『資本論』を読む会の報告

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2009年 08月 25日

第157回 8月25日 第3章 第2節 流通手段 b 貨幣の流通

 8月25日(火)に第157回の学習会を行いました。「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 b 貨幣の流通」の第1段落から最後(第16段落)をIGさんの報告をもとに検討しました。
 以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

資本論 第1部 第3章 貨幣または商品流通   
第2節 流通手段
 Zirkulationsmittel   
b 貨幣の流通  Der Umlauf des Geldes    The currency of money

・Translator's note. This word is here used in its original signification of the course or track pursued by money as it changes from hand to hand, a course which essentially differs from circulation.       Zirkulation

■〔* 英語版編集者の注・・この言葉〔currency ドイツ語原文では Umlauf〕は、ここでは、そのもとの意味、すなわち貨幣が手から手に渡る時に貨幣がたどる過程または経路という意味で使われており、流通〔circulation〕とは本質的にちがう過程である〕
〔なお、第3章「貨幣または商品流通」や同章第2節「流通手段」の表題などにあるのは『流通』(Zirkulation)である。〕(電子テキスト版編集者による注記)

●報告では「流通」や「通流」と訳されているドイツ語「Umlauf」(英語版では「currency」)には「這いまわる」とか「ぐるっと回る」という意味があることが紹介されました。

■Um・lauf  [mlfウム・ラオフ](男性名詞)
〔(単数の2格)‐[e]s/(複数の1・2・4格)..läufe(複数の3格)..läufen〕
【1】〔複数なし〕回転,円運動;(天体の)公転;(血液などの)循環
  der Umlauf der Erde um die Sonne太陽を回る地球の公転
【2】〔複数なし〕流通,流布
  in(またはim)Umlauf sein(話などが)広まっている;(貨幣などが)流通している
  in Umlauf kommen広まる,流通する
  eine neue Methode in Umlauf bringen(またはsetzen)新しい方法を広める;流通させる
  alte Geldscheine aus dem Umlauf ziehen旧札の流通をやめる
【3】回覧[文],回状
【4】(医学)疽(ひようそ)  (アクセス独和辞典より)

■Zir・ku・la・ti・on [ツィルクラツィオーン](女性名詞)
〔(単数の2格)‐/(複数の1格)‐en〕
【1】(空気などの)循環;(貨幣などの)流通
【2】〔複数なし〕(医学)(血液の)循環   (アクセス独和辞典より)

■cur・ren・cy 
  ━━ n. 流通, 通用, 流布(るふ); 通貨, 紙幣; 声価. (エクシード英和辞典)

■ cìr・cu・lá・tion
  ━━ n. 循環; 流通; 配布; 発行部数; 売れ行き; 通貨; (うわさなどの)流布, 伝播(でんぱ)
  (エクシード英和辞典より )

■ 【流通】(名)スル
   (1)滞ることなく、流れ通じること。「空気の―をよくする」
   (2)広く世間に通用すること。「その言葉はまだ世間に―していない」
   (3)貨幣・商品などが市場で移動すること。特に、商品が生産者から消費者まで移動すること。    「現在―している貨幣」「―機構」         (大辞林 第二版より)

■新日本出版社版では「貨幣の通流」と訳されている。


第1段落 
労働生産物の物質代謝=形態変換 W―G―W
1)同じ価値が商品として過程の出発点をなし,商品として同じ点に帰ってくる⇒このような商品の運動は循環である。

2)この同じ形態は貨幣の循環を排除する⇒貨幣がその出発点から絶えず遠ざかる。
・商品流通によって貨幣に直接に与えられる運動形態は,貨幣が絶えず出発点から遠ざかること,貨幣が或る商品所持者の手から別の商品所持者の手に進んで行くこと,または貨幣の流通である。

第2段落 
商品はいつでも売り手の側
貨幣はいつでも購買手段として買い手の側

・貨幣は商品の価格を実現することによって,購買手段として機能する。貨幣は,商品の価格を実現しながら,商品を売り手から買い手に移す。このような貨幣運動の一面的な形態が商品の二面的な形態運動から生ずるということは,おおい隠されている。

・商品の第一の変態は,ただ貨幣の運動としてだけではなく,商品自身の運動としても目に見える。   第二の変態はただ貨幣の運動としてしか見えないのである。

・流通の後半を,商品はもはやそれ自身の自然の皮をつけてではなく金の皮をつけて通り抜ける。運動の連続性はまったく貨幣の側にかかってくる。商品流通の結果,すなわち別の商品による商品の取り替えは,商品自身の形態変換によってではなく,流通手段としての貨幣の機能によって媒介されるように見え,この貨幣が,それ自体としては運動しない商品を流通させ,商品を,それが非使用価値であるところの手から,それが使用価値であるところの手へと移して行くというように見える。貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに,逆に商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみ現われる。

★「貨幣運動の一面的な形態」とは G―W のことであり、「商品の二面的な形態運動」とは W―G と G―W のことである。

●「貨幣の購買手段としての機能について語ることは正しいのか」との疑問が出され、「貨幣が購買手段として機能するというのは、商品の形態変換の現れ(現象)としてとらえることが大切だが、それを踏まえた上で貨幣の購買手段あるいは流通手段という機能について語ることはできるのではないか」という発言がありました。また「貨幣が購買手段として機能するというのは、一般的等価物が直接的交換可能性の形態にあり、その力を発揮するということにほかならないが、それは他のすべての商品が一般的等価物とされる商品の使用価値で自分たちの価値を表現するからだ。金は、一般的等価物あるいは貨幣という形態規定を受けとることでそのような力を持つようになる」との発言がありました。

●「交換過程論では流通手段という言葉は出てきていなかったのだろうか」との疑問が出され、調べることになりました。調べた結果、流通手段という言葉は第3章第2節の表題ではじめて登場していることが確認されました。

●「流通手段と購買手段とはどんな関係にあるのか」との疑問が出され、今後の課題となりました。

★W―G―W のGについて「商品の価値姿態または貨幣仮面」と述べている。

■《貨幣の流通は、同じ過程の不断の繰り返しとして現われる。すなわち、買い手の手の中にある貨幣が、いつでも、売り手の手にある商品にたいして、この商品を購買する手段として登場し、商品の価格を実現するのである。ここでは貨幣は、商品の価格を実現することによって商品を購買する手段、つまり購買手段として機能するのである。貨幣は購買手段としての機能を果たしながら、商品所持者の手を次々に移っていくことを不断に繰り返している。(前出第11図)
 すでに見たように、このような貨幣の運動は、商品の二面的な運動、すなわちW―GおよびG―Wという形態運動から生じるものであった。貨幣が流通手段の機能をもつのは、貨幣が諸商品の価値の自立化したものであり、諸商品の価値姿態だからであった。だから、流通手段としての運動は、実際には、商品自身の形態運動でしかない。前出の第13図における貨幣の運動を見れば明らかなように、同じ貨幣片が場所を変える運動のひんぱんな繰り返しに反映しているのは、商品世界における無数の商品の絡み合いなのである。
 ところが、商品流通そのものの本性がこれと反対の外観を生みだし、このことを覆い隠してしまうのである。商品の第2の変態は、商品がすでに商品形態を脱ぎ捨てて貨幣という価値姿態をとって行なわれる。しかも、商品はそれにたいする欲求をもつ貨幣所持者を見いだすことができてはじめて貨幣に転化できるのであるが、貨幣という価値姿態にある商品は、どの商品にもただちに転化することができる。そこで、運動の連続性はまったく貨幣の側にかかってくる。その結果、一方での販売と他方での購買とからなる商品所持者間の取引は、貨幣の側からの、貨幣所持者の側からのイニシアチヴだけによって生じるものであるかのように見えることになる。あるWが他のWと入れ替わる物質代謝は、商品自身の形態変換によって行なわれるのに、あたかも購買手段としての貨幣の機能によって媒介されるように見える。購買手段としての貨幣が、自分では運動できない商品を流通させるように見えるのである。こうして貨幣運動は、ただ商品流通の表現でしかないのに、逆に、商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみ表れるのである。》(大谷禎之介「貨幣の機能」269-270頁 同前)


第3段落
・貨幣に流通手段の機能が属するのは,貨幣が諸商品の価値の独立化されたものであるから。流通手段としての貨幣の運動は,実際は,ただ商品自身の形態運動でしかない。
・この形態運動は感覚的にも貨幣の流通に反映しなければならない。同じ商品の二つの反対の形態変換は,反対の方向への貨幣の二度の場所変換に反映する。

■フランス語版の当該箇所は以下のように書かれている。
《他方、貨幣が流通手段として機能するのは、それが商品の実現された価値形態であるがためでしかない。だから貨幣の運動は、実際は、商品自体の形態運動でしかない。したがってこの形態運動は、貨幣の流通のうちに反映されるはずであるし、また、貨幣の流通において手で触れることができるようになるはずである。事実そういうことも起こるのだ。たとえば、リンネルはまずその商品形態を貨幣形態に変える。リンネルの第一変態(M―A)の最後の項である貨幣形態は、リンネルの最終形態の、日用商品である聖書への再変換(A―M)の、最初の項である。だが、これらの形態変換のどれも、商品と貨幣との交換によって、すなわち、それら相互の位置変換によって果たされる。同じ金貨が第一幕ではリンネルと位置を変え、第二幕では聖書と位置を変える。金貨は二度位置を変える。リンネルの第一変態は金貨を織職のポケットに入りこませ、第二変態は金貨を彼のポケットから出させる。したがって、同じ商品が受ける二つの逆の形態変換は、反対方向への同じ貨幣片の二重の位置変換のうちに反映されるのである。》(『フランス語版資本論 上巻』江夏美千穂・上杉聰彦訳 法政大学出版会 96頁)

★貨幣は、商品価格を実現する。そして、貨幣は商品の絶対的に譲渡可能な姿(価値として通用するもの)である。商品形態は、その価値を観念的な貨幣で(価格として)表現してはいるが、そのままで価値として通用する(妥当する)ことはできない。商品は他商品に対する直接的交換可能性の形態にはなく、絶対的に譲渡可能ではない。

第4段落
・ただ一面的な商品変態,単なる売りか単なる買いかのどちらかが行なわれるとすれば,同じ貨幣はやはり一度だけ場所を替える。同じ貨幣片の場所変換のひんぱんな繰り返しには,商品世界一般の無数の変態のからみ合いが反映している。(これらのことは,ただ単純な商品流通のここで考察された形態にあてはまるだけである。)

●「単純な商品流通のここで考察された形態」とは何かという疑問が出され、「あとで出てくる資本としての貨幣の流通形態 G―W―G′ではなく、特定の使用価値を入手することを目的とする W―G―W のことではないか」という意見が出されました。

第5段落
・貨幣は流通手段としてはいつでも流通部面に住んでおり,絶えずそのなかを駆けまわっている。そこで,この部面はつねにどれだけの貨幣を吸収するか,という問題が生ずる。

第6段落
・商品は,その価格において,すでに決定された想像された貨幣量に等置されている。
ここで考察されている直接的流通形態----商品世界の流通過程のために必要な流通手段の量は,諸商品の価格総額によって規定されている。

・商品の価値が変わらない場合には,商品の価格は,金(貨幣材料)そのものの価値といっしょに変動し,金の価値が下がればそれに比例して上がり,金の価値が上がればそれに比例して下がる。こうして諸商品の価格総額が上がるか下がるかするにしたがって,流通する貨幣の量も同じように増すか減るかしなければならない。-----この場合には流通手段の量の変動はたしかに貨幣そのものから生ずるのではあるが,しかし,流通手段としての貨幣の機能からではなく,価値尺度としての機能から生ずるのである。諸商品の価格がまず貨幣の価値に反比例して変動し,それから流通手段の量が諸商品の価格に正比例して変動するのである。

・これとまったく同じ現象は,銀が価値尺度としての金にとって代わる場合とか,金が銀を価値尺度の機能から追い出すような場合にも,起きるであろう。どちらの場合にも,まず貨幣材料の価値,すなわち価値の尺度として機能する商品の価値が変動し,そのために商品価値の価格表現が変動し,またそのためにこれらの価格の実現に役だつ流通する貨幣の量が変動する。

・いま,たとえば価値尺度そのものの価値が下がるとすれば,それは,まず第一に,貴金属の生産源で商品としての貴金属と直接に交換される諸商品の価格変動に現われる。諸商品の金価格または銀価格は,しだいに,それらの価値そのものによって規定された割合で調整されて行って,ついにはすべての商品価値が貨幣金属の新たな価値に応じて評価されるようになるのである。このような調整過程は,直接に貴金属と交換される諸商品に代わって流入する貴金属の継続的な増大を伴う。金属の価値によって諸商品の価値が評価されるようになるにつれて,それと同じ程度に,諸商品の価値の実現に必要な金属の増加量もすでに存在しているのである。

・新たな金銀産源の発見に続いて起きた諸事実の一面的な考察は,一七世紀およびことに一八世紀には,商品価格が上がったのはより多くの金銀が流通手段として機能したからだというまちがった結論に到達させた。以下では金の価値は与えられたものとして前提されるが,実際にもそれは価格評価の瞬間には与えられているのである。

●「ここで考察されている直接的流通形態」とはなにかが問題になり、現金売買のことだろうという結論になりました。

第7段落
それぞれの商品種類の価格を与えられたものとして前提すれば,諸商品の価格総額は,明らかに,流通のなかにある商品量によって定まる。

第8段落
商品量を与えられたものとして前提すれば,流通する貨幣の量は,諸商品の価格変動につれて増減する。商品の価格変動に反映するものが,現実の価値変動であろうと,単なる市場価格の変動であろうと,流通手段の量への影響は同じことである。

第9段落
・同じ貨幣片が繰り返す場所変換は,商品の二重の形態変換,二つの反対の流通段階を通る商品の運動を表わしており,またいろいろな商品の変態のからみ合いを表わしている。この過程が通る対立していて互いに補いあう諸段階は,空間的に並んで現われることはできないのであって,ただ時間的にあいついで現われることができるだけである。

・諸商品の価格総額/同名の貨幣片の流通回数=流通手段として機能する貨幣の量。
この法則は一般的に妥当する。与えられた期間における一国の流通過程は,一方では,同じ貨幣片がただ一度だけ場所を替え,ただ一回流通するだけの,多くの分散した,同時的な,空間的に並行する売り(または買い)すなわち部分変態を含んでいるが,他方では,同じ貨幣片が多かれ少なかれ何回もの流通を行なうような,あるいは並行し,あるいはからみ合う,多かれ少なかれいくつもの環から成っている変態列を含んでいる。
・流通しつつあるすべての同名の貨幣片の総流通回数からは,各個の貨幣片の平均流通回数または貨幣流通の平均速度がでてくる。一方の貨幣片がその流通速度を速めれば,他方の貨幣片の流通速度が鈍くなるか,または,その貨幣片はまったく流通部面から飛び出てしまう。

・それゆえ,貨幣片の流通回教が増せば,その流通量は減るのであり,貨幣片の流通回数が減れば,その量は増すのである。流通手段として機能しうる貨幣量は,平均速度が与えられていれば与えられているのだから,たとえば一定量の一ポンド券を流通に投げこみさえすれば,同じ量のソヴリン貨をそこから投げだすことができるのである。これは,すべての銀行がよく心得ている芸当である。

●「流通手段として機能する貨幣の量を問題にする際には、一定の期間を定める必要があるのではないか。流通回数は1日とか1週間とかという一定の期間を前提にしている。」との発言がありました。

第10段落
・貨幣流通では一般にただ諸商品の流通過程が,すなわち反対の諸変態をつうじての諸商品の循環が,現われるだけである。

・同様に,貨幣流通の速さに現われるものも,商品の形態変換の速さ,諸変態列の連続的なかみ合い,物質代謝の速さ,流通過程からの諸商品の消失の速さ,そしてまた新たな諸商品の入れ替わりの速さである。つまり,売りと買いという両過程の,流動的な統一が現われる。

・逆に,貨幣流通の緩慢化には,これらの過程の分離と対立的な独立化,形態変換したがってまた物質代謝の停滞が現われる。この停滞がどこから生ずるかは,もちろん,流通そのものを見てもわからない。流通は,ただ現象そのものを示すだけである。

・通俗的な見解は,貨幣流通が緩慢になるにつれて流通部面のあらゆる点で貨幣が現われては消える回数が少なくなるのを見るのであるが,このような見解がこの現象を流通手段の量の不足から説明しようとするのは,いかにもありそうなことである。

第11段落
要するに,それぞれの期間に流通手段として機能する貨幣の総量は,一方では,流通する商品世界の価格総額によって,他方では,商品世界の対立的な流通過程の流れの緩急によって,規定されているのである。そして,この価格総額の何分の一が同じ貨幣片によって実現されうるかは,この流れの緩急によって定まるのである。また,諸商品の価格総額は,各商品種類の量と価格との両方によって定まる。ところが,この三つの要因,つまり価格の運動と流通商品量とそして最後に貨幣の流通速度とは,違った方向に,違った割合で変動することができる。したがって,実現されるべき価格総額も,したがってそれによって制約される流通手段の量も,非常に多くの組み合わせの結果でありうるのである。ここでは,ただ商品価格の歴史上最も重要なものだけをあけておこう。

第12段落
商品価格が変わらない場合には,流通手段の量が増大しうるのは,流通商品量が増加するからであるか,または貨幣の流通速度が下がるからであるか,または両方がいっしょに作用するからである。逆に,流通手段の量は,商品量の減少または流通速度の増大につれて減少することがありうる。

第13段落
商品価格が一般的に上昇する場合,流通手段の量が不変でありうるのは,商品価格が上がるのと同じ割合で流通商品量が減少する場合か,または流通商品量は変わらないが,価格の上昇と同じ速さで貨幣の流通速度が増す場合かである。流通手段の量が減少しうるのは,商品量が価格上昇よりも遠く減少するか,または流通速度が価格の上昇よりも速く増すからである。

第14段落
商品価格が一般的に下落する場合,流通手段の量が不変のままでありうるのは,商品価格が下がるのと同じ割合で商品量が増大するか,または価格が下がるのと同じ割合で貨幣の流通速度が落ちる場合である。流通手段の量が増大しうるのは,商品価格が下がるのよりももっと遠く商品量が増大するか,または商品価格が下がるのよりももっと遠く流通速度が落ちる場合である。


第15段落
いろいろな要因の変動が互いに相殺される場合,これらの要因の絶え間ない不安定にもかかわらず,実現されるべき商品価格の総額が変わらず,したがってまた流通貨幣量も変わらないことがありうる。それゆえ,ことに,いくらか長い期間を考察すれば,外観から予想されるよりもずっと不変的な,それぞれの国で流通する貨幣量の平均水準が見いだされるのであり,また,周期的に生産恐慌や商業恐慌から生ずる,またもっとまれには貨幣価値そのものの変動から生ずるひどい混乱を別とすれば,外観から予想されるよりもずっとわずかな,この平均水準からの偏差が見いだされるのである。

第16段落
・流通手段の量は,流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されている⇒諸商品の価値総額とその変態の平均速度とが与えられていれば,流通する貨幣または貨幣材料の量は,それ自身の価値によって定まる。

・これとは逆に商品価格は流通手段の量によって規定され,流通手段の量はまた一国に存在する貨幣材料の量によって規定される,という幻想(79)は,その最初の代表者たちにあっては,商品は価格をもたずに流通過程にはいり,また貨幣は価値をもたずに流通過程にはいってきて,そこで雑多な商品群の一可除部分と金属の山の一可除部分とが交換されるのだ,というばかげた仮説に根ざしているのである(80)。

 (79) 「どの国でも,金銀が国民のあいだで増加するにつれて,物価はたしかに上がって行くであろう。したがってまた,ある国で金銀が減少すれば,すべての物価は,このような貨幣の減少に比例して下落せざるをえない。」(ジェーコブ・ヴァンダリント)
 (80) 商品世界は一つの単一な総商品であって各商品はただその一可除部分をなすだけだと言いくるめてしまえば,次のようなみごとな計算例がでてくる。総商品=xツェントナーの金,商品A=総商品の可除部分=xツェントナーの金の同じ可除部分 
・モンテスキューにはりっぱにこれがでてくる。「世界にはただ一つの生産物またはただ一つの商品があるだけだ,または,ただ一つの商品が買われるだけだと仮定し,またこの商品が貨幣と同じに分割可能なものだと仮定すれば,その場合には,この商品のある一部分は貨幣量の一部分に相当するであろう。商品の総計の半分は貨幣総量の半分に。----諸物の価格は,根本的には,つねに貨幣章標の総量にたいする諸物の総量の比率によって定まるのである。」(モンテスキュー『法の精神』。
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by shihonron | 2009-08-25 23:30 | 学習会の報告
2009年 08月 18日

第156回 8月18日 第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態

 8月18日(火)に第156回の学習会を行いました。「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段」の第13段落から第15段落までをITさんの報告をもとに検討しました。また資料として「マルクス経済学レキシコンの栞ナンバー11」が紹介されました。
 以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

第二節 流通手段      a 商品の変態

第16段落
 リンネル商品の総変態
 互いに対立しつつ補い合う2つの運動、W-GとG-Wとからなる。
商品所有者は、売り手あるいは、買い手となる。固定していない。

第17段落
 一つの商品の総変態は、四つの極と、3人が必要である。
 ① リンネルW - 貨幣 G ②
          ① 貨幣 G - W 聖書 ③

★四つの極とは、1行目のリンネルと貨幣、2行目の貨幣と聖書のことであり、三人の登場人物とは①リンネル生産者(リンネルを売り、聖書を買う)、②小麦生産者(小麦を売り、リンネルを買う)、③聖書生産者(聖書を売る)の三人である。

■《一商品の変態W―G―Wには、四つの極があり、三人の人物が登場する。すなわち、まず、商品と、それの価値姿態として他人のふところのなかにある貨幣とが、相対する二つの極をなし、商品所持者と貨幣所持者が相対する。次に、商品が貨幣に転化されれば、この貨幣と、それの使用姿態として他人のもとにある商品とが、相対する二つの極をなし、貨幣所持者と商品所持者とが相対する。第一幕の売り手は第二幕では買い手になり、第二幕では彼に対して、第三の商品所持者が売り手として相対するのである。》(大谷禎之介「貨幣の機能」207頁)

第18段落
 W-G-Wは、一つの循環をなす。
 商品形態 - 商品形態の脱ぎ捨て - 商品形態への復帰
(非使用価値)                (使用価値)

●ここで使われている「循環」の意味について議論があり、「W-G-Wの最後のWは流通から出て消費過程に入るのだから再び同じ過程を繰り返すわけではない」との発言がありました。ここでは、形態としては商品から出発して再び商品にもどることをさして循環といっているのだろうという結論になりました。

■【循環】(名)スル
(1)閉じた回路を繰り返し通ること。ひとめぐりすること。
(2)一連の変化の過程を繰り返すこと。   (大辞林 第二版より)

第19段落
 商品流通
 一つの商品の循環をなす二つの変態は、同時に別の二つの商品の逆の部分変態をなす。
(1)リンネルの売り――小麦生産者の買い、総変態の完結。
(2)リンネル生産者の聖書の買い――聖書生産者の売り、第一の変態。
 こうして各商品の変態系列が描く循環は、他の商品の循環と解けがたく絡み合っている。
この総過程は、商品流通として現れる。

第20段落
 商品流通は、直接生産物交換から区別される、二つの特徴を持つ。
(1)商品交換は、直接的な生産物交換の個人的場所的制限を打ち破り、人間的労働の素材変換
を発展させる。
(2)交換当事者によっては制御不可能な、社会的な、自然的諸連関の全範囲が発展する。リンネ
ル生産者が、リンネルを売ることができるのは、小麦生産者が小麦をすでに売っているからであ
る、等々。(小麦―リンネル―聖書―安ウィスキー― ・・・)

●《交換当事者によっては制御不可能な、社会的な、自然的諸連関の全範囲が発展する》という記述について《制御不可能》とはどういうことか、《社会的な、自然的初連関》の《自然的》とはどういう意味かとの疑問が出されました。
「《制御不可能》とは、小麦が売れなければ、小麦生産者がリンネルの買い手として現れることができないといったように、直接に自分とはかかわりのないところでの出来事に左右されてしまうということではないか。」との発言がありました。
また「《自然的》とは、社会的と対立する意味ではなく、自然発生的とか自ずから生ずるといった意味だろう」との発言がありました。

■ 【自然】(名)
(1)おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。
「―を破壊する」「―の猛威」「―を愛する」
(2)人や物に本来的に備わっている性質。天性。
「楽しい時には笑い、悲しい時には泣く、それが人間の―だ」
(3)〔哲〕〔nature〕古代ギリシャで、他の力によるのではなく自らのうちに始源をもち生成変化するものの意。ここから人為・作為から区別されたありのままのものの意にもなり、事物に内在する固有の本性ないしは本性的な力の意ともなる。また中世では、被造物一般のことであり、さらに神の恩寵(おんちよう)に対して人間が生まれつき具有するものを指す。 (大辞林 第二版より)

第21段落
 貨幣は商品が立ちのいた流通上の場所に常に沈殿する。
(1)リンネルは流通から脱落して、貨幣がリンネルの場所を占める。
(2)聖書が流通から脱落して、貨幣が聖書の場所を占める。
こうして流通は、常に貨幣を発汗する。

●「マルクスは沈殿するとか発汗とかの比喩的表現をしているが分かりにくい」との発言がありました。

★沈殿とは、貨幣が流通上の場所にとどまるということを表現しており、発汗とは、流通は常に貨幣を必要としているということではないか。

第22段落
 商品流通に含まれる恐慌の可能性。
 流通は、販売と購買の対立に分裂した、それぞれ自立した過程であるが、しかし一つの内的な統一をなしている。この内的な統一が外的な諸対立において運動する(内的に非自立的、外的な自立化)。この対立的運動がある点まで進むと、統一が強力的に自己を貫徹する、つまり恐慌
である。

 商品に内在的な矛盾
(1)使用価値と価値との対立。
(2)私的労働が同時に直接に社会的労働として現われなければならないという対立。
(3)特殊的具体的労働が、同時にただ抽象的一般的労働としてのみ通用するという対立。
(4)ものの人格化と人格の物化との対立
この内在的矛盾が商品変態上の諸対立において、より発展した運動形態を受け取る。
だからこれらの形態は、恐慌の可能性を含んでいる。この可能性の現実性への発展は、単純な商品流通の立場からは、まだまったく実存しない諸関係の全範囲を必要とする。

●「(1)から(4)の4つの事柄すべてが商品に内在的な矛盾といえるのか。(4)は商品生産社会に内在的な矛盾ではないか」との疑問が出されましたが、明確な結論は出ませんでした。また、(4)の「ものの人格化と人格の物化」の内容とはどういうものか、これまでの叙述ではどこでどのように述べられてきたのかとの疑問が出されました。

■大谷禎之介『図解社会経済学』の「第1編 第1章 第3節 商品生産関係とその独自な性格」(72-80頁)が参考になるだろう。
見出しだけを掲げる。

第3節 商品生産価関係とその独自な性格
§1 商品生産関係
 [商品形態は労働生産物の独自な社会的形態である]
 [私的諸労働の社会的総労働にたいする連関は独自な形態をとる]
§2 生産関係の物象化と物神崇拝
 [私的労働の独自な社会的性格が商品生産者の頭脳に反映される]
 [物神崇拝]
§3 物象の人格化と商品生産の所有法則
 [交換者は相互に商品所有者として認めあわねばならない]
 [商品生産の所有法則]
§4 ホモ・エコノミクス幻想
 [商品世界:自己労働にもとづく私的所有,l自由,平等,自利の世界]
 [ホモ・エコノミクス幻想]
 [物神崇拝とホモ・エコノミクス幻想をはぎとれば人間が見えてくる]
 [生産当事者の意識的行動と経済法則]

第23段落
 商品流通の媒介者として、貨幣は流通手段という機能を受け取る。
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by shihonron | 2009-08-18 23:30 | 学習会の報告
2009年 08月 11日

第155回 8月11日 第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態

8月11日(火)に第155回の学習会を行いました。前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段」の第13段落から第15段落までをレポーターの報告をもとに検討しました。
前回の復習では、7月28日に配布されたレジュメで第11段落の《分業は、労働生産物を商品に転化させ、そうすることによって、労働生産物の貨幣への転化を必然にする。同時に、分業は、この化体が成功するかどうかを偶然にする。とはいえ、ここでは現象を純粋に考察しなければならず、したがってその正常な進行を前提しなければならない。そこでとにかくことが進行して、商品が売れないようなことがないとすれば、商品の形態変換は、変則的にはこの形態変換で実体――価値量――が減らされたり加えられたりすることがあるにしても、つねに行なわれているのである。》という記述について《「その正常な進行」とは「価値どおりに売れる(商品が貨幣に転化する)こと」という意見だろう。》と書かれていたことについて疑問が出され議論されました。その結果、ここでの課題は、商品の形態変換であり、「その正常な進行」は「売れる(商品が貨幣に転化する)こと」と理解すべきだとの結論になりました。
以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

第二節 流通手段      a 商品の変態

第13段落 
貨幣所有者として登場できるのは、①金の生産者であるか、②すでに自分の商品を売っていて、貨幣を手にしている場合。
 
①の場合は、金の産現地で、商品市場に入る。
  金は、直接的労働生産物として同じ価値を持つ他の労働生産物と交換される。この瞬間から金は、常に実現された商品の価格を表す。
 
②の場合は、金はどの商品の所有者の手中においても、譲渡された彼の商品の脱皮した姿態
であり、販売すなわち第一の商品変態W-Gの産物である。
 貨幣を見ても、その貨幣に転化した商品がどのようなものであるかはわからない。
 
W リンネル - G貨幣 - W 聖書 の考察。
 (1) 最初の局面 W-G リンネルの売りは、同時に小麦の生産者の運動W-G-W(小麦-貨幣-リンネル)の運動の最後の局面である。
 (2) リンネルの販売は、聖書の購買によって終わる1つの運動を開始する。
こうして、1つの商品の第一の変態(W-G)は常に同時に別の商品の、第二の対立的な変態(G-W)である。

●金の生産者について述べているのはなぜだろうとの疑問が出されました。「一般には商品生産者は自分が生産した商品を売って金(貨幣)を手にするが、金の生産者の場合には、こうした過程を経ることがないこと、貨幣である金がどのように商品市場に入るのかを明らかにしているのではないか」との発言がありました。

■《金が貨幣として機能するためには、それはどこかの点で商品市場にはいらなければならないが、その地点は言うまでもなく金の生産源である。そこでは、金は貨幣としてでなく、たんなる労働生産物として、同じ価値の他の労働生産物と交換される。だから金生産者から見れば、この取引は直接的な生産物交換なのであるが、しかし、金と引き換えに金生産者に商品を譲渡する商品所持者の側から見れば、この取引は、彼の商品の価格を実現する販売である。この取引は、販売だけがあってそれに対応する購買のない独特な取引なのである。
 ここで金は、社会的必要労働時間によって規定された或る大きさの価値をもった商品として登場する。そして、この交換を経るやいなや、金はすでに実現された商品価格なのであって、これ以後はつねに、実現された商品価格として商品市場にあるのである。》
(大谷禎之介「貨幣の機能」265頁 「経済志林」第61巻第4号 1994年)

第14段落
 G-W、商品の第二の変態、購買、最後の変態
 貨幣は他のすべての商品の脱皮した姿態であり、絶対に譲渡されうる商品である。
 商品は、貨幣の生成のうちに消失するから貨幣を見ても、何が貨幣に転化したかはわからない。

第15段落
 G-W購買は同時に、W-G販売である。
 1つの商品の最後の変態は、同時に別の商品の最初の変態である。
リンネル-貨幣-聖書、の最後の局面G-W購買は、同時にW-G販売である。
つまり、W-G-W(聖書-貨幣-安ウィスキー)の、最初の局面である。
 商品生産者は、一面的な生産物だけを供給するが、彼は、自分の諸欲求を満たすために、多数の購買をする。
 一つの商品の最後の変態は、他の商品の最初の諸変態の総和である。

★売りと買いの絡み合いは、図示すると分りやすい。

(A)  小麦――貨幣――リンネル


(B)       リンネル――貨幣――聖書


(C)               聖書――貨幣――ウィスキー
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by shihonron | 2009-08-11 23:30 | 学習会の報告