱石はそれである。
・原料はすべて労働対象であるが、労働対象はすべて原料であるとはかぎらない。
・労働対象が原料であるのは、ただ、すでにそれが労働によって媒介された変化を受けている場合だけである。

■「完成生活手段」は、他の訳では「既成の生活諸手段」(新日本出版社版)、「そのまま利用できる生活手段」(筑摩マルクス・コレクション)となっている。

ダブリン アイルランドの首都。アイルランド島東岸にある港湾都市。造船・織物・醸造業が発達。プロテスタントの教会やダブリン城など古建築が多い。


第5段落
・労働手段とは、労働者によって彼と労働対象とのあいだに入れられてこの対象への彼の働きかけの導体として彼のために役だつ物またはいろいろな物の複合体である。
・労働者は、いろいろな物の機械的、物理的、化学的な性質を利用して、それらのものを、彼の目的に応じて、ほかのいろいろな物にたいする力手段として作用させる。
・労働者が直接に支配する対象は――完成生活手段、たとえば果実などのつかみどりでは、彼自身の肉体的器官だけが労働手段として役だつのであるが、このような場合を別として――労働対象ではなく、労働手段である。
・こうして自然的なものがそれ自身の活動の器官になる。
・その器官を彼は、聖書の言葉にもかかわらず、彼自身の肉体器官につけて加えて、彼の自然の姿を引き伸ばすのである。
・土地は彼の根源的な食糧倉庫であるが、同様にまた彼の労働手段の根源的な武器庫でもある。
・それは、たとえば彼が投げたりこすったり圧したり切ったりするのに使う石を提供する。
・土地はそれ自身一つの労働手段ではあるが、それが農業で労働手段として役立つためには、さらに一連の他の労働手段とすでに比較的高度に発達した労働力とを前提する。
・およそ労働過程がいくらかでも発達していれば、すでにそれは加工された労働手段を必要とする。
・最古の人間の洞窟のなかにも石製の道具や石製の武器が見いだされる。
・加工された石や木や骨や貝殻のほかに、人類史の発端では、馴らされた、つまりそれ自身すでに労働によって変えられた、飼育された動物が、労働手段として主要な役割を演じている。
・労働手段の使用や創造は、萌芽としてはすでにある種の動物も行なうことだとはいえ、それは人間特有の労働過程を特徴づけるものであり。それだからこそ、フランクリンも人間を“a tool-making animal ”すなわち道具を作る動物だと定義しているのである。
・死滅した動物種属の体制の認識にとって遺骨の構造がもっているのと同じ重要さを、死滅した経済的社会構成体の判定にとっては労働手段の遺物がもっているのである。
・なにがつくられたかではなく、どのようにして、どんな労働手段でつくられるかが、いろいろな経済的時代を区別するのである。
・労働手段は、人間の労働力の発達の測定器であるだけではなく、労働がそのなかで行なわれる社会的諸関係の表示器でもある。
・労働手段そのもののうちでも、全体としての生産の骨格・筋肉系統と呼ぶことのできる機械的労働手段は、ただ労働対象の容器として役だつだけでその全体をまったく一般的に生産の脈管系統と呼ぶことのできるような労働手段、たとえば管や槽や駕籠壺などに比べて、一つの社会的生産時代のはるかにより決定的な特徴を示している。容器としての労働手段は、化学工業ではじめて重要な役割を演ずるのである。

■《労働者は、いろいろな物の機械的、物理的、化学的な性質を利用して、それらのものを、彼の目的に応じて、ほかのいろいろな物にたいする力手段として作用させる。》は、新日本出版社版では《彼は、れらの諸物を彼の目的に応じて、他の諸物に働きかける力の手段として作用させるために、それらの物の機械的・物理的・化学的諸属性を利用する。》(308頁)となっている。

■《死滅した動物種属の体制》は、新日本出版社版では《絶滅した動物種属の身体組織》(309頁)となっている。

●農業において土地は労働対象といえるのではないかとの疑問が出されましたが、今後の宿題ということになりました。

第6段落
・もっと広い意味で労働過程がその手段のうちに数えるものとしては、その対象への労働の働きかけを媒介ししたがってあれこれの仕方で活動の導体として役だつ物のほかに、およそ過程が行なわれるために必要なすべての対象的条件がある。
・それらは直接には過程にはいらないが、それらなしでは過程はまったく進行することができないか、またはただ不完全にしか進行することができない。
・この種類の一般的労働手段はやはり土地そのものである。
・なぜならば、土地は、労働者に彼の立つ場所[ locus stand]を与え、また彼の過程に仕事の場所[field of employment]を与えるからである。
・この種類のすでに労働によって媒介されている労働手段は、たとえば作業用の建物や運河や道路などである。

★9月22日に誤字を訂正しました。 


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by shihonron | 2007-09-17 00:00 | 学習会の報告