『資本論』を読む会の報告

shihonron.exblog.jp
ブログトップ

<   2008年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧


2008年 05月 20日

第102回  5月20日 第13章 第1節・第2節

5月20日に第102回学習会を行いました。
レジュメに基づく報告を受け、「第13章 機械と大工業」の「第1節 機械の発達」の最初から「第2節 機械から生産物への価値移転」の最後までを議論しました。


[PR]

by shihonron | 2008-05-20 23:00 | 学習会の報告
2008年 05月 18日

第13章 第1節 のレジュメ その2

本来の機械体系
⑬ 本来の機械体系がはじめて個々の独立した機械に代わって現われるのは,労働対象が互いに関連のあるいろいろな段階過程を通り,これらの段階過程がさまざまな,といっても互いに補い合う一連の道具機によって行なわれる場合である。ここでは,マニュファクチュアに固有な分業による協業が再現するのであるが,しかし今度は部分作業機の組み合わせとして再現するのである。いろいろな部分労働者,たとえば羊毛マニュファクチュアでならば打毛工や梳毛工や剪毛工や紡毛工などの独自な道具が,今では,特殊化された作業機の道具に転化しており,それぞれの作業機は結合された道具機構の体系のなかで一つの特殊な機能のための特殊な器官になっている。機械体系がはじめて取り入れられる諸部門では,だいたいにおいてマニュファクチュアそのものが機械体系に生産過程の分割の,したがってまたその組織の,自然発生的な基礎を提供するのである(101)。とはいえ,すぐに本質的な区別が現われる。マニュファクチュアでは労働者は個々別々にか,または組に分かれて,それぞれの特殊な部分過程を自分たちの手工業道具で行なわなければならない。労働者が過程に同化されるにしても,過程のほうもあらかじめ労働者に合うようにされているのである。このような主観的な分割原理は,機械による生産にとってはなくなってしまう。この場合には,総過程が客観的に,それ自体として考察され,それを構成する諸段階に分解されるのであって,それぞれの部分過程を行なうことやいろいろな部分過程を結合することの問題は力学や化学などの技術的応用によって解決されるのであるが(102),もちろんその場合にもやはり理論的な構想は,積み重ねられた大規模な実際上の経験によって補われなければならない。それぞれの部分機械は,すぐその次にくる部分機械にその原料を供給する。そして,それらはみな同時に働いているのだから,生産物は絶えずその形成過程のいろいろな段階の上にあると同時に,また絶えず一つの生産段階から別の生産段階に移ってゆくのである。マニュファクチュアでは部分労働者の直接的協業が特殊な労働者群のあいだの一定の比例数をつくりだすのであるが,同様に,編成された機械体系の場合には,いろいろな部分機械が絶えず互いに関連して働いているということが,それらの数,大きさ,速度のあいだの一定の割合をつくりだすのである。結合された作業機,すなわち今ではいろいろな種類の個々の作業機から,またそれらの群から,編成された一つの体系は,その総過程が連続的であればあるほど,すなわち原料が第一の段階から最後の段階まで移ってゆくあいだの中断が少なければ少ないほど,ますます完全なものになる。マニュファクチュアでは各種の特殊過程の分立化が分業そのものによって与えられた原理だとすれば,それとは反対に,発達した工場ではいろいろな特殊過程の連続が支配するのである。
(101) 大工業時代以前には,羊毛マニュファクチュアがイギリスの支配的なマニュファクチュアだった。だから,羊毛マニュファクチュアでは18世紀の前半のうちにたいていの実験がなされていた。機械で加工するのにあまりやっかいな準備が必要でない綿花のためには,羊毛で得られた経験が役にたった。ちょうど,のちには反対に,機械綿紡績と機械綿織物との基礎の上で機械羊毛工業が発達するように。羊毛マニュファクチュアの個々の要素は,やっと数十年前から工場制度に組み入れられてきた。たとえば梳毛作業がそうである。「-----手の作業は不要になった。工場に雇われた手梳き工も多かったが,手梳き工の生産額は機械のそれに比べて非常にわずかだったので,非常に多数の梳き手の働き口がなくなってしまった。」(『工場監督官報告書。1856年10月31日』)
(102) 「だから,工場制度の原理は……職人たちのあいだで作業を分割したり段階づけしたりすることに代わって,一つの過程をその基本的な諸構成部分に分割することである。」(ユア『工場哲学』)

機械の自動体系の出現
⑭ 機械の体系は,織布におけるように同種の作業機の単なる協業にもとづくものであろうと,紡績におけるように異種の作業機の組み合わせにもとづくものであろうと,それが一つの自動的な原動機によって運転されるようになれば,それ自体として一つの大きな自動装置をなすようになる。とはいえ,体系全体はたとえば蒸気機関によって運転されても,個々の道具機は,自動ミュール機採用以前にミュール紡績機の始動のために必要だった運動のように,また今日でも細糸紡績では必要な運動のように,ある種の運動のためにはなお労働者を必要とするとか,または,スライド・レスト(回転装置)が自動装置になる前の機械製造におけるように,機械の一定の部分が,その作業を行なうためには道具のように労働者によって操作されなければならない,ということもありうる。作業機が,原料の加工に必要なすべての運動を人間の助力なしで行なうようになり,ただ人間の付き添いを必要とするだけになるとき,そこに機械の自動体系が現われる。たとえば,たった1本の糸が切れても紡績機をひとりでに止める装置や,梭《ひ》の糸巻きの横糸がなくなれはすぐに改良蒸気織機を止めてしまう自動停止器は,まったく近代的な発明である。生産の連続という点でも自動原理の一貫という点でも,一つの実例とみなしてよいものに,近代的な製紙工場がある。
⑮ ただ伝動機の媒介によって一つの中央自動装置からそれぞれの運動を受け取るだけの諸作業機の編成された体系として,機械経営はその最も発展した姿をもつことになる。個々の機械に代わってここでは一つの機械的な怪物が現われ,そのからだは工場の建物いっぱいになり,その悪魔的な力は,はじめはその巨大な手足の荘重ともいえるほど落ち着いた働きで隠されているが,やがてその無数の固有の労働器官の熱狂的な旋回舞踏となって爆発するのである。

マニュファクチュアによる機械の生産とその限界
⑯ ミュール紡績機や蒸気機関などは,それらの製造を専業とする労働者がまだいないうちからあった。とはいえ,ヴォーカンソンやアークライトやワットなどの発明が実用化されることができたのは,ただ,これらの発明家たちの目の前に,熟練した機械労働者があったからにほかならない。発明が増し,新しく発明された機械にたいする需要が増してくるにつれて,一方ではさまざまな独立部門への機械製造の分化が,他方では機械製造マニュファクチュアのなかでの分業が,ますます発展してきた。われわれはマニュファクチュアのなかに大工業の直接的な技術的基礎を見るのである。かのマニュファクチュアが機械を生産し,その機械を用いてこの大工業は,それがまず最初にとらえた生産部面で,手工業的経営やマニュファクチュア的経営をなくしたのである。こうして,機械経営は自分にふさわしくない物質的基礎の上に自然発生的に立ち現われたのである。
 機械経営は,ある程度まで発展してくれば,この基礎そのものをひっくり返して,それ自身の生産様式にふさわしい新たな土台をつくりださなければならなかった。ある発展段階では,大工業はその手工業的な土台やマニュファクチュア的な土台とは,技術的にも衝突せざるをえなくなった。道具機がその構造をはじめに支配していた手工業的な原型から離れて一つの自由なただ機械としてのその任務だけによって定められた姿を与えられるのにつれて,原動機や伝動機構や道具機の規模が増大し,それらの諸構成部分がいっそう複雑多様になり,いっそう厳密な規則性をもつようになるということ,自動体系が完成されて,使いこなしにくい材料,たとえば木材に代わる鉄の使用がますます不可避的になるということ,-----すべてこれらの自然発生的に生じてくる課題の解決は,どこでも人的な制限にぶつかった。たとえば近代的印刷機や近代的蒸気織機や近代的梳毛機のような機械は,マニュファクチュアによって供給されることはできなかった。

ある一つの産業部面での生産様式の変革は他の産業部面でのその変革を促す。
⑰このことがまず第一にあてはまるのは,社会的分業によって分立していてそれぞれが一つの独立の商品を生産してはいるがそれにもかかわらず一つの総過程の諸段階として組み合わされているような諸産業部門である。たとえば,機械紡績は機械織布を必要にし,これらはまた両方とも漂白や捺染や染色での機械的・化学的革命を必要にした。また他方では,綿紡績での革命は繰綿機〔コットンジン〕の発明を呼び起こし,これによって,当時要求されていた大きな規模での木綿生産がはじめて可能になったのである。
・ことにまた,工業や農業の生産様式に起きた革命は,社会的生産過程の一般的な条件すなわち交通・運輸機関の革命をも必要にした。家内的副業をともなう小農業や都市の手工業を,その主軸としていた社会の交通・運輸機関は,拡大された社会的分業や労働手段と労働者との集積や植民地市場をもつマニュファクチュア時代の生産上の要求に応ずることはもはやまったくできなかった。運輸・交通機関もまた,世界市場的関連をともなう大工業にとっては,やがて,堪えられない束縛とたった。交通・運輸事業は,河川汽船や鉄道や海洋汽船や電信の体系によって,しだいに大工業に適合するようにされたのである。
・こうなると,今や鍛えられ,熔接され,切断され,穿孔され,成型されなければならなかった恐ろしく巨大な鉄量もまた巨大な機械を必要とし,このような機械をつくりだすのにはマニュファクチュア的な機械製作ではまにあわなくなったのである。

機械による機械の生産の必然性
⑱ 大工業はその特徴的な生産手段である機械そのものをわがものとして機械によって機械を生産しなければならなくなった。このようにして,はじめて大工業は,それにふさわしい技術的基礎をつくりだして自分の足で立つようになったのである。19世紀の最初の数十年間に機械経営が拡大されるにつれて,実際に機械はしだいに道具機の製造を支配するようになった。とはいえ,最近の数十年間にはじめて,大規模な鉄道建設と汽船による航海とが,原動機の建造に使用される巨大な機械を出現させたのである。

機械による機械の製造のため最も重要な生産条件は原動機とスライド・レストの発明
⑲ 機械による機械の製造のため最も重要な生産条件は,どんな出力でも可能でしかも同時に完全に制御できるような原動機だった。それはすでに蒸気機関として存在していた。しかし,同時に,個々の機械部分のために必要な厳密に幾何学的な形状,すなわち線,平面,円,円筒,円錐,球などを機械で生産することも必要だった。この問題は,19世紀の最初の10年間にへンリ・モーズレがスライド・レスト〔往復滑台〕の発明によって解決したが,これはやがて自動化され,また変形されて,最初は旋盤用だったものが,他の工作機械にも転用された。この機械的な装置は,なんらかの特殊な道具にとって代わるのではなく,たとえば鉄のような労働材料に切削工具の刃をあてたり,合わせたり,立てたりすることによって一定の形状をつくりだす人間の手そのものにとって代わるのである。このようにして,個々の機械部分の幾何学的な形状を,
「どんなに熟練した労働者の手のどんなに積み重ねた経験でも与えることができないほどの容易さと精確さと速さとで生産すること」に成功したのである。(105) 「この旋盤付属物は,簡単なものに見え外観上はつまらないものに見えるかもしれないが,機械使用の改良や普及へのその影響は,ワットの蒸気機関の改良によってもたらされたそれにさえ匹敵すると断言しても言い過ぎではないと信ずる。その採用はたちまちあらゆる機械を改良し廉価にし,さらに発明や改良を刺激することになった。」『諸国民の産業』,1855年
工作機械の発達
⑳ 機械製作のために用いられる機械のうちで本来の道具機にあたる部分を考察するならば,そこには手工業的な用具が再現するのであるが,しかし,それは巨大な規模で再現するのである。たとえば,中ぐり盤〔穿孔機〕の工作部分は巨大な錐《きり》〔ドリル〕であって,この錐は蒸気機関で動かされるのであるが,また逆に,それがなければ大きな蒸気機関や水圧機のシリンダーを生産することはできないであろう。機械旋盤は普通の足踏旋盤の巨大な再生であり,平削機は,大工が木材の加工に使うのと同じ道具で鉄に加工する鉄製の大工である。 ロンドンの造船所で合板を切る道具は,巨大なかみそりであり,裁縫鋏が布を切るように鉄を切る切断機の道具は鋏のおばけである。ネーズミスの発明の一つである蒸気ハンマーは,6トン以上の重さがあって,7フィートの垂直落下で36トンの重さの鉄砧《かなしき》の上に落ちる。それは,花崗岩塊をやすやすと粉砕するのであるが,また同じように,つづけて軽く打つことによって柔らかい木材に釘を打ち込むこともできるのである。

社会的労働過程の編制〔労働過程の協業的性格〕の必然
21 労働手段は,機械設備として,人力のかわりに自然諸力を利用し,経験的熟練に置き換えるに自然科学の意識的応用をもってすることを必然的にするような物質的存在様式を受け取る。マニュファクチュアでは社会的労働過程の編制は純粋に主観的であり,部分労働者の組み合わせである。機械体系では大工業は一つのまったく客観的な生産有機体をもつのであって,これを労働者は既成の物質的生産条件として自分の前に見いだすのである。単純な協業では,また分業によって特殊化された協業の場合にさえも,個別的な労働者が社会化された労働者によって駆逐されるということは,まだ多かれ少なかれ偶然的なこととして現われる。
 機械は,のちに述べるいくつかの例外を除いては,直接に社会化された労働すなわち共同的な労働によってのみ機能する。だから,労働過程の協業的性格は,今では,労働手段そのものの性質によって命ぜられた技術的必然となるのである。


[PR]

by shihonron | 2008-05-18 12:59 | レジュメ
2008年 05月 18日

第13章 第1節  のレジュメその1

第13章 機械と大工業                 s.391
第一節 機械の発達
機械使用の目的
① 「すべてのこれまでになされた機械の発明が,どの人間かの毎日の労苦を軽くしたかどうかは疑問である。」J・S・ミル『経済学原理』
② だが,このようなことはけっして資本主義的に使用される機械の目的ではないのである。そのほかの労働の生産力の発展がどれでもそうであるように,機械は,商品を安くするべきもの,労働日のうち労働者が自分自身のために必要とする部分を短縮して,彼が資本家に無償で与える別の部分を延長するべきものなのである。それは,剰余価値を生産するための手段なのである。
③ 生産様式の変革は,マニュファクチュアでは労働力を出発点とし,大工業では労働手段を出発点とする。だから,まず第一に究明しなければならないのは,なにによって労働手段は道具から機械に転化されるのか,または,なにによって機械は手工業用具と区別されるのか,である。ここで問題にするのは,ただ大きな一般的な特徴だけである。なぜならば,社会史の諸時代は抽象的な厳密な境界線によっては区分されないということは,地球史の諸時代の場合と同じことだからである。
機械と道具との本質的な相違
④ 数学者や機械学者は道具を簡単な機械だと言い,機械を複雑な道具だと言う。経済学の立場からは,この説明はなんの役にもたたない。それには歴史的な要素が欠けているからである。
 他方には,道具と機械との区別を,道具では人間が動力であるが,機械では動物や水や風などのような,人間力とは違った自然力が動力であるということに求める人もある。

機械の三要素
⑤ すべて発達した機械は,三つの本質的に違う部分から成っている。原動機,伝動機構,最後に道具機または作業機がそれである。
原動機は全機構の原動力として働く。それは,蒸気機関や熱機関や電磁気機関などのように,それ自身の動力を生みだすこともあれば,また,水車が落水から,風車が風からというように,外部の既成の自然力から原動力を受け取ることもある。伝動機構は,節動輪,動軸,歯輪,渦輪,回転軸,綱,調帯,小歯輪,非常に多くの種類の伝動装置から構成されていて,運動を調節し,必要があれば運動の形態を,たとえば垂直から円形にというように,変化させ,それを道具機に分配し伝達する。機構のこの両部分は,ただ道具機に運動を伝えるためにあるだけで,これによって道具機は労働対象をつかまえて目的に応じてそれを変化させるのである。機械のこの部分,道具機こそは,産業革命が18世紀にそこから出発するものである。

道具機または本来の作業機をもっと詳しく考察する
⑥ だいたいにおいて,手工業者やマニュファクチュア労働者の作業に用いられる装置や道具が,一つの機構の道具として,または機械的な道具として再現する。機械全体が,ただ古い手工用具にいくらか変化を加えたその機械化版でしかないか,または,作業機の骨組みに取りつけられて働く器官が,古いなじみのもの(紡錘,針,のこぎり,切断機の刃などのような)であるかである。道具機というのは,適当な運動が伝えられると,以前に労働者が類似の道具で行なっていたのと同じ作業を自分の道具で行なう一つの機構なのである。その原動力が人間から出てくるか,それともそれ自身また一つの機械から出てくるかは,少しも事柄の本質を変えるものではない。本来の道具が人間から一つの機構に移されてから,次に単なる道具に代わって機械が現われるのである。人間が作業のために同時に使用できる労働用具の数は,彼の自然的な生産用具,すなわち彼自身の肉体の器官の数によって,限られている。ジェニー紡績機ははじめから12―18個の紡錘で紡ぎ,靴下編み機は一時に何千本もの針で編む,等々というふうである。同じ道具機が同時に動かす道具の数は,一人の労働者の使う手工業道具を狭く限っている有機体的な限界からは,はじめから解放されているのである。
蒸気機関は産業革命を呼び起こさない                         s.395
⑦ たとえほ,紡ぎ車の場合には,足はただ原動力として働くだけであるが,紡錘を操作して糸を引いたり撚ったりする手は,本来の紡績作業を行なうのである。まさに手工業用具のこのあとのほうの部分をこそ,産業革命はまず第一にとらえる。人間がはじめからただ単純な動力としてそれに働きかけるだけの道具,たとえばひきうすの柄をまわすとか,ポンプを動かすとか,ふいごの柄を上げ下げするとか,うすでつくとかいう場合の道具は,たしかに,まず第一に動力としての動物や水や風の応用を呼び起こす。このような道具は,一部はマニュファクチュア時代のうちに,まばらにはそれよりもずっと前から,機械となるまでに成長するが,しかしそれらは生産様式を変革しはしない。それらがその手工業的形態にあってもすでに機械だということは,大工業の時代に明らかになる。たとえば,1836/37年にオランダ人が用いたポンプは,巨大な蒸気機関がそのピストンを動かしていただけだった。鍛冶工の使うふいごが,その柄を蒸気機関に結びつけ空気ポンプに変えられることがある。蒸気機関そのものも(17世紀の末にマニュファクチュア時代のあいだに発明)どんな産業革命をも呼び起こさなかった。道具機の創造こそ蒸気機関の革命を必然的にしたのである。人間が,道具を用いて労働対象に働きかけるのではなくて,ただ単に動力として道具機に働きかけるだけになれば,動力が人間の筋肉の姿をとることは偶然となって,風や水や蒸気などがそれに代わることができる。もちろん,動力の変化によって元来は人力だけに向くような構造をもっていた機構の大きな技術的変化がひき起こされることもあるということを排除するものではない。

機械の登場・産業革命の出発点----作業機
⑧ 産業革命の出発点になる機械は,ただ一個の道具を取り扱う労働者の代わりに一つの機構をもってくるのであるが,この機構は一時に多数の同一または同種の道具を用いて作業し,また単一な原動力によって動かされるものである。

作業機の規模と数の増大⇒強力な動力を要求⇒蒸気機関の発明(原動機の発達)
⑨ 作業機の規模とその同時に作業する道具の数との増大は,いっそう大規模な運動機構を要求し,この機構はまたそれ自身の抵抗に勝つために人間動力よりももっと強力な動力を要求する。すなわち,人間が均等な連続的な運動の生産用具としてはきわめて不完全なものだということは別にしても,それ以上に強力な動力が要求されるのである。人間はもはや単純な動力として働くだけとなり,したがって人間の道具に代わって道具機が現われているということが前提されれば,いまや自然力は動力としても人間にとって代わることができる。馬の力は最悪。風はあまりにも気まぐれで制御しにくかった。水力は増大した伝動機構の規模が,もはや不十分になった水力と衝突するようになった。マニュファクチュア時代は,大工業の最初の科学的な,また技術的な諸要素を発展させた。アークライトのスロッスル紡績機は最初から水力で運転された。ワットの第2のいわゆる複動蒸気機関の出現によってはじめて次のような原動機が見いだされた。それは,石炭と水を食って自分で自分の動力を生みだし,その力がまったく人間の制御に服し,可動的であるとともに移動の手段でもあり,都市的であって水車のように田舎的でなく,水車のように生産を田舎に分散させないで都市に集中することを可能にし(99),その技術的応用という点で普遍的であり,その所在地に関しては局地的な事情に制約されることの比較的少ない原動機だったのである。ワットの偉大な天才は,1784年4月に彼がとった特許の説明書に示されているが,そこでは彼の蒸気機関が,特別な目的のための発明としてではなく,大工業の一般的な推進者として説明されている。
(99) 「繊維工業の初期には,工場の所在は,水車を回すに足りるだけの落差をもつ流水の存在に依存していた。また,水車の設置は家内工業制の崩壊の発端だったとはいえ,水車は,必ず流水に沿って,またしばしば互いにかなりの間隔をあげて配置されたので,都市的体制よりもむしろ農村的体制の一部をなしていた。そして,流水の代わりに蒸気力が採用されてから,はじめて,工場は,蒸気の生産に必要な石炭と水とが十分にあった都市や地方に集められた。蒸気機関は工業都市の生みの親である。」A・レッドグレーヴ
作業機・原動機。伝動機構は相まって発展                        s.389
⑩ 道具が人間という有機体の道具から一つの機械装置の,すなわち道具機の道具に転化されてから,次には原動機もまた一つの独立な,人力の限界からは完全に解放された形態を与えられた。個々の道具機は,機械的生産の単なる一要素に成り下がる。いまや一つの原動機が多数の作業機を同時に動かすことができるようになった。同時に動かされる作業機の数が増すにつれて,この原動機も大きくなり,そして伝動機構は巨大な装置に広がる。

多数の同種の機械の協業⑫と機械体系⑬~
⑪ 二つのものが区別されなければならない。多数の同種の機械の協業と機械体系とがそれである。
⑫ 前の場合には,一つの製品全体が同じ作業機でつくられる。この作業機がいろいろな作業のすべてを行なうのであって,これらの作業は,一人の手工業者が自分の道具で,たとえば織匠が彼の織機で行なっていたものか,または,何人かの手工業者がいろいろな道具で,独立にであろうと一つのマニュファクチュアの手足としてであろうと,順々に行なっていたものかである(100)。ところが,たった1台の封筒製造機が一時間で3000以上の封筒をつくるのである。1862年のロンドンの産業博覧会に陳列されたアメリカ製の紙袋製造機は,紙を裁《た》ち,糊をつけ,折り目を折って,1分間に300枚をつくりあげる。マニュファクチュアのなかで分割されて一つの順序をなして行なわれる総過程が,この場合には,いろいろな道具の組み合わせによって働く1台の作業機によって完了されるのである。工場(機械経営にもとづく作業場)では,つねに単純な協業が再現するのであって,しかも,同時にいっしょに働く同種の作業機の空間的集合として再現するのである。こうして,織物工場は同じ作業用建物のなかに多数の力織機が並列することによって形成され,裁縫工場は多数のミシンが並列することによって形成される。しかし,ここには一つの技術的な統一がある。というのは,共同の原動機の心臓の鼓動が伝動機構をつうじて多数の同種の作業機に伝えられ,そこからこれらの作業機が同時に均等に衝撃を受けるのだからである。そして,この伝動機構もまたある程度までこれらの作業機に共通である。というのは,各個の道具機のためにはただこの伝動機構の別々な先端が枝になって出ているだけだからである。ちょうど,たくさんの道具が一つの作業機の諸器官をなしているように,今では多数の作業機がただ同じ運動機構の同種の諸器官をなしているだけである。
(100) マニュファクチュア的分業の立場から見れば,織るということは,けっして簡単な手工業的労働ではなく,むしろ複雑なそれだった。したがって,力織機は,非常にさまざまなことをする機械である。近代の機械が最初に征服する作業は,すでにマニュファクチュア的分業によって簡単にされていた作業だという見解は,およそまちがいである。紡ぐことと織ることとは,マニュファクチュア時代のあいだにいくつもの新しい種類に分かれ,その道具は改良され変化したが,労働過程そのものは少しも分割されないで相変わらず手工業的だった。労働からではなく,労働手段から,機械は出発するのである。


[PR]

by shihonron | 2008-05-18 12:30 | レジュメ
2008年 05月 13日

第101回 5月13日 第12章 マニュファクチュア

5月13日に第101回学習会を行いました。
レジュメに基づく報告を受け、「第12章 マニュファクチュア」の「第4節 マニュファクチュアのなかでのの分業と社会のなかでの分業」の最初から「第5節 マニュファクチュアの資本主義的性格」の最後までを議論しました。


[PR]

by shihonron | 2008-05-13 23:00 | 学習会の報告
2008年 05月 12日

第12章 第5節 のレジュメ

 第5節 マニュファクチュアの資本主義的性格   s.380
個別資本の最小規模が増大,加速する生活手段と生産手段の資本への転化
① 比較的多数の労働者が同じ資本の指揮のもとにあるということ-----協業一般の自然発生的な基礎・マニュファクチュアの基礎。
 マニュファクチュア的分業⇒充用労働者数の増大を技術上の必然性にまで発展させる。一人の個別資本家が使用しなければならない労働者数の最小限は,分業によって指定されている。
 さらに進んだ分業の利益は,労働者数のいっそうの増加を条件とし,この増加はただ倍加を重ねることによってのみ行なわれることができる。しかし,資本の可変成分が増大するにつれて不変成分も増大しなければならない。そして,建物や炉などのような共同的生産条件の規模のほかに,ことにまた,しかも労働者数よりもずっと速く,原料が増加しなければならない。与えられた時間に,与えられた労働量によって消費される原料の量は,分業によって労働の生産力が高くなるのと同じ割合で増加する。だから,個々の資本家の手にある資本の最小規模が増大してゆくということ,または,社会の生活手段と生産手段とがますます多く資本に転化してゆくということは,マニュファクチュアの技術的性格から生ずる一つの法則なのである。

労働の社会的生産力⇒資本の生産力,労働者⇒資本家の作業場のの中でしか機能できない
② 単純な協業の場合と同様,マニュファクチュアにあっても,機能している労働体は資本の一つの存在形態である。多数の個別的部分労働者から構成されている社会的生産機構は,資本家のものである。それだから,諸労働の結合から生ずる生産力は資本の生産力として現われるのである。本来のマニュファクチュアは,以前は独立していた労働者を資本の指揮と規律とに従わせるだけではなく,そのうえに,労働者たち自身のあいだにも一つの等級制的編制をつくりだす。単純な協業はだいたいにおいて個々人の労働様式を変化させないが,マニュファクチュアはそれを根底から変革して,個人的労働力の根源をとらえる。それは,もろもろの生産的な欲求と素質の一世界をなしている人間を抑圧することを通じ,労働者の細部的熟練を温室的に助長し,その結果労働者をゆがめて異常なものにしてしまう。一つの奇形物にしてしまう。それぞれの特殊な部分労働が別々の個人のあいだに配分されるだけではなく,個人そのものが分割されて一つの部分労働の自動装置に転化される。労働力は,資本家の作業場のなかでしか,機能しない。マニュファクチュア労働者は,もはやただ資本家の作業場の付属物として生産的活動力を発揮するだけである。

物質的生産過程における精神的な諸能力の分離⇒資本のうちに集積⇒労働者を支配する権力
③ 独立の農民や手工業者が小規模ながらも発揮する知識や分別や意志は,今ではもはやただ作業場全体のために必要なだけである。生産上の精神的な諸能力が一方の面ではその規模を拡大するが,それは,多くの面でそれらが失われていくからである。部分労働者たちが失うものは,彼らに対立して資本のうちに集積される。部分労働者たちにたいして,物質的生産過程の精神的な諸能力を,他人の所有として,また彼らを支配する権力として,対立させるということは,マニュファクチュア的分業の一産物である。この分離過程は,単純な協業に始まり,マニュファクチュアにおいて発展し,大工業において完了する。

社会的生産力の増大と労働者の個人的生産力の低下---- 精神的肉体的不具化 ②④~⑩
④ マニュファクチュアでは,全体労働者の,したがってまた資本の,社会的生産力が豊かになることは,労働者の個人的生産力が貧しくなることを条件としている。
 「無知は迷信の母でもあるが,また勤労の母でもある。反省や想像力は誤りに陥りやすい。しかし,手や足を動かす習慣は,そのどちらにも依存していない。だから,マニュファクチュアが最も繁栄するのは,人が最もはなはだしく精神を奪われて,作業場が人間を部分品とする一つの機械とみなされうるようになっている場合である。」(68) A・ファーガソン
⑤ じっさい,18世紀の半ばには,マニュファクチュアのうちには,ある種の単純ではあるが工場の秘密になっているような作業には好んで半白痴を使用したものもあったのである。
⑥「大多数の人間の精神は,必然的に彼らの日常の作業のなかで,またそれによって発達する。わずかばかりの単純な作業をすることに全生涯を費やす人は自分の知力を用いる機会をもたない。彼は,一般に,一人の人間にとって可能なかぎりの愚かで無知なものになる。」-----A・スミス ⑦スミスは続ける。「彼のきまりきった生活の単調さは,当然,彼の精神の元気をも腐らせる。それは彼の肉体のエネルギーさえも破壊し,一つの細部作業に向くように育成された彼を,その作業以外では自分の力を活発に持続的に使うことができないようにする。彼の特殊な職業における彼の技能は,このように,彼の知的な,社会的な,勇敢な資質を犠牲にして得られたように見えるが,しかし,これは,およそ産業の発達した文明の社会では,労働貧民(the labouring poor),すなわち人民の大多数が必然的に陥らざるをえない状態なのである。」
⑧ 分業のために民衆が萎縮してしまうのを防ぐために,A・スミスは国家の手による国民教育を,極小量にかぎってではあるが,推奨している。これにたいして,G・ガルニエは,徹底的に反対している。彼によれば,国民教育は分業の第一の法則に反するものであって,「他のすべての分業と同じに,手の労働と頭の労働との分業も,社会が富んでくるにつれて,ますます明瞭になり決定的になってくる。他のどの分業とも同じに,この分業も過去の進歩の結果であり,将来の進歩の原因である。それなのに,政府がこの分業を妨害し,その自然の進行を阻止してよいものだろうか? 
⑨ ある種の精神的肉体的不具化は,社会全体の分業からさえも不可分である。しかし,マニュファクチュア時代は,このような諸労働部門の社会的分割をさらにいっそう推し進め,他面ではその特有の分業によってはじめて個人をその生命の根源からとらえる。
⑩ 「一人の人を小分けするということは,彼が死罪に値すれば死刑に処し,それに値しなければ暗殺する,ということである。労働の小分けは人民の暗殺である。」D・アーカート(74)「教養ある人間とは,まず第一に,他人のなすことは何でもすることができる人間と解されうる」ヘーゲル

マニュファクチュア的分業の歴史的進歩性と労働に対する資本の支配確立            s.385
⑪ 分業にもとづく協業,すなわちマニュファクチュアは,当初は一つの自然発生的な形成物である。その存在がいくらか堅固さと幅広さとを増してくれば,それは資本主義的生産様式の意識的な,計画的な,組織的な形態になってくる。本来のマニュファクチュアの歴史が示しているように,それに特有な分業は,最初は経験的に,いわば当事者たちの背後で,適当な諸形態をとってゆくのであるが,やがて,同職組合的手工業と同じように,ひとたび見いだされた形態を伝統的に固守しようとするようになる。この形態が変わるとすれば,それは,労働用具の革命の結果にほかならない。
⑫ マニュファクチュア的分業は,手工業的活動の分解,労働用具の専門化,部分労働者の形成,一つの全体機構のなかでの彼らの組分けと組合せによって,いくつもの社会的生産過程の質的編制と量的比例性,つまり一定の社会的労働の組織をつくりだし,同時にまた労働の新たな社会的生産力を発展させる。社会的生産過程の独自な資本主義的形態としては,マニュファクチュア的分業は,ただ,相対的剰余価値を生みだすための,または資本の自己増殖を労働者の犠牲において高めるための,一つの特殊な方法でしかない。それは,労働の社会的生産力を,労働者のためにではなく資本家のために,しかも各個の労働者を不具にすることによって,発展させる。それは,資本が労働を支配するための新たな諸条件を生みだす。したがって,それは,一方では歴史的進歩および社会の経済的形成過程における必然的発展契機として現われ,同時に他方では文明化され洗練された搾取の一方法として現われるのである。
⑬ マニュファクチュア時代にはじめて独自な科学として現われる経済学は,社会的分業一般を,商品を安くし資本の蓄積を速くするための手段として,考察する。このように量と交換価値とを強調するのとはまったく正反対に,古典的古代の著述家たちはただ質と使用価値に固執する。

マニュファクチュアの発達の歴史的制約(障害)                        s.389
    労働者の熟練⑭,労働者の抵抗と無秩序⑭⑮,都市の手工業と農村の家内工業が土台⑯
⑭ 本来のマニュファクチュア時代(マニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配的な形態である時代)には,マニュファクチュア自身の諸傾向の十分な発達は多方面の障害にぶつかる。マニュファクチュアは,労働者の等級制的編制をつくりだすと同時に熟練労働者と不熟練労働者との簡単な区分をつくりだすとはいえ,不熟練労働者の数は,熟練労働者の優勢によって,やはりまだ非常に制限されている。マニュファクチュアは女や子供の生産的搾取を促すとはいえ,このような傾向はだいたいにおいて慣習や男子労働者の抵抗に出会ってくじける。手工業的活動の分解は労働者の養成費を下げ,その価値を下げるとはいえ,いくらかむずかしい細部労働にはやはりかなり長い修業期間が必要であり,また,それがよけいな場合にも,労働者たちによって用心深く固執される。イギリスでは,7年間の修業期間を規定する徒弟法はマニュファクチュア時代の終わりまで完全に効力を保ち,大工業によってはじめて廃棄された。手工業的熟練はマニュファクチュアでも相変わらずその基礎(これを廃棄するのは大工業s.508)であり,マニュファクチュアで機能する全体機構も労働者そのものから独立した客観的な骨組みはもっていないのだから,資本は絶えず労働者の不従順と戦っている。
⑮ マニュファクチュア時代の全体をつうじて,労働者の無規律についての苦情が絶えない。無秩序
「アークライトは秩序を創造した」ユア
⑯ マニュファクチュアは,社会的生産をその全範囲にわたってとらえることも,その根底から変革することもできなかった。マニュファクチュアは,都市の手工業と農村の家内工業という幅広い土台の上に経済的な作品としてそびえ立った。マニュファクチュア自身の狭い技術的基礎は,一定の発展度に達したとき,マニュファクチュア自身によってつくりだされた生産上の諸要求と矛盾するようになった。

機械----手工業的活動の廃棄
⑰ マニュファクチュアの最も完成された姿の一つは,労働用具そのものを生産するための,またことに,すでに充用されていた複雑な機械的装置を生産するための,作業場だった。
⑱ マニュファクチュア的分業のこの産物はまたそれ自身として生み出した――機械を。機械は,社会的生産の規制原理としての手工業的活動を廃棄する。こうして,一方では,労働者を一つの部分機能に一生涯縛りつけておく技術上の根拠は除かれてしまう。他方では,同じ原理がそれまではまだ資本の支配に加えていた制限もなくなる。


[PR]

by shihonron | 2008-05-12 12:50 | レジュメ
2008年 05月 12日

第12章 第4節  のレジュメ

第4節 マニュファクチュア内の分業と社会内の分業
ここまでの考察対象と次の課題
① マニュファクチュアの起源,単純な諸要素,全機構を考察した 。今度は,マニュファクチュア的分業とすべての商品生産の一般的基礎をなす社会的分業とのあいだの関係に,簡単に触れることとする。

一般的分業,特殊的分業,個別的分業
② 労働そのものだけを眼中におくならば,農業,工業などのような大きな類への社会的生産の分割は一般的分業と名づけることができ,種および亜種へのこれらの生産上の類の区分は特殊的分業と名づけることができ,一つの作業場内での分業は個別的分業と名づけることができる。

社会内の分業の相対立する起源
③ 社会内の分業,およびこれに照応する特殊な職業領域への個人の拘束は,マニュファクチュア内の分業と同じく,相対立する〔正反対の〕出発点から発展する。
・生理学的分業が出発点
 一家族(50a)の内部で,さらに発展すると一部族の内部で,自然発生的な分業が,性や年齢の相違に基づいて,すなわち純粋に生理学的な基礎の上で発生するが,この分業は,共同体の拡大,人口の増加,および特に異なる部族間の衝突や一部族による他部族の征服と共に,その材料を拡大する。
・たがいに独立している諸生産領域間の交換によって成立
 前述したように(s.102),異なる諸家族・諸部族・諸共同体が接触する諸地点で,生産物交換が発生する-----というのは,文化の初期には,私的個人ではなく,家族,部族などが自立して相対するからである。異なる共同体は,それぞれの自然環境の中に異なる生産手段や異なる生活手段を見いだす。それゆえ,これら共同体の生産様式,生活様式,および生産物は異なっている。この自然発生的な相違こそが,諸共同体の接触の際に,相互の生産物の交換を,したがってこれら生産物の商品へのゆるやかな転化を,引き起こす。交換は,諸生産部面の相違を作り出すのではなく,異なる生産部面を関係させ,こうしてそれらを,一つの社会的総生産の多かれ少なかれ相互に依存しあう諸部門に転化させるのである。この場合,社会的分業は,本来異なっていてたがいに独立している諸生産領域間の交換によって成立する。
・生理的分業が出発点となっているところでは,直接の結びつきでつくられている一全体の特殊な諸器官が,相互に分解し,分裂し(この分裂過程に対して,他の共同体との商品交換が主要な衝撃を与える),自立化して,異なる労働の関連が商品としての諸生産物の交換によって媒介されるまでになる。以前に自立していたものの非自立化であり,他方の場合には,以前は非自立的であったものの自立化である。
(50a) {第3版への注。その後の研究によって著者の達した結論。本源的には,家族が部族に発達したのではなく,その逆に,部族が,血縁関係に基づく人類社会形成の本源的な自然発生的形態であった。部族的きずなの解体が始まってから,後になってはじめて,いろいろと異なる家族諸形態が発展したのである。F・エンゲルス}

社会内の分業の基礎
④ あらゆる発展した,商品交換によって媒介された,分業の基礎は,都市と農村との分離である。社会の全経済史はこの対立の運動に要約されると言える。(ここでは,この対立については,これ以上立ちいらない)

社会内の分業の物質的前提----人口の大きさとその密度
⑤マニュファクチュア内の分業にとっては,同時に使用される労働者の一定数がその物質的前提をなすのと同じように,社会内の分業にとっては,人口の大きさとその密度とが物質的前提をなす。けれども,この人口密度は相対的なものである。交通手段の発達している相対的に人口の希薄な地方は,交通手段の発達していない人口のより多い地方よりも,緻密な人口を持っている(アメリカ合衆国の北部諸州>インド)。
マニュファクチュア的分業の社会的分業への反作用
⑥ 商品生産および商品流通は,資本主義的生産様式の一般的前提であるから,マニュファクチュア的分業は,すでに一定の発展度に成熟した,社会の内部における分業を必要とする。その反対に,マニュファクチュア的分業は,社会的分業に反作用し,これを発展させ何倍にもする。
 労働諸用具の分化につれて,これらの用具を生産する職業〔Gewerbe 産業,手工業〕がますます分化する。これまで本業または副業として他の諸職業と関連させながら,同じ生産者によって営まれていたある職業が,マニュファクチュア的経営によってとらえられると,ただちに分離と相互の自立化とが生じる。
 また,マニュファクチュア的経営がある商品の一つの特殊な生産段階をとらえると,その商品のさまざまな生産段階がさまざまな独立の職業に転化する。製品が,部分生産物を単に機械的に組み合わせてつくられた全体にすぎない場合,部分労働は,ふたたび自己を独自な諸手工業として自立化しうる。マニュファクチュアの内部で分業をより完全に行うために,同じ生産部門が,その原料の相違に応じて,または同じ原料がとりえる形態の相違に応じて,さまざまな(部分的にはまったく新しい)マニュファクチュアに分割される(18世紀の前半に,フランスだけで,100以上もの違った種類の絹布が織られており,また,アヴィニヨンでは,「各徒弟は,つねにただ一種の製造にのみ専念すべきで,幾種もの織物の織り方を同時に習得してはならない」という法律があった)。
 地域的分業は,特殊な生産諸部門を一国の特殊な地方に縛りつけるのであるが,そうした地域分業も特殊性を利用するマニュファクチュア的経営によって,新たな刺激を与えられる。社会内の分業のための豊富な材料をマニュファクチュア時代に提供するのは,マニュファクチュア時代の一般的存立諸条件の一部をなす世界市場の拡大および植民制度である。社会内の分業は,社会の経済的領域のほかにもあらゆる領域をとらえて,いたるところで専門・専業・人間分割〔専門制度,専門職,人間の細分化〕の発達の基礎をすえる。

社会内における分業と作業場内の分業-----類似および諸関連と本質的相違点
⑦ 社会内における分業と作業場内の分業とのあいだには数多くの類似および諸関連があるにもかかわらず,この両者は,ただ程度が異なるだけでなく,本質的にも異なっている。
 一つの内的なきずながさまざまな事業部門をつなぎ合わせている場合には,類似は,明白で争う余地がないように見える。たとえば,牧畜業者は獣皮を生産し,なめし皮業者は獣皮を革に変え,製靴業者は革を靴に変える。この場合,各人は一つの段階生産物を生産するのであり,最後の完成した姿態は彼らの特殊労働の結合生産物である。これに加えて,牧畜業者,なめし皮業者,製靴業者に生産諸手段を提供する多様な労働諸部門がある。そこでA・スミスと共に,この社会的分業は,ただ主観的に,すなわち観察者にとってのみ,マニュファクチュア的分業と区別されるにすぎず,マニュファクチュア的分業の場合,観察者は多様な部分労働をひと目で空間的に見渡すが,社会的分業の場合には,広い面積にわたって部分労働が分散しており,各特殊部門の従業者が多数であるため,その関連が見えにくくされている,と思いこむこともできる。

相違点 1----生産物が商品として定在                          s.376
★牧畜業者,なめし皮業者,製靴業者の独立した諸労働のあいだに関連を生じさせるものは何か?それは,彼らのそれぞれの生産物が商品として定在していることである。☆マニュファクチュア的分業を特徴づけるものは何か? それは,部分労働者が商品を生産しないということである。★部分労働者たちの共同生産物が,はじめて,商品に転化する(58a 雨傘マニュファクチュア----- "assembled articles"の例)。社会の内部における分業は,さまざまな労働部門の生産物の売買によって媒介されており,☆マニュファクチュアにおける諸部分労働の関連は,同一の資本家にさまざまな労働力が販売され,その資本家がこれらを結合労働力として使用することによって媒介されている。
相違点 2----社会的労働部門のあいだへの商品生産者と彼らの生産手段との配分----偶然と恣意
☆マニュファクチュア的分業は,一人の資本家の手に生産手段が集中されることを想定しており,★社会的分業は,相互に独立した多数の商品生産者たちのあいだに生産諸手段が分散することを想定している。
☆マニュファクチュアにおいては,比例数または比率性の鉄則が一定の労働者群を一定の諸機能のもとに包摂するのに対して,★いろいろな社会的労働部門のあいだへの商品生産者と彼らの生産手段との配分では,偶然と恣意とが多彩な作用をする。たしかに,さまざまな生産領域は,たえず均衡を保とうとしている----すなわち一方で,各商品生産者はある使用価値を生産し,したがってある特殊な社会的欲求を充足しなければならないのであるが,これらの欲求の度合いは量的に相違しており,それで,一つの内的なきずながさまざまな欲求群を一つの自然発生的体系に連結することによって,生産領域の均衡が保たれる。他方では,社会がその処分しうる全労働時間のうち,特殊な商品種類のそれぞれの生産にどれだけ支出しうるかを商品の価値法則が規定するということによって,右の均衡が保たれる。しかし,均衡を保とうとするさまざまな生産領域のこの絶え間ない傾向は,この均衡の絶え間ない破壊に対する反作用としてのみ働く。☆作業場の内部における分業にあっては“前もって a priori ”計画的に守られる規則が,★社会の内部における分業にあっては,内的で無言の,市場価格の晴雨計的変動によって知覚されうる,商品生産者たちの無規則な恣意を圧倒する自然必然性として,ただ“あとから a posteriori ”のみ作用する。
相違点 3----資本家の無条件的な権威と競争の権威
☆マニュファクチュア的分業では,資本家に所属する全機構の単なる分肢をなすにすぎない人々に対する,資本家の無条件的な権威が前提されている。★社会的分業は,独立の商品生産者たちをたがいに対立させるのであるが,彼らは,競争の権威すなわち彼らの相互的利害の圧迫が彼らにおよぼす強制以外に,どのような権威をも認めない。☆マニュファクチュア的分業,細目作業に対する労働者の終生の従属,および資本のもとへの部分労働者たちの無条件的隷属を,労働の生産力を高める労働組織として賛美するその同じブルジョア意識が,社会的生産過程のあらゆる意識的な社会的統御や規制を,個別的資本家の不可侵の所有権,自由,および自律的な「独創性」への侵害として,同じように声高く非難する。工場制度の熱狂的な弁護者たちは,社会的労働のあらゆる一般的組織〔社会的労働を全般的に組織化しようとする動き〕に対して,「いったい,諸君は社会を一つの工場に変えたいというのか?」と金切り声を出す。

以前の社会諸形態ではどうだったか----⑧⑨⑩                        s.377
⑧ 資本主義的生産様式の社会においては,社会的分業の無政府性とマニュファクチュア的分業の専制とが互いに条件になり合うが,これに反し,職業の特殊化が自然発生的に発展し,ついで結晶し,最後に法律的に確定された以前の社会諸形態は,一方では,社会的労働の計画的かつ権威的な組織の姿を示すが,他方では,作業場内の分業をまったく排除するか,または,それをきわめて小規模にしか,もしくは散在的かつ偶然的にしか,発展させない(59)「一般的原則として言えるのは,権威が社会内の分業を支配することが少なければ少ないほど,作業場の内部における分業はますます発達し,それはますます個人の権威に従属させられる,ということである。したがって,作業場における権威と社会における権威は,分業に関する限り,たがいに逆比例する」『哲学の貧困』
インド的共同体
⑨ たとえば,太古的な小さいインド的共同体は,土地の共同所有と,農業と手工業との直接的結合と固定的分業を基礎としている。この共同体は,自給自足的な総生産体をなしており,その生産地域は,100エーカーから数千エーカーにいたるまでさまざまである。生産物の大部分は,共同体の直接の自家需要のために生産され,商品として生産されるのではなく,したがって生産そのものは,商品交換によって媒介されるインド社会の分業全体から独立している。インドでは,最も単純な形態では,共同体が土地を共同で耕作し,その生産物を成員のあいだに分配するが,他方,各家族は,家内的副業として糸をつむぎ,布を織るなどの仕事をしている。
 これらの同じような仕事をしている民衆のほかに,一人で裁判官と警察官と徴税官とを兼ねる「首長」,記帳係,犯罪者を訴追したり,外来の旅行者を保護して一つの村から他の村に案内したりする第三の役人,境界監視人,水番,バラモン,教師,暦バラモン,鍛冶屋と大工,陶工,理容師,洗濯師,銀細工師がいる。これら一ダースほどの人々は,共同体全体の費用で養われる。この共同体の機構は計画的分業を示してはいるが,そのマニュファクチュア的分業は不可能である。というのは,鍛冶屋や陶工が一人でなく二人か三人いるといったぐらいのものだからである。共同体の分業を規制する法則は,ここでは,自然法則の犯すべからざる権威をもって作用するのであるが,他方,鍛冶屋などのような特殊な手工業者はいずれも,伝統的な仕方に従いながらも,自立して,自分の作業場では何らの権威をも認めないで,自分の専門に属するすべての作業を行う。
 これらの自給自足的共同体の単純な生産有機体は,アジア諸国家の絶え間のない崩壊と再建ならびに絶え間のない王朝交替と著しい対照をなしているアジア諸社会の不変性の秘密を解く鍵を提供する。社会の経済的基本要素の構造は,政治的雲界の嵐によって影響されないのである。
ギルド
⑩ 同職組合の諸規則は,個々の同職組合親方が使用してもよい職人の数をきわめて強く制限することによって,親方が資本家に転化することを計画的にさまたげた。同じように,親方は,彼自身が親方をしている専門の手工業においてしか職人を使用することができなかった。同職組合は,それに対立していた唯一の自由な資本形態である商人資本のあらゆる侵害を油断なく防いだ。商人は,どんな商品をも買うことができたが,商品としての労働だけは買うことができなかった。商人は,手工業諸生産物の売りさばき人として容認されただけであった。同職組合組織は,その職業の特殊化,分立化,および完成がどんなにマニュファクチュア時代の物質的存在諸条件の一部になるとはいっても,マニュファクチュア的分業を排除した。労働者と彼の生産諸手段とは相互に結合されたままであり,労働者に対立する資本としての生産諸手段の自立化が,欠けていた。

マニュファクチュア的分業は,資本主義的生産様式のまったく特有な創造物
⑪ 一社会全体の中での分業は,商品交換によって媒介されていてもいなくても,きわめてさまざまな経済的社会構成体に存在するのであるが,マニュファクチュア的分業は,資本主義的生産様式のまったく特有な創造物である。


[PR]

by shihonron | 2008-05-12 12:40 | レジュメ
2008年 05月 07日

第100回 5月7日 第12章 マニュファクチュア

5月7日に第100回学習会を行いました。
レジュメに基づく報告を受け、「第12章 マニュファクチュア」の「第3節 マニュファクチュアの二つの基本形態」から「第4節 マニュファクチュア内の分業と社会内の分業」の第5段落までを議論しました。


[PR]

by shihonron | 2008-05-07 23:00 | 学習会の報告
2008年 05月 06日

第3節 マニュファクチュアの二つの基本形態 のレジュメ

第3節 マニュファクチュアの二つの基本形態    s.362
            -----異種的マニュファクチュアと有機的マニュファクチュア
二つの基本形態
① マニュファクチュアの編成には,二つの基本形態があり,それらは,時にはからみ合っているが,本質的に異なる二つの種類をなしており,とりわけ,後でマニュファクチュアが機械経営の大工業に転化する際に,まったく異なる役割を演じる。この二重性は,製品そのものの性質から生じる。この製品は,
・〔第一種〕独立した部分諸生産物を単に機械的に組み合わせることによって形成されるか
・〔第二種〕一系列の関係する諸過程および諸操作によってその完成した姿態が得られるか

異種的マニュファクチュア-----時計の例
② 機関車は,5000以上の独立した諸部分から成り立っている。けれども,機関車は,大工業の製作物であるから,本来のマニュファクチュアの第一の種類の実例として扱うわけにはいかない。
時計は,ニュルンベルクの一人の手工業者による個人的製品から,無数(約30種例示)の部分労働者たちの社会的生産物に転化した。最後に,時計全体を組み立ててそれを動くようにして引き渡す仕上げ検査工。時計の部品で,いくつかの手を経て出来上がるものはほとんど無く,これらばらばらな四肢の各部はやがて,一つの手によって,一つの機械に組み上げられるである。完成生産物とそのさまざまな種類の諸要素とのこうした外的な関係は,部分労働者たちを同じ作業場で結合させることを偶然的なものにする。それらの部分労働は,一方では,たがいに独立した手工業として営まれうるが,他方,大規模な時計マニュファクチュアが存在している(すなわち,一つの資本の指揮のもとに部分労働者たちの直接的協業が行われている)。この場合,結合されたマニュファクチュア的経営は,例外的な諸関係のもとでのみ,有利である。なぜなら,自宅で作業したがる労働者たちのあいだで競争が最も激しいから・生産が多くの異種的過程に分裂しているため,共通の労働手段を使うことはほとんど無いから・また,資本家は,この分散した製造においては,作業用建物などに投資する必要がないからである。それでも,自宅においてではあるが一人の資本家(製造業者,企業家)のために労働するこれらの細部労働者の地位も,自分自身の顧客のために労働する自立した手工業者の地位とはまったく異なる(33)。-----時計製造業,すなわち異種的マニュファクチュアのこの典型的実例においては,手工業的活動の分解から生じる前述の労働諸用具の分化と特殊化を,きわめて正確に研究することができる。

有機的マニュファクチュア-----縫針マニュファクチュアの例,第1節----④
③ 第二種のマニュファクチュア,すなわちマニュファクチュアの完成された形態は,相関連する発展諸局面,すなわち一連の段階的諸過程を通過する製品を生産する。たとえば,縫針マニュファクチュアにおける針金は,72種から92種もの特別な部分労働者たちの手を通過する。
生産力の増大とマニュファクチュアの原理に内在する限界性
④ このようなマニュファクチュアが,もともと分散していた諸手工業を統合する限り,それは,製品の個別的な生産諸局面のあいだの空間的分離を少なくする。製品が一つの段階から他の段階に移行する時間が短縮され,これらの移行を媒介する労働も同様に短縮される。こうして,生産力が増大する。しかもこの増大は,マニュファクチュアの一般的〔普遍的〕な協業的性格から生じるのである。
・他方,マニュファクチュアの独特な分業の原理は,さまざまな生産諸局面の分立化を生じさせ,それらは,同じ数の手工業的な部分労働として相互に自立化したものとなる。分立化させられた諸機能のあいだの関連を確立し維持するには,製品を一つの手から別の手に,また一つの過程から別の過程にたえず運ぶ必要が生じる。このことは,大工業の立場からすれば,特徴的な,費用のかかる,マニュファクチュアの原理に内在する,限界性として現れる。

諸過程の時間的継起と空間的並存(同時性)
⑤ 原料は,さまざまな部分労働者たちの手で生産諸局面を時間的に次々に通過し,その最終姿態に達している。これに反して,その作業場を一つの全体機構として見るならば,原料は,そのすべての生産諸局面に同時にそろって存在している。統合された細部労働者たちから成り立っている全体労働者は,用具で装備されたたくさんの手の一部分で針金を延ばし,同時に他方ではほかの手と道具で針金をまっすぐにし,さらにほかの手と道具で針金を切り,とがらせるなどの働きをする。さまざまな段階的諸過程が,時間的継起から,空間的並存に転化されている。それゆえ,同じ時間内により多くの完成商品が供給される。
 その同時性は,たしかに総過程の一般的な協業的形態から生じるのであるが,しかし,マニュファクチュアは,部分的には手工業的活動を分解することによってはじめて,協業の諸条件を創造する。他面,マニュファクチュアは,同じ労働者を同じ細目に縛りつけることによってのみ,労働過程のこの社会的組織を作り上げる。

マニュファクチュアの全機構は労働の連続性,画一性,規則性,秩序,労働の強度を,生みだす
⑥ 各部分労働者の部分生産物は,同時に,同じ製品の特殊な発展段階にすぎないのであるから,一人の労働者(一つの労働者群)は他の労働者(他の労働者群)に,彼らの原料を供給する。一方の労働成果は,他方の労働の出発点をなす(一方の労働者は,直接に他方の労働者に仕事を与える)。マニュファクチュアの全機構は,与えられた労働時間内に与えられた成果が達成されるという前提に立っている。この前提のもとでのみ,相互に補完しあうさまざまな労働過程が,中断することなく,同時にかつ空間的に並行して,続行できるのである。労働相互の,したがって労働者相互のこの直接的依存は,各個人に対し自分の機能に必要な時間だけを費やすよう強制するのであり,そのため,独立の手工業の場合とは,または単純な協業の場合とさえも,まったく異なる労働の連続性,画一性,規則性,秩序,とりわけ労働の強度までもが,生みだされる。一商品に対し,その生産のために社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは,商品生産一般にあっては,競争の外的強制として現れる。なぜなら,表面的な言い方をすれば,個々の生産者はいずれも商品をその市場価格で売らなければならないからである。これに反して,マニュファクチュアでは,与えられた労働時間内に与えられた量の生産物を供給することが,生産過程そのものの技術的法則となる。

それぞれの特殊機能を果たす諸器官(諸労働者群)の量的な度合い
⑦ 異なる諸作業が必要とする時間の長さはたがいに等しくなく,したがって,等しい時間内に等しくない量の部分生産物が供給される。したがって,もし同じ労働者が毎日同じ作業だけをたえず行うとすれば,色々な作業に対し,それぞれ異なる比例数の労働者が使用されなければならない。ここでは,多数の人たちが同時に就業し同種のことを行うという,最も単純な形態における協業の原理が復活する-----ただし,今や一つの有機的関係を表現するものとして。マニュファクチュア的分業は,社会的労働過程の質的編制と共に,その量的な規則および比例性をも発展させる。
生産規模の拡大と監督労働,運搬
⑧ 一定の生産規模に対し,さまざまな部分労働者群の最も適当な比例数が経験的に確定されているならば,この生産規模は,それぞれの特殊な労働者群の倍数を使用することによってのみ拡張されうる。それに加えて,同じ個人が,特定の労働を,大規模の場合にも小規模の場合と同じように行うということもある。たとえば,監督労働,一つの生産局面から他の生産局面への部分生産物の運搬,などがそうである。したがって,これらの諸機能が自立すること,またそれらが特殊な労働者に割り当てられることは,就業労働者数の増大と結びついてはじめて有利になる。

同じ部分機能を行う何人かの労働者の一団(全体機構の一つの特殊な器官,一つの編制された労働体)
⑨ 同じ部分機能を行う何人かの労働者の一団は,同質な諸要素から成り立っており,全体機構の一つの特殊な器官を形成する。けれども,さまざまなマニュファクチュアでは,この群そのものが一つの編制された労働体であり,他方,全体機構は,これらの生産上の基本的有機体の重複または倍加によって形成される。
・ガラスびんのマニュファクチュア-----三つの本質的に異なる局面に分かれる。第一は,ガラス調合の準備,砂や石灰などの混合,およびこの調合物を液体状ガラスだねに溶融するといった準備段階。ガラスびんの乾燥窯(ガマ)からの取り出し,その分類,荷造りなどといった最終局面。
 この二つの局面の中間に,本来のガラス製造,すなわち液体状ガラスだねの加工がある。一つのガラス窯の同じ口のところで一つの群が労働している。五人の部分労働者は,単一の労働体の五つの特殊器官を形成しており,この労働体は,ただ統一体としてのみ,すなわち五つの特殊器官の直接的協業によってのみ,機能を果たしうる。もし五つの部分からなる労働体の一つの部分が欠けると,この労働体は麻痺してしまう。同じガラス窯は,たとえばイギリスでは四つないし六つの口を持っていて,それぞれのところで同じ五つの部分から編制された形態のそれぞれに固有の一労働者群が就業している。ここでは,個々の群の編制はそれぞれ直接に分業に基づいており,他方,同種の群のいくつかを結ぶきずなは,生産諸手段の一つ(ここではガラス窯)を,共同の消費によってより経済的に利用する単純協業である。四つないし六つの労働者群を持つこのようなガラス窯は,一つのガラス作業場をなしており,一つのガラス・マニュファクチュアは,多数のこのようなガラス作業場ならびに準備的および最終的な生産局面のための設備,さらに労働者をかかえこんでいる。
さまざまなマニュファクチュアの結合
⑩ 最後に,マニュファクチュアは,その一部がさまざまな手工業の結合から生じるように,さまざまなマニュファクチュアの結合に発展することがありえる。たとえば,生産手段のマニュファクチュアが,生産物のマニュファクチュアと結合される。反対に,生産物のマニュファクチュアが,この生産物そのものをふたたび原料として用いるマニュファクチュアか,あるいは後でそれを自己の生産物と一体のものにするマニュファクチュアと結合されることもありえる。たとえば,フリント・ガラスのマニュファクチュア。さまざまな結合されたマニュファクチュアは,一つの全体マニュファクチュアの多かれ少なかれ空間的に分離された諸部門を形成しているが,それらは同時に,それぞれが固有の分業を持つ相互に独立した生産諸過程を形成している。この結合されたマニュファクチュアは,多くの利点をもたらすけれども,それ自身としては,なんら実際の技術上の統一体ではない。技術上の統一体は,結合されたマニュファクチュアが機械的経営に転化する時にはじめて生じる。
機械の使用-----散在的,脇役
⑪ マニュファクチュア時代は,商品生産に必要な労働時間の短縮を,やがて意識的な原理として表明するのであるが,それはまた,機械の使用をも散在的に発展させる-----特に,大きな力を用いて大規模に行われるべきある種の単純な準備的諸過程のために機械が使用される。紙マニュファクチュアでのぼろきれの製紙用粉砕機。冶金業での鉱石砕鉱機。あらゆる機械設備の要素形態を,ローマ帝国は水車の形で伝えていた。手工業時代は,羅針盤,火薬,印刷術,および自動時計という偉大な発明を遺産として残した。けれども,機械設備はだいたいのところ,A・スミスが見ているとおり,分業に比べて脇役程度であった。機械設備の散在的使用は,17世紀にきわめて重要となったが,それは,この機械設備が当時の大数学者たちに近代力学を作り出すための実際の手がかりと刺激とを与えたからである。
(44) A・スミスは,分業について新しい命題をただの一つも打ち立てなかった。しかし,彼をマニュファクチュア時代の包括的な経済学者として特徴づけるものは,彼が分業を強調したことである。またA・スミスは,用具の細分化と機械の発明と混同している。機械の発明に役割を果たしているのは,マニュファクチュア労働者たちではなく,学者たち,手工業者たちであり,農民たちなどでもある。
全体〔集団〕労働者と部分労働者
⑫ マニュファクチュア時代の特有な機械 Maschinerie〔機械装置,機構〕は,依然として,多数の部分労働者の結合された全体〔集団〕労働者 kombinierte Gesamtarbeiter そのものである。さまざまな作業がある商品の生産者によって次々に行われ,彼の労働過程の全体の中でからみ合っているのであるが,これらの作業は,彼にさまざまなことを要求する。彼は,ある作業ではより多くの力を,他の作業ではより多くの熟練を,第三の作業ではより多くの精神的な注意力などを発揮しなければならず,しかも同じ個人がこれらの諸特質を同じ程度に持っているものではない。さまざまな諸作業が分離され,自立化され,分立化されたのち,労働者たちは,その比較的すぐれた特性に応じて,分割され,分類〔級別〕され,群別される。マニュファクチュアは,生来一面的な特殊機能にしか適さない諸労働力を発達させる。いまでは全体労働者は,あらゆる生産的属性を同じ程度の技巧でもっており,それらを同時に最も経済的に支出することになる。というのは全体労働者は,特殊な労働者または労働者群に個別化されている彼のすべての器官を,もっぱらその特有な諸機能を果たすために使用するからである。部分労働者の一面性が,またその不完全性さえもが,彼が全体労働者の分肢となる場合,完全性となる(46) たとえば,一面的な筋肉の発達,骨の彎曲など。習慣としてある一面的機能を営むことにより,部分労働者は,この機能の自然に確実に作動する器官に転化させられ,他方,全機構の関連により,部分労働者は機械の一部分のような規則正しさで作業するように強制される(47)「彼らは,仕事を怠けることなどとてもできません。一度仕事にかかったら,それを続けなければなりません。彼らは,ちょうど機械の部分と同じです」。
個別的諸労働力の等級制(それに労賃の等級が対応)
⑬ 全体労働者のさまざまな機能は,単純なものや複雑なもの,低級なものや高級なものがあるので,その諸器官すなわち個別的諸労働力は,まったく程度の違う訓練を必要とし,したがって,まったく違う価値を持つ。したがってマニュファクチュアは,諸労働力の等級制を発展させ,それに労賃の等級が対応する。一方では,個別的労働者が一つの一面的機能に同化させられ生涯それに従属させられるとすれば,それと同じように,さまざまな作業が先天的および後天的技能のあの等級制に適合させられる。しかし,どの生産過程も,どのような人間でもできるある種の単純な仕事を必要とする。

熟練労働者と非熟練労働者,修業費の減少⇒労働力の価値低下・剰余労働の増大
⑭ マニュファクチュアは,いわゆる非熟練労働者の一階層を生みだす。マニュファクチュアが全体的な労働能力を犠牲にして,まったく一面化された専門を優れた技能にまで発達させるとすれば,それはまた,あらゆる発達の欠如さえも,一つの専門とする。等級制的段階とならんで,労働者が熟練労働者と非熟練労働者とに単純に区分される。
 後者にとっては修業費はまったく不必要になり,前者にとっては,機能の単純化により,手工業の場合にくらべて修業費は減少する。どちらの場合にも,労働力の価値は低下する(その例外が生じるのは,労働過程の分解が新しい包括的な諸機能を生みだし,しかもこれらの機能が手工業経営では全然見られなかったか,または限られた程度でしか見られなかったような場合である)。修業費が不必要になるか,または減少することから,労働力の相対的な価値減少が生じるが,これは資本のより高い価値増殖を直接に含んでいる。なぜなら,剰余労働の領分を延長するからである。


[PR]

by shihonron | 2008-05-06 12:40 | レジュメ