『資本論』を読む会の報告

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2009年 09月 29日

第161回 9月29日 第3章 第3節 貨幣 a 貨幣蓄蔵

 9月29日(火)に第161回の学習会を行いました。「読む会通信№342」をもとに前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣a貨幣蓄蔵」の第5段落から最後(第9段落)段落までを前回行われた報告をもとに検討しました。
「読む会通信№342」の前回の報告のなかで資料として紹介・引用された大谷禎之介氏の論文の記述をめぐって議論がありました。
 「大谷氏は、《価値形態のところで見たように、一般的等価物である貨幣は、まずもってすべての商品のために価値表現の材料として役立つ。そこで第1に、貨幣のこの役だちを、あらためて貨幣を主体としてそれの機能として、すなわち貨幣の価値尺度の機能として考察した。さらに交換過程のところで見たように、一般的等価物は商品交換を、商品がひとまず一般的等価物に変態し、そののちに一般的等価物からさらに任意の商品に変態する、という過程に転化することによって、交換過程の矛盾を打開するのであって、商品の全面的交換が発展するにつれて、一般的等価物は最終的にある特定の商品種類に――金銀に――固着せざるをえない。こうして貨幣が成立する。そこで第2に、このように成立した貨幣による商品の全面的な交換過程の媒介の役立ちを、あらためて貨幣を主体としてそれの機能として、すなわち貨幣の流通手段の機能として考察した。》と述べているが、資本論の第2章交換過程では、商品がひとまず一般的等価物に変態し、そののちに一般的等価物からさらに任意の商品に変態するということは述べていない。交換過程論では商品所有者たちの共同の行為によって一般的等価物が生み出されるところまでを述べているだけであり、実際に商品と貨幣が交換されることについては語っていない。商品がひとまず一般的等価物に変態し、そののちに一般的等価物からさらに任意の商品に変態するという内容は、第3章第2節a商品の変態のところではじめていわれているのではないか」との意見が出されました。これに対して「交換過程論では、商品の使用価値としての実現と価値としての実現が相互前提の関係にあり、商品所有者が自分の気に入った同じ価値の商品でさえあれば、その商品所持者にとって彼自身の商品が使用価値を持っているかどうかにかかわりなく、どれでも実現しようとして果たせないという行き詰まりが生じることを指摘している。これが交換過程の矛盾であり、その解決として一般的等価物が生み出されることを述べている。一般的等価物が生み出されることで、商品所有者は自分の商品をすぐに価値として妥当させるのではなく、自分の商品を貨幣(一般的等価物)と交換し(使用価値としての実現)、そうして手に入れた貨幣と自分が必要とする商品とを交換する(価値としての実現)ことが可能になる。これが交換過程の矛盾の解決といえるのではないか。『資本論』の第2章では直接に明示的に書かれてはいないが、大谷氏のように述べると誤りだということにはならないのではないか」との発言がありました。

以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、▲はかつて行った学習会での議論の紹介、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

第3章 貨幣または商品流通 第3章 第3節 貨幣
第5段落

・貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。
・すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。
・流通は、大きな社会的坩堝となり、いっさいのものがそこに投げ込まれてはまた貨幣商品となって出てくる。
・この錬金術は聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物[res sacrosanctae, extra commercium hominum]にいたっては、なおさらである。
・貨幣ではいっさいの質的な相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである。
・しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有物にもなれる外的なものである。
・こうして、社会的な力が個人の個人的な力になるのである。
・それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである。
・すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は、黄金の聖杯をその固有の生活原理の光り輝く化身としてたたえるのである。

■《もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物》は、フェニキアの乙女のこと。

★《社会的な力》とは、どんなものでも入手可能にする貨幣力のことだろう。

■《個人の個人的な力》は、新日本出版版では《私人の私的な力》となっている。
英語版では But money itself is a commodity, an external object, capable of becoming the private property of any individual. Thus social power becomes the private power of private persons. である。

■長谷部訳や英語版、新日本の上製版では、第4段落と第5段落はひとつの段落になっている。

●「アリストテレスは、流通の手段としての貨幣はいいが、金儲けはいけないといったことを述べている」との紹介がありました。

■プルトンは、ギリシア神話の富の神ハデスのこと。

■ハデス
 ギリシア神話で,地下の冥府の王。その名は〈見えざる者〉の意。地中に埋蔵される金銀などの富の所有者としてプルトン (富者) とも呼ばれたところから,ローマ神話ではプルトPluto,またはそのラテン訳のディスDisが彼の呼称となっている。ティタン神族のクロノスの子として生まれ,兄弟のゼウス,ポセイドンと力を合わせて,当時,世界の覇者であった父神とティタン神族を 10 年にわたる戦いで征服し,ゼウスが天,ポセイドンが海の王となったとき, ハデスは冥界の支配権を得た。のち,みずからの姉妹にあたる女神デメテルの娘ペルセフォネを地上からさらって后とした 。
 古代ギリシア人の考えによれば,死者の亡霊はまずヘルメスによって冥界の入口にまで導かれ,ついで生者と死者の国の境の川ステュクスまたはアケロンを渡し守の老人カロンに渡されたあと,三つ頭の猛犬ケルベロスの番するハデスの館で,ミノス,ラダマンテュス,アイアコスの3判官に生前の所業について裁きを受ける。その結果,多くの亡霊はアスフォデロス (不鰻花) の咲きみだれる野にさまようことになるが,神々の恩寵めでたき英雄や正義の人士はエリュシオンの野 (古い伝承では,はるか西方の地の果て,のちに冥界の一部と考えられた) に送られて至福の生を営む一方,シシュフォスやタンタロスのごとき極悪人はタルタロスなる奈落へ押しこめられ,そこで永遠の責め苦にあうものと想像された。  水谷 智洋 (世界大百科事典)

■ ソポクレス
ソポクレス ソフォクレス(ソポクレース、Σοφοκλ??, Sophokles、紀元前496年頃 - 紀元前406年)は、アテナイの悲劇作家、古代ギリシア三大悲劇詩人の一人に数えられる。
紀元前468年以来、大ディオニュシア祭で24回もの優勝を重ねた。劇の作法について数編の論文を著すなど理論面を重視し、ギリシア悲劇というジャンルを完成させた。
成功した悲劇作家として富裕な市民でもあった。
123編の悲劇を書いたと言われるが、欠けずに現存するのはわずか7編。絶対なる運命=神々に翻弄されながらも、悲壮に立ち向かう人間を描いたものが多い。中でも『オイディプス王』はギリシャ悲劇中の珠玉とされ、現代に至るまで西洋文学に多大な影響を与えている。(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

第6段落
・使用価値としての商品は、ある特殊な欲望を満足させ、素材的な富の一つの特殊な要素をなしている。
・ところが、商品の価値は、素材的な富のすべての要素に対するその商品の引力の程度を表わし、したがってその商品の所有者の社会的な富の大きさを表わしている。
・未開の単純な商品所持者にとっては、また西ヨーロッパの農民にとってさえも、価値は価値形態から不可分なものであり、したがつて金銀蓄蔵の増加は価値の増加である。
・もちろん、貨幣の価値は変動する。
・それ自身の価値変動の結果であるにせよ、諸商品の価値変動の結果であるにせよ、しかし、このことは、一方では、相変わらず200オンスの金は100オンスよりも、300オンスは200オンスよりも大きな価値を含んでいるということを妨げるものではない。
・他方では。この物の金属的現物形態がすべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身であるということを妨げるものではない。
・貨幣蓄蔵の衝動はその本性上無際限である。
・質的には、またその形態から見れば、価値は無制限である。
・すなわち、素材的な富の一般的な代表者である。
・貨幣はどんな商品にも直接に転換されうるからである。
・しかし、同時に、どの現実の貨幣額も、量的に制限されており、したがってまた、ただ効力を制限された購買手段でしかない。
・このような、貨幣の量的な制限と質的な無制限との矛盾は、貨幣蓄蔵者をたえず蓄積のシシュフォス労働へと追い返す。
・彼は、いくら新たな征服によって国土をひろげても国境をなくすことのできない世界征服者のようなものである。

▲「《価値は価値形態から不可分なもの》とはどういうことか」との疑問が出され、「価値は、その現象形態である貨幣=貴金属そのものだとみなされることではないか」との発言がありました。

▲「諸商品の価値変動の結果として貨幣の価値が変動するというのがよく分らない」との疑問が出され、「貨幣商品の価値はさまざまな商品のさまざまな量によって表現される(物価表を逆から読むこと)ことを述べているのではないか」との発言がありました。

●「《もちろん、貨幣の価値は変動する》と述べられているところでの価値は内容としては交換価値と理解できるのではないか」との発言がありました。

★貨幣の価値の大きさは、貨幣商品(金や銀など)の生産に社会的に必要な労働時間によって決まるので、それが変化しない場合には価値変動はないように思える。貨幣の価値に変化がなくても、諸商品の価値変動によって、同じ額の貨幣で入手できる諸商品の量(さまざまな使用価値の量)が変動することを述べているということだろうか。

★「一方では」以下は、貨幣商品間の大小関係は不変だという量の問題について、「他方では」以下は、貨幣が 《すべての商品の一般的等価形態であり、いっさいの人間労働の直接に社会的な化身である》という質の問題について述べている。

■大阪で行われた学習会の報告では、この問題について次のように述べています。
《報告者は「貨幣の価値が①貨幣自身の価値変動の結果、変動するというのは分かるが、貨幣の価値が②諸商品の価値変動の結果、変動するというのはどういうことかよく分からない」と疑問を呈したのです。
 なるほど貨幣である金の価値は、それに対象化されている社会的に必要な労働時間ですから、それが変動すれば、変動するというのは分かるが、しかし諸商品の価値の変動がなぜ貨幣の価値の変動になるのか分からないというのは当然のように思えます。
 しかしよくよく考えてみると、①の場合も「貨幣の価値は、貨幣自身の価値変動の結果、変動する」ということになりますが、これは全くのトートロジー(同義反復)ではないでしょうか? 「価値は価値の変動によって変動する」といってみても何も言ったことになりません。いったい、マルクスは何を言わんとしているのでしょうか?
 この場合同義反復を避けようとするなら、「貨幣の価値」の「価値」と「貨幣自身の価値変動」という場合の「価値」は同じものであってはならないのです。そこでその理解を助けてくれるのが、その前後の文章です。
 「貨幣の価値」と言う場合の「価値」は、明らかにその直前にある「金銀財宝の増加が価値の増加である」と言う場合の「価値」と同じ意味に使われています。そしてそれは「価値は価値形態とは不可分のもの」と逆上ることが出来ます。つまりここでマルクスが述べている「価値」とは、「価値形態と不可分」な「価値」なのです。
 それでは「価値形態と不可分」な「価値」とはどういう意味でしょうか? それはその前にマルクスの述べていることがヒントになります。つまり「商品の価値は、素材的富のあらゆる要素に対してその商品がもつ引力の程度をはかる尺度となり、したがって、その商品の所有者がもつ社会的富の尺度となる」ということです。「価値形態」というのは価値の現象形態であり、要するに「交換価値」のことです。「20エレのリンネルは上着1着に値する」という場合の「20エレのリンネル」の「交換価値」とはすなわち「上着1着」ということです。つまり「20エレのリンネル」は「上着1着」を引きつける力をもっているわけですが、それがすなわち「20エレのリンネル」のこの場合の「価値」だということです。だから「20エレのリンネル」の「価値」は「上着1着」と不可分な形でとらえられているわけです。
 だから先の「貨幣の価値」といった場合の「価値」とは、その「貨幣」が引きつけ得る「素材的富」と不可分だということになります。そしてそれが「変動する」のです。すなわち①貨幣自身の[価値]変動によって。この場合の[価値]はもちろん貨幣である金に対象化されている社会的に必要な労働時間を意味します。つまり貨幣が引きつける素材的富は貨幣自身の[価値]が変動すれば、他の諸商品の[価値]が変わらなければ、当然、変動します。貨幣の[価値」が二倍になれば、いままで上着1着を引きつけていたのが、上着2着を引きつけるようになるということです。だからまた当然②諸商品の[価値]の変動によっても、貨幣が引きつける素材的富、すなわちこの場合の「貨幣の価値」が変化することはいうまでもありません。上着の[価値]が二倍になれば、それまで上着1着を引きつけ得た貨幣はもはや上着1着を引きつけ得ないからです。
 しかし貨幣が引きつける素材的富の「量」が変わったからと言って、200オンスが100オンスより多くの素材的富を引きつけうることには変わりなく、また「金属的現物形態が依然としてすべての商品の一般的等価形態であり、すべての人間労働の直接に社会的な化身である」こと、すなわち他のすべての諸商品と直接に交換可能な性質を持っていること、つまり素材的富を引きつけるという性格そのものには何の変わりもない。だから「蓄蔵貨幣形成の衝動はその本性上、限度を知らない」云々と続くのではないでしょうか。》(『資本論』学ぶ会ニュース NO.44 2000年8月15日発行)

■【シシュフォス [Sisyphos]】 
ギリシャ神話中のコリント王。ゼウスから怒りを買い死神を送られたが、死神をだまし捕らえたため、しばらく死ぬ者が絶えたという。重なる悪業の罰として、地獄でたえず転がり落ちる大石を山頂へ押し上げる永遠の空しい苦業を課せられた。シジフォス。 (大辞林 第二版より)

第7段落
・金を、貨幣として、したがって貨幣蓄蔵の要素として固持するためには、流通することを、または購買手段として享楽手段になってしまうことを、妨げなければならない。
・それだから、貨幣蓄蔵者は黄金呪物のために自分の肉体の欲望を犠牲にするのである。
・彼は禁欲の福音を真剣に考える。
・他方では、彼が貨幣として流通から引き上げることのできるものは、ただ、彼が商品として流通に投ずるものだけである。
・彼は、より多く生産すればするほど、より多く売ることができる。それだから、勤勉と節約と貪欲とが彼の主徳をなすのであり、たくさん売って少なく買うことが彼の経済学の全体をなすのである。

■「享楽手段」は新日本出版社版では「消費手段」となっている。

■福音
(1)〔(ギリシヤ) evangelion〕キリスト教で、イエスの十字架上の死と復活を通して啓示された救いの教え。ゴスペル。
(2)喜ばしい知らせ。「―を待つ」
〔漢訳聖書からの借用語〕(大辞林 第二版より)

■ゴスペル [gospel]
(1)イエス-キリストの説いた神の国と救いに関する福音。
(2)新約聖書の初めの四つの福音書の総称。

■貪欲
〔古くは「とんよく」〕次々と欲を出し満足しないこと。非常に欲張りであること。また、そのさま。金銭欲・物欲だけでなく、知識欲にもいう。「―に知識を吸収する」「―心」 (大辞林 第二版より)

■主徳
「元徳(げんとく)」に同じ。〔cardinal virtues〕各時代・社会において最も基本的な徳。ギリシャではプラトンの知恵・勇気・節制・正義、キリスト教では信仰・希望・愛、儒教思想では五倫五常。主徳。
(大辞林 第二版より)

▲「節約」と「貪欲」は反対の意味ではないのかという疑問がだされましたが、節約の反対は浪費であり、「節約」して貨幣を貯め込むことに「貪欲」だとの結論になりました。なお、フランス語版の訳では「勤勉、節約、吝嗇」となっている。

第8段落
・蓄蔵貨幣の直接的な形態と並んで、その美的な形態、金銀商品の所有がある。
・それは、ブルジョア社会の富とともに増大する。「金持ちになろう。さもなければ、金持ちらしくみせかけよう。」[Soyons riches ou paraissons riches](ディドロ)
・こうして、一方では、金銀の絶えず拡大する市場が、金銀の貨幣機能にはかかわりなく形成され、他方では、貨幣の潜在的な供給源が形成されて、それが、ことに社会的な荒天期には、流出するのである。

■新日本出版版では「金銀製品」となっている。その方が適切と思われる。

第9段落
・貨幣蓄蔵は金属流通の経済ではいろいろな機能を果たす。
・まず第一の機能は、金銀鋳貨の流出条件から生ずる。
・すでに見たように、商品流通が規模や価格や速度において絶えず変動するのにつれて、貨幣の流通量も休みなく満ち干きする。
・たから、貨幣流通量は、収縮し膨張することができなければならない。
・ある時は貨幣が鋳貨として引き寄せられ、あるときは鋳貨が貨幣としてはじき出されなければならない。
・現実に流通する貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に適合しているようにするためには、一国にある金銀量は、現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくなければならない。
・この条件は、貨幣の蓄蔵貨幣形態によって満たされる。
・蓄蔵貨幣貯水池は流通する貨幣の流出流入の水路として同時に役だつのであり、したがって、流通する貨幣がその流通水路からあふれることはないのである。

▲「ある時は貨幣が鋳貨として引き寄せられ、あるときは鋳貨が貨幣としてはじき出され」るとあるが、どのようにそれがなされるのだろうかとの疑問が出され、「宿題」となりました。

★「流通する貨幣がその流通水路からあふれる」とは、流通過程に必要以上の鋳貨(流通手段)が存在すると言うことを意味していると思える。

【参考】
■第9段は、マルクスコレクション版では以下のように訳されている。
《貨幣退蔵は金属流通の仕組みのなかで種々の機能を演じる。さしあたっての機能は、金鋳貨または銀鋳貨の回流条件から生じる。すでに見たように、商品流通が規模、価格、速度の面でたえずゆれ動くにつれて、回流する貨幣量も休みなく増えたり減ったりする。だからこの貨幣量は収縮したり膨張したりすることができなくてはならない。あるときは貨幣が鋳貨として吸引され、あるときは鋳貨が貨幣としてはじきだされる。現実に回流している貨幣量は流通領域の飽和度につねに見合っているのだから、一国に現存する金量または銀量は、鋳貨機能を果たしている金、銀の量よりも大きいものでなくてはならない。この条件は貨幣の退蔵形態によってみたされる。退蔵された貨幣の貯水池は同時に流通する貨幣の流出水路と流入水路として役立ち、流通貨幣はその回流水路からけっしてあふれだすことはない。》(199頁)

■長谷部訳では、岡崎訳の《貨幣流通》が《貨幣通流》と訳されている。

■フランス語版では、後半は以下のように訳されている。
《貨幣の一部は、あるときは流通から出てゆかねばならず、あるときは流通に戻ってこなければならない。流通貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に照応しているためには、現実に流通する金または銀の量は、一国内に存在する貴金属の一部だけを形成しているはずである。この条件は貨幣の蓄蔵形態によってみたされる。蓄蔵貨幣の貯水池は、流通の運河がけっして氾濫しないように、同時に排水と灌漑との運河として役立つのである。》(115頁)

◎10月18日に重要な箇所での誤記の訂正をしました。訂正箇所は赤い文字で示しました。
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by shihonron | 2009-09-29 23:30 | 学習会の報告
2009年 09月 21日

訪問者数が10000を越えました

今日、訪問者数が10120になっていることに気がつきました。
9月のはじめに10000を越えたようです。
おいでいただいた皆さん、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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by shihonron | 2009-09-21 17:08 | おしらせ
2009年 09月 15日

第160回 9月15日 第3章 第3節 貨幣 a 貨幣蓄蔵

 9月15日(火)に第16回の学習会を行いました。「読む会通信№341」をもとに前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第3節 貨幣」の前文と「a 貨幣蓄蔵」の第1段落から第4段落までをNKさんの報告をもとに検討しました。報告は最後(第9段落)まで行われましたが議論は第5段落の途中で時間切れになりました。

「読む会通信№341」の前回の報告の中で《★必要な流通手段の量が75000000グラムの金=75トンの金=1億円であり、流通に投げ込まれた国家紙幣の額が2億円で、それが流通手段としての機能をすべて果たしているとする。2億円の国家紙幣は75トンの金を表しており、かつては1円という価格であった商品(その価値が0.75グラムの金の価値と等しい商品)は、今では2円という価格をもつことになる。それは、0.75グラムの金=1円という価格の尺度(度量標準)が、0.375グラムの金=1円に変えられた場合の結果と同じことである。》と書かれていることに関連して、こうした場合を価格の度量標準が変えられた場合の結果と同じであると述べられているが、価格の度量標準が変えられたということはできないのか。事実上といった言葉がつけ加えられたりするが、なぜ価格の度量標準の変更といわないのか」との疑問が出されました。これに対して「価格の度量標準を決めるのは国家であり、法律で価格の度量標準を変更したわけではないから、紙幣が代表する金量が変化しても直接に価格の度量標準の変更とはいえないのではないか」、「日本では戦後まで貨幣法が残っていて、金0.75グラムを1円とすると法律上はなっていたが、実際には1円の代表する金量は0.75グラムよりもずつと少なかった。こうした場合に価格の度量標準を法律で定められた内容として考えられるのか」との発言がありました。 

■《価格の決まっている商品は、すべて、a量の商品A=x量の金、b量の商品B=z量の金、c量の商品C=y量の金 というような形で表される。ここでは、a、b、cはそれぞれ商品種類A、B、Cの一定量を表している。それだから、商品価値はいろいろな大きさの想像された金量に転化されているのであり、つまり、商品体が雑多であるにもかかわらず、同名の量に、すなわち金量に転化されているのである。このようないろいろな金量として、諸商品の価値は互いに比較され、計られるのであって、技術上、これらの金量を、それらの度量単位としての或る固定された金量に関係させる必要が大きくなってくる。この度量単位そのものは、さらにいくつもの可除部分に分割されることによって、度量標準に発展する。・金や銀や銅は、それらが貨幣になる以前に、すでにこのような度量標準をそれらの金属重量においてもっている。たとえば、一ポンドは度量単位として役だち、それが一方ではさらに分割されてオンスなどとなり、他方では合計されてツェントナーなどとなるのである。それだから、すべての金属流通では、重量の度量標準の有り合わせの名称がまた貨幣の度量標準または価格の度量標準の元来の名称になっているのである。》(「第1節 価値の尺度」の第7段落 国民文庫 176-177頁・原頁112)

■《このような歴史的過程は、いろいろな金属重量の貨幣名がそれらの普通の重量名から分離することを国民的慣習にする。貨幣度量標準は、一方では純粋に慣習的であるが、他方では一般的な効力を必要とするので、結局は法律によって規制されることになる。貴金属の一定重量部分、たとえば1オンスの金は公式にいくつかの可除部分に分割されて、それらの部分にポンドとターレルとかいうような法定の洗礼名が与えられる。そこで、このような可除部分は、貨幣の固有の度量単位として認められるのであるが、それは、さらにシリングやペニーなどのような法定の洗礼名のついた別の可除部分に細分される。それでもやはり一定の金属重量が金属貨幣の度量標準である。変わったのは、分割と命名である。》
(「第1節 価値の尺度」の第15段落 国民文庫 181頁・原頁115)

以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、▲はかつて行った学習会での議論の紹介、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

第3章 貨幣または商品流通 第3章 第3節 貨幣
前文

・価値尺度として機能し、したがってまた自分の肉体でかまたは代理物によって流通手段として機能する商品は、貨幣である。
・それゆえ、金(または銀)は貨幣である。
・金が貨幣として機能するのは、一方では、その金(または銀)の肉体のままで、したがって貨幣商品として、現われなければならない場合、すなわち価値尺度の場合のように単に観念的でもなく流通手段の場合のように代理可能でもなく現われなければならない場合であり、他方では、その機能が金自身によって行なわれるか代理物によって行なわれるかにかかわりなく、その機能が金を唯一の価値姿態または交換価値の唯一の定在として、単なる使用価値としての他のすべての商品にたいして固定させる場合である。

■第3節の表題「貨幣」について、新日本出版版では次のような訳者による注がついている。《この「貨幣」は、貨幣一般を意味するDas Geld (第3章の表題)ではなく、定冠詞のないGeld (英語では money )であり、価値尺度および流通手段という第一および第二の規定にたいして「第三の規定における貨幣」とマルクスが呼んだものである。フランス語版では、この表題は La monnaie l'argent となり、次の最初のパラグラフもすっかり書き換えられている。》

■フランス語版ではこの箇所は次のようになっている。
《これまでわれわれは、貴金属を、価値尺度と流通手段という二重の姿態のもとで考察してきた。貴金属は、観念的な貨幣として第一の機能を果たし、第二の機能では象徴によって代表されることができる。だが、貴金属がその金属体のままで、商品の実在の等価物すなわち貨幣商品として現われなければならない機能が存在する。もう一つの機能、すなわち、貴金属が、あるいはみずからあるいは代理人によって果たしえても、日用商品の価値の唯一無二の的確な化身としてこの商品に対面する機能も、存在する。どちらの場合も、貴金属が厳密な意味での貨幣として、価値尺度や鋳貨としての機能と対照的に機能する、とわれわれは言うのである。》(『フランス語版資本論』上巻 江夏美千穂・上杉聰彦訳 法政大学出版会 110頁)
 
●報告者が「第三の規定における貨幣」について「貨幣としての貨幣ともいわれる」と述べたのに対して「貨幣としての貨幣という言い方は資本としての貨幣との区別を明らかにするためではないか」との発言がありました。また、マルクスが「第三の規定における貨幣」という表現をどの著作で用いているのかを調べることになりました。

■《貨幣としての貨幣と資本としての貨幣とは、さしあたりはただ両者の流通形態の相違によって区別されるだけである。》(「第4章 貨幣の資本への転化 第1節 資本の一般的定式」の第4段落 国民文庫258頁・原頁162)

■マルクスは1858年4月2日のエンゲルスへの手紙の中で、「貨幣としての貨幣」という言葉を用いている。《 (c) 貨幣としての貨幣。これはG―W―W―Gの形態の展開である。流通にたいして独立した価値の定在としての貨幣、抽象的富の物質的定在。それがただ流通手段としてだけでなく、価格を実現するものとして現われるかぎりで、すでに流通で姿を現わす。aとbとがただ機能として現われるにすぎないこのcという属性では、貨幣は契約上の一般的商品(この場合には、それの価値、労働時間によって規定された価値の可変性が重要となる)であり、蓄蔵〔hoarding〕の対象である。(この機能はいまでもなおアジアで、一般的には〔generally〕古代世界と中世で重要なものとして現われる。現在では銀行制度のなかにただ従属して存在するにすぎない。恐慌のときには貨幣の重要性がふたたびこの形態で現われる。この形態での貨幣が生みだす世界史的妄想とともにこれを考察。破壊的な属性等々。)価値が登場するであろう場合のすべてのより高度な形態の実現として。すべての価値関係が外面的に自己を完結する決定的な諸形態である。だが、この形態に固定された貨幣は、経済関係ではなくなってしまい、形態はその物質的担い手である金銀のうちに消えうせる。他方では、それが流通にはいりこんで、ふたたびWと交換されるかぎり、最終過程である商品の消費はふたたび経済関係の外へ出る。単純な貨幣流通は自己のなかに自己再生産の原理をもたず、したがって自己をこえてゆく。貨幣では――その諸規定の展開が示すように――、流通にはいりこんで、そのなかで自己を維持しながら、同時に流通そのものを生みだす価値―― 資本 ――の要求が定立されている。この移行は同時に歴史的である。資本の前期的形態は商業資本であり、それはたえず貨幣を発展させる。それと同時に、現実資本は、貨幣または生産を支配する商人資本から発生する。》(『経済学批判』についての手紙 国民文庫『経済学批判』320-321頁)

■大谷禎之介氏は〈貨幣としての貨幣〉、〈本来の貨幣〉について次のように述べている。
《§4 本来の貨幣とその諸機能
(1) 本来の貨幣
[価値尺度と流通手段との統一としての本来の貨幣] すでに価値形態および交換過程の研究のなかで見たように、貨幣とは、交換過程の矛盾を媒介するものとして必然的に成立する一般的等価物の機能を社会的に独占する独自な商品である。だからそもそも貨幣の概念のうちに、それが一般的等価物として機能するものだ、ということが含まれている。
 価値形態のところで見たように、一般的等価物である貨幣は、まずもってすべての商品のために価値表現の材料として役立つ。そこで第1に、貨幣のこの役だちを、あらためて貨幣を主体としてそれの機能として、すなわち貨幣の価値尺度の機能として考察した。さらに交換過程のところで見たように、一般的等価物は商品交換を、商品がひとまず一般的等価物に変態し、そののちに一般的等価物からさらに任意の商品に変態する、という過程に転化することによって、交換過程の矛盾を打開するのであって、商品の全面的交換が発展するにつれて、一般的等価物は最終的にある特定の商品種類に――金銀に――固着せざるをえない。こうして貨幣が成立する。そこで第2に、このように成立した貨幣による商品の全面的な交換過程の媒介の役立ちを、あらためて貨幣を主体としてそれの機能として、すなわち貨幣の流通手段の機能として考察した。
 これらの考察のさい、つねに、貨幣商品は金だとしてきたが、しかし金が価値尺度の機能を果たすのは、生身の金そのものとしてではなくて、表象されただけの金、観念的な金としてであったし、W―G―W を媒介する流通手段としての金は、流通過程の自然発生的な傾向によって、現実の金を代表するそれの象徴よって代理されるようになるのであって、金貨そのものが流通する場合でさえも、それは仮象の金として、すなわち完全な量目と品位の金貨のシンボルとして流通するのであった。
 けれども、価値尺度で表象されており、流通手段で象徴的に代理されているのは、まさに現実の金、本物の金である。価値尺度の機能を果たす観念的な金は、それによって表象される現実の金の存在を前提しているし、流通手段として流通する象徴は、それによって代表される現実の金の存在を前提しているのであって、どちらの機能も、すでに金が一般的等価物として商品世界から排除され、一般的等価物の機能を社会的に独占していること、要するに金が貨幣となっていることを前提している。つまり、ある商品世界あるいはある国のなかで金が価値尺度として表象されており、かつ金が鋳貨によつて象徴的に代理されているときには、そこではすでに、金が貨幣となっており、金という自然素材が貨幣という形態規定を受け取っているのである。
 だから、この商品世界では価値尺度としても流通手段としても機能している独自な商品はなにか、と問うことは、この世界で一般的等価物としての機能を社会的に独占している商品はなにか、と問うこと、ここでの貨幣商品はなにか、と問うことと同じである。そしてそれは、商品世界のなかに労働生産物として現実に存在する金以外のものではありえない。この世界では、現物の金そのものが貨幣なのであり、それそのものが貨幣という形態規定性をもっているのである。
 そこで、価値尺度として表象され、鋳貨および価値章標によって象徴的に代理される、貨幣である現物の金そのものは、それを観念的に表象しただけの〈価値尺度としての貨幣〉、および、それの象徴的な代理物でありうる流通手段としての貨幣〈とは区別して、〈貨幣としての貨幣〉と呼ばれる。
 この〈貨幣としての貨幣〉は、貨幣の〈第一の規定〉であった価値尺度および〈第二の規定〉であった流通手段にたいして、〈第三の規定における貨幣〉である。また〈価値尺度としての貨幣〉も、〈流通手段としての貨幣〉もともに、貨幣である金が果たす機能であるのにたいして、〈貨幣としての貨幣〉は、これこそが〈貨幣〉なのだという意味で〈本来の意味での貨幣〉あるいは〈厳密な意味での貨幣〉と言うこともできる。》(大谷等禎之介「貨幣の機能Ⅱ」 『経済志林』第62巻 第3・4号 180-181頁)

▲「一方では」「他方では」として述べられているのはどんな事柄なのかとの疑問が出されました。「一方では」は蓄蔵貨幣や世界貨幣、「他方では」は支払い手段のことを述べているのではないかという発言がありましたが、第3節を終えた後で議論しようということになりました。

▲「交換価値の唯一の定在」と書かれているが、「価値の唯一の定在」というべきではないのかという疑問が出されました。すぐに結論は出ず、今後の課題となりました。

a 貨幣蓄蔵

第1段落
・二つの反対の商品変態の連続的な循環、または売りと買いとの流動的な転換は、貨幣の無休の流通、または流通の永久自動機関[perpetuum mobile]としての貨幣の機能に現われる。
・変態列が中断され、売りが、それに続く買いによって補われなければ、貨幣は不動化され、または、ボアギュベールの言うところでは、可動物[meuble]から不動物[immeuble]に、鋳貨から貨幣に転化する。

第2段落
・商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の産物、商品の転化した姿態または商品の金蛹を固持する必要と熱情とが発展する。
・商品は、商品を買うためではなく、商品形態を貨幣形態と取り替えるために、売られるようになる。
・この形態変換は、物質代謝の単なる媒介から自己目的になる。
・商品の離脱した姿は、商品の絶対的に譲渡可能な姿またはただ瞬間的な貨幣形態として機能することを妨げられる。
・こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に化石し、商品の売り手は貨幣蓄蔵者になるのである。

★「この形態変換」とは、商品の貨幣への転化 W―G のこと。

★「商品の絶対的に譲渡可能な姿」とは、他のすべての商品にたいして直接的交換可能性の形態にあるということ。

★「瞬間的な貨幣形態」とは、買うための売り W―G―W のGのこと。

第3段落
・商品流通が始ったばかりのときには、ただ使用価値の余剰分だけが貨幣に転化する。
・こうして、金銀は、おのずから、有り余るものまたは富の社会的な表現になる。
・このような貨幣蓄蔵の素朴な形態が永久化されるのは、かたく閉ざされた欲望範囲が伝統的な自給自足的な生産様式に対応している諸民族の場合である。
・たとえばアジア人、ことにインド人の場合がそうである。
・ヴァンダリントは、商品価格は一国に存在する金銀の量によって規定されると妄信しているのであるが、彼は、なぜインドの商品があんなに安いのか? と自問する。
・答えは、インド人は貨幣を埋蔵するからだ、というのである。
・彼の言うところでは、1602-1734年に、インド人は1億5000万ポンド・スターリングの銀を埋めたが、それは元来はアメリカからヨーロッパにきたものだった。
・1856-1866年に、つまり10年間に、イギリスはインドとシナに(シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる)1億2000万ポンド・スターリングの銀を輸出したが、この銀は以前にオーストラリアの金と交換して得られたものだった。

★「欲望範囲」が生産様式に対応していると述べていることに注意しておこう。使用価値の多様さとそれに対する欲望もまた生産力の高さに規定されているということではないか。

▲「1602-1734年の100年余の期間に埋められた銀の量と1856-1866年の10年間に埋められた銀の量がほぼ等しいことに注目しておこう」との発言がありました。

▲「シナに輸出された金属は大部分再びインドに向かって流れる」に関連して、三角貿易やアヘン戦争についての説明がされました。

■アヘン戦争
1840年―1842年,清朝のアヘン密貿易禁止をめぐる英国と清朝間の戦争。清では雍正帝以来アヘン禁止が祖法とされた。18世紀末以降インド産アヘンの密貿易が盛行し吸煙の害が政治問題化,また茶,絹などの輸出による外国銀流入はアヘン貿易によって銀の国外流出に転じ,財政上からも問題化した。このため1839年道光帝は林則徐を欽差大臣として広東(カントン)に派遣。林は広東でアヘンの没収,棄却など強硬策をとり,英国との交易禁止という挙にでた。1840年英国は遠征軍を派遣し,清朝は林則徐を罷免して,和を策したが成功しなかった。1842年6月総攻撃を再開した英軍に大敗,8月南京条約が締結され,清の鎖国はくずれた。なお,アロー戦争(1856年―1860年)を第2次アヘン戦争ともいう。 (マイペディア)

■アヘン貿易
18世紀後半から,イギリス東インド会社がインド産アヘンを中国向けに輸出した貿易。実際は,中国からの茶の輸入の資金として,英国がインド(ベンガル地方と中央インドの藩王国など)につくらせたアヘンを中国に売り,インド人の受け取る代金で英国のつくった工業製品の消費を可能にさせる,という三角貿易であった。また,植民地インドにおける英国の歳入の17%(19世紀平均)はアヘン専売収入が占め,中国への輸出は清朝の禁令のため,中国人商人を介した密貿易で行われた。
(マイペディア)

■三角貿易 
外国貿易によって生じる2国間の国際収支の不均衡を調整するため,第三国を交えて貿易し3国間で差額を相殺し合い,各国相互の貿易量を拡大しようとする方式。多角貿易のうち3国間で行うものをいう。 (マイペディア)

第4段落
・商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経[ nervus rerum]、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。
・彼の欲望は絶えず更新され、絶えず他人の商品を買うことを命ずるが、彼自身の商品の生産と販売は、時間がかかり、また偶然によって左右される。
・彼は、売ることなしに買うためには、まえもって、買うことなしに売っていなければならない。
・このような操作は、もし一般的に行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える。
・しかし、貴金属はその生産源では直接に他の商品と交換される。
・ここでは、売り(商品所持者の側での)が、買い(金銀所持者の側での)なしに行なわれる。
・そして、それ以後の、あとに買いの続かない売りは、ただすべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するだけである。
・こうして、交易のすべての点に、大小さまざまな金属蓄蔵が生ずる。
・商品を交換価値として、また交換価値を商品として固持する可能性とともに、黄金欲が目覚めてくる。
・商品流通の拡大につれて、貨幣の力が、すなわち富のいつでも出動できる絶対的に社会的な形態の力が、増大する。
・「金は素晴らしいものだ! それをもっている人は、自分が望むすべてのものの主人である。そのうえ、金によって魂を天国に行かせることさえできる」(コロンブス『ジャマイカからの手紙』1503年。)

●《それ以後の、あとに買いの続かない売りは、ただすべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するだけ》と述べられていることについて「ここで述べられている《それ以後の、あとに買いの続かない売り》をするのは誰なのか、金生産者に自分の商品を売った人のことか」との疑問が出されました。「すべての商品所持者のあいだへの貴金属の再分配を媒介するといわれているのだから、金生産者に自分流通手段商品を売った人だけではなく、たくさん売って少ししか買わない人すべてのことだろう」「流通に最初に金が入ってくるのは金生産者と一般の商品生産者との取引によってだが、その以後の一般の商品生産者相互の間での貴金属の再分配について述べているのではないか」との発言がありました。

■《諸物の神経[ nervus rerum]、「社会的な質物」を確保しておかなければならなくなる。》は、新日本出版社版では《“万物の神経”である「社会的動産担保」を確保しなければならなくなる。》となっている。

■【質物】しちもつ  質におく品物。しちぐさ。(大辞林 第二版)

▲「《このような操作は、もし一般的に行なわれるとすれば、それ自身と矛盾しているように見える》とは、すべての人々が買うことなしに売ることはできないように見えるということではないか。しかし、産金業者は、いわば売ることなしに買うのであり、このことによって一般商品の生産者は、買うことなしに売ることができるということではないか」との発言がありました。

★一般商品の生産者も、過去に「買うことなしの売り」によって手にした貨幣でもって買うことがある。そのかぎりでは、「買うことなしの売り」と「売ることなしの買い」が並存するといえると思える。

▲「《貴金属の再分配》とは、産金業者から新たに流通にはいってきた金属のことをさしているのか」との疑問が出されましたが、明確な結論は出ませんでした。

▲「《商品を交換価値として、また交換価値を商品として固持する可能性》とは、商品を、価値として通用する形態=貨幣に転化して保持することをさしていると思えるが、《交換価値を商品として固持する》という表現はよく分らない」との発言がありました。(★内容としては、あらゆるものが商品として現われるような《商品流通の拡大》のことと思える。)

▲「第2段落・第3段落では《商品流通そのものの最初の発展》の時期=《商品流通が始ったばかりのとき》について述べ、第4段落では《商品生産がさらに発展》した段階でのことを対比的に述べている」との発言がありました。

■コロンブス  1451-1506
イタリアの航海者。イタリア語名ではコロンボCristoforo Colomboで,Columbusは英語表記。ジェノバ生れ。大西洋を西航してインドに達し得ると考え,数学者トスカネリらの支持を得た。1492年スペイン宮廷の援助と総督の地位を得ることに成功,8月サンタ・マリア号など3隻の船でパロスを出帆した。10月バハマ諸島のグアナハニ島に上陸,そこをインドの一部と誤認し神に感謝しつつ〈サン・サルバドル(聖なる救済者)〉と名づけた。その後キューバなどに寄りながら1493年帰国。第2回(1493年―1496年),第3回(1498年―1500年)と航海を重ねるが原住民の反乱に悩まされ,第4回航海(1502年―1504年)の際には総督の地位からはずされた。その後も宮廷は彼を重んぜず,彼は死に至るまでアジアの一部を発見したと信じつつ失意のうちに死んだ。コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったとされるものに梅毒,タバコ,トウガラシなどがある。(マイペディア)

●蓄蔵貨幣は、貨幣の機能の一つだと通説的見解に対して、久留間鮫造氏が「蓄蔵貨幣を貨幣の機能だと考えるのはまちがっていると思う。蓄蔵貨幣は、貨幣が置かれている一つの状態、あるいは貨幣の一つの形態規定ではあるが、それ自身が一つの独自な機能なのではない」と主張されていることが紹介されました。(『資本論体系2 商品・貨幣』440頁)
 この問題については、久留間鮫造氏の見解が述べられている「マルクス経済学レキシコンの栞№12」を検討することになりました。
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by shihonron | 2009-09-15 23:30 | 学習会の報告
2009年 09月 08日

第159回 9月8日 第3章 第2節 流通手段 c 鋳貨、価値章標

 9月8日(火)に第159回の学習会を行いました。「読む会通信№340」をもとに前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 c 鋳貨、価値章標」の第6段落から最後(第8段落)をNMさんの報告をもとに検討しました。

 前回(第158回)の学習会で出された「第9段落以降でマルクスは流通手段として機能する貨幣の量(流通必要貨幣量あるいは流通必要金量)について述べているが、流通必要量を超えた場合にはどのように金は流通から引き上げられるのか、足りない場合にはどのように流通に入ってくるのか」という疑問に関連する資料が紹介されました。一つは有斐閣から出版された『資本論体系2 商品・貨幣』の82頁から84頁および419頁から421頁。もうひとつは三宅義夫『貨幣信用論研究』(未来社刊)の「第5章 金・銀行券・紙幣に関する若干の疑問――遊部久蔵氏の所説によせて」(183頁)です。
 前回の復習では、大谷論文「貨幣の機能」で銀貨や銅貨がが「金の独占的な地位を奪い取る可能性がある」と述べられていることについて、「可能性があるといわれているが、実際に銀貨や銅貨が金に取って代わるといったことがあるのか疑問だ」「金鋳貨以外で支払うことができれば金鋳貨は支払いには使われずため込まれる、なぜなら補助貨幣の素材はそれが象徴している金の価値よりも小さいのだから」「何らかの歴史的経験があって銀貨や銅貨での一回の支払いで受けとらなければならない貨幣額を限定するようになったのではないか。その歴史的経験を調べてみよう」という発言がありました。

 以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

資本論 第1部 第3章 貨幣または商品流通
第2節 流通手段 C 鋳貨。価値章標


第6段落
・1ポンド・スターリング、5ポンド・スターリングなどといった貨幣名が印刷された紙券が、国家によって外部から流通過程に投げ込まれる。
・紙幣の発行は、紙幣によって象徴的に表される金(または銀)が現実に流通しなければならないはずの量に制限されるべきである。
・与えられた一国における流通媒介物の総量は、経験的に確定される一定の最小限より下に下がることは決してない。
・だからこの最小総量は紙製の象徴によって置き換えることができる。
・しかし、紙幣がその限度を、すなわち[紙幣がなければ]流通したはずの同名の金鋳貨の量を超過するならば、全般的信用崩壊の危険は別にして、紙幣は、商品世界の内部では、やはりただ、この世界の内在的諸法則によって規定された金量を、したがってまたちょうど代理されうるだけの金量を表すにすぎない。〔たとえば紙幣の総量があるべき総量の二倍になれば―フランス語版〕1ポンド・スターリングは、事実として、約1/4オンスの金の代わりに約1/8オンスの金の貨幣名になる。

●与えられた一国における流通媒介物の総量は、経験的に確定される一定の最小限より下に下がることは決してないと述べられていることに対して「なぜ、一定の最小限について述べる必要があるのか分からない。最小限といってもそれは流通必要貨幣量にほかならず、安全弁であるかのように最小限について述べる必要はない、流通必要貨幣量で十分だと思う」との発言がありました。これに対して「流通必要貨幣量が増減する量であり、経験的に確定される一定の最小限があることを確認した上で、それを越えた紙幣が流通に投げ込まれた際に起こることをことを述べているのであり、必要な記述だと思う」との発言がありました。

●「流通媒介物の最小総量が一定の最小限より下がることはないのはどうしてか」という疑問が出され、「一国内に住む人々が生きていくために生活に欠かすことのできない商品の一定量があり、したがってその価格総額には一定の下限があ。また、貨幣の流通速度にも限界があるのだから、流通必要貨幣量には下限があるということではないか」「ここでは、経験的にと述べられていて、事実の問題として確認される事柄だということではないか」との発言がありました。

■国民文庫の訳では理解が困難な文章がこの段落に含まれている。
《紙券の量が、たとえば1オンスずつの金のかわりに2オンスずつの金を表すとすれば、事実上、たとえば1ポンド・スターリングは、例えば1/4オンスの金のかわりに1/8オンスの金の貨幣名となる。》(国民文庫226頁・原頁142)という文章である。
 新日本版では《もしも、紙券の総量が、たとえば、1オンスずつ金の代わりに2オンスずつの金を表すとすれば[たとえば、紙幣の総量があるべき総量の2倍になれば――フランス語版]、たとえば1ポンド・スターリングは、事実として、約1/4オンスの金のかわりに約1/8オンスの金の貨幣名になる。》(215頁)とフランス語版の文章を引いて意味を明らかにしている。また長谷部訳では《紙券の分量が、たとえば1オンスずつの金のかわりに2オンスずつの金を表示する[流通すべき金の2倍量を代表する]ならば、事実的には、たとえば1ポンドは、ほぼ4分の1オンスの金のかわりにほぼ8分の1オンスの金の貨幣呼称となる》(110頁)、マルクスコレクション版では《紙券の量が、たとえば前には1オンスの金を代表していたが、いまでは2オンスの金を代表しているとすれば、たとえば1ポンドは事実上以前の4分の1オンスではなく、およそ8分の1オンスの貨幣名になってしまう。》(190頁)、フランス語版では《たとえば、紙幣の総量がかくあるべき総量の2倍になれば、1/4オンスの金を代表していた1ポンド・スターリング券は、もはや1/8オンスの金しか代表しない。》(108頁)となっている。

★「この世界の内在的諸法則」とは「諸商品の価格総額 / 同名の貨幣片の通流回数 = 流通手段として機能する貨幣の量」ということが念頭に置かれている。

★必要な流通手段の量が75000000グラムの金=75トンの金=1億円であり、流通に投げ込まれた国家紙幣の額が2億円で、それが流通手段としての機能をすべて果たしているとする。2億円の国家紙幣は75トンの金を表しており、かつては1円という価格であった商品(その価値が0.75グラムの金の価値と等しい商品)は、今では2円という価格をもつことになる。それは、0.75グラムの金=1円という価格の尺度(度量標準)が、0.375グラムの金=1円に変えられた場合の結果と同じことである。

第7段落
・紙幣は金章標または貨幣章標である。
・他のすべての商品分量と同じように価値分量でもある金分量を紙幣が代理する限りでのみ、紙幣は価値章標なのである。

★「すべての他の商品量と同じに」とはどういうことか? ここでは、他のすべての商品の一定量が使用価値であると同時に一定量の価値であるのと同様に、貨幣商品である金もまた一定量の価値であることを述べているように思える。

★注82では貨幣のいろいろな機能についての無理解についてフラートンの叙述を引用した上で《つまり貨幣商品は、流通のなかでは単なる貨幣章標によって代理されることができるのだから、価値の尺度としても価格の度量標準としても不要だというのである!》と述べている。(国民文庫227頁・原ページ142)
 貨幣商品である金が、価値の尺度であり価格の度量標準であることを前提に、その現物の金を象徴するかぎりで貨幣章標(紙幣など)が流通手段として機能するということをマルクスはいいたいのではないだろうか。

第8段落
・最後に問題になるのは、なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって置き換えられうるのか?ということである。
・しかし、すでに見たように、金がこのように置き換えられうるのは、金が鋳貨または流通手段としてのその機能において孤立化または自立化される限りでのことにすぎない。
・この機能の自立化は個々の金鋳貨については生じない。しかし、紙幣によって置き換えられうる最小総量の金にはあてはまる。
・その運動は商品変態 W-G-W ―― そこでは、商品の価値姿態は、ただちにふたたび消えうせるためにのみ、商品に相対する――の相対立する諸過程の継続的相互転換を表すだけである。
・商品の交換価値の自立的表示は、ここでは一時的契機でしかない。←貨幣の単なる象徴的実存でも十分
・いわば貨幣の機能的定在がその物質的定在を吸収するのである。
・貨幣の章標に必要なのは、それ自身の客観的社会的妥当性だけであり、紙製の象徴はこの妥当性を強制通用力によって受け取る。

●「金の流通手段としての機能における孤立化または自立化とはどういうことか」との疑問が出され、「貨幣である金は価値尺度や価格の度量標準という機能をも持ってるが、流通手段としての機能だけが問題になるということではないか」との発言がありました。

★《この機能の自立化は個々の金鋳貨については生じない》とは、流通手段としてのみ機能する(機能の独立化)のは、流通部面に存在するかぎりでのことであり、個々のの金鋳貨は、ただ流通手段としてのみ機能するのではない(後で出てくる蓄蔵貨幣などともなりうる)ということではないか。

★「商品の交換価値の自立的表示」とは、W―G―W のG(貨幣形態)をさしている。そして、それはすぐに商品に転化するので「一時的契機でしかない」のである。

■《流通過程そのものが鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定在をその機能的定在から分離する》(国民文庫222頁・原頁140)《金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。つまり、相対的に無価値なもの、紙券が金に代わって鋳貨として機能することができる。》(国民文庫224頁・原頁140)
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by shihonron | 2009-09-08 23:30 | 学習会の報告
2009年 09月 01日

第158回 9月1日 第3章 第2節 流通手段 c 鋳貨、価値章標

 9月1日(火)に第158回の学習会を行いました。「読む会通信№339」をもとに前回の復習をした後、「第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段 c 鋳貨、価値章標」の第1段落から第5段落をNMさんの報告をもとに検討しました。報告は最後(第8段落)までされましたが、第6段落以降の議論は次回に行うこととなりました。

 前回の復習の中で「第9段落以降でマルクスは流通手段として機能する貨幣の量(流通必要貨幣量あるいは流通必要金量)について述べているが、流通必要量を超えた場合にはどのように金は流通から引き上げられるのか、足りない場合にはどのように流通に入ってくるのか」という疑問が出されました。そして「そのメカニズムは、金の代表する金量が大きくなったり、小さくなったりすることによると考えられないか」との発言がありました。これに対して「マルクスは流通手段として機能する金量は必要があればなんの問題もなく増減するものとして述べているのではないか。」「金の代表する金量が増減するというのはなんだか奇妙に思える」との発言があり、「マルクスは、第3節 貨幣 a 貨幣蓄蔵 の中で《現実に流通する貨幣量がいつでも流通部面の飽和度に適合しているようにするためには、一国にある金銀量は、現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくなければならない。この条件は、貨幣の蓄蔵貨幣形態によって満たされる。したがって、流通する貨幣の流出流入の水路として同時に役だつのであり、したがって、流通する貨幣がその水路からあふれることはないのである。》と述べている」との紹介がありました。はっきりとした決着はつかず、これからの学習を踏まえて問題を整理し、考えていく課題とすることになりました。

 以下、段落毎にレジュメの内容と議論の報告を掲載します。
●は議論の報告、■は資料、★は報告者によるまとめや意見、問題提起です。

第1部 第3章 貨幣または商品流通
第2節 流通手段 C 鋳貨。価値章標

 
第1段落
・流通手段としての貨幣の機能から、貨幣の鋳貨姿態が生じる。
・価格の度量標準の確定と同じく、造幣の業務は国家に帰属する。
・金および銀が、鋳貨としては身につけるが、世界市場でまた脱ぎ捨てるさまざまな国民的制服には、商品流通の国内的、または国民的部面とその一般的世界市場的部面との分離が現れている。

●《鋳貨姿態》とはどんなものかという疑問が出され、「鋳造された金貨のこと」「英語版ではcoinになっている」との発言がありました。

■英語版では、表題は《 Coin and symbols of value 》となっている。

■流通手段としての貨幣の機能について、大谷禎之介氏は《商品流通の媒介者として、貨幣は流通手段という機能を受け取る。流通手段としての貨幣は、商品流通のなかで、たえず流通から脱落する商品のあとを埋めながら、商品所持者のあいだを転々と渡っていくことによって、商品生産社会における物質代謝を媒介するのである。》(『図解社会経済学』100頁)と述べている。

■鋳貨とその流通について、大谷禎之介氏は《流通手段としての金は、もともとは、売買のたびに、その純度が確かめられ、その重量が計量された秤量貨幣(ひょうりょうかへい)であった。しかし、取引のたびに試金や計量を行なうのは煩わしいので、商品流通の発展とともに、次第に、一定の極印(ごくいん)と形状とをもった鋳貨が生まれてくる。鋳貨とは、それがもつ一定の極印と形状とによって、円、ポンド等々という貨幣名で言い表された一定の金量を含んでいることを示す金片である。そして金地金(きんじがね)を鋳貨にする技術的な作業、つまり鋳造は、価格の度量標準の確定と同様に、国家の手によって行なわれるようになり、国家が鋳貨が含む金の品位(ひんい)と量目(りょうめ 重量)とを保証するようになる。》(『図解社会経済学』101頁)と述べている。

■ 【極印】ごくいん (大辞林 第二版より)
(1)江戸時代、品質証明あるいは偽造防止・盗難防止のため、品物や金銀貨に押した文字や印形。
(2)永久に残るしるし。いつまでも消えない証拠。刻印。

■【品位】ひんい(大辞林 第二版より)
(1)見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、おごそかさ。品。
「―が身にそなわる」「―に欠ける」
(2)金銀の地金や金貨銀貨の中に含まれる金・銀の割合。
「金貨の―が落ちる」
(3)鉱石中の金属の割合。
「―の高い鉱石」

■【量目】りょうめ (大辞林 第二版より)
量った品物の目方。はかりめ。りょうもく。
「―が不足だ」

●《金銀が鋳貨として身につけ世界市場では再び脱ぎ捨てるいろいろな国家的制服》とは何のことかという疑問が出され、「1ポンド金貨」とか「1円金貨」といった国によって違う貨幣単位のことだろうという結論になりました。世界市場では、鋳貨という制服を脱ぎ捨てて金地金の形態で貨幣として機能する。

●《商品流通の国内的、または国民的部面とその一般的世界市場的部面》とはどういうことかとの疑問が出され、「国内市場と外国との取引(貿易)のことだ」という結論になりました。

第2段落
・従って、金鋳貨と金地金とは、もともとただ外形によって区別されるだけであり、金は一方の形態から他方の形態に絶えず転化することができる。
・通流しているうちに、金鋳貨は、あるものよりは多く、あるものよりは少なく、摩滅する。
・同名の金鋳貨でも、重量が異なるために、価値が等しくなくなる。
・したがってまた、諸商品―金がこれらの商品の価格を実現するのであるが―の現実的等価物であることをやめる。
・この混乱の歴史が、中世および18世紀までの近代の鋳貨史をなしている。鋳貨の金存在を金仮象に転化させる、流通過程の自然発生的傾向は、一つの金貨を通用不能にする―すなわち廃貨扱いとする―金属目減りの程度にかんする最近の法律によって認められてさえいる。

★《現実的等価物であることをやめる》とは、20エレのリンネルの価格が、1円(金0.75グラム)であるとして、摩滅した1円金貨であれば金0.73グラムでしかない。この摩滅した1円金貨は、20エレのリンネルのリンネルの現実的等価物(金0.75グラム)ではなくなるということだろう。

●《一つの金貨を…廃貨扱いとする》とはどういうことかとの疑問が出され、「一つの貨幣と訳しているが、ここでの一つのはおかしい」「マルクスコレクション版では貨幣の資格を剥奪されると訳されている」「廃貨とは貨幣の機能を奪うことだ」との発言がありました。

■長谷部訳では、日本語にせずdemonetisierenと記している。

第3段落
・貨幣通流そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定在をその機能的定在から分離するとすれば、鋳貨機能においては、金属貨幣に代わって、他の材料からなる標章または象徴が登場する可能性を、貨幣通流は潜在的に含んでいる。
・金または銀のきわめて微少な重量部分を鋳造することの技術的障害と、もともと、より高級な金属の代わりにより低級な金属が価値尺度をつとめており、それゆえ、それらの金属がより高級な金属によって廃位されるときまでは、貨幣として流通しているという事情とが、銀製や銅製の標章が金鋳貨の代替物として果たす役割を歴史的に説明する。
・それらが金にとってかわるのは、鋳貨がきわめて急速に流通し、それゆえきわめて急速に摩滅する領域、すなわち、販売と購買がきわめて小さな規模で絶え間なく繰り返される領域である。
・これらの衛星が金そのものの地位に定着するのをさまたげるために、支払いにさいして金の代わりにこれらの衛星だけを受け取らなければならない割合が、法律で非常に低く規定されている。
・金は絶えず小売流通に入っていくが、補助鋳貨と替えられて、同じように絶えずそこから投げ出される。

★《これらの衛星》とは銀製や銅製の章標のことだろう。衛星は惑星の周りを公転している天体のことだが、金を中心に(従属的に)その周りを回っているといった感じを表現している。
●《衛星が金そのものの地位に定着するのをさまたげるために》とはどういう意味かとの疑問が出され、「補助鋳貨が小口取引の分野でのみ使われるようにするということではないか。日本では、同じ種類の硬貨は20枚以内であれば受けとる義務があるが、21枚以上なら受け取りを拒否できる。つまり、通用力に限界がある」との発言がありました。

■《銀貨や銅貨が流通することのできるのも、すでに見たように、流通手段としての貨幣の価値としての自立的定在が一時的・瞬過的なものであって、その機能を果たすのは貨幣の単に象徴的存在でも十分だ、ということにもとづいているのである。しかし、銀貨や銅貨が無制限に流通にはいり、しかも小規模流通部面を越えて高額取引の部面にまで侵入するようになれば、金鋳貨ないし金地金は姿を消して、取引はもっぱら銀・銅貨によって行なわれるようになり、それらが金の独占的な地位を奪い取る可能性があるので、法律で、それらの鋳貨によって支払われる場合に一回の支払いで受け取らなければならない貨幣額をきわめて低く限定することが行なわれる。たとえば、わが国の貨幣法では、銀貨は10円まで、ニッケル貨は5円まで、青銅貨は1円までが〈法貨〉として通用するものとしていた。つまり、受け手は、これらの額を超える金額については、これらの鋳貨を受け取ることを拒否して、金貨での支払いを請求することができたのである。このように〈本位貨幣〉以外の鋳貨は、補助的な理由通手段であるから〈補助鋳貨〉と呼ばれるのである。》(大谷禎之介「貨幣の機能」(「経済志林」第61巻第4号)278頁)

第4段落
・銀製または銅製の標章の金属部分は、法律によって任意に規定される。それらは、通流するうちに、金鋳貨よりもいっそう急速に摩滅する。
・金の鋳貨定在は、その価値実体から完全に分離する。こうして、相対的に無価値な物、すなわち紙券が、金の代わりに鋳貨として機能することができるようになる。

●《金の代わりに鋳貨として機能する》と述べているが、ここでの鋳貨の意味が問題になり、長谷部訳では《鋳貨(流通手段)》、マルクスコレクション版では《鋳貨[法定の流通手段]》と訳されていることが紹介され、鋳造された金属貨幣という文字通りの意味ではなく、流通手段ということだろうという結論になりました。

第5段落
・ここで問題となるのは、強制通用力をもつ国家紙幣だけである。←金属流通から発生
・これに対して 信用貨幣は、単純な商品流通の立場からいってわれわれのまだまったく知らない諸関係を想定する。
・本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生じるとすれば、
信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能に、その自然発生的な根源をもっている。

●「国家紙幣と信用貨幣との違いというのは何か、まだまったく知らない諸関係とは何か」という疑問が出されました。

●《単純な商品流通の立場》とは何かが問題になり、「現金取引ということではないか」との発言がありました。

★信用貨幣として銀行券を念頭に置いているとすれば、利子生み資本が問題になるが、ここではまだ資本さえも登場していない。

■ 紙幣 しへい
紙を素材とする貨幣をいい,金属貨幣に対する。狭義には政府紙幣のみをさすが,広義には銀行券も含む。両者は本来異質のものであるが,1930年代に世界的に銀行券が兌換(だかん)を停止され不換紙幣となって以来,その性格は政府紙幣に近くなった。政府紙幣は国家により強制通用力を与えられて流通し,流通必要量以上に発行されると価値を減じ,インフレーションを招く。最古の紙幣は中国で現れたとされる。日本では江戸時代の藩札などを先駆とし,維新後に財政収入の不足を補うため太政官(だじょうかん)札,大蔵省兌換(だかん)証券,民部省札などの政府紙幣が相次いで発行され,インフレを招いた。紙幣整理事業ののち1885年日本銀行兌換券が発行されたが,1931年兌換停止。政府紙幣は1899年通用廃止とされ,両大戦の際発行された小額紙幣も1953年廃止。現在は日本銀行券のみが流通している。(マイペディア)

■ 政府紙幣 せいふしへい
政府によって法貨として規定され,強制通用力を与えられた紙幣。政府が財政支出をまかなうために払い出すことによって流通に入り込み,一般に不換紙幣である。銀行券と違い,生産物の生産に直接見合うものではなく,自動的に回収されないのでインフレーションの発生と結びつくことが多い。(マイペディア)

■ 信用貨幣 しんようかへい
信用を基礎にして流通する貨幣(厳密には貨幣代用物)。基本的には支払手段としての貨幣機能から生じたもので,最初に商業信用に基づいて商業手形が信用貨幣になったが,銀行信用の発展に伴い,これを基礎にして流通する銀行券が現代の代表的な信用貨幣になっている。当座預金による預金貨幣はその発展した形態。 (マイペディア)

■手形 てがた
一定の金額の支払を目的とする有価証券。約束手形と為替手形の2形式がある。手形は金銭債権を表すもので,権利は証券と密接に結合しており,権利の発生,移転,行使のすべてが証券により行われる。金銭の支払,信用供与,送金または取立て等の機能を果たす。手形の法律的性格として,(1)有価証券,(2)要式証券(法律で定めた方式によって作成しなければならない),(3)設権証券(手形の振出しに見合う取引がなくても証券が交付されれば権利が発生する),(4)指図証券,(5)無因証券(発行の原因にかかわりなく,それ自体有効なものとされる),(6)文言証券(記載文句以外の効力はない),(7)呈示証券(権利の行使は,現物を呈示することが要件となる),(8)受戻証券(金銭を支払う際に,手形と引換えでなければ債務の弁済にはならない)が挙げられる。

■商業手形 しょうぎょうてがた
商取引の代金決済のため振り出された手形。その支払が確実で,期間も普通は短く,手形割引によって銀行から融資を受ける対象となる。融通手形と対比して真正手形ともいう。

■小切手 こぎって
振出人が銀行に一定金額の支払を委託する形式で振り出した有価証券。前提として銀行と当座預金の契約を結び,預金を小切手により処分することを約す。手形と異なりすべて一覧払証券であり呈示があれば直ちに支払う必要がある。現金に代わる支払手段として広く利用される。持参人払式小切手と記名式小切手とがある。

■銀行券 ぎんこうけん
銀行が発行する紙券通貨で,近世に入りロンドンの金匠が金貨等の預り証として発行した金匠手形(ゴールドスミス・ノート),さらに産業革命時に各々の銀行が発行した約束手形が流通範囲を広げ,発展したものである。19世紀半ばころから各国とも中央銀行が発券を独占。政府紙幣と異なる点は,第1にその本質が信用貨幣である点,第2にその国の経済の内在的需要によって発行されるので,返済の形で銀行に還流し,悪性インフレを招かないということである。中央銀行券は当初,金本位制度のもとで金と兌換(だかん)されるものであったが,管理通貨制度の採用後は不換紙幣となった。
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by shihonron | 2009-09-01 23:30 | 学習会の報告