『資本論』を読む会の報告

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2008年 04月 24日

第99回 4月22日  第11章 協業 第12章 マニュファクチュア

4月22日に第99回学習会を行いました。
レジュメに基づく報告を受け、「第11章 協業」の途中から「第12章 マニュファクチュア」の「第2節 部分労働者とその道具」までを議論しました。


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by shihonron | 2008-04-24 10:17 | 学習会の報告
2008年 04月 21日

第12章 分業とマニュファクチュア 第1節・第2節  のレジュメ

 第12章 分業とマニュファクチュア      2008.4.22
 第1節 マニュファクチュアの二重の起源
本来のマニュファクチュア時代=16世紀中葉から18世紀最後の1/3期
① 分業に基づく協業は,マニュファクチュアにおいて,その典型的な姿態を作り出す。
 それが,資本主義的生産過程の特徴的形態として支配的なのは,おおよそ16世紀中葉から18世紀最後の1/3期(本来のマニュファクチュア時代)のあいだである。
    *初期のマニュファクチュア-----s.355
マニュファクチュアの発生-----二つの道
② マニュファクチュアは,二重の仕方で発生する。
③ 一つには,ある一つの生産物の完成のためにその手を通らねばならないさまざまな種類の自立した手工業の労働者たちが,同じ資本家の指揮のもとで一つの作業場に結合される。たとえば乗用馬車は,車大工,馬具匠,木工細工師,金具師,真ちゅう細工師,ろくろ師,レース飾り屋,ガラス屋,ペンキ屋,ワニス塗師,メッキ屋のような,多数の独立した手工業者たちの労働の総生産物であった。乗用馬車マニュファクチュアは,これらさまざまな手工業者をすべて一つの仕事場に結合し,そこで彼らは同時に助けあいながら労働する。-----単純協業の域を脱していない
 しかし,すぐに本質的な変化が生じる。乗用馬車の製造だけに従事している木工細工師,金具師,真ちゅう細工師などは,自分の従来の手工業をそのすべての範囲にわたって営む習慣と共に,その能力をも,しだいに失ってしまう。他方,彼の一面化された活動は,今や,そのせばめられた活動局面にとって,最も合目的的な形態をとることとなる。
 乗用馬車マニュファクチュアは,自立した諸手工業が一つに結合したものとして現れた。⇒ 徐々に,乗用馬車生産をそのさまざまな特殊作業に分割したものになり,これら作業の一つ一つは,それぞれ一人の労働者の専門的職能に結晶し,その全体が,これら部分労働者の結合によって遂行される。織物マニュファクチュアその他多くのマニュファクチュアも同様。

④ マニュファクチュアは,これとは反対の道をたどっても発生する。
 同一または同種の作業をする,たとえば紙や活字や針をつくる多数の手工業者たちが,同じ資本により同じ作業場で同時に就業させられる。これは,最も単純な形態の協業である。これらの手工業者は,それぞれ完全な商品をつくるのであり,その生産に必要なさまざまな作業を順次に遂行する。
 ところが,やがて,労働が分割される。同じ手工業者によってさまざまな作業が時間的に次々と行われる代わりに,それらの作業がたがいに引き離され,分立され,空間的に並列させられ,それぞれ異なる手工業者に割り当てられ,そして協業者たちによってすべての作業が全部,同時に遂行される。偶然的な分割はしだいに系統的な分業に固まっていく。その商品は,さまざまなことをする自立した手工業者の個人的生産物から,めいめいが同一の部分作業だけを引き続き行う手工業者たちの結合の社会的生産物に転化する。

⑤ マニュファクチュアの発生の仕方(生成)は,二面的。②~④のまとめ
 一方で,種類を異にする自立した諸手工業の結合から出発するのであって,これらの手工業は,自立性を奪われ,一面化され,同一商品の生産過程における相互補足的な部分作業をなすにすぎないところにまで到達する。
 他方で,同じ種類の手工業者たちの協業から出発するのであって,同じ個別的手工業をさまざまな特殊な作業に分解し,これらの作業を分立化させ,自立化させ,それぞれの作業が一人の特殊な労働者の専門的職能になるところまでもっていく(一つの生産過程の中に分業を導入,多量の同種労働の多数の異種労働への分解)。
 しかし,その特殊な出発点がどれであろうと,マニュファクチュアの最終の姿態は同じもの-----人間をその諸器官とする一つの生産機構である。
マニュファクチュアにおける分業----手工業的熟練が生産過程の基礎
⑥ マニュファクチュアにおける分業を正しく理解するには,次の諸点をしっかりとらえておくことが重要である-----まず第一に,生産過程をその特殊な諸局面に分割することが,この場合には,一つの手工業的活動をそのさまざまな部分作業に分解することとまったく一致する。その作業は,組みあわされたものであろうと単純なものであろうと,依然として手工業的であり,したがって,個々の労働者が自分の用具を使用する際の力,熟練,敏速さ,確実さに依存する。手工業が依然として基盤である。この狭い技術的基盤は,生産過程の真に科学的な分割を排除する。というのは,生産物が通過するそれぞれの部分過程は,手工業的部分労働として遂行されうるものでなければならないからである。
 手工業的熟練が依然として生産過程の基礎であるからこそ,各労働者はもっぱら一つの部分機能に適応させられ,彼の労働力はこの部分機能の終生にわたる器官に転化される。
 最後に,この分業は協業の特殊な種類であって,その利点の多くは協業の一般的本質から発生するのであり,協業のこの特殊な形態から発生するのではない。

   第2節 部分労働者とその道具
労働の生産力の向上----部分労働の方法の完成・世代間伝達
① 終生にわたって同一の単純な作業を行う労働者は,自分の身体全体を,その作業の自動的・一面的な器官に転化し,その作業に使う時間は,全系列の諸作業を順次に行う手工業者よりも少ない。マニュファクチュアの生きた機構を形成している結合された全体労働者は,まさしくこのような一面的な部分労働者たちから成り立っている。それゆえ,自立した手工業にくらべると,よりわずかな時間で,より多くのものが生産される-----すなわち労働の生産力が高められる。部分労働の方法も,それが一人の人の専門的職能に自立化されたのちに,さらに完成される。たえず反復し,この限定されたものに注意を集中することにより,目的とする有用効果を最小の力の支出で達成するすべが,経験を通じて教えられる。また,世代を異にする労働者たちが一緒に働くのであるから,技術上のコツは,やがて固定され,堆積され,伝達される。

熟練の伝達----部分労働を終身の職業に転化
② マニュファクチュアは,実際に細目労働者の熟練技を生みだすのであるが,それはすでに社会の中に存在していた自然発生的な職業分化を作業場の内部において再生産し,系統的に極度にまで推し進めることによってである。 マニュファクチュアが部分労働をある人の終身の職業に転化させるということは,職業を世襲化させ,それを身分〔カースト,固定的職業別身分制度〕に石化させ,または,一定の歴史的諸条件が身分制度に矛盾する個人の変異性を生みだす場合には,それを同職組合に骨化させるという従来の諸社会の傾向に照応している。身分の世襲性と同職組合の排他性
・ ダッカのモスリンの優美さ,コロマンドルのサラサその他の布地の色の華麗さと耐久性。それらは,資本も機械設備も分業もなしに,あるいは,ヨーロッパでの製造に多大の利益を与えている他の何らかの手段もなしに,生産される。
③ この蜘蛛のような技巧をインド人にあたえるものは,世代から世代へと積み重ねられ,父から息子へと継承された特殊な熟練にほかならない。

生産性の増大----労働の強度の増大と労働力の不生産的消費の減少
④ 一つの製品を生産する際のさまざまな部分過程を順次にやりとげていく一人の手工業者は,場所を換え,用具を替えなければならない。彼の労働の流れが中断され,彼の労働日にいわばすき間がつくられる。これらのすき間は,彼が同一の作業を一日中引き続いて行うようになると圧縮される。生産性の増大は,この場合,ある与えられた時間内における労働力の支出の増加,すなわち労働の強度の増大によるものであるか,または労働力の不生産的消費の減少によるものである。他面,一様な労働の連続は,活気の緊張力と高揚力を破壊する(この活力は動作の転換そのもののうちに回復と刺激とを見いだす)。
生産性の向上-----道具の改良
⑤ 労働の生産性は,彼の道具の完全さにも依存する。同じ種類の道具が,切ったり,穴をあけたり,突いたり,叩いたりなどする用具のように,異なる労働過程で使用され,また,同じ労働過程で同じ用具が異なる作業に役だてられる。労働用具の分化(特殊な用向きの特殊な固定的諸形態を持つようになる)および労働用具の専門化(それぞれ専門の部分労働者たちの手の中でのみ十分な働きをする)が,マニュファクチュアを特徴づける。バーミンガムだけで約500種のハンマーが生産される。マニュファクチュア時代は,労働道具を部分労働者たちの専門的な特殊職能に適合させることにより,それらの道具を単純化し,改良し,多様化する。それによって,マニュファクチュア時代は,同時に,単純な諸用具の結合から成り立つ機械設備の物質的諸条件の一つを作り出す。
⑥ 細部労働者と彼の道具は,マニュファクチュアの単純な諸要素を形成する。


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by shihonron | 2008-04-21 12:00 | レジュメ
2008年 04月 15日

第98回 4月15日 第11章 協業

4月15日に第98回の学習会を行いました。
レジュメに基づく報告を受け、「第11章 協業」の最初から途中までを議論しました。


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by shihonron | 2008-04-15 23:00 | 学習会の報告
2008年 04月 14日

第11章 協 業 のレジュメ その2

指揮(個別的諸活動の調和をもたらし,生産体総体の運動から生じる一般的諸機能)⇒資本の特有な機能
⑰ それと同様に,労働に対する資本の指揮は,はじめは労働者が自分のためにではなく,資本家のために,したがって資本家のもとで労働することの形式的結果として現れたにすぎなかった。多数の賃労働者の協業とともに,資本の指揮は,労働過程そのものを遂行するための必要事項に,現実的生産条件に,発展する。生産部面における資本家の命令は,今や,戦場における将軍の命令と同じように不可欠なものとなる。
⑱ 比較的大規模の直接に社会的または共同的な労働は,すべて多かれ少かれ一つの指揮を必要とするのであるが,この指揮は,個別的諸活動の調和をもたらし,生産体総体の運動から生じる一般的諸機能を遂行する。バイオリン独奏者は自分自身を指揮するが,オーケストラは指揮者を必要とする。指揮,監督,および調整というこの機能は,資本に従属する労働が協業的なものになるやいなや,資本の機能となる。この指揮機能は,資本の特有な機能として,特有な性格を持つようになる。
資本の圧迫の必然的に増大⇒搾取者と労働者とのあいだの不可避的敵対
⑲ 第一に,資本主義的生産過程の推進的動機および規定的目的は,できるだけ大きな資本の自己増殖,すなわちできるだけ大きな剰余価値の生産,したがって資本家による労働力のできるだけ大きな搾取である。同時に就業している労働者の総数が増えるとともに,彼らの抵抗が増大し,それとともに,この抵抗を押さえつけるための資本の圧迫が必然的に増大する。資本家の指揮は,社会的労働過程の性質から発生しこの過程に属する一つの特殊な機能であるだけではなく,同時に,社会的労働過程の搾取の機能であり,したがって搾取者と労働者とのあいだの不可避的敵対によって条件づけられている。同様に,他人の所有物として賃労働者に対立する生産諸手段の範囲が増大するとともに,生産諸手段の適切な使用を管理する必要も増大する。さらに,賃労働者たちの協業は,彼らを同時に使用する資本の作用にすぎない。賃労働者たちの諸機能の関連と生産総体としての彼らの統一は,彼らの外に,彼らを集め結びつけている資本の中にある。したがって,彼らの労働の関連は,観念的には資本家の計画として,実際的には資本家の権威として,彼らの行為を自己の目的に従わせる他人の意志の力として,彼らに対立する。

資本家の指揮は,内容から見れば二面的である
⑳ 指揮される生産過程そのものが,一面では生産物の生産のための社会的労働過程であり,他面では資本の価値増殖過程である。とはいえ,この指揮は,形式からみれば専制的である。協業がいっそう大規模に発展するにつれて,この専制は,その特有な諸形態を発展させる。資本家は,彼の資本が本来の資本主義的生産をはじめて開始するための最小限の大きさに達した時に,さしあたり,手仕事から解放され彼は,個々の労働者および労働者群そのものを直接にかつ間断なく監督する機能を,特殊な種類の賃労働者に譲り渡す。軍隊と同様に,同じ資本の指揮のもとでともに働く労働者大衆は,労働過程のあいだに資本の名において指揮する産業将校(支配人,managers)および産業下士官(職長)を必要とする。監督の労働が,彼ら専有の機能に固定される。独立農民または独立的手工業者たちの生産様式を奴隷制にもとづく植民地的大農場経営と比較する時,経済学者は,この監督の労働を生産の空費に数える。それに反して,資本主義的生産様式を考察するにあたっては,経済学者は,共同の労働過程の性質から生じる限りでの指揮の機能を,この過程の資本主義的な,したがって敵対的な性格によって条件づけられる限りでの指揮の機能と,同一視する。資本家は,彼が産業上の指揮者であるがゆえに資本家であるのではなく,彼が資本家であるがゆえに産業上の指揮官になるのである。産業における指令は資本の属性になる-----封建時代に戦争および裁判における指令が土地所有の属性であったと同じように。

労働の社会的生産力⇒資本の(内在的な)生産力として現われる
21 労働者は,自分の労働力の売り手として資本家と取り引きする限りは,自分の労働力の所有者であり,彼は自分が所有するもの,すなわち自分の個人的な個々の労働力を販売しうるにすぎない。資本家は,100個の自立した労働力の価値を支払うが,100個という結合労働力に支払うわけではない。独立の人間としては,労働者たちは,同じ資本と関係があるがおたがい同士ではそうでない,個々別々の人間である。彼らの協業は労働過程ではじめて始まるが,労働過程では,彼らはすでに自分自身のものではなくなっている。労働過程に入るとともに,彼らは資本に合体されている。協業する者としては,活動する一有機体の諸分肢としては,彼ら自身は資本の一つの特殊な存在様式であるにすぎない。したがって,労働者が社会的労働者として展開する生産力は,資本の生産力である。労働の社会的生産力は,労働者たちが一定の諸条件のもとにおかれるやいなや無償で展開されるのであり,そして資本は,労働者たちをこのような諸条件のもとに置くのである。労働の社会的生産力は資本にとって何の費用も要しないのであるから,また他方,労働者の労働そのものが資本のものとなる前は労働者によっては展開されないのであるから,この生産力は,資本が生まれながらに持っている生産力として,資本の内在的な生産力として,現れる。

協業の歴史的諸形態----資本主義以前〔直接的な支配隷属関係に基づいている〕
22 単純な協業の効果が途方もなく大きいものであることは,古代のアジア人,エジプト人,エトルリア人などの巨大な工事に示されている。
・ 「過去の時代には,これらのアジア諸国家は,その行政費と軍事費を支弁した後に,なお食糧の余剰を持っていて,威光を輝かすための工事や有用な工事のためにそれを支出することができた。ほとんどすべての非農業人口の手と腕を支配するこれら諸国家の命令権と,かの余剰に対する君主および聖職者の独占的処理権とは,国中を満たしたあの巨大な記念物を建設する手段を彼らに与えた。このような事業を可能にしたのは,労働者を雇う収入が一人または数人の手に集中されていることであった」。
23 アジアおよびエジプトの国王やエトルリアの神政者たちなどのこの権力は,近代社会においては資本家に移っているのであって,その際,彼が個別の資本家として登場するか,それとも株式会社のように結合された資本家として登場するかにはかかわりがない。
24 人類文化の初期,狩猟民族において,またおそらくインド的共同体の農業において支配的であるような労働過程における協業は,一方では生産諸条件の共同所有にもとづいており,他方では一匹一匹の蜜蜂がその巣から切り離されていないように,各個人が部族または共同体の臍帯から離れていないことに基づいている。これら二つのことは,この協業を資本主義的協業から区別する。古代世界,中世,および近代的植民地における大規模な協業の散在的な応用は,直接的な支配隷属関係に,多くの場合は奴隷制にもとづいている。

協業-----資本主義的形態
 これに対し資本主義的形態は,最初から,自分の労働力を資本に売る自由な賃労働者を前提している。けれども歴史的には,この形態は,農民経営の対立物として,また独立手工業経営の対立物として,発展する(24)。これらのものに対して,資本主義的協業が協業の一つの特殊な歴史的形態として現れるのではなく,協業そのものが,資本主義的生産過程に固有な,かつこの過程を独特なものとして区別する歴史的形態として現れるのである。
(24) 小農民経済および独立手工業経営はいずれも,一部は封建的生産様式の基礎をなし,一部はこの生産様式の解体後に資本主義的経営とならんで現れるのであるが,それらは,同時に,本源的オリエント的共同所有制が解体したのち,奴隷制が生産を本格的に支配するまで,最盛期の古典的共同体の経済的基礎をなす。

個別的な独立労働者たちや小親方たちの生産過程⇒社会的過程へと転化させる歴史的必然性
25 協業によって展開される労働の社会的生産力が,資本の生産力として現れるのと同じように,協業そのものも,個別的な独立労働者たちや小親方たちの生産過程に対立する,資本主義的生産過程の独特な形態として現れる。それは,現実の労働過程が資本に包摂されることによってこうむる最初の変化である。この変化は,自然発生的に生じる。この変化の前提,すなわち同じ労働過程において比較的多数の賃労働者が同時に就業することは,資本主義的生産の出発点をなす。この出発点は,資本そのものの定在と一致する。したがって,一方では,資本主義的生産様式が労働過程を社会的過程へと転化させる歴史的必然性として現れるとすれば,他方では,労働過程のこの社会的形態は,労働過程をその生産力の増大によってより有利に搾取するために資本が使う一方法として現れる。
単純協業
26 協業は,これまでに考察された単純な姿態においては,比較的大規模な生産と同時に現れるが,それは,資本主義的生産様式の一つの特殊な発展段階の固定的特徴的形態を形成するものではない。ほぼこれに近いものとして協業が現れるのは,せいぜいのところ,まだ手工業的な初期マニュファクチュアにおいてであり,さらに,マニュファクチュア時代に照応し,同時に使用される労働者の総数と集中された生産諸手段の範囲とによってのみ農民経営と本質的に区別されるようなあの大農業においてである。単純協業は,資本が大規模に作動しているが分業または機械設備が重要な役割を演じていないような生産諸部門では,いつまでも支配的な形態なのである。

協業はつねに資本主義的生産様式の基本形態である
27 協業の単純な姿態そのものが,いっそう発展した諸形態とならぶ特殊な形態として現れるとはいえ,協業はつねに資本主義的生産様式の基本形態である。


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by shihonron | 2008-04-14 13:00 | レジュメ
2008年 04月 14日

第11章 協 業  のレジュメその1

  第11章 協 業             08.04.15.   s.341.
協業=歴史的にも概念的にも資本主義的生産の出発点
① すでに見たように,資本主義的生産は実際は,同じ個別資本が比較的多数の労働者を同時に就業させ,したがって労働過程がその範囲を拡大し,より大きい量的規模で生産物を供給するようになった場合,はじめて開始される。より多数の労働者が,同時に,同じ場所で(作業場),同じ種類の商品を生産するために,同じ資本家の指揮のもとで働くことが,歴史的にも概念的にも資本主義的生産の出発点をなしている。生産方法そのものについて言うと,たとえば初期におけるマニュファクチュアは,同じ資本によって同時に就業させられる労働者の数がより多いこと以外には,同職組合的な手工業的工業と区別されるものはほとんどない。同職組合の親方の仕事場が拡大されているだけである。

同職組合的な手工業的工業との同一性
② 区別はさしあたり単に量的である。ある与えられた資本が生産する剰余価値の総量は,個々の労働者が提供する剰余価値に同時に就業している労働者の総数を掛けたものに等しい。この労働者の数は,それ自体としては,剰余価値率(労働力の搾取度)を何ら変えるものではなく,また商品価値一般の生産に関しては,労働過程のどのような質的変化も影響することはないように見える。そのことは,価値の性質から生じてくる帰結である。12時間の一労働日が6シリングに対象化されるとすれば,このような労働日の1200は 6シリング×1200 に対象化される。一方の場合には12労働時間の1200倍が,他方の場合には12労働時間が,生産物に合体されている。価値生産においては,多数はつねに多数の個としてのみ計算される。したがって,価値生産にとっては,1200人の労働者が個別に生産しようが,同じ資本の指揮のもとで結合して生産しようが,何ら区別はない。
差異----社会的平均労働
③ それにもかかわらず,ある限界内では,変化が生じる。価値に対象化されている労働は,社会的平均的な質の労働であり,したがって,平均的労働力の発揮である。しかし,一つの平均的大きさは,つねに,同じ種類の多数の異なる個別的大きさの平均としてしか存在しない。個別的な背離は数学では「誤差」と呼ばれるが,比較的多数の労働者が集められると,たちまち相殺され,消滅する。比較的多数の同時に就業している労働者の総労働日を労働者総数で割ったものが,社会的平均労働の一日であることは明らかである。12人を就業させている資本家にとっては,労働日は,12人の総労働日として存在する。
 これに反して,もし12人の労働者のうち2人ずつが1人の小親方によって就業させられるなら,個々の親方がいずれも同一の価値総量を生産するかどうか,したがってまた一般的剰余価値率を実現するかどうかは,偶然的なこととなる。そこでは個別的な背離が生じるであろう。これらの不等性は,社会にあっては相殺されるであろうが,個々の親方にあっては相殺されないであろう。
 したがって価値増殖一般の法則は,個々の生産者が資本家として生産し,多くの労働者を同時に使用し,こうしてはじめから社会的平均労働を動かすようになる時に,個々の生産者に対し,はじめて完全に実現されるのである。
生産諸手段の共同消費⇒節約⇒商品の総価値の低下
④ 労働様式が変わらない場合でも,より多数の労働者を同時に使用することは,労働過程の対象的諸条件における一つの革命を引き起こす。多くの人々が働く建物,原料などのための倉庫,多くの人々に同時にまたは交互に使われる器具,用具,装置など,要するに生産諸手段の一部分は,今や労働過程で共同で消費される。大規模に集中された共同の生産諸手段の価値は,一般に,それらの規模および有用効果に比例しては増大しないのである。共同で消費される生産諸手段は,個々の生産物に,より少ない価値構成部分を引き渡す。そのために,不変資本の価値構成部分は低下し,したがってこの価値構成部分の大きさに比例して,商品の総価値もまた低下する。その効果は,商品の生産諸手段がより安く生産されたのと同じである。生産諸手段の使用におけるこの節約は,多くの人々が労働過程で生産諸手段を共同で消費することからのみ生じる。そしてこれらの生産諸手段は,社会的労働の諸条件(労働の社会的諸条件)としての性格において,個々別々の自立した労働者または小親方たちの分散した相対的に高価な生産諸手段とは区別される。多くの人々が同じ場所に集合して労働するだけで,協力して労働するのでない場合でも,右のような性格を受け取る。労働諸手段の一部分は,この社会的性格を,労働過程そのものが獲得する以前に獲得する。

⑤ 生産諸手段の節約----二重の観点から考察
 一方では,その節約が,諸商品を安くし,そのことによって労働力の価値を低下させる限りにおいて。
 他方では,その節約が,前貸総資本に対する,すなわち総資本の不変的構成部分および可変的構成部分の価値総額に対する剰余価値の比重を変化させる限りにおいて(第3部で論究)。分析の進行が対象〔主題〕のこの分割を必要とする----それは同時に,資本主義的生産の精神にも対応。

協業-----定義
⑥ 同じ生産過程において,あるいは,異なっているが関連している生産諸過程において,肩をならべ一緒になって計画的に労働する多くの人々の労働の形態を,協業と呼ぶ。

協業のもたらすもの〔個々別々の労働者の力の機械的な合計と対比〕-----生産力の創造
⑦ (騎兵一個中隊または歩兵一個連隊の例)個々別々の労働者の力の機械的な合計は,多数の働き手が,分割されていない同じ作業で同時に働く場合,たとえば,荷物を持ち上げたり,クランクをまわしたり,障害物を取りのぞいたりするような場合に展開される社会的能力とは,本質的に違っている(11)。この場合,結合された労働の効果は,個々別々の労働によっては全く生みだされないか,はるかに長い時間をかけてようやく生みだされるか,小規模でしか生みだされないか,であろう。ここで問題なのは,協業による個別的生産力の増大だけではなくて,それ自体として集団力であらねばならない生産力の創造である(11a)。
(11) 「諸部分に分割しえないほど単純な性質のものであるが,多くの働き手の協力によってのみ遂行できるような多数の作業がある。たとえば大きな材木を荷馬車に積むこと・・・・要するに,多数の働き手が,分割されていない同じ仕事で同時に助けあわないとできないようなすべてのことがそれである」(E・G・ウェイクフィールド)。
(11a) 「一トンの重さのものを持ち上げることは,一人ではできないし,また10人でも努力しなければならないが,100人ならば各人の指一本だけの力でやることができる」(ジョン・ベラーズ)。

いかにして生産力が創造されるか----社会的接触⇒競争心と活力⇒個別的作業能力を高める
⑧ 多くの力が一つの総力に融合することから生じる新しい能力は別としても,大部分の生産的諸労働において,単なる社会的接触が競争心と活力(animal sprits)の独特な興奮とを生みだし,それらが個々人の個別的作業能力を高めるのであって,その結果,一緒になった12人の人間は,144時間の同時的一労働日で,各自12時間ずつ労働する12人の個々別々の労働者よりも,または12日間続けて労働する一人の労働者よりも,はるかに大きい総生産物を供給する。このことは,人間は生まれながらにして,とにかく社会的動物であるということに由来している。

レンガ積み工と建築の例
⑨ 多くの人々が一緒になって,同じことまたは同種のことを同時に行うにもかかわらず,各人の個別的労働が総労働の部分として労働過程そのものの異なる諸段階をなし,これらの諸段階を労働対象は,協業の結果いっそう速く通過することもありえる。たとえば,レンガ積み工が手の列をつくってレンガを足場の下から頂上まで運ぶ場合,彼らは,それぞれ同じことをするのであるが,個々の作業は,一つの総作業の連続する諸部分-----すべてのレンガが労働過程において通過しなければならない特殊な諸局面-----を形成している。足場を昇ったり降りたりする個々の労働者それぞれの二本の手よりも,速くレンガを運ぶ。
 他方,たとえば一つの建築がさまざまな方面から同時に着工される場合には,協業者たちは同一のことまたは同種のことを行うのであるが,労働の結合が生じる。144時間の結合された労働日は,多方面の空間から労働対象をとらえ,自分たちの仕事により一面的に取りかからなければならない多かれ少なかれ個々別々な労働者の12時間の12労働日よりもより速く総生産物を仕上げる。生産物のさまざまな空間的諸部分が同じ時にでき上がる。

共同労働の最も単純な形態----協業の最も発達した姿態においても大きな役割
⑩ われわれは,たがいに補いあう多くの人々が,同じことまたは同種のことをするということを強調したが,それは,共同労働のこの最も単純な形態が,協業の最も発達した姿態においても大きな役割を果たすからである。労働過程が複雑であれば,一緒に労働する人々が多数であるというだけで,さまざまな作業を異なった人手のあいだに配分することができ,したがって諸作業を同時に行い,こうすることによって総生産物の生産に必要な労働時間を短縮することができる(15)。
(15) 「ある複雑な労働を遂行することが問題である場合には,さまざまなことが同時になされなければならない。ある人が一つのことをしている時に,他の人は別のことをし,こうしてみんなが,個々の人ではできないようなある成果を生みだすことに寄与する。一人の人は漕ぎ,他の人は舵をとり,第三の人は網を投げたり魚をモリでとったりするのであり,こうして漁獲労働は,この協同がなければ不可能であるようなある成果をえる」(デステュット・ド・トラシ)。

協業の効果がより求められるシーン----農産物の収穫,羊の剪毛,鰊漁の例
⑪ 多くの生産部門には,決定的な瞬間,すなわち,労働過程そのものの性質によって規定された時期があり,そのあいだに一定の労働成果が達成されなければならない。たとえば,一群の羊の毛を刈るとか,または幾モルゲンかの穀物畑を刈り取って収穫しなければならない場合には,生産物の量および質は,その作業がある特定の時点に始まり,ある特定の時点に終わるかどうかで決まる。この場合,労働過程が占めうる期間は,たとえばニシン漁の場合のように,前もって定められている。たとえば100人の協業は,12時間の一日を1200時間の一労働日に拡大する。労働期間の短さが,決定的な瞬間において生産場面に投入される労働総量の大きさによって補われる。この労働者総数は,同じ期間に同じ作業範囲を個々別々にやりとげる労働者の総数よりも,つねに小さい。この協業が欠けていることによって,合衆国の西部では大量の穀物が年々だいなしにされ,またイギリスの支配によって古来の共同体を破壊された東インドの諸地方では大量の綿花が年々だいなしにされる。

労働の空間的部面の拡大〔ある種の労働過程では協業が必要不可欠となる〕と縮小〔空費の節約〕
⑫ 一方で,協業は,労働の空間的部面の拡大を可能にするので,ある種の労働過程にとっては,労働対象の空間的関連によって,すでに協業が必要とされる。たとえば,土地の干拓,築堤,潅漑,運河・道路・鉄道の建設などの場合がそうである。
 また他方で,協業は,生産の規模にくらべて,生産の場を空間的に縮小することができる。このように,労働の作用範囲(影響範囲)を拡大しながら同時に労働の空間部面を縮小することによって多額の空費が節約されるのであるが,この縮小は,労働者の結集,さまざまな労働過程の集結,および生産諸手段の集中から生じる。

ここまでのまとめ----結合労働日の独特な生産力は,労働の社会的生産力(社会的労働の生産力)である
⑬ 結合労働日は,それと同じ大きさの個々別々の個別的労働日の総和と比較すると,より大量の使用価値を生産し,したがって一定の有用効果を生産するのに必要な労働時間を減少させる。結合労働日がこの増大した生産力を持つようになるのが,労働の力学的能力を高めるからであろうと⑧,労働の空間的作用範囲を拡大するからであろうと⑫,生産の規模にくらべて空間的生産場面をせばめるからであろうと⑫,決定的瞬間に多くの労働をわずかの時間のあいだに流動させるからであろうと⑪,個々人の競争心を刺激して彼らの生気を張りつめるからであろうと⑧,多くの人々の同種の作業に連続性と多面性との刻印を押すからであろうと⑨,異なる作業を同時に行うからであろうと⑩,共同使用によって生産諸手段を節約するからであろうと④,個別的労働に社会的平均労働の性格を与えるからであろうと③,-----いずれの場合にも,結合労働日の独特な生産力は,労働の社会的生産力(社会的労働の生産力)である。それは,協業そのものから生じる。労働者は,他の労働者たちとの計画的協力の中で,彼の個人的諸制限を脱して,彼の類的能力を発展させる。
協業の規模は資本の大きさに依存
⑭ 同じ資本家が賃労働者たちを同時に使用することがなければ,賃労働者たちは協業することができない。これらの労働力そのものが生産過程において結合される以前に,これらの労働力の総価値,すなわち労働者たちの一日分,一週間分などの賃銀総額が,資本家のポケットの中に統合されていなければならない。協業する労働者の総数または協業の規模は,まず第一に,個々の資本家が労働力の購入に支出できる資本の大きさ(一人一人の資本家が多数の労働者の生活諸手段を自由に処置できる範囲)に,依存している。

協業の物質的条件----比較的大量の生産手段が資本家の手に集中されていること,個別資本の最小限
⑮ 不変資本についても,可変資本の場合と事情は同じである。たとえば,原料のための支出は,300人の労働者を雇っている一人の資本家にとって,労働者を10人ずつ雇っている30人の資本家それぞれによってよりも,30倍大きい。共同で使用される労働諸手段の価値の大きさと素材総量とは,たしかに,雇用される労働者総数と同じ程度には増加しないが,しかし著しく増加する。したがって,比較的大量の生産手段が個々の資本家の手に集中することは,賃労働者たちの協業の物質的条件であり,協業の範囲または生産の規模は,この集中の範囲に依存する。
個別資本の最小限----条件の変化
⑯ はじめは,個別資本の一定の最小限の大きさは,同時に搾取される労働者の総数,したがって生産される剰余価値総量が労働使用者自身を手の労働から解放し小親方を資本家にし,こうして資本関係を形式的に創出するのに十分なものとなるために,必要なものとして現れた。今や,個別資本のこの最小限の大きさは,分散しかつ相互に独立する多くの個別的労働過程を一つの結合された社会的労働過程に転化させるための,物質的条件として現れる。


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by shihonron | 2008-04-14 12:00 | レジュメ
2008年 04月 08日

第97回 4月8日 第10章 相対的剰余価値の概念

4月8日に第97回の学習会を行いました。
レジュメに基づく報告を受け、「第10章 相対的剰余価値の概念」の全体を議論しました。


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by shihonron | 2008-04-08 23:00 | 学習会の報告
2008年 04月 07日

第10章 相対的剰余価値の概念 のレジュメ

 第4編 相対的剰余価値の生産           s.331
   第10章 相対的剰余価値の概念
問題設定
① ここまでの前提----- 労働日のうち,資本によって支払われた労働力の価値の等価物だけを生産する部分は,不変の大きさと見なす=労働力の価値は不変・労働の生産力は不変。
・労働者は,この必要労働時間を超えて労働する。剰余価値率および労働日の大きさは,この延長の大きさいかんで決まった。必要労働時間は不変であったが,総労働日は反対に可変であった。今1労働日をとって,その大きさと,その必要労働と剰余労働への分割が与えられているものと想定しよう。たとえば,線分ac,すなわち,a----------b--c は,12労働時間を表し,そのうちab部分は10時間の必要労働を表し,bc部分は2時間の剰余労働を表すとしよう。では,acをこれ以上延長せずに,あるいはacのこれ以上の延長とはかかわりなしに,どのようにして剰余価値の生産が増大されうるか,すなわち剰余労働が延長されうるか?
          +--労働日の延長の限界,標準労働日をめぐる闘争⇒労働日の法制化  
これからの前提-----労働日acの限界が与えられている
② 今12時間労働日acの中で,b点がb'のほうに移されるならば,労働日はあい変わらず12時間でしかないのに,bcはb'cに拡大し,剰余労働は,2時間から3時間になる。変化するのは,労働日の長さではなく,必要労働と剰余労働への労働日の分割である。
a---------b'-b--c
③ 他方,剰余労働の大きさは,労働日の大きさが与えられ,労働力の価値が与えられていれば,明らかにおのずから決まる。
 労働力の価値は,労働力の価値の再生産に必要な労働時間を規定する。1労働時間が半シリングすなわち6ペンスの金量で表され〔1シリング=12ペンス〕,そして労働力の日価値が5シリングであるとすれば,労働者は,資本が支払った彼の労働力の日価値を補填するために(=彼が必要とする日々の生活諸手段の価値に対する等価物を生産),日々10時間労働しなければならない。この生活諸手段の価値が定まれば,彼の労働力の価値が定まり(注1),彼の労働力の価値が定まれば,彼の必要労働時間の大きさが定まる。
 ところで,剰余労働の大きさは,総労働日から必要労働時間を差し引くことによって得られる。12時間から10時間を差し引けば2時間が残る。与えられた諸条件のもとで,どのようにして剰余労働がこの2時間を超えて延長されうるのか。
 労働者の賃金の労働力の価値以下へのに引き下げ(必要労働時間の範囲の一部を横領することによって,剰余労働の範囲を拡大)⇒労働力の萎縮した再生産-----この方法は,労賃の現実の運動においては重要な役割を果たすけれども,ここでは,諸商品は,したがって労働力もまた,まったく価値どおりに売買されるという前提に立っているので,考察から除外される。
 労働力の価値の再生産に必要な労働時間が減少しうるのは,労働者の賃銀が彼の労働力の価値以下に減少するからではなくて,労働力の価値そのものが低下するからにほかならない。労働日の長さが与えられていれば,剰余労働の延長は,必要労働時間の短縮から生じなければならず,その逆に,必要労働時間の短縮が,剰余労働の延長から生じるのではない。

われわれの例においては,必要労働時間が 1/10 だけ,すなわち10時間から9時間に減少し,したがって剰余労働が2時間から3時間に延長されるためには,労働力の価値は,現実に 1/10 だけ低下しなければならない。
(注1) 日々の平均賃銀の価値は,労働者が「生活し,労働し,増殖するために」必要とするものによって,規定されている(ウィリアム・ペティ)。「労働の価格は,つねに生活必需品の価格によって規定される」。「・・・・労働者の賃銀が,彼らの多くの者の宿命であるような沢山の家族を,労働者としての低い地位と状態とに照応して養うのにたらない場合にはいつでも」労働者は相応な賃銀を受け取っていないのである(J・ヴァンダリント)。「自分の腕と自分の勤勉以外には何も持っていない普通の労働者は,自分の労働を他人に売ることができる場合のほかは,何も手にいれないのである。・・・・どんな種類の労働においても,労働者の賃銀は,彼が生計を維持するためにぜひ必要とするものに限られるものになるはずであり,また実際にそうなっている」(チュルゴ)。「生活必需品の価格は,事実,労働の生産費に等しい」(マルサス)。

④ 労働力の価値が,1/10 だけ低下するということは,以前に10時間で生産されたのと同じ量の生活諸手段が,今では9時間で生産されるということを条件とする。けれども,このことは,労働の生産力が増大しなければ不可能である。労働の生産諸条件に,すなわち生産方法に,したがって労働過程そのものに,ある革命が起こらなければならない。
 労働の生産力と言うのは,一般に,ある商品を生産するために社会的に必要な労働時間が短縮され,したがって,より少ない量の労働がより多量の使用価値を生産する力を獲得する導因となるような,労働過程における変化のことである。今まで考察した形態における剰余価値の生産にあっては,生産方法は与えられたものと想定されていたのであるが,必要労働を剰余労働に転化することによって剰余価値を生産するためには,資本が,労働過程をその歴史的に伝来した姿態または現存の姿態のままで支配下におき,ただその継続時間を延長するだけというのでは,決して十分ではない。
 労働の生産力を増大させ,労働の生産力の増大によって労働力の価値を低下させ,こうしてこの価値の再生産に必要な労働日部分を短縮するためには,資本は,労働過程の技術的および社会的諸条件を,したがって生産方法〔生産様式 Produktionsweise〕そのものを変革しなければならない。
⑤ 労働日の延長によって生産される剰余価値を,私は絶対的剰余価値と名づける。
 これに対して,剰余価値が,必要労働時間の短縮およびそれに対応する労働日の両構成部分の大きさの割合における変化から生じる場合,これを,私は相対的剰余価値と名づける。

労働力の価値を低下させる方法
⑥ 労働力の価値を低下させるためには,労働力の価値を規定するような生産物,したがって慣習的な生活諸手段の範囲に属する(またはそれらに代わりえるような生産物を生産する)産業諸部門を,生産力の増大がとらえなければならない。
 しかし,一商品の価値は,その商品に最後の形態を与える労働の量によって規定されているだけでなく,その商品の生産諸手段の中に含まれている労働総量によっても規定されている。したがって,生活必需品を生産するための不変資本の素材的諸要素,すなわち労働諸手段および労働材料を提供する諸産業において,生産力が増大し,それに対応して諸商品が安くなると,労働力の価値もまた低下する。それに反して,生活必需品をも,それらを生産するための生産諸手段をも提供しない生産諸部門においては,その生産力の増大が労働力の価値に影響することはない。
⑦ 商品が安くなったことにより労働力の価値が低下するのは,もちろん,その商品が労働力の再生産の中に入りこむ“その分だけ”,すなわちその割合に応じてのことにすぎない。生活必需品の総体は,特殊な諸産業の生産物であるさまざまな商品からなり,このような各商品の価値は,つねに労働力の価値の一構成部分をなしている。この価値は,その再生産に必要な労働時間と共に減少するのであるが,この労働時間の短縮の総量は,前記の特殊な生産諸部門全体における労働時間の短縮の総和に等しい。ここでは,この一般的な結果を,それぞれの場合における直接の結果であり直接の目的であるかのように取りあつかうことにする。個々の資本家が労働の生産力を増大させてたとえばシャツを安くする場合,彼の頭には,労働力の価値を引き下げこうして必要労働時間を“その分だけ”引き下げるという目的が,必ずしも浮かんでいるわけではない。しかし彼が究極においてこの結果に貢献する限りにおいてのみ,彼は一般的剰余価値率の増大に貢献するのである(3)。資本の一般的かつ必然的な諸傾向は,これら諸傾向の現象諸形態とは区別されなければならない。
(3)「工場主が,機械設備の改良によって,彼の生産物を二倍にする場合・・・・彼が利益を得るのは(究極において)ただ,彼がそれによって労働者にもっと安く衣料を供給できるようになり・・・・こうして総収益のいっそう小さい部分が労働者の手に帰する限りにおいてである」(ラムジー『富の分配に関する一論』,一六八,一六九ページ)。
⑧ 資本主義的生産の内在的諸法則が,諸資本の外的運動のうちに現れ,競争の強制法則として貫徹し,したがって推進的動機として個々の資本家の意識にのぼる際の仕方は,ここでは考察されないが,しかし,もともと明らかなことは,競争の科学的分析が可能なのは,資本の内的性質が把握されている時に限られる。
  〔資本主義的生産の内在的諸法則と競争。競争の強制法則について-----s.286,337-8,366,376-7,414,618〕
とはいえ,相対的剰余価値の生産を理解するために,それも,われわれがすでに自分のものとした諸成果だけに基づいて,次の点を指摘しておきたい。

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⑨ 図1----もし1労働時間が,6ペンス(1/2 シリング)の金量で表されるとすれば,12時間労働日には6シリングの価値が生産される。与えられた労働の生産力で,この12労働時間に12個の商品が仕上げられる。各個の商品に消耗された原料などの生産諸手段の価値が,6ペンスとしよう。このような事情のもとでは,個々の商品は1シリングになる。
 図2----ある資本家が労働の生産力を二倍にし,12時間労働日において24個を生産することができるとしよう。生産諸手段の価値が変わらなければ,個々の商品の価値は,今や9ペンスに下がる。新価値は,今や二倍の生産物に配分される。生産物1個について計算すると,以前は生産諸手段にまる1労働時間がつけ加えられたが,今では半労働時間がつけ加えられるにすぎない。この商品の個別的価値は,今や,その社会的価値(1シリング=社会的労働の2時間)よりも低い。その一個は9ペンスにしかならない。しかし,一商品の現実の価値は,その社会的価値(その生産に社会的に必要な労働時間によってはかられる)である。新しい方法を用いる資本家が彼の商品をその社会的価値1シリングで売るならば,彼は,個別的価値よりも3ペンス高く商品を売るのであり,3ペンスの特別剰余価値を実現する。
 図3----12時間労働日は,今や彼にとって,以前のように12個ではなく24個の商品で表される。したがって,一労働日の生産物を売るために,彼は二倍の販路・二倍の大きさの市場を必要とする。他の事情が同じであれば,彼の諸商品は,価格の引き下げによってのみ,より大きな市場圏を獲得する。したがって彼は,その諸商品を個別的価値以上で,しかし社会的価値以下で,たとえば一個10ペンスで,売るであろう。こうして彼は,一個あたり一ペンスの特別剰余価値をたたき出す。剰余価値のこの増大が彼に生じるのは,彼の商品が生活必需品の範囲に属しているかどうかにはかかわりがなく,したがって労働力の一般的価値を規定するものとしてこの価値の中に入りこむかどうかにはかかわりがない。したがって,後のほうの事情はさておき,個々の資本家にとっては,労働の生産力を高めることによって商品を安くしようとする動機が存在する。
⑩ それにもかかわらず,この場合でさえも,剰余価値の生産の増大は,必要労働時間の短縮とこれに対応する剰余労働の延長とから生じる。
図2----24個=18シリング(1個9ペンス)-----個別的価値
この商品を社会的価値(1個1シリング=12ペンス)で売れば,1個当り3ペンスの特別剰余価値
      しかし,2倍の市場が必要になる。そこで
図3----1個10ペンスで売る。-----それでも,1個当り1ペンスの特別剰余価値
    合計240ペンス=20シリングで販売

不変資本補填分,労働力の価格,剰余価値を生産物個数で表わす
・生産手段の価値(不変資本,12シリング=144ペンス)補填分は 14 2/5 個の商品
・12時間の1労働日=残り9 3/5 個の商品で表わされる=8シリング
   社会的平均労働の12時間は,6シリングで表されるにすぎない。例外的な生産力の労働は,力を高められた労働として   (potenzierte Arbeit)作用する⇒同じ時間内に,同じ種類の社会的平均労働よりも大きい価値を作り出す。
・労働力の価格は5シリング=6個の生産物
            残り3 3/5 個に剰余労働が表わされる       ( 社会的平均は 5:1 ) +
            *必要労働(6個,5シリング):剰余労働(3 3/5 個,3シリング)=5:3 -+
価値生産物を時間で表わす
・12時間労働で5+3=8シリングの価値を生産-----1時間で8ペンス
     労働力の価値(= 5シリング(60ペンス)=必要労働)を再生産するためには,10時間ではなく
                   7 1/2 時間しか必要でない
     剰余労働は残り 4 1/2 時間 =3シリング
        (これまでは,2時間=1シリングであり,2 1/2 時間増えた)
 改良された生産方法を用いる資本家は,同業の他の資本家たちよりも,労働日のより大きい部分を剰余労働として取得する。彼は,資本が相対的剰余価値の生産に際して一般的に行うことを,個別的に行うのである。しかし他面,この新しい生産方法が普及し,より安く生産された諸商品の個別的価値と社会的価値との差が消滅するやいなや,右の特別剰余価値も消滅する。
 労働時間による価値規定の法則は,新しい方法を用いる資本家には,彼の商品を社会的価値以下で売らなければならないという形態で感知されるのだが,この同じ法則が,競争の強制法則として,彼の競争者たちを新しい生産方法の採用にかり立てる。一般的剰余価値率が,結局,全過程を通じて影響を受けるのは,労働の生産力の向上が,生活必需品の生産諸部門をとらえた場合,すなわち,生活必需品の範囲に属し,したがって労働力の価値の諸要素を形成している諸商品を安くした場合に限られる。
⑪ 商品の価値は,労働の生産力に反比例する。労働力の価値も,同じく労働の生産力に反比例する。これに反して,相対的剰余価値は,労働の生産力に正比例する。
 12時間という社会的平均労働日は,貨幣価値が変わらないものと前提すれば,つねに6シリングという同じ価値生産物を生産する。それは,この価値総額が,労働力の価値の等価物と剰余価値とのあいだにどう配分されるかにはかかわりがない。
 しかし,生産力が上がった結果,日々の生活手段の価値,したがって労働力の日価値が5シリングから3シリングに下がると,剰余価値は1シリングから3シリングに上がる。労働力の価値を再生産するために,かつては10労働時間が必要であったが,今ではもう6労働時間しか必要としない。4労働時間が自由になったのであり,それは剰余労働の範囲に併合されうる。それゆえ,商品を安くするために,そして商品を安くすることによって労働者そのものを安くするために,労働の生産力を増大させることは,資本の内在的な衝動であり,不断の傾向である。
⑫ 商品の絶対的価値は,その商品を生産する資本家にとって,それ自体(an und für sich),どうでもよいことである。彼が関心を持つのは,商品の中に潜んでいて,販売の際に実現されうる剰余価値だけである。剰余価値の実現は,おのずから,前貸価値の補填を含む。さて,商品の価値は労働の生産力の発展に逆比例して低下するが,相対的剰余価値は労働の生産力の発展に正比例して増大するということから,すなわち,この同一の過程が,諸商品を安くし,しかもそれに含まれている剰余価値をたえず増大させるということから,交換価値の生産だけを問題とする資本家が,諸商品の交換価値をたえず低下させようと努力するのはなぜか,という謎が解けるのである。それは,経済学の一創始者ケネーが彼の論敵たちを悩ました一つの矛盾であり,それに対して,彼らはいまだに返答をしていない。
・ ケネーは,次のように言う-----「諸君も認めるように,生産をさまたげずに,手工業生産物の製造における諸費用または費用のかかる諸労働を節約することができればできるほど,この節約は,ますます有利である。なぜなら,その節約は,製品の価格を引き下げるからである。それにもかかわらず,諸君は,手工業者たちの労働から生まれる富の生産は,彼らの製品の交換価値を増大することにあると信じている」。
⑬ 労働の生産力の発展による労働の節約は,資本主義的生産においては,決して労働日の短縮を目的とはしない。それは,一定量の商品の生産に必要な労働時間の短縮を目的としているにすぎない。労働者が,彼の労働の生産力を増大させて,一時間に,たとえば,以前の10倍の商品を生産し,したがって商品一個あたりについて10分の1の労働時間しか必要としないということは,彼に従来どおり12時間働かせ,12時間のあいだに以前のように120個ではなくて1200個を生産させることを,決してさまたげるものではない。それどころか,彼の労働日が同時に延長され,その結果,彼は今や14時間のあいだに1400個を生産するなどということもありえる。労働の生産力の発展は,資本主義的生産の内部では,労働日のうち労働者が自分自身のために労働しなければならない部分を短縮し,まさにそのことによって,労働日のうち労働者が資本家のためにただで労働することのできる他の部分を延長することを,目的としている。このような結果が,諸商品を安くしなくても,どの程度達成できるものであるかは,相対的剰余価値の特殊な生産諸方法において示されるであろう。今やわれわれは,この考察に移ることにする。


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by shihonron | 2008-04-07 12:00 | レジュメ
2008年 04月 01日

第96回 4月1日 第9章 剰余価値率と剰余価値量

4月1日に第96回の学習会を行いました。
「第9章 剰余価値率と剰余価値量」の第11段落から最後(第16段落)までを輪読、検討しました。


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by shihonron | 2008-04-01 23:00 | 学習会の報告