『資本論』を読む会の報告

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2007年 10月 23日

第78回 10月23日 第5章 労働過程と価 値増殖過程 第2節 価値増殖過程

10月23日(火)に第78回の学習会を行いました。レジュメ《「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価 値増殖過程 第2節 価値増殖過程」のまとめ》をもとに議論しました。


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by shihonron | 2007-10-23 23:00 | 学習会の報告
2007年 10月 21日

第78回学習会のレジュメ

「 第5章 労働過程と価値増殖過程 第2節 価値増殖過程」のまとめ

内容要約と問題提起

第1段落 資本家は剰余価値の生産をめざす
・商品生産では、使用価値が生産されるのは、それが交換価値の物質的な基底、その担い手であるからであり、そのかぎりでのことである。
・資本家にとって肝要なことは――(1)商品(交換価値をもっている使用価値、売ることを予定された物品)を生産しようとする。 (2)自分の生産する商品の価値が、その生産のために必要な諸商品の価値総額よりも、高いことを欲する。
・資本家は、ただ使用価値をだけではなく価値を、そしてただ価値ではなく剰余価値を生産しようとする。

第2段落
・これまでの考察(労働過程の考察)は一面的であった。

第3段落
・今度は、生産過程を価値形成過程としても考察する。

第4段落
・資本家の手に入った生産物に対象化されている労働が計算されなければならない。

第5・6段落
・糸の生産
・原料としての綿花 10ポンドの綿花の価格は10シリング
・充用された労働手段を代表するものとしての消耗した紡錘量の価値は、2シリング
・12シリングの金量が24労働時間を表わしているとすると、この糸には1224労働時間(2労働日)が対象化されている。

第7段落
・どんな使用価値に現われるかは、価値にとってはどうでもいいことである。使用形態の変化は価値には少しも影響しない。

第8段落
綿花や消費された紡錘の生産に必要な労働時間は糸のうちに含まれている。(糸の価値の一部分になっている)

第9段落
・労働材料や労働手段に含まれている労働時間は、紡績過程の最後でつけ加えられた労働よりも前の一段階で支出されたに過ぎないものであるかのようにみなされる。

第10段落
・生産手段の価値は、生産物の価値の成分をなしている。

第11段落
・みたされなければならない条件
・(1)使用価値の生産に役立っていなければならない。どんな使用価値によって担われるかは、価値にとって問題ではないが、とにかく、ある使用価値によって担われなければならない。
・(2)与えられた社会的生産条件のもとで必要な労働時間だけが用いられたということが前提されている。

第12段落
・次に問題になるのは、紡績工の労働そのものが綿花につけ加える価値部分である。

第13段落
・価値形成過程で問題になるのは、もはや労働の質やその性状や内容ではなく、ただその量である。

第14段落
・われわれは労働時間、すなわち紡績工の生命力の支出と言うが、それは、ここで紡績労働が労働として認められるのは、ただそれが労働力の支出であるかぎりのことであって、それが紡績という独自な労働であるかぎりでのことではないからである。

■具体的・有用的労働と抽象的・人間的労働
《(価値に含まれている労働は)ただ人間の労働力の支出としてのみ認められる》(国民文庫89頁・原頁60)
《商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただ質的にのみ認められるとすれば、価値量との関連では、もはやそれ以外に質をもたない人間労働に還元されていて、ただ量的にのみ認められるのである。前のほうの場合には労働のどのようにしてとどんなが問題なのであり、あとのほうの場合には労働のどれだけがすなわちその継続時間が、問題なのである。》(国民文庫89頁・原頁60)

第15段落
・過程が続いているあいだに、すなわち綿花が糸に変えられてゆくあいだに、ただ社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは、いまや決定的に重要である。ただ、社会的に必要な労働時間だけが価値形成的として数えられるからである。

■社会的に必要な労働時間
《一商品の価値がその生産中に支出される労働の量によって規定されているとすれば、ある人が怠惰または非熟練であればあるほど、彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので、彼の商品はそれだけ価値が大きい、というように思われるかもしれない。しかし、諸価値の実体をなしている労働は、同じ人間労働であり、同じ人間労働力の支出である。商品世界の諸価値となって現われる社会の総労働力は、無数の個別的労働力から成っているのではあるが、ここでは一つの同じ人間労働力とみなされるのである。これらの個別的労働力のおのおのは、それが社会的平均労働力という性格をもち、このような社会的平均労働力として作用し、したがって、一商品の生産においてもただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間だけを必要とするかぎり、他の労働力と同じ人間労働力なのである。社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的に正常な生産条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である。たとえば、イギリスで蒸気織機が採用されてからは、一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前の半分の労働で足りたであろう。イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが、彼の個別的労働時間の生産物は、いま半分の社会的労働時間を表すにすぎなくなり、したがって、それの以前の価値の半分に低落したのである。
 だから、ある使用価値の価値量を規定するものは、ただ、社会的に必要な労働の量、すなわち、その使用価値の生産に社会的に必要な労働時間だけである。個々の商品は、ここでは一般に、それが属する種類の平均見本とみなされる。したがって、等しい大きさの労働量が含まれている諸商品、または同じ労働時間で生産されることのできる諸商品は、、同じ価値量をもっているのである。一商品の価値と他の各商品の価値との比は、一方の商品の生産に必要な労働時間と他方の商品の生産に必要な労働時間との比に等しい。「価値としては、すべての商品は、ただ、一定の大きさの凝固した労働時間でしかない」。》(国民文庫78-79頁・原頁53-54)

第16段落
・原料はここではただ一定量の労働の吸収物として認められるだけである。
・もし1時間に12/3
ポンドの綿花が紡がれるならば、10ポンドの糸は吸収された6時間労働を表わしている。

第17段落
・どんな労働であるか、なにが材料であるか、生産物がなんであるかはここではどうでもよいことになる。問題は、ある量の生産物量が、一定量の吸収された労働を表わしていることだ。

第18段落
・労働力の日価値=3シリング=対象化された6労働時間
・紡績工が1労働時間に12/3ポンドの綿花を12/3ポンドの糸に変えるとすれば、6時間では10ポンドの綿花を10ポンドの糸に変えるということになる。
・紡績過程の継続中に綿花は6労働時間を吸収する。
・この6労働時間は3シリングの金量で表わされる。
・つまり、この綿花には紡績そのものによって3シリングの価値がつけ加えられたのである。

第19段落

10ポンドの糸の総価値=15シリング=21/2労働日(30労働時間)

  10ポンドの綿花=10シリング(20労働時間)

  消耗した紡錘=2シリング(4労働時間)

  吸収された労働=3シリング=1/2労働日(6時間)

第20段落
・上記の事態では、生産物の価値は前貸しされた資本の価値に等しい。
・前貸しされた価値は増殖されておらず、剰余価値を生んでおらず、したがって、貨幣は資本に転化していない。
・糸の価値は、ただ以前に綿花や紡錘や労働力に別れていた価値の合計でしかなく、そしてこのように既存の価値をただ単に加算することからはけっして剰余価値は生まれない。

第21段落
・市場で買おうと自分で生産しようと、同量のある使用価値の価値は等しい。

第22段落
・利潤(剰余価値)についての俗流経済学での議論
・節欲の報酬として
・生産手段を提供したことに対して
・監督労働にたいする賃金として

第23段落
・労働力に含まれている過去の労働と労働力がすることのできる生きている労働とは、つまり労働力の毎日の維持費と労働力の毎日の支出とは、二つのまったく違う量である。
・前者は労働力の交換価値を規定し、後者は労働力の使用価値をなしている。
・労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる一日労働するということを妨げはしない。
・だから、労働力の価値と、労働過程での労働力の価値増殖とは、二つの違う量なのである。
・この価値差は、資本家が労働力を買ったときにすでに彼の眼中にあったのである。
・労働力の独自な使用価値――価値の源泉であり、しかもそれ自身がもっているよりも大きな価値の源泉だという独自な使用価値。
・資本家は商品交換の永久な法則にしたがって行動する。
・労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同じに、労働力の交換価値を実現してその使用価値を引き渡すのである。
・労働力の使用価値、つまり労働そのものはその売り手のものでないということは、売られた油の使用価値が油商人のものでないようなものである。
・貨幣所持者は労働力の日価値を支払った。
・たから、一日の労働力の使用、一日じゅうの労働は、彼のものである。
・労働力はまる一日活動し労働することができるにもかかわらず、労働力の一日の維持には半労働日しかかからないという事情。
・したがって、労働力の使用が一日につくりだす価値が労働力自身の日価値の二倍だという事情は、買い手にとっての特別な幸運ではあるが、けっして売り手にたいする不法ではないのである。

★《労働力の価値増殖》の内容は、労働力の支出によって形成される価値量ではないか。
 
第24段落
・資本家は労働者を1日に6時間ではなく12時間働かせる。
・12時間で生産される糸は20ポンド

  20ポンドの糸の価値=5労働日(60労働時間)=30シリング

  消費された綿花と紡績紡錘=4労働日(48労働時間)

  吸収された労働=1労働日(12労働時間) 

・5労働日の金表現は30シリング、すなわち1ポンド10シリングである。
・だから、20ポンドの糸の価格である。
・1ポンドの糸は相変わらず1シリング6ペンスである。
・しかし、この過程に投入された商品の価値総額は27シリングだった。
・糸の価値は30シリングである。
・生産物の価値は、その生産のために前貸しされた価値よりも九分の一だけ大きくなった。
・それは3シリングの剰余価値を生んだ。
・手品はついに成功した。
・貨幣は資本に転化されたのである。

第25段落
・問題の条件はすべて解決されており、しかも商品交換の法則は少しも侵害されてはいない。
・等価物が等価物と交換された。
・資本家は、買い手として、どの商品にも、綿花にも紡績紡錘量にも労働力にも価値どおりに支払った。
・次には彼は商品の買い手がだれでもすることをした。
・彼はこれらの商品の使用価値を消費した。
・労働力の消費過程、それは同時に商品の生産過程でもあって、30シリングという価値のある20ポンドの糸という生産物を生みだした。
・そこで資本家は市場に帰ってきて、前には商品を買ったのだが、今度は商品を売る。
・彼は糸1ポンドを1シリング6ペンスで、つまりその価値よりも1ペニーも高くも安くもなく、売る。
・それでも彼は、初めに彼が流通に投げ入れたよりも多くをそこから取り出すのである。
・この全過程、彼の貨幣の資本への転化は、流通部面で行なわれ、そしてまた、そこでは行なわれない。
・流通の媒介によって、というのは、商品市場で労働力を買うことを条件とするからである。
・流通で行なわれない、というのは、流通は生産部面で行なわれる価値増殖過程をただ準備するだけだからである。

■「問題の条件」
《資本は流通から発生することはできないし、また流通から発生しないわけにはゆかないのである。資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に流通のなかで発生してはならないのである。
 こうして、二重の結果が生じた。
 貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が当然出発点とみなされる。いまのところまだ資本家の幼虫でしかないわれわれの貨幣所有者は、商品をその価値どうりに買い、価値どうりに売り、しかも過程の終わりには、自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への成長は、流通部面で行なわれなければならないし、また流通部面で行なわれてはならない。これが問題の条件である。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ![Hic Rhodus,hic salta!]》(国民文庫291頁・原頁180-181) 

第26段落
・資本家は貨幣を新たな生産物の素材形成者または労働過程の諸要因として役だつ諸商品に転化させることによって、すなわち諸商品の死んでいる対象性に生きている労働力を合体することによって、価値を、すなわちすでに対象化され死んでいる過去の労働を、資本に、すなわち自分自身を増殖する価値に転化させるのである。

★《新たな生産物の素材形成者または労働過程の諸要因として役だつ諸商品》とは、生産手段と労働力のことと理解できるのではないか。

★生産手段はもちろんのこと労働力も価値をもっている。したがって、労働力もまた「対象化され死んでいる過去の労働」である。

■《労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象とその手段である。》(国民文庫313頁・原頁193)

第27段落
・価値増殖過程は、ある一定の点を超えて延長された価値形成過程にほかならない。
・もし価値形成過程が、資本によって支払われた労働力の価値が新たな等価物によって補填される点までしか継続しないならば、それは単純な価値形成過程である。
・もし価値形成過程が、この点を越えて継続すれば、それは価値増殖過程になる。

第28段落

・労働過程  ――・使用価値を形成する有用労働によって成り立っている
         ・運動は質的に、その特殊な仕方において、目的と手段によって考察          される    

・価値形成過程――・量的な面だけが現われる
         ・問題になるのは労働力が有用的に支出される継続時間だけ

・価値形成過程では、労働過程にはいっていく諸商品も、もはや合目的的に作用する労働力の機能的に限定された素材的な要因としては認められない。
・それらは、ただ対象化された労働の一定量として数えられるだけである。
・生産手段に含まれているにせよ労働力によってつけ加えられるにせよ、労働はもはやその時間尺度によって数えられるだけである。
・それは何時間とか何日間とかいうようになる。

第29段落
・しかし、労働は、ただ、使用価値の生産に費やされた時間が社会的に必要なかぎりで数にはいるだけである。
・労働力は正常な諸条件のもとで機能しなければならない。
・労働の対象的諸要因の正常な性格は、労働者にではなく資本家に依存している。
・もうひとつの条件は、労働力そのものの正常な性格である。
・労働力は、それが使用される部門で、支配的な平均程度の技能と熟練と敏速さをもっていなければならない。
・また、労働力は、普通の平均的な緊張度で、社会的に普通の強度で、支出されなければならない。
・原料や労働手段の目的に反した消費が行なわれてはならない。
・というのは、浪費された材料や労働手段は、対象化された労働の余分の支出を表わしており、したがって、数にはいらず、価値形成の生産物に加えられないからである。

第30段落
・要するに、前には商品の分析から得られた、使用価値をつくるかぎりでの労働と価値をつくるかぎりでの同じ労働との相違が、今では生産過程の違った面の区別として示されているのである。

★・使用価値――具体的・有用的労働――労働過程(使用価値の生産)
 ・価値  ――抽象的・人間的労働――価値増殖過程(剰余価値の生産)


第31段落
・労働過程と価値形成過程との統一としては、生産過程は商品の生産過程である。
・労働過程と価値増殖過程との統一としては、それは資本主義的生産過程であり、商品生産の資本主義的形態である。

第32段落
・前にも述べたように、資本家にとって取得される労働が、単純な社会的平均労働であるか、それとも、もっと複雑な労働、もっと比重の高い労働であるかは、価値増殖過程にとってはまったくどうでもよいのである。
・社会的平均労働に比べてより高度な、より複雑な労働として認められる労働は、単純な労働力に比べてより高い養成費のかかる、その生産により多くの労働時間が費やされる。
・したがってより高い価値をもつ労働力の発現である。
・もしこの力の価値がより高いならば、それはまたより高度な労働として発現し、したがってまた同じ労働時間に比較的より高い価値に対象化される。
・とはいえ、紡績労働と宝石細工労働との投球等級の差異がどうであろうと、宝石細工労働者がただ彼自身の労働力の価値を補填するだけの労働部分は、彼が剰余価値をつくりだす追加的労働部分から、質的には少しも区別されないのである。
・相変わらず剰余価値はただ労働の量的超過だけによって、同じ労働過程のすなわち一方の場合には糸生産の過程の、他方の場合には宝石生産の過程の、延長された継続だけによって、出てくるのである。

■「第1章 商品 第2節 商品に表わされる労働の二重性」の第10段落で、以下のような内容が述べられていた。
・価値としては上着とリンネルは同じ実体を持ったものであり、同種の労働の客体的表現である。
・しかし、裁縫と織布は質的に違った労働である。
・二つの労働様式がただ同じ個人の労働の諸変形でしかなく、別々の個人の特殊な固定した諸機能になっていないような社会状態もある。
・資本主義社会では、労働需要の方向の変化によって、人間労働の一定の部分があるときは裁縫の形態で、あるときは織布の形態で供給される。こうした労働の転換が行われる。
・生産活動の規定性、したがってまた労働の有用的性格を無視するとすれば、労働に残るものは、それが人間の労働力の支出であるということである。
・商品の価値は、ただ人間労働を、人間労働(力)の支出を、表している。
・この場合の人間労働は、平均的にだれでも普通の人間が、特別な発達なしに自分の肉体のうちに持っている単純な労働力の支出である。
・単純な平均労働そのものも、国が違い文化段階が違えばその性格は違うのではあるが、しかし、現にある一つの社会では与えられている。
・より複雑な労働は、単純な労働が数倍されたものとみなされる。より小さい量の複雑労働がより大きい量の単純労働に等しいということになる。
・ある商品がどんなに複雑な労働の生産物であっても、その価値は、その商品を単純労働の生産物に等置するのであり、したがってそれ自身ただ単純労働の一定量を表しているに過ぎない。
・いろいろな労働種類がその度量単位としての単純労働に換算されるいろいろな割合は、一つの社会的課程によって生産者の背後で確定され、したがつて生産者にとっては慣習によって与えられたもののように思われる。
・以下では換算の労を省くために、各種の労働力を直接に単純な労働力とみなす。

■《一般的な人間の天性を変化させて、一定の労働部門で技能と熟練とを体得して発達した独自な労働力になるようにするためには、一定の養成または教育が必要であり、これにはまた大なり小なりの額の商品等価物が費やされる。労働力がどの程度に媒介された性質のものであるかによって、その養成費も違ってくる。だから、この修行費は、普通の労働者についてはほんのわずかだとはいえ、労働力の生産のために支出される価値のなかにはいるのである。》(国民文庫301-302頁・原頁186)

★労働力商品の価値の大きさとその労働力の支出によって形成される価値の大きさの間に比例的関係はあるのだろうか? 同じ時間に生産された複雑労働の生産物は、単純労働の生産物よりも大きな価値をもつことは明らかだ。労働力の価値が2倍だと仮定して、その労働力の支出によって2倍の価値が形成されるとはいえないのではないか。

第32段落
・他方、どの価値形成過程でも、より高度な労働はつねに社会的平均労働に還元されなければならない。
・たとえば一日の高度な労働はX日の単純な労働に。
・つまり、資本の使用する労働者は単純な社会的平均労働を行なうという過程によって、よけいな操作が省かれ、分析が簡単にされるのである。



★11月11日に誤字脱字の訂正をしました。
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by shihonron | 2007-10-21 11:30 | レジュメ
2007年 10月 17日

第77回 10月16日  第5章 労働過程と価値増殖過程 第2節 価値増殖過程

10月16日(火)に第77回の学習会を行いました。
「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第2節 価値増殖過程」の第23段落から最後(第32段落)までを輪読、検討しました。
次回は、全体のまとめを行なう予定です。


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by shihonron | 2007-10-17 07:00 | 学習会の報告
2007年 10月 14日

第76回 10月10日 第5章 労働過程と価値増殖過程 第2節 価値増殖過程

10月10日(水)に第76回の学習会を行いました。「読む会通信」№260を使って前回の復習をした後、「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第2節 価値増殖過程」の第13段落から第22段落までを輪読、検討しました。内容のまとめと議論の報告は、この節が終了してからまとめて行なう予定です。


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by shihonron | 2007-10-14 00:00 | 学習会の報告
2007年 10月 08日

第75回 10月2日 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程

 10月2日(火)に第75回の学習会を行いました。「読む会通信」№259を使って前回の復習をした後、「第3篇 絶対的剰余価値の生産 第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程」の第22段落から最後(第25段落)まで、「第2節 価値増殖過程」の第1段落から第12段落までを輪読、検討しました。「第2節 価値増殖過程」については、まだほとんど議論はなく、報告はこの節が終了してからまとめて行なう予定です。

●は議論の報告、■は資料、★は報告作成者によるまとめや個人的見解です。

■テキストの内容と議論
第5章 労働過程と価値増殖過程 第1節 労働過程  
   

第22段落
・われわれの将来の資本家のところに帰ることにしよう。
・われわれが彼と別れたのは、彼が商品市場で労働過程のために必要な要因のすべてを、すなわち対象的要因または生産手段と人的要因または労働力とを買ってからのことだった。
・彼は、抜け目のないくろうとの目で、紡績業とか製靴業とすいうような彼の専門の営業に適した生産手段と労働力とを選び出した。
・そこで、われわれの資本家は、自分の買った商品、労働力を消費することに取りかかる。
・すなわち、労働力の担い手である労働者にその労働によって生産手段を消費させる。
・労働過程の一般的な性質は、この過程を労働者が自分自身のためにではなく資本家のために行なうということによっては、もちろん変らない。
・また、長靴をつくるとか糸を紡ぐとかいう特定の仕方も、さしあたりは、資本家の介入によって変るわけではない。
・資本家は、さしあたりは、市場で彼の前に現われるがままの労働力を受け取らなければならないし、したがってこの労働力が行なう労働をも、資本家がまだいなかった時代に生じた形のままで受け取らなければならない。
・労働が資本に従属することによって起きる生産様式そのものの変化は、もっとあとになってからはじめて起きることができるのであり、したがって、もっとあとで考察すればよいのである。

■《われわれの将来の資本家》は、他の版では《育ちつつあるわれらが資本家》(マルクス・コレクション)、《わが“将来の”資本家》(新日本出版社版)、《われわれの未熟な資本家》となっている。

★《われわれの将来の資本家》という表現が使われているのは、流通部面で生産手段と労働力を購入した貨幣所有者は、潜勢的に資本家であるに過ぎず、生産過程を経てはじめて実際に資本家になるからではないか。

●「われわれが将来の資本家と別れたのは、第4章 貨幣の資本への転化の最後(第22段落)でのことだった」との発言がありました。

■「第4章 貨幣の資本への転化」の第22段落では次のように述べられていた。
《この単純な流通または商品交換の部面から、卑俗な自由貿易論者は彼の見解や概念を取ってくるのであり、また資本と賃労働との社会についての彼の判断の基準をとってくるのであるが、いまこの部面を去るにあたって、われわれの登場人物たちの顔つきは、見受けるところ、すでにいくらか変っている。さっきの貨幣所持者は資本家として先に立ち、労働力所持者は彼の労働者として後についていく。
一方は意味ありげにほくそえみながら、せわしげに、他方はおずおずと渋りがちに、まるで自分の皮を売ってしまってもはや革になめされるよりほかにはなんののぞみもない人のように。》(国民文庫309頁・原頁190-191)

●《労働が資本に従属することによって起きる生産様式そのものの変化》について、「ここでの生産様式は、《長靴をつくるとか糸を紡ぐとかいう特定の仕方》と述べられているように生産の特定の仕方(生産方法)のことであり、資本主義にふさわしい生産の仕方(生産方法)とは大工業のことではないか」という発言がありました。また、「《労働が資本に従属することによって起きる生産様式そのものの変化》についての考察は、第4編相対的剰余価値の生産でなされていると」の指摘がありました。

■『資本論辞典』(青木書店刊)では《生産様式という語は、より狭くは、直接的生産過程において労働の技術的および社会的条件に制約された〈生産の仕方〉ないし〈生産の方法〉の意味に用いられる。》と述べられている。

第23段落
・ところで、労働過程は、資本家による労働力の消費過程として行なわれるものとしては、二つの特有な現象を示している。

第24段落
・労働者は資本家の監督のもとに労働し、彼の労働はこの資本家に属している。
・資本家は、労働が整然と行なわれて生産手段が合目的的に使用されるように、つまり原料がむだにされず労働用具が大切にされるように、言い換えれば作業中の使用によってやむを得ないかぎりでしか損傷されないように、見守っている。

■《[指揮および監督の機能は資本に属する]多くの労働者による社会的な労働は指揮を必要とすし、それを行なう指揮者を必要とする。資本によって実現される協業では、指揮の機能は資本に属する資本の機能であり、その人格的担い手は、まずもって資本家である。
 資本のもとでの労働は労働者にとって、自分の立てた目的を実現する自分の労働ではなく、資本の目的を実現するための他人の労働だから、彼らの労働には資本による監督が必要である。これはもちろん資本の機能であり、まずもって資本の人格化である資本家が彼らの監督者となる。
 指揮は多人数による社会的労働が社会形態にかかわりなく必要とするものであり、監督は賃労働という労働の社会的形態が要求するものであって、両者はほんらい区別されるべきものであるが、実際には、どちらも資本の機能として渾然一体となって資本家によって遂行され、〈指揮・監督〉という一つの機能として現われる。
 まずもって資本家自身によって果たされるこの指揮・監督の機能はやがて資本家から特別な種類の労働者、すなわちマネージャー(産業士官)やもろもろの職制(産業下士官)に譲り渡されるようになる。
 一方では、資本のもとでの協業に必要な指揮および監督が資本家によって行なわれるところから、およそ協業には資本が必要であるかのような転倒した観念が生まれるとともに、他方では、これらの機能が特別な種類の労働者によって遂行されるところから、指揮ばかりでなく監督までも、社会形態にかかわりのない社会的労働一般が必要とするものであるかのような転倒した観念が生まれる。》(大谷禎之介『図解社会経済学』159-160頁)

■英語では、指揮は command 監督は control である。

第25段落
・また、第二に、生産物は資本家の所有物であって、直接的生産者である労働者のものではない。資本家は、労働力のたとえば1日分の価値を支払う。
・そこで、労働力の使用は、他のどの商品の使用とも同じに、たとえば彼が一日だけ賃借りした馬の使用と同じに、その一日は彼のものである。
・商品の買い手には商品の使用が属する。
・そして、労働力の所有者は、自分の労働を与えることによって、じっさいにただ自分が売った使用価値を与えるだけである。
・彼が資本家の作業場にはいった瞬間から、彼の労働力の使用価値、つまりその使用、労働は、資本家のものになったのである。
・資本家は、労働力を買うことによって、労働そのものを、生きている酵母として、やはり自分のものである死んでいる生産物形成要素に合体したのである。
・彼の立場からは、労働過程は、ただ彼が買った労働力という商品の消費過程でしかないのであるが、しかし、彼は、ただそれに生産手段をつけ加えることによってのみ、それを消費することができるのである。
・労働過程は、資本家が買った物と物とのあいだの、彼に属する物と物とのあいだの、一過程である。
・それゆえ、この過程の生産物が彼のものであるのは、ちょうど、彼のぶどう酒ぐらのなかの発酵過程の生産物が彼のものであるようなものである。

●「労働力商品の売買を「賃貸借」といえるかという問題との関連で《労働力の使用は、他のどの商品の使用とも同じに、たとえば彼が一日だけ賃借りした馬の使用と同じに、その一日は彼のものである》と述べていることに注意しておこう」との発言がありました。

■《[商品生産の所有法則]商品の交換の部面では、商品所有者がたがいに私的所有者として認めあうが、そのさい相手がどのような経済関係のもとで商品所有者となったかを見ないで、彼らはたがいに商品を自分の労働で正当に入手したのだ、不当に盗んだりしたものではない、と想定しあうほかはない。つまりこの世界では、私的所有者たちの所有権原は彼らの自己労働だと想定されるのであり、この想定が社会法則として通用することになる。これを商品生産の所有法則と言う。》(大谷禎之介『図解社会経済学』79-80頁)

■第25段落につけられた注10のなかでシェルビュリエ『富か貧か』からの引用が取り上げられているが、「第22章 剰余価値の資本への転化 第1節 拡大された規模での資本主義的生産過程 商品生産の所有法則の資本主義的取得法則への変転」の注23でも同じ箇所が紹介され、次のように述べられている。《他人の労働生産物の資本家による所有は、「逆に各労働者による自分の労働の生産物の排他的所有権をその根本原理とした取得の法則の厳密な帰結なのである」(シェルビュリエ『富か貧か』、パリ、1841年、58ページ。だが、そこではこの弁証法的な反転が正しく説明されてはいない。)》(国民文庫第3分冊138頁・原頁610)
 シェルビュリエ(1797-1869)は、スイスの経済学者でシスモンデディーの弟子。《マルクスは、個々の問題についてはすぐれた洞察のあることを認めながら、全体的にはリカードおよびシスモンディーの見解から一歩も出ていないと批判した。》(『資本論辞典』492頁)


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by shihonron | 2007-10-08 00:00 | 学習会の報告