『資本論』を読む会の報告

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2007年 11月 30日

第82回 11月27日  第6章 不変資本と可変資本

11月27日(火)に第82回の学習会を行いました。「第6章 不変資本と可変資本」の第17段落から第23段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見や問題提起です。

■テキストの内容と議論
第6章 不変資本と可変資本 
    
第17段落
・生産的労働が生産手段を新たな生産物の構成要素に変えることによって、生産手段の価値にはひとつの転生がが起きる。
・それは、消費された肉体から、新しく形作られた肉体に移る。
・しかし、この転生は、いわば、現実の労働の背後で行なわれる。
・労働者は、元の価値を保存することなしには、新たな価値をつけ加えることは、すなわち新たな価値を創造することはできない。
・なぜならば、彼は労働を必ず特定の有用な形態でつけ加えなければならないからであり、そして労働を有用な形態でつけ加えることは、いろいろな生産物を一つの新たな生産物の生産手段とすることによってそれらの価値を生産物に移すことなしには、できないからである。
・だから、価値をつけ加えながら価値を保存するということは、活動している労働力の、生きている労働の、一つの天資なのである。
・そして、この天資は、労働者にとってはなんの費用もかからず、しかも、資本家には現にある資本価値の保存という多大の利益をもたらすのである。
・景気のよいあいだは、資本家は利殖に没頭しきっていて、労働のこの無償の贈り物が目に見えない。
・労働過程のむりやりの中断、すなわち恐慌は、彼にこれを痛切に感じさせる。

★生産手段、つまり労働対象と労働手段のどちらもが「新たな生産物の構成要素」に変えられるとマルクスは述べている。

★「肉体」とは使用価値のことである。労働によって価値の担い手である使用価値の形態は変化するが、価値は保存(移転)される。

■【転生】てんしょう 生まれ変わること。また、生活態度や環境を一変させること。
     てんせい。
【転生】てんせい 生まれ変わること。輪廻(りんね)。てんしょう。

★現実の労働は具体的・有用的労働に他ならない。その労働を、労働力の支出という側面からだけ取り上げるなら抽象的・人間的労働である。抽象的・人間的労働は価値をつけくわえ(形成し)、具体的・有用的労働は価値を保存(移転)する。

■【天資】生まれつきの資質・性質。天稟(てんぴん)。天性。

●「この天資は、労働者にとってはなんの費用もかからず」とはどういうことかが問題になり、二度労働(一度は価値をつけ加えるために、もう一度は価値を保存するために)するのではなく、一度の労働によって価値をつけ加えると同時に価値を保存するということだろうという結論になりました。

■《労働対象に新たな価値をつけ加えることと、生産物のなかに元の価値を保存することとは、労働者が同じ時間には一度しか労働しないのに同じ時間に生みだす二つのまったく違う結果なのだから、このような結果の二面性は明らかにただ彼の労働そのものの二面性だけから説明できるものである。同じ時点に、彼の労働は、一方の属性では価値を創造し、他方の属性では価値を保存または移転しなければならないのである。》(国民文庫347頁・原頁214)

●「労働のこの無償の贈り物」とは何かが問題となり、価値が保存されることだとの結論になりました。

第18段落
・およそ生産手段として消費されるものは、その使用価値であって、これの消費によって労働は生産物を形成するのである。
・生産手段の価値は実際は消費されるのではなく、したがってまた再生産されることもできないのである。
・それは保存されるが、しかし、労働過程で価値そのもの操作が加えられるので保存されるのではなく、価値が最初そのうちに存在していた使用価値が消失はするがしかしただ別の使用価値となってのみ消失するので保存されるのである。
・そけゆえ、生産手段の価値は、生産物のうちに再現はするが、しかし、正確に言えば、再生産されるのではない。
・生産されるものは、元の交換価値がそのうちに再現する新たな使用価値である。

■【再生産】商品の生産と流通・消費の過程が不断に繰り返されること。また、その過程。

●「なぜここで価値ではなく交換価値という言葉が用いられているのか」との疑問が出されましたが、「意味としては価値のことであり、差異はないだろう」との発言がありました。

第19段落
・労働過程の主体的な要因、活動しつつある労働力の方は、そうではない。
・労働がその合目的的な形態によって生産手段の価値を生産物に移して保存するあいだに、その運動の各瞬間は追加価値を、新価値を形成する。
・かりに、労働者が自分の労働力の等価を生産した点、たとえば6時間の労働によって3シリングの価値をつけ加えた点で、生産過程が中断するとしよう。
・この価値は、生産物価値のうちの、生産手段からきた成分を越える超過分をなしている。
・それは、この過程のなかで発生した唯一の本源的な価値であり、生産物価値のうちでこの過程そのものによって生産された唯一の部分である。
・もちろん、それは、ただ、資本家によって労働力の買い入れのときに前貸しされ労働者自身によって生活手段に支出された貨幣を補填するだけである。
・支出された3シリングとの関係からみれば、3シリングという新価値はただ再生産として現われるだけである。
・しかし、それは現実に再生産されているのであって、生産手段の価値のようにただ外見上再生産されているだけではない。
・ある価値の他の価値による補填は、ここでは新たな価値創造によって媒介されているのである。

★ ある価値=資本家によって労働力の買い入れのときに前貸しされ労働者自身によって生活手段に支出された貨幣 
 
  他の価値=6時間の労働によってつけ加えられた価値

第20段落
・しかし、われわれがすでに知っているように、労働過程は、労働力の価値の単なる等価が再生産されて労働対象につけ加えられる点を越えて、なお続行される。
・この点までは6時間で十分でも、それではすまないで、過程はたとえば12時間続く。
・だから、労働力の活動によってはただそれ自身の価値が再生産されるだけではなく、ある超過価値が生産される。
・この剰余価値は、生産物価値のうちの、消費された生産物形成者すなわち生産手段と労働力との価値を超える超過分をなしているのである。

■《それゆえ、この過程の完全な形態は、G―W―G’であって、ここでは G’=G+ΔG である。すなわちG’は、最初に前貸しされた貨幣額・プラス・ある増加分に等しい。この増加分、または最初の価値を超える超過分を、私は剰余価値(surplus value)と呼ぶ。それゆえ、最初に前貸しされた価値は、流通のなかでただ自分を保存するだけではなく、そのなかで自分の価値量を変え、剰余価値をつけ加えるのであり、言い換えれば自分を価値増殖するのである。・そしてこの運動がこの価値を資本に転化させるのである。》
(国民文庫263-264頁・原頁165)

★ここでは生産物形成者として、生産手段と労働力をあげている。

第21段落・われわれは、生産物価値の形成において労働過程のいろいろな要因が演ずるいろいろに違った役割を示すことによって、事実上、資本自身の価値増殖過程で資本のいろいろな成分が果たす機能を特徴づけたのである。
・生産物の総価値のうちの、この生産物を形成する諸要素の価値総額を超える超過分は、最初に前貸しされた資本価値を越える価値増殖された資本の超過分である。
・一方の生産手段、他方の労働力は、ただ、最初の資本価値がその貨幣形態を脱ぎ捨てて労働過程の諸要因に転化したときにとった別々の存在形態でしかないのである。

★《労働過程のいろいろな要因》とは、生産手段(労働手段と労働対象)および労働力である。労働過程の諸契機としては、労働そのもの、労働対象、労働手段があげられていたが、労働は《活動しつつある労働力》に他ならず、労働力は《労働過程の諸要因》の一つ(労働過程の主体的な要因)なのである。

第22段落
・要するに、生産手段すなわち原料や補助材料や労働手段に転換される資本部分は、生産過程でその価値量を変えないのである。
・それゆえ、私はこれを不変資本部分、または、もっと簡単には、不変資本と呼ぶことにする。

★不変資本=生産手段に転換される資本部分

第23段落
・これに反して、労働力に転換された資本部分は、生産過程でその価値を変える。
・それはそれ自身の等価と、これを越える超過分、すなわち剰余価値とを再生産し、この剰余価値はまたそれ自身変動しうるものであって、より大きいこともより小さいこともありうる。
・資本のこの部分は、一つの不変量から絶えず一つの可変量に転化していく。
・それゆえ、私はこれを可変資本部分、またはもっと簡単には、可変資本と呼ぶことにする。
・労働過程の立場からは客体的な要因と主体的な要因として、生産手段と労働力として、区別されるその同じ資本部分が、価値増殖過程の立場からは不変資本と可変資本として区別されるのである。

★可変資本=労働力に転換された資本部分

■《労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象とその手段である。》(国民文庫313頁・原頁193)
■《この全過程をその結果である生産物の立場から見れば、二つのもの、労働手段と労働対象とは生産手段として現われ、労働そのものは生産的労働として現われる。》(国民文庫317頁・原頁196)


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by shihonron | 2007-11-30 09:15 | 学習会の報告
2007年 11月 21日

第81回 11月20日 第6章 不変資本と可変資本

11月20日(火)に第81回の学習会を行いました。「読む会通信№262」をもとに前回の復習を行ないました。今回は復習のみで終わりました。


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by shihonron | 2007-11-21 17:26 | 学習会の報告
2007年 11月 18日

第80回 11月13日 第6章 不変資本と可変資本

11月13日(火)に第80回の学習会を行いました。「読む会通信№261」をもとに前回の復習を行ない、「第6章 不変資本と可変資本」の第11段落から第16段落までを輪読、検討しました。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見や問題提起です。

■テキストの内容と議論
第6章 不変資本と可変資本     
第11段落

・価値は、価値標章での単なる象徴的なその表示を別とすれば、ある使用価値、ある物のうちにしか存在しない。
・(人間自身も、労働力の単なる定在として見れば、一つの自然対象であり、たとえ生命のある、自己意識のある物だとはいえ、一つの物である。
・そして労働そのものは、あの力の物的な発現である。)
・だから使用価値がなくなってしまえば、価値もなくなってしまう。
・生産手段は、その使用価値を失うのと同時にその価値を失うのではない。
・というのは、生産手段が労働過程を通ってその使用価値の元の姿を失うのは、じつは、ただ生産物において別の使用価値の姿を得るためでしかないからである。
・しかし、価値にとっては、なんらかの使用価値のうちに存在するということは重要であるが、どんな使用価値のうちに存在するかは、商品の変態が示しているように、どうでもよいのである。
・このことからも明らかなように、労働過程で価値が生産手段から生産物に移るのは、ただ生産手段がその独立の使用価値といっしょにその交換価値をも失うかぎりでのことである。
・生産手段は、ただ生産手段として失う価値を生産物に引き渡すだけである。
・しかし、労働過程のいろいろな対象的要因は、この点でそれぞれ事情を異にしている。

●《価値標章での単なる象徴的なその表示》とはなんのことかという疑問が出され、「紙幣による価値の表示のことだ」との回答がありました。

■《銀製や銅製の章標の金属純分は、法律によって任意に規定されている。それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。それゆえ、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものになる。すなわち、およそ価値というものとはかかわりのないものになる。金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。つまり、相対的に無価値なもの、紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。金属製の貨幣章標では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では、それが一見してわかるように現われている。》(国民文庫223-224頁・原頁140-141)

●《人間自身も、労働力の単なる定在として見れば、一つの自然対象》と述べられているがこの自然対象とはどういう意味かとの疑問が出され、ここでの対象は物という意味であり、「自然物」と言い換えることができるということになりました。

●《労働そのものは、あの力の物的な発現》の内容が問題となり、「労働そのものは労働力の発揮であり、それは物質的な力の発揮だということではないか」との発言がありました。

■《労働は、まず第一に人間と自然とのあいだの一過程である。この過程で人間は自分と自然との物質代謝を自分自身の行動によって媒介し、規制し、制御するのである。人間は、自然素材にたいして彼自身一つの自然力として相対する。彼は、自然素材を、彼自身の生活のために使用されうる形態で獲得するために、彼の肉体にそなわる自然力、腕や脚、頭や手を動かす。》(国民文庫312頁・原頁192)

●《生産手段がその独立の使用価値といっしょにその交換価値をも失う》とあるが「独立の使用価値」とは何かが問題となり、新日本出版社版では「独自の使用価値」となっていることが紹介されました。また「たとえば糸の原料である綿花が糸になると綿花としての使用価値を失う(綿花ではなくなる)ということではないか」との発言があり、これについて「原料については分るが、機械などの労働手段の使用価値は変化せず、独自の使用価値を失うといえるのだろうか」との疑問が出されました。これについて「10年間使用できる機械が1年間使用された後では9年間しか使用できなくなる。そういう意味では一定の使用価値を失ったといえるのではないか」との発言がありました。

●《労働過程のいろいろな対象的要因は、この点でそれぞれ事情を異にしている》と述べられている「労働過程のいろいろな対象的要因」とは何をさしているのかが問題になり、「労働対象のこと」「労働対象と労働手段のこと」との二つの意見が出されました。また「労働力も含むといえるのか」との発言もありました。先に進んでからもう一度考えてみようということになりました。

★労働過程の諸契機(諸要因)は労働そのものと労働対象と労働手段である。したがって、ここでは労働力は問題にならない。

●「労働力商品の場合には、生活手段の価値が労働力に移転するといえないだろうか」との疑問が出され、「労働力の再生産は、労働者による生活手段の個人的消費によってなされる。価値の移転は労働過程における生産的消費の場合に問題になることであり、個人的消費による労働力商品の再生産においては移転は問題にならないのではないか」との発言がありました。

第12段落
・機関を熱するために用いられる石炭は、あとかたもなく消えてしまうが、車軸に塗られる油なども同様である。
・染料やその他の補助材料も消えてなくなるが、しかしそれらは生産物の性質のうちに現われる。
・原料は生産物の実体になるが、しかしその形を変えている。
・だから、原料や補助材料は、それらが使用価値として労働に入ったときの独立の姿をなくしてしまうわけである。
・本来の労働手段はそうではない。
・用具や機械や工場建物や容器などが労働過程で役だつのは、ただ、それらのものが最初の姿を保持していて明日もまた昨日とまったく同じ形態で労働過程に入って行くかぎりでのことである。
・それらのものは、生きているあいだ、労働過程にあるあいだ、生産物にたいして自分の独立の姿を保持しているが、それらが死んでからもやはりそうである。機械や道具や作業用建物などの死骸は、相変わらず、それらに助けられてつくられた生産物とは別に存在している。
・今このような労働手段が役だつ全期間を、それが作業場に入ってきた日から、がらくた小屋に追放される日までにわたって考察するならば、この期間中にその使用価値は労働によって完全に消費されており、したがってその交換価値は完全に生産物に移っている。
・たとえばある紡績機械が10年で寿命を終わったとすれば、10年間の労働過程のあいだに機械の全価値は10年間の生産物に移ってしまっている。
・だから、一つの労働手段の生存期間のうちには、この労働手段を用いて絶えず繰り返される労働過程の多かれ少なかれいくつかが含まれているのである。
・そして、労働手段も人間と同じことである。
・人間は、だれでも毎日24時間ずつ死んでゆく。
・しかし、どの人間を見ても、彼がすでに何日死んでいるかは正確にはわからない。
・とはいえ、このことは、生命保険会社が人間の平均寿命から非常に確実な、そしてもっとずっと重要なことではあるが、大いに利潤のあがる結論を引き出すということを妨げるものではない。
・労働手段も同じである。
・ある労働手段、たとえばある種類の機械が平均してどれだけ長もちするかは、経験によって知られている。
・労働過程での機械の使用価値が6日しかもたないと仮定しよう。
・そうすれば、その機械は平均して1労働日ごとにその使用価値の6分の1を失ってゆき、したがって毎日の生産物にその価値の6分の1を引き渡すことになる。
・このような仕方で、すべての労働手段の損耗、たとえばその毎日の使用価値喪失とそれに応じて行なわれる生産物への毎日の価値引き渡しは、計算されるであろう。

★原料や補助材料などは、労働過程を経て、消えてなくなったり、姿を変えたりすることによって最初の姿=独自の使用価値を失う。これに対して本来の労働手段は、労働過程にあるあいだ、生産物にたいして自分の独立の姿を保持している。しかし、労働手段にはそれが利用されうる一定の期間=寿命がある。その寿命がつきるまでの全期間の労働過程のあいだには労働手段の使用価値はすべて消費され、全価値がその期間の生産物に移転する。全期間(寿命)の10分の1の時間の使用では、使用価値の10分の1が消費され(失われ)、全価値の10分の1が移転する。

第13段落
・こうして、生産手段は、労働過程でそれ自身の使用価値の消滅によって失うよりも多くの価値を生産物に引き渡すものではないということが、適切に示される。
・もしもその生産手段が失うべき価値をもっていないならば、すなわちそれ自身が人間労働の生産物でないならば、それはけっして生産物に価値を引き渡しはしないであろう。
・その生産手段は、交換価値の形成者として役立つことなしに、使用価値の形成者として役だつであろう。
・それゆえ、天然に人間の助力なしに存在する生産手段、すなわち土地や風や水や鉱脈内の鉄や原始林の樹木などの場合は、すべてそうなのである。

★生産手段が使用価値ではあるが価値をもたないもの=「自然財」である場合には、生産物に価値を引き渡さない。

第14段落
・ここでもう一つの別の興味ある現象がわれわれの前に現われる。
・たとえば、ある機械に1000ポンドの価値があって、それが1000日で損耗してしまうとしよう。
・この場合には、毎日機械の価値の1000分の1ずつが機械自身からその毎日の生産物に移っていく。
・それと同時に、その生活力はしだいに衰えて行きながらも、いつでもその機械全体が労働過程で機能している。
・だから労働過程のある要因、ある生産手段は、労働過程には全体としてはいるが、価値増殖過程には一部分しかはいらないということがわかるのである。
・労働過程と価値増殖過程との相違がここではこれらの過程の対象的な諸要因に反射している。
・というのは、同じ生産過程で同じ生産手段が、労働過程の要素としては全体として数えられ、価値形成の要素としては一部分ずつしか数えられないからである。

★《労働過程と価値増殖過程との相違》 
   労働過程――使用価値の生産――具体的・有用的労働の側面
 価値増殖過程――剰余価値の生産――抽象的・人間的労働の側面

■この段落の最後の部分は、新日本出版社版(349頁)では次のようになっている。
《ここでは、労働過程と価値増殖過程との区別は、同じ生産手段が同じ生産過程において、労働過程の要素としては全体として計算に入り、価値形成の要素としては一部分ずつ計算にはいるにすぎないということによって、それらの過程の対象的諸要因に反映する。》

●注21に関連してナイフの製法を調べることになりました。

■刃物記念館 http://www.meikoukai.com/contents/hakubutukan/hamono/index.html
 レッドオルカ http://www.yamahide.com/custom/redorca.htm

第15段落
・他方それとは反対に、ある生産手段は、労働過程には一部分しか入らないのに、価値増殖過程には全体としてはいることがありうる。
・綿花を紡ぐときに毎日115ポンドについて15ポンドが落ちて、この15ポンドは糸にはならないで綿くず[devil's dust]にしかならないと仮定しよう。
・それでも、もしこの15ポンドの脱落が標準的であって綿花の平均加工と不可分であるならば、糸の要素にならない15ポンドの綿花の価値も、糸の実体になる100ポンドの綿花の価値とまったく同じように、糸の価値にはいるのである。
・100ポンドの糸をつくるためには、15ポンドの綿花の使用価値がちりにならなければならない。
・だから、この綿花の廃物化は糸の生産の一つの条件なのである。
・それだからこそ、それはその価値を糸に引き渡すのである。
・これは、労働過程のすべての排泄物について言えることである。
・少なくとも、これらの排泄物が再び新たな生産手段に、したがってまた新たな独立な使用価値にならないかぎりでは、そう言えるのである。
・たとえば、マンチェスターの大きな機械製造工場では鉄くずの山が巨大な機械でかんなくずのように削り落とされ、夕方になると大きな車で工場から製鉄所に運ばれて行くのが見られるが、それは他日再び大量の鉄になって製鉄所から工場に帰ってくるのである。

第16段落
・ただ、生産手段が労働過程にあるあいだその元の使用価値の姿での価値を失うかぎりでのみ、それは生産物の新たな姿に価値を移すのである。
・それが労働過程でこうむることのできる価値喪失の最大限度は、明らかに、それが労働過程にはいるときにもっていた元の価値によって、すなわち自身の生産に必要な労働時間によって、制限されている。
・それゆえ、生産手段は、それが役立てられる労働過程にかかわりなくもっている価値よりも多くの価値を生産物につけ加えることは、けっしてできないのである。
・ある労働材料、ある機械、ある生産手段がどんなに有用であっても、それが150ポンドに、たとえば500労働日に値するならば、それは、その役立ちによって形成される総生産物に、けっして150ポンドより多くはつけ加えないのである。
・その価値は、それが入っていく労働過程によってではなく、それが生産物として出てくる労働過程によって決定されているのである。
・労働過程ではそれはただ使用価値として、有用な性質をもっている物として役だつだけであり、したがって、もしそれがこの過程にはいってくる前に価値をもっていなかったならば、それは生産物に少しも価値を引き渡しはしないであろう。

★《その価値は…それが生産物として出てくる労働過程によって決定されている》と述べられているが、労働過程は価値を形成するのではなく、使用価値を生産するのではなかったのかという疑問をもちました。

■フランス語版では次のようになっています。
《その価値は、それが生産手段として入ってゆく労働によってではなく、それが生産物として出てくる労働によって、きめられる。》(198頁)

●議論の中で「現在までのところでは、商品は労働生産物であるが、現在の社会では第3次産業の比率が大きい。商品としてのサービスについてどのように説明できるのか。サービス労働は価値を生まないと言うことなのだろうか」との疑問が出されました。これに対して「本来的な商品について明らかにした後で、サービスについて問題にできる。価値は、物の性質でありサービスは価値をもたないと思う。マルクスは、サービスについては収入と交換される不生産的労働と評価していたのではないか」との発言がありました。

■生産的労働と不生産的労働
「スミスは、生産的労働と不生産的労働とを区別した。生産的労働とは、製造工の労働のように、商品に固定され、材料の価値に賃金と利潤の価値を付加する労働であり、不生産的労働とは、召使・官吏・兵士の労働のように、商品に固定されず、どんな物にも価値を付加しない労働である。…生産的労働者が多ければ多いほど、生産される生産物は多くなり、人々は豊かになっていく。この生産的労働者を増やすには2 つの方法があり、一つは生産的労働者を雇用する資本の量を増加させること、もう一つは同じ量の資本をより多くの生産的労働者を雇用する用途へと投下することである。」(早坂忠編『経済学史』51頁)

■角田収「サービス経済化の進展と価値創造的労働」(日本大学経済科学研究所紀要 第31号)
  http://www.eco.nihon-u.ac.jp/contents/research/kei/kiyou/31/kiyou31pdf/31tsunoda.pdf


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by shihonron | 2007-11-18 15:00 | 学習会の報告
2007年 11月 11日

第79回 11月6日 第6章 不変資本と可変資本

11月6日(火)に第79回の学習会を行いました。「第6章 不変資本と可変資本」の第1段落から第10段落までを輪読、検討しました。

●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見や問題提起です。

■テキストの内容と議論
第6章 不変資本と可変資本
     

第1段落・労働過程のいろいろな要因は、それぞれ違った仕方で生産物価値の形成に参加する。

●《労働過程のさまざまな要因》とは何かが問題になり、「労働そのもの、労働対象、労働手段のことだ」との発言がありました。また、「第5章第1節第3段落では《要因》ではなく《諸契機》という表現がされている」との指摘がありました。

■《労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象その手段である。》(国民文庫313頁・原頁193)

■《われわれの将来の資本家のところに帰ることにしよう。われわれが彼と別れたのは、彼が商品市場で労働過程のために必要な要因のすべてを、すなわち対象的要因または生産手段と人的要因または労働力とを買ってからのことだった。彼は、抜け目のないくろうとの目で、紡績業とか製靴業とかいうような彼の専門の営業に適した生産手段と労働力とを選び出した。》(国民文庫323頁・原頁199)

■【契機】
(1)物事が始まったり、変化が生じたりする直接の要素や原因。きっかけ。動機。
「就職を―に親元を離れた」
(2)〔哲〕〔(ドイツ) Moment〕ある物を動かし、規定する根拠・要因。弁証法では、発展に組み込まれて、より大きな関係を構成する不可欠なものとなった要素。 (大辞林 第二版)

●「《生産物価値》という用語はここではじめて登場したのではないか」「これまでは生産物の価値という表現だったのではないか」との発言がありました。調べたところ、《生産物価値》という言葉は、ここではじめて使われています。

第2段落・労働者は、彼の労働の特定の内容や目的や技術的性格を別とすれば、一定量の労働をつけ加えることによって労働対象に新たな価値をつけ加える。
・他方では、われわれは消費された生産手段の価値を再び生産物価値の諸成分として、たとえば綿花や紡錘の価値を糸の価値のうちに、見いだす。
・つまり、生産手段の価値は、生産物に移転されることによって、保存されるのである。
・この移転は、生産手段が生産物に変るあいだに、つまり労働過程のなかで、行なわれる。
・それは労働によって媒介されている。
・だが、どのようにしてか?

★ここでは、生産手段の価値が生産物に移転することによって保存されることを述べ、その価値の移転が労働によってどのように媒介されているのかを問題にしている。第2節労働過程では、生産手段の価値が生産物の価値の一部をなしていることは述べられていたが、生産物への価値の移転はまだ問題とされていなかった。

■《綿花の生産に必要な労働時間は、綿花を原料とする糸の生産に必要な労働時間の一部分であり、したがってそれは糸のうちに含まれている。それだけの摩滅または消費なしには綿花を紡ぐことができないという紡錘量の生産に必要な労働時間についても同じことである。》(国民文庫328頁・原頁202)
《労働材料や労働手段に含まれている労働時間は、まったく、紡績過程のうちの最後に紡績の形でつけ加えられた労働よりも前の一段階で支出されたにすぎないものであるかのように、みなされうるのである。要するに、12シリングという価格で表わされる綿花と紡錘という生産手段の価値は、糸の価値の、すなわち生産物の価値の成分をなしているのである。》(国民文庫329頁・原頁202-203)

第3段落
・労働者は同じ時間に二重に労働するのではない。
・一方では自分の労働によって綿花に価値をつけ加えために労働し、他方では綿花の元の価値を保存するために、または、同じことであるが、自分が加工する綿花や自分の労働手段である紡錘の価値を生産物である糸に移すために労働するわけではない。
・そうではなくて、彼は、ただ新たな価値をつけ加えるだけのことによって、元の価値を保存するのである。
・しかし、労働対象に新たな価値をつけ加えることと、生産物のなかに元の価値を保存することとは、労働者が同じ時間には一度しか労働しないのに同じ時間に生みだす二つのまったく違う結果なのだから、このような結果の二面性は明らかにただ彼の労働そのものの二面性だけから説明できるものである。
・同じ時点に、彼の労働は、一方の属性では価値を創造し、他方の属性では価値を保存または移転しなければならないのである。

●「《労働者は同じ時間に二重に労働するのではない》は、その内容としては、労働者は同じ時間に一度しか労働しない――二度労働するのではないということだ」という発言がありました。

■フランス語版では《労働者は、同じ時間内に二重に労働するのではない。すなわち、一度は綿花に新しい価値を付加するために、もう一度は綿花の旧価値を保存するために、あるいはまったく同じことになるが、彼が使用する紡錘の価値と彼が加工する綿花の価値とを糸という生産物に移すために、労働するのではない。》(191頁)と述べられている。

★労働は、使用価値を生産する労働(具体的・有用的労働)としては、「その目的、作業様式、対象、手段、結果によって規定されている」生産的活動である。労働を、労働力の支出としてのみ取り上げるなら、価値を形成する抽象的・人間的労働である。同じ一つの労働が、具体的・有用的労働であると同時に、抽象的・人間的労働でもある。

第4段落
・労働者はそれぞれどのようにして労働時間を、したがってまた価値をつけ加えるのか? いつでもただ彼の特有な生産的労働様式の形態でそうするだけである。
・紡績工はただ紡ぐことによってのみ、織物工はただ織ることによってのみ、鍛冶工はただ鍛えることによってのみ、労働時間をつけ加えるのである。
・しかし、彼らが労働一般を、したがってまた新価値をつけ加えるさいの、目的によって規定された形態によって、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることによって、生産手段、すなわち綿花と紡錘、糸と機械、鉄とかなしきは、一つの生産物の、一つの新しい使用価値の、形成要素になる。
・生産手段の使用価値の元の形は消えてなくなるが、それは、ただ、新たな使用価値形態で現われるためになくなるだけであるる
・ところで、価値形成過程の考察で明らかにしたように、ある使用価値が新たな使用価値の生産のために合目的的に消費されるかぎり、消費された使用価値の生産に必要な労働時間は、新たな使用価値の生産に必要な労働時間の一部分をなしており、したがって、それは、消費された生産手段から新たな生産物に移される労働時間である。
・だから、労働者が消費された生産手段の価値を保存し、またはそれを価値成分として生産物に移すのは、彼が労働一般をつけ加えるということによってではなく、このつけ加えられた労働の特殊な有用的性格、その独自な生産的形態によってである。
・このような合目的的な生産活動、すなわち紡ぐことや織ることや鍛えることとして、労働は、その単なる接触によって生産手段を死からよみがえらせ、それを活気づけて労働過程の諸要因となし、それと結合して生産物になるのである。

★価値とは、商品に対象化された抽象的・人間的労働のことであった。ここで、労働者は《彼の特有な生産的労働様式の形態で》労働時間を(価値を)つけ加えると述べているのを読むと、価値をつけ加えるのは抽象的・人間的労働としてではなかったのかという疑問が湧いてきた。しかし、現実の労働は、特有な生産的労働様式の形態でしか行なわれないことに思い至るなら、その疑問は解消する。現実の労働は、さまざまの具体的形態をもっており、現実の労働から労働力支出という共通の質だけを抽象してみた労働が抽象的労働であり、その共通の質が人間労働力であるから人間的労働とよばれるのである。

■《資本家は貨幣を新たな生産物の素材形成者または労働過程の諸要因として役だつ諸商品に転化させることによって、すなわちすでに対象化されている死んでいる過去の労働を、資本に、すなわち自分自身を増殖する価値に転化させるのであり、胸に恋でも抱いているかのように「働き」はじめる活気づけられた怪物に転化させるのである。》(国民文庫340頁・原頁209)

第5段落
・もし労働者の行なう独自な生産的労働が紡ぐことでないならば、彼は綿花を糸にはしないであろうし、したがってまた綿花や紡錘の価値を糸に移しもしないであろう。
・これに反して、同じ労働者が職業を変えて指物工になっても、彼は相変わらず一労働日によって彼の材料に価値をつけ加えるであろう。
・だから、彼が労働によって価値をつけ加えるのは、彼の労働が紡績労働や指物労働であるかぎりでのことではなく、それが抽象的な社会的労働一般であるかぎりでのことであり、また、彼が一定の価値量をつけ加えるのは、彼の労働がある特殊な有用的内容をもっているからではなく、それが一定時間継続するからである。
・つまり、その抽象的な一般的な性質において、人間労働力の支出として、紡績工の労働は、綿花や紡錘の価値に新価値をつけ加えるのであり、そして、紡績過程としてのその具体的な特殊な有用な性格において、それはこれらの生産手段の価値を生産物に移し、こうしてそれらの価値を生産物のうちに保存するのである。
・それだから、同じ時点における労働の二面性が生ずるのである。

第6段落
・労働の単に量的な付加によって新たな価値がつれ加えられ、つけ加えられる労働の質によって生産手段の元の価値が生産物のうちに保存される。
・このような、労働の二面的な性格から生ずる同じ労働の二面的作用は、いろいろな現象のうちにはっきりと現われる。

★《同じ労働の二面的な作用》とは、価値をつけ加える作用(抽象的・人間的労働として)と生産手段の価値を生産物に移転する作用(具体的・有用的労働によって)のことである。

第7段落
・ある発明によって、紡績工が以前は36時間で紡いだのと同量の綿花を6時間で紡げるようになったと仮定しよう。
・合目的的な有用的な生産的活動としては、彼の労働はその力が6倍になった。
・その生産物は、6倍の糸、すなわち6ポンドに代わる36ポンドの糸である。
・しかし、その36ポンドの綿花は、今では以前に6ポンドの綿花が吸収したのと同じだけの労働時間しか吸収しない。
・綿花には古い方法による場合の6分の1の新たな労働がつけ加えられるのであり、したがって以前の価値のたった6分の1がつれ加えられるだけである。
・他方、今では6倍の綿花価値が、生産物である36ポンドの糸のうちにある。
・6紡績時間で6倍の原料価値が保存されて生産物に移される。
・いっても、同量の原料には以前の6分の1の新価値がつけ加えられるのである。
・このことは、同じ不可分の過程で労働が価値を保存するという性質は労働者が価値を創造するという性質とは本質的に違うものだということを示している。
・紡績作業中に同量の綿花に移っていく必要労働時間が多ければ多いほど、綿花につけ加えられる新価値はそれだけ大きいが、同じ労働時間で紡がれる綿花の量が多ければ多いほど、生産物のうちに保存される元の価値はそれだけ大きい。

★ここでは、紡績労働の生産性(具体的・有用的労働の生産力)が増大した場合について述べている。同じ労働時間でつけ加える価値量は変化しないが、生産手段から生産物に移転する価値量は増大する。

■《紡績作業中に同量の綿花に移っていく必要労働時間》は、新日本出版社版では《紡績作業中に同じ分量の綿花に費やされる必要労働時間》(344頁)となっている。意味としては、「紡績作業中に同量の綿花が吸収する労働時間」ということである。

第8段落
・逆に紡績労働の生産性が変らず、したがって紡績工が1ポンドの綿花を糸にするためには相変わらず同じ時間が必要だと仮定しよう。
・しかし、綿花そのものの交換価値は変動して、1ポンドの綿花の価値が6倍に上がるか、または6分の1に下がるとしよう。
・どちらの場合にも紡績工は引き続き同量の綿花に同じ労働時間、つまり同じ価値をつけ加え、また、どちらの場合にも同じ労働時間に同じ量の糸を生産する。
・それにもかかわらず、彼が綿花から糸という生産物に移す価値は、以前に比べて一方の場合には6分の1であり、他方の場合には6倍である。
・労働手段が高くなるか安くなるかするが労働過程では相変わらず同じ役立ちをする場合も、同様である。

★ここでは、生産手段の価値量に変化が生じた場合について述べている。同じ労働時間でつけ加える価値量は変化しないが、生産手段から生産物に移転する価値量は変動する。


第9段落
・紡績過程の技術的な諸条件が変らず、またその生産手段にも価値変動が生じないならば、紡績工は相変わらず同じ労働時間で元通りの価値の同じ量の原料や機械を消費する。
・この場合には、彼が生産物のうちに保存する価値は、彼がつけ加える価値に正比例する。
・2週間では、彼は1週間でする労働の2倍の労働をつけ加え、したがって2倍の価値をつけ加え、また、同時に2倍の価値をもつ2倍の材料を消費し、2倍の価値をもつ2倍の生産手段を消耗させ、こうして2週間の生産物のうちに1週間の生産物の2倍の価値を保存する。
・与えられた不変の生産条件のもとでは、労働者は、彼のつけ加える価値が多ければ多いほどそれだけ多くの価値を保存するのであるが、しかし、彼がより多くの価値を保存するのは、彼がより多くの価値をつけ加えるからでなく、彼がこの価値を、以前と変らない、彼の労働には依存しない諸条件のもとでつけ加えるからである。

★《以前と変らない、彼の労働には依存しない諸条件》とは何か? 生産手段の価値に変動がないことだけなのか、労働の生産性のことまで含むのか?

★ここでは、紡績労働の生産性にも生産手段の価値量にも変化がない場合について述べている。同じ労働時間でつけ加える価値量も、生産手段から生産物に移転する価値量も変化しない。この条件の下では、つけ加える価値量と生産手段から生産物に移転する価値量は正比例するが、それはつけ加える価値量の変化が原因となってもたらされた結果ではない。

第10段落・もちろん、相対的な意味では、いつでも労働者は新価値をつけ加えるのと同じ割合で元の価値を保存する、ということもできる。
・綿花が1シリングから2シリングに上がっても、また6ペンスに下がっても、労働者が1時間のうちに保存する綿花の価値は、それがどんなに変動しようとも、つねに、彼が2時間の生産物のうちに保存する価値の半分でしかない。
・さらにまた、彼自身の生産性が変動して、それが上がるか下がるかすれば、彼は、たとえば1労働時間のうちに以前よりも多いかまたは少ない綿花を紡ぐであろうし、それに応じて1労働時間の生産物のうちにより多いかより少ない綿花価値を保存するであろう。
・それにもかかわらず、彼は2労働時間では1労働時間に比べて2倍の価値を保存するであろう。

★生産手段の価値量あるいは労働の生産力のどちらかに変動が生じた場合には、同じ労働時間に生産手段から生産物に移転される価値量は変動するが、労働の継続時間とその間に生産手段から生産物に移転される価値量は正比例する。



▼11月18日に誤字・脱字を訂正しました。
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by shihonron | 2007-11-11 23:59 | 学習会の報告