『資本論』を読む会の報告

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2010年 03月 30日

第182回 3月30日第7章 剰余価値率

3月30日(火)に第182回の学習会を行いました。
 レジュメにもとづく報告を受け、「第7章 剰余価値率」の第16段落から第4節の最後までを検討しました。
 以下は当日配布されたレジュメの当該の部分です。

第7章 剰余価値率  第1節 労働力の搾取度

第17段落
・そこでまず、1万個のミュール紡錘をそなえ、アメリカ綿から32番手の糸を紡ぎ、毎週1紡錘あたり1ポンドの糸を生産するという一紡績工場の例をとろう。
・屑は6%とする。
・すると、毎週10600ポンドの綿花が加工されて、10000ポンドの糸と600ポンドの屑とになる。
・1871年4月にはこの綿花は1ポンドあたり3/4ペンスで、10600ポンドでは約342ポンド・スターリングになる。
・1万個の紡錘は、前紡機と蒸気機関とを含めて、1紡錘あたり1ポンド・スターリング、したがって10000ポンド・スターリングである。
・その損耗は、10%=1000ポンド・スターリング、1週間では20ポンド・スターリングである。
・工場建物の賃借料は、300ポンド・スターリング、週あたり6ポンド・スターリングである。
・石炭は(1時間1馬力当たり4ポンド、100馬力(指示器)で毎週60時間とし、建物の採暖用を含めて)週当たり11トン、1トン当たり8シリング6ペンスで、週当たり約4と1/2ポンド・スターリングとなる。
・ガスは週当たり1ポンド・スターリング、油は週当たり4と1/2ポンド・スターリング、したがって補助材料の合計は週当たり10ポンド・スターリングとなる。
・こうして、不変価値部分は週当たり378ポンド・スターリングである。
・労賃は、週当たり52ポンド・スターリングである。
・糸の価値は1ポンドにつき12と1/2ペンス、10000ポンドでは510ポンド・スターリングであり、したがって剰余価値は510-430=80ポンド・スターリングである。
・われわれは不変資本価値部分378ポンド・スターリングをゼロに等しいとする。
・というのは、それは毎週の価値形成には参加しないからである。
・そこで、毎週の価値生産物132=52v+80mポンド・スターリングが残る。
・したがって、剰余価値率は80/52であり、153と11/13%となる。
・10時間の平均労働日では、必要労働は3と31/33時間で剰余労働時間は6と2/33時間である。

■1シリング=12ペンス

★週当たり   綿花        342
        機械の損耗      20
        工場建物の賃借料    6              
        
        石炭          4と1/2
        ガス          1
        油           4と1/2  補助材料 10 

                         不変資本部分 378
        
        労賃         52      可変資本部分

生産物価値     510

剰余価値 510-(342+20+6+10)-52
     =510-378-52=80 

剰余価値率 80/52=153と11/13%

剰余労働:必要労働=剰余価値:労賃=80:52=20:13

        1労働日(10時間)のうちの必要労働=10×52/132
=10×13/33
=130/33
=3と31/33(時間)

1労働日(10時間)のうちの剰余労働=10×80/132
=10×20/33
=200/33
=6と2/33(時間)


第18段落
・ジェーコブは、1815年について、1クォーター当たり80シリングの小麦価格、1エーカー当たり22ブッシェルの平均収穫、したがって1エーカーは11ポンド・スターリングをあげるものと仮定して、次のような計算を与えている。
・それは種々の項目が前もって補正されているためにきわめて不完全ではあるがわれわれの目的には十分にまにあう計算である。

         1エーカー当たりの価値生産
    種子(小麦) 1ポンド  9シリング  十分の一税、地方税、国税 1ポンド 1シリング
    肥料     2ポンド 10シリング  地代           1ポンド 8シリング
    労賃     3ポンド10シリング   借地農業者利潤および利子 1ポンド 2シリング
     計  7ポンド9シリング       計   3ポンド11シリング

■1ポンド・スターリング=20シリング

第19段落
・生産物の価格はその価値に等しいという前提はつねに変わらないとすれば、剰余価値は、ここでは利潤や利子や十分の一税などといういろいろな項目に分割される。
・これらの項目はわれわれにはどうでもよい。
・われわれはそれらを合計して3ポンド11シリングという剰余価値を得る。
・種子や肥料の3ポンド19シリングは、不変資本部分としてゼロと等しいとする。
・すると、前貸可変資本3ポンド10シリングが残り、それに代わって、3ポンド10シリング・プラス・3ポンド11シリングという新価値が生産されている。
・そこで、m/v=3ポンド11シリング/3ポンド10シリングとなり、100%よりも大きい。
・労働者は彼の労働日の半分よりも多くを剰余価値の生産のために費やし、これをいろいろな人々がいろいろな口実のもとに自分たちのあいだで分配するのである。


第2節 生産物の比例配分的諸部分での生産物価値の表示

・必要労働時間=6時間 剰余労働時間=6時間 労働の搾取度=100%

・12時間労働日の生産物=30シリングという価値のある20ポンドの糸

・消費された生産手段の再現した部分(不変資本部分)=24シリング(綿花20シリング、紡錘など4シリング)

・紡績過程中に生じた6シリングの新価値=可変資本を補填3シリング+剰余価値3シリング

・糸価値30シリング=24シリングc+3シリングv+3シリングm
 20ポンドの糸  =16ポンドの糸(c)+2ポンドの糸(v)+2ポンドの糸(m)
 16ポンドの糸(24シリングの不変資本の価値)=131/3ポンドの糸(原料綿花の 価値20シリング)+22/3ポンドの糸(補助材料や労働手段4シリング)

・c:v:m=8:1:1  cのうち(原料):(補助材料や労働手段)=5:1
 したがって (原料):(補助材料や労働手段):(可変資本部分):(剰余価値部分)
       =20 : 4 : 3 : 3

(原料)       =20シリング= 131/3ポンドの糸→40時間の過去の労働
(補助材料や労働手段)=4シリング = 22/3ポンドの糸 →8時間の過去の労働
(可変資本部分)   =3シリング = 2ポンドの糸  →6時間の労働
(剰余価値部分)   =3シリング = 2ポンドの糸 →6時間の労働

・131/3ポンドの糸は、総生産物の原料だけを表している。

・22/3ポンドの糸は、20ポンドという糸という総生産物に消費された補助材料と労働手段だけを表している。

・16ポンドの糸は、使用価値としてみれば、糸としては、残りの生産物部分と全く同じに紡績労働の形成物であるにもかかわらず、この関連では少しも紡績労働を、つまり紡績過程そのもので吸収された労働を、含んでいない。

・これと反対に残りの4ポンドの糸は、今では、12時間労働の紡績過程で生産された6シリングの新価値の他にはなにも表してはいない。20ポンドの糸に具体化された紡績労働が、生産物の10分の2に集約されているのである。

・こうして毎日の紡績労働の全価値生産物が4ポンドの糸になって存在するのであるが、この4ポンドのうち、半分はただ消費された労働力の補填価値だけを表し、つまり3シリングの可変資本だけを表し、残りの2ポンドの糸はただ3シリングの剰余価値だけを表しているのである。

・20ポンドの糸 ← 60労働時間

・16ポンドの糸 ← 紡績過程以前に過ぎ去った48時間労働
          (糸の生産手段に対象化された労働の物質化)

・4ポンドの糸 ← 紡績過程そのもので支出された12時間労働の物質化

・糸の価値は、糸の生産中に生み出された新価値とすでに糸の生産手段のうちに前から存在していた価値との合計に等しい。今ここで示されたのは、生産物価値のうちの機能的または観念的に違った諸成分は生産物そのものの比例配分的諸部分で表されうる、ということである。

・このように生産物――生産過程の結果――が、ただ生産手段に含まれている労働または不変資本部分だけを表している生産物量と、ただ生産過程でつけ加えられた必要労働または可変資本部分だけを表しているもう一つの生産物量と、ただ同じ過程でつけ加えられ剰余労働または剰余価値だけを表している最後の生産物量とに分かれるということは、のちにこれが複雑で未解決な諸問題に応用されるときにわかるように、簡単なことであると同時に重要なことでもある。

●ここで言われている《複雑で未解決な問題》とは何かという疑問が出され、「利潤率のことではないか」「スミスのv+mのドグマのことではないか」という発言がありました。

・これまでわれわれは総生産物を12時間労働日の既成の結果として考察した。しかし、われわれはまたこの総生産物といっしょにその成立過程をたどりながら、しかもいくつかの部分生産物を機能的に区別された生産物部分として示すこともできるのである。

・12時間で20ポンドの糸を生産する。
・1時間で12/3ポンドの糸を生産する
・8時間で131/3ポンドの糸を生産する…1労働日に紡がれる綿花の総価値に相当する部分生産物を生産する
・1時間36分で22/3ポンドの糸を生産する…12労働時間中に消費される労働手段の価値を表している
・1時間12分で2ポンドの糸を生産する…6時間の必要労働でつくりだす全価値生産物に等しい生産物価値
・1時間12分で2ポンドの糸を生産する…6時間の労働によって生産された剰余価値に等しい

・このような計算の仕方は、イギリスの工場主のためには日常の使用に役立つのであって、たとえば彼は、1労働日の最初の8時間すなわち3分の2では自分の綿花を回収し、等々と言うであろう。もちろん、この方式は正しい。じっさいそれは、ただ第一の方式を、生産物の諸部分ができ上がって並んでいる空間から、それが次々にでてくる時間に翻訳したものにすぎない。

・しかしまた、この方式は非常に粗雑な考え方をともなうこともありうる。ことに、実際上は価値増殖過程に関心をもちながら理論的にはそれを曲解することを利益とする人々の場合には、なおさらそうである。たとえば、次のように思いこむこともありうる。

・われわれの紡績工は、彼の労働日の最初の8時間では綿花の価値を、次の1時間36分では消費された労働手段の価値を、さらに次の1時間12分では労賃の価値を生産または補填し、そして、ただあの有名な「最後の1時間」だけを工場主に、剰余価値の生産に、捧げるのだ、と。

★紡績工は、8時間で131/3ポンドの糸を生産する。それは、原料である綿花の価値に等しい。しかし、彼が生産したのは糸であり、綿花ではない。彼が8時間で付け加えた(生産した・形成した)価値は4ポンドの糸の価値に等しいのでる。原料である綿花の価値は、彼が生産したのではなく糸の生産以前に存在していたのである。紡績工は、糸を生産することによって(紡績労働によって)すでに存在していた綿花の価値を綿花から糸に移転したのである。

第3節 シーニアの「最後の1時間」

・シーニアは純益の全部が最後の1時間から引き出されていると主張する。彼の説明は以下のようなものである。

・投資額     100000ポンド・スターリング
・工場建物と機械 80000ポンド・スターリング
・原料と労賃   20000ポンド・スターリング
・売上高     115000ポンド・スターリング
・総収益      15000ポンド・スターリング

・115000のうちの100000は、ただ資本を補填するだけ。
・15000のうち5000は、工場と機械類の損耗を補填する。(だから、純益は10000ということになる。)
・「あとに残る2/23、すなわち毎日の二つの最後の半労働時間は、10%の純益を生産する。それゆえ、価値は元のままとして、この工場が11時間半ではなくて13時間作業してもよいならば、流動資本としての約2600ポンド・スターリングの追加によって、純益は2倍よりもおおくなるであろう。他方、もし労働時間が毎日1時間だけ短縮されるならば純益はなくなるであろうし、またもし1時間半短されるならば総収益もなくなるであろう。」

・注32への補足ではシーニアの混乱を指摘し、かれが本当に言いたかったことをまとめている。

・年間労働は11時間半に年間労働日数をかけたものから成っているが、ここでは年間労働を1労働日(11時間半=23/2時間)によって表現している

・23/2労働時間 115000ポンド・スターリングの年間生産物を生産

・20/2労働時間 100000ポンド・スターリングを生産(前貸資本を補填)
・3/2労働時間   15000ポンド・スターリングを生産(総収益を生産)
・この3/2労働時間のうち
  1/2労働時間は5000ポンド・スターリングを生産(工場や機械類の損耗分を補填)
  2/2労働時間は10000ポンド・スターリングを生産(純益を生産)

・シーニアは生産物の最後の2/23を労働日そのものの諸部分に変えているのである。

・機械類や工場建物や原料と労働とをごっちゃにしていること。
・一方の側には工場建物や機械類や原料などに含まれている不変資本を置き、他方の側には労賃として前貸しされる資本をおくべきだったのである。
・労働者は1時間で労賃を再生産または補填するということになれば以下のように続けるべきだったのである。
・諸君のいうところでは、労働者は最後から2番目の1時間で自分の労賃を生産し、最後の1時間で諸君の剰余価値または純益を生産する。

・彼は、同じ長さの時間では彼が、価値を生産するのは、ただ彼が労働を支出するかぎりでのことであって、彼の労働の量は彼の労働時間で計られるのだから、最後から2番目の1時間の生産物は、最後の1時間の生産物と同じ価値をもっている。
・さらに、彼が価値を生産するのは、ただ彼が労働を支出するかぎりでのことであって、彼の労働の量は彼の労働時間によって計られる。
・それは諸君の言うところによれば、1日に11時間半である。
・この11時間半の一部分を彼は自分の労賃の生産または補填のために費やし、他の部分を諸君の純益の生産のために費やす。
・その他には彼は1労働日のあいだ何もしない。
・ところが、陳述によれば、彼の賃金と彼の提供する剰余価値は同じ大きさの価値なのだから、明らかに彼は自分の労賃を53/4時間で生産し、そして諸君の純益を別の53/4時間で生産するのである。
・さらに2時間分の糸生産物の価値は、彼の労賃・プラス・諸君の純益という価値額に等しいのだから、この糸価値は、111/2労働時間で計られ、最後から2番目の1時間の生産物は53/4時間で計られ、最後の1時間の生産物もやはりそれで計られなければならない。

★新たにつけ加えられた(形成された)価値は、労賃と純益の和に等しい。それは11時間半の労働が対象化したものである。

・われわれは、いま、やっかいな点にきている。
・そこで、注意せよ! 最後から2番目の1労働時間も、最初のそれと同じに普通の1労働時間である。
・それよりも多くも少なくもない。
・それでは、どうして紡績工は、53/4時間を表す糸価値を1労働時間で生産することができるのか?
・彼はじつはそんな奇跡は行わないのである。
・彼が1労働時間で使用価値として生産するものは、一定量の糸である。
・この糸の価値は53/4時間で計られ、そのうち43/4は、毎年消費される生産手段すなわち綿花や機械類などのうちに彼の助力なしに含まれており、4/4すなわち1時間は彼自身によってつけ加えられている。
・つまり彼の労賃は53/4時間で生産され、また1紡績時間の糸生産物もやはり53/4労働時間を含んでいるのだから、彼の53/4紡績時間の価値生産物が1紡績時間の生産物価値に等しいということは、けっして魔法でもなんでもないのである。

★ここでマルクスが前提としているのは、1労働日11時間半、必要労働時間も剰余労働時間もともに54/3時間、つまり剰余価値率=100% ということである。
 c:v:m=91/2:1:1=19:2:2 であり、
 c:(v+m)=19:4=43/4:1 である。

・ところで、もし諸君が、綿花や機械類などの価値の再生産または「補填」のために労働者が彼の労働日のただの一瞬間でも失うものと考えるならば、それはまったく諸君の思い違いである。
・彼の労働が綿花や紡錘を糸にすることによって、つまり彼が紡績することによって、綿花や紡錘の価値はひとりでに糸に移るのである。
・これは彼の労働の質のおかげであって、その量のおかげではない。
・もちろん、彼は1時間では半時間よりも多くの綿花価値などを糸に移すであろう。
・しかし、それはただ彼が1時間では半時間よりも多くの綿花を紡ぐからに他ならない。
・そこで、諸君にもおわかりであろう。
・労働者がさいごから2番目の1時間で彼の労賃の価値を生産し最後の1時間で純益を生産するという諸君の言い方の意味するものは、彼の労働日のうちの2時間の糸生産物には、その2時間が前にあろうがあとにあろうが、111/2労働時間が、すなわち彼のまる1労働日とちょうど同じだけの時間が具体化されているということ以外のなにものでもないのである。
・そして、労働者は前半の53/4時間では自分の労賃を生産し後半の53/4時間では諸君の純益を生産するという言い方の意味するところもまた、諸君は前半の53/4時間には支払うが後半の53/4時間には支払わないということ以外のなにものでもないのである。
・私が労働への支払いと言い、労働力への支払いと言わないのは、諸君にわかる俗語で話すためである。

★俗語を用いないで述べるとどうなるのであろうか?
資本家は労働者から労働力をその価値どおりに買う。
労働力の価値が1万円=4時間の労働の対象化したものであったとしても、それは労働者が4時間を超えて働くことを排除しない。
労働者が8時間労働すれば、8時間の労働が対象化された価値=2万円が生産される。
資本家は、1万円と引き替えに2万円を手に入れることができる。
資本家は、対象化した4時間の労働と引き替えに8時間の労働を自分のものとすることができるのである。
8時間の労働のうち、4時間は労働力の価値に等しい部分=必要労働時間であり、残りの4時間は労働者が無償で資本家に引き渡す部分=剰余労働時間である。

・そこで、諸君が代価を支払う労働時間と支払わない労働時間との割合とを比べてみれば、諸君はそれが半日対半日、つまり100%であるのを見いだすであろう。
・余分の1時間半をただの剰余労働につけ加えれば、剰余労働は53/4時間から71/4時間に増え、剰余価値率は100%から1262/23%に上がる。
・10時間半に労働日が短縮されるなら、剰余労働は1時間減って43/4時間になり、剰余価値率は8214/23パーセントになるのであって、純益が全部なくなったりはしない。

第4節 剰余生産物 
・生産物のうち剰余価値を表している部分をわれわれは剰余生産物と呼ぶ。
・剰余価値率が、資本の総額にたいする剰余価値の比率によってではなく、資本の可変的成分にたいする剰余価値の比率によって規定されるように、剰余生産物の高さは、総生産物の残余に対するそれの比率によってではなく、必要労働を表している生産物部分にたいする剰余生産物の比率によって形成される。
・剰余生産物の生産が資本主義的生産の規定的な目的であるように、生産物の絶対量によってではなく剰余生産物の相対量によって富の高さは計られるのである。

●「本文ではここで初めて剰余生産物という言葉が出てくる。後の箇所での利潤率についての叙述でも、まず率が出てきている」との発言がありました。

★剰余生産物とは、生産物のうち剰余価値を表している部分だとマルクスは定義している。使用価値としてではなく、価値の問題とされている。価値は、労働の対象化であり、価値の大きさは労働時間によって規定される。物(使用価値)の量が問題なのではない、問題なのは必要労働(時間)と剰余労働(時間)であり、その比率である。そういう意味では、ここでもまず率が取り上げられているといえる。

■マルクスコレクションでは《剰余生産物の高さ》は《剰余価値の大きさ》、《富の高さ》は《富のレベル》と訳されている。新日本出版社版では《剰余価値の水準》《富の高さ》となっている。

・必要労働と剰余労働との合計、すなわち労働者が自分の労働力の補填価値と剰余価値とを生産する時間の合計は、彼の労働時間の絶対的な大きさ――1労働日(working day)をなしている。

■労働日 ろうどうび working‐day∥workday∥Arbeitstag[ドイツ]

1 日 24 時間のうち,労働者が賃金を得るため雇用主に提供する労働時間のことで,必要労働時間と剰余労働時間の合計。労働者は労働による肉体的・精神的疲労を回復するため,睡眠をとり,食事し,休息をとり,さらに市民として慣習的・文化的欲求を満たさねばならない。そのための労働者に自由な時間は弾力的で短縮可能であり,とくに労働者間で雇用と賃金をめぐる競争が激しい場合は,それが労働者を長時間労働に駆りたて,疲労の回復を遅らせたり,極端な場合はその回復を不可能にさせる。それゆえ歴史上,労働組合は労働者間の競争を排除しつつ, 標準労働日の設定とその短縮を求めてきた。他方,資本主義の発展は機械化と生産の効率化を推し進め,労働力の効率的利用を図るようになったから,雇用主のほうも過度の長時間労働は避けさせるようになった。こうして 20 世紀になって,1919 年には ILO 国際条約で8 時間労働制が確立されたのである。

 なお,また日常用語としては,労働者が労働力を資本家に提供する日,法的には,労働契約上労働義務のある日をいう。 ⇒労働時間  大塚 忠  (世界大百科事典)
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by shihonron | 2010-03-30 23:30 | 学習会の報告
2010年 03月 16日

第181回 3月16日 第7章 剰余価値率

 3月16日(火)に第181回の学習会を行いました。
 レジュメにもとづく報告を受け、「第7章 剰余価値率」の第1段落から第16段落までを検討しました。
 以下は当日配布されたレジュメの第1節 第16段落までの部分です。

第7章 剰余価値率

第1節 労働力の搾取度

第1段落
・前貸しされた資本Cが生産過程で生みだした剰余価値、すなわち前貸資本価値Cの増殖分は、まず第一に、生産物の価値がその生産要素の価値総額を超える超過分として現われる。

第2段落
・資本Cは二つの部分に分かれる。―生産手段に支出される貨幣額cと、労働力に支出される別の貨幣額v。
・cは不変資本に転化される価値部分を表わし、vは可変資本に転化される価値部分を表わす。
・そこで、最初はC=c+vであり、たとえば前貸資本500ポンド=410ポンドc+90ポンドv である。
・生産過程の終わりには商品が出てくるが、その価値は(c+v)+mで、このmは剰余価値である。
・たとえば、
 (410ポンドc+90ポンドv)+90ポンドm である。
・最初のCは、C′に、500ポンドから590ポンドになった。
・この二つの額の差額はmであり、90ポンドという剰余価値である。
・生産要素の価値は前貸資本の価値に等しいのだから、生産物価値がその生産要素の価値を超える超過分は前貸資本の増殖分に等しいとか、生産された剰余価値に等しいと言うことは、じつは同義反復なのである

★生産要素の価値=生産手段の価値+労働力商品の価値=前貸資本の価値

第3段落
・とはいえ、この同義反復は、もっと詳しい規定を必要とする。
・生産物価値と比較されるものは、その形成に消費された生産要素の価値である。
・ところで、われわれがすでに見たように、充用される不変資本のうちの労働手段から成っている部分は、ただその価値の一部分を生産物に移すだけで、他の部分は元のままの存在形態で存続している。
・このあとのほうの部分は価値形成ではなんの役割も演じないのだから、ここでは捨象してよい。
・それを計算に入れても、なにも変わりはないであろう。
・かりに、cは410ポンドで、312ポンドの原料と44ポンドの補助材料と仮定で消耗する54ポンドの機械類から成っているが、現実に充用される機械類の価値は1054ポンドだとしよう。
・生産物価値の生産のために前貸されたものとしては、われわれは、機械類がその機能によって失い、したがって生産物に移す54ポンドの価値だけを計算する。
・もし蒸気機関などとしてその形態のままで存続する1000ポンドを計算に入れるとすれば、それを両方の側に、前貸価値の側と生産物価値の側とに算入しなければならないであろう。
・そうすれば、それぞれ1500ポンドと1590ポンドとになるであろう。
・差額すなわち剰余価値は相変わらず90ポンドであろう。
・それゆえ、われわれが価値生産のために前貸された不変資本と言う場合には、それは
前後の関連から反対のことが明らかでないかぎり、いつでも、ただ生産中に消費された生産手段の価値だけを意味しているのである。

第4段落
・このことを前提して、C=c+vという式に変えれば、この式はC′=(c+v)+m
に転化し、また、まさにそうなることによって、CをC′に転化させる。
・言うまでもなく、不変資本の価値は生産物にはただ再現するだけである。
・だから、過程で現実に新たに生産される価値生産物は、過程から得られる生産物価値とは違っているのであり、したがって、それは、一見そう見えるように(c+v)+mまたは、(410ポンドc+90ポンドv)+90ポンドmではなく、v+mまたは(90ポンドv+90ポンドm)であり、590ポンドではなく、180ポンドである。
・かりにcすなわち不変資本がゼロだとすれば、言い換えれば、資本家は生産された生産手段を原料も補助材料も労働用具も充用する必要がなくただ天然にある素材と労働力だけを充用すればよいというような産業部門があるとすれば、その場合には生産物に移される不変資本価値部分はないであろう。
・生産物価値のこの要素、われわれの例では410ポンドは、なくなるであろう。
・しかし、90ポンドの剰余価値を含む180ポンドの価値生産物は、cが最大の価値量を表わすような場合とまったく同じ大きさであろう。
・C=(0+v)=vとなり、そして、C′、価値増殖した資本、=v+mとなり、C′-Cはやはりmに等しいであろう。
・逆にm=0ならば、言い換えれば、その価値が可変資本として前貸しされる労働力がただ等価を生産するだけだとすれば、C=c+vであり、そしてC′(生産物価値)=(c+v)+0となり、したがってC=C′となるであろう。
・前貸しされた資本は価値増殖してはいないであろう。

★ここではじめて「価値生産物」という言葉が登場する。生産された商品の価値=生産物価値にたいして、新たに生産された価値のことを価値生産物とよんでいる。

生産物価値=生産手段から移転した価値(旧価値)+新たに生産された価値(新価値)

価値生産物=新たに生産された価値(新価値)

第5段落
・われわれが事実上すでに知っているように、剰余価値は、ただvすなわち労働力に転換される資本部分に起きる価値変化の結果でしかないのであり、したがってv+m=v+Δv(v・プラス・vの増加分)である。
・ところが、現実の価値変化も、また価値が変化する割合も、総資本の可変成分が増大するので前貸総資本もまた増大するということによって不明にされるのである。
・前貸総資本は500だったが、それが590になる。
・そこで、過程の純粋な分析は、生産物価値のうちただ不変資本が再現するだけの部分をまったく捨象すること、つまり不変資本cをゼロに等しいとすることを要求するのであり、したがってまた、可変量[変数]と不変量[常数]とで運算が行なわれ不変量はただ加法または減法だけによって可変量と結合されている場合の数学の一法則を応用することを要求するのである。

●《可変量[変数]と不変量[常数]とで運算が行なわれ不変量はただ加法または減法だけによって可変量と結合されている場合》とはどんな場合という疑問が出され、「たとえば一次関数y=ax+bでは、a(比例定数)とbは不変数で、xが変数といったことではないか」との発言がありました。

★ y=2x+50 において
  x=10のときy=70
  x=20のときy=90
  x=30のときy=110
どの場合でも、xの増加量10に対応するyの増加量は20である。

第6段落
・もう一つの困難は、可変資本の元来の形態から生ずる。
・たとえば、前例ではC´=410ポンドの不変資本+90ポンドの可変資本+90ポンドの剰余価値 である。
・しかし、90ポンドは一つの与えられた量、すなわち不変量であり、したがって、それを可変資本として取り扱うことは不合理のように見える。
・しかし、90ポンドVすなわち90ポンドの可変資本は、ここではじつはただこの価値が通過する過程の象徴でしかないのである。
・労働力の買い入れに前貸しされる資本部分は、一定量の対象化された労働であり、したがって、買われる労働力の価値と同じに不変な価値量である。
・ところが、生産過程そのものでは、前貸しされた90ポンドに代わって、自ら活動する労働力が現れれ、死んでいる労働に代わって生きている労働が現れ、静止量に代わって流動量が、不変量に代わって可変量が現れるのである。
・その結果は、vの再生産・プラス・vの増加分である。
・資本主義的生産の立場から見れば、この全課程は、労働力に転換される元来は不変な価値の自己運動である。
・過程もその結果も、この価値のおかげである。
・それゆえ、もし90ポンドの可変資本とみずから増殖する価値という定式が矛盾したものに見えるとしても、それはただ資本主義的生産に内在する一つの矛盾を表しているだけなのである。

●《もう一つの困難》の「困難」とはどういう意味かという疑問が出され、「理解するこがむずかしいこと、あるいは難問といった意味ではないか」との発言がありました。また、「もう一つの」とあるが、これ以前にどんな困難が指摘されていたのかが問題となりました。これについては、「第5段落の《現実の価値変化も、また価値が変化する割合も、総資本の可変成分が増大するので前貸総資本もまた増大するということによって不明にされるのである》ということではないか」との発言がありました。

★《可変資本の元来の形態》は、新日本出版社版では《可変資本の最初の形態》マルクスコレクション版では《可変資本のもともとの形態》、長谷部訳では《可変資本の本源的形態》と訳されている。可変資本は、貨幣という形態で過程を開始するということだろう。

★《90ポンドvすなわち90ポンドの可変資本は、ここではじつはただこの価値が通過する過程の象徴でしかない》と書かれているがこの「象徴」とは、90ポンドという貨幣形態での可変資本は、可変資本が運動の過程で取る一つの形態であるに過ぎないという意味だと思われる。可変資本は、貨幣―労働力…生産物(商品の)の一部分―貨幣という形態変換をしつつ運動する。

★ 「死んでいる労働」=対象化された労働=価値
  「生きている労働」=流動状態にある労働力=価値を形成する

●《資本主義的生産の立場》とはどういう意味かが問題となり「資本家的立場のこと、資本家の持っている観念という意味ではないか」という発言がありましたが、これに対して「資本家の観念とはいえないのではないか」という疑義が出されました。

★《過程もその結果も、この価値のおかげである》という認識は、資本家的立場からのものである。

●《資本主義的生産に内在する一つの矛盾》とは何かが問題となり、取得法則の転回を指しているのではないか」との発言がありました。

★資本家と労働者は市場で等価交換(労働力商品の価値通りでの売買)を行うが、それは実質的には(労働と労働との交換としてみれば)不等価交換であるということを《資本主義的生産に内在する一つの矛盾》といっているように思える。

第7段落
・不変資本をゼロに等しいとすることは、一見したところ奇妙に思われる。
・とはいえ、それは日常生活では人々がいつでもやっていることである。
・たとえば、イギリスが綿工業であげる利益を計算しようとする人は、まず第一に、合衆国やインドやエジプトなどに支払われる綿花価格を引き去る。
・すなわち、彼は生産物価値のうちただ再現するだけの資本価値をゼロに等しいとするのである。

●「利益を計算するときには原材料費だけではなく人件費も引き去るのではないか」との発言がありこれに対して「確かにその通りだが、原材料費を引き去ることを取り上げればそれは原材料費をゼロと見なすことだといっているのではないか」との発言がありました。

第8段落
・もちろん、剰余価値の直接の源泉であり剰余価値によってその価値変化を表される資本部分にたいする剰余価値の比率だけではなく、前貸総資本にたいする剰余価値の比率もまた大きな経済的意義を持っている。
・それゆえ、われわれは第3部ではこの比率を詳細に論ずるのである。
・資本の一部分を労働力に転換することによって価値増殖するためには、資本のもう一つの部分は生産手段に転化されなければならない。
・可変資本が機能するためには、不変資本が労働過程の一定の技術的性格に応じて適当な割合で前貸しされなければならない。
・しかし、ある化学的な処置のためにレトルトやその他の容器を必要とするという事情は、分析に対してレトルトそのものを捨象することを妨げるものではない。
・価値創造と価値変化がそれ自身として、すなわち純粋に考察されるかぎりでは、生産手段は、不変資本のこの素材的な姿は、ただ、流動的な価値形成的な力がそこに固定されるべき素材を提供するだけである。
・それだから、この素材の性質も、綿花であろうと鉄であろうと、何でもかまわないのである。
・また、この素材の価値もどうでもよいのである。
・ただ、この素材が、生産過程中に支出される労働量を吸収することができるだけの十分な量でありさえすればよいのである。
・それだけの量が与えられていさえいれば、その価値が上がろうと下がろうと、またそれが土地や海のように無価値であろうと、それによって価値創造と価値変化との過程が影響されることはないのである。

■レトルト (オランダ)[retort]
化学実験器具の一。蒸留・乾留を行うもの。ガラスまたは金属製。球状の加熱反応部と、その上部から側方下向きに出ている細長い管とからなる。似た形で工業用の大型蒸留装置をもいう。(大辞林 第二版)

★流動的な価値形成的な力=流動的な労働力=労働力の支出=労働

第9段落
・こういうわけで、われわれはさしあたりは不変資本部分をゼロに等しいとする。
・したがって、前貸しされる資本は c+v からvに、また、生産物価値(c+v)+m は価値生産物(v+m)に縮小される。
・価値生産物=180ポンドが与えられていて、生産過程の全継続期間にわたって流動する労働がそれで表されるとすれば、われわれは、剰余価値=90ポンドを得るためには、可変資本の価値=90ポンドを引き去らなければならない。
・90ポンド=mという数は、ここでは、生産された剰余価値の絶対量を表している。
・しかし、その比例量、すなわち可変資本が価値増殖した割合は、明らかに、可変資本にたいする剰余価値の比率によって規定されている。
・または、m/vで表されている。
・つまり前例では90/90=100% である。
・この可変資本の価値増殖の割合、または、剰余価値の比例量を私は剰余価値率と呼ぶのである。

★剰余価値率= m/vであり、それは可変資本の価値増殖の割合を表す。

第10段落
・すでに見たように、労働者は労働過程の一部分ではただ自身の労働力の価値、すなわち自分の必要生活手段の価値を生産するだけである。
・彼は社会的分業にもとづく状態のもとで生産するのだから、自分の生活手段を直接に生産するのではなく、ある特殊な商品、たとえば糸という形で自分の生活手段の価値に等しい価値、または彼が生活手段を買うための貨幣に等しい価値を生産するのである。
・彼の労働日のうちで彼がこのために費やす部分は、彼の平均一日の生活手段の価値に応じて、すなわちこの生活手段の生産のために必要な一日平均の労働時間に応じて、比較的大きいこともあれば小さいこともある。
・彼の一日の生活手段の価値が、平均して、対象化された6時間労働を表すとすれば、労働者はこの価値を生産するために平均して毎日6時間労働しなければならない。
・かりに彼が資本家のためではなく自分自身のために独立に労働するとしても、その事情が変わらないかぎり、自分の労働力の価値を生産してそれによって自分自身の維持または不断の再生産に必要な生活手段を得るためには、やはり平均して1日のうちの同じ可除部分だけ労働しなければならないであろう。
・しかし、1労働日のうち彼が労働力の日価値たとえば3シリングを生産する部分では、彼はただ資本家によってすでに支払われた労働力の価値の等価を生産するだけだから、つまり新たに創造された価値でただ前貸可変資本価値を補填するだけだから、この価値生産は単なる再生産として現れるのである。
・だから、1労働日のうちこの再生産が行われる部分を私は必要労働時間と呼び、この時間中に支出される労働を必要労働と呼ぶのである。
・労働者のために必要、というのは、彼の労働の社会的形態にかかわりなく必要だからである。
・資本とその世界のために必要、というのは、労働者の不断の存在はこの世界の基礎だからである。

★《資本家のためではなく自分自身のために独立に労働する》とは、独立生産者などのことだろう。マルクスは《自分の労働力の価値を生産してそれによって自分自身の維持または不断の再生産に必要な生活手段を得るため》と述べているが、独立生産者の場合には労働力の価値は問題にならない(労働力は商品として売られるわけではない)。ここでは、賃労働者における必要労働を投影するような形で述べているのではないか。

●「マルクスはここで、《彼の労働の社会的形態にかかわりなく必要》と述べている。必要労働は、歴史貫通的(超歴史的)な概念ではないか」との発言がありました。

■《言うまでもなく、社会形態が異なれば、必須生活手段と剰余生産物への新生産物の分割のあり方も量的・質的に著しく異なる。とりわけ階級社会では、必須生活手段は剰余生産物に比べて量・質ともに貧弱であらざるをえない。しかし、ここでも階級間の力関係の変化で必須生活手段の内容は変化しうるものであって、固定的なものではけっしてない。かなめは、どんな社会でも、社会の総生産物は労働する諸個人の再生産にはいる部分とそれを超える部分とに分かれるのだというところにある。必須労働と剰余労働との区別は階級社会だけのものだとする一部の論者は、このことの意義と重要性とに気づいていないのである。》(大谷禎之介『図解社会経済学』27ページ 大谷禎之介氏は、通常の訳語では「必要生活手段」「必要労働」とされているものを「必須生活手段」「必須労働」と訳している。)

第11段落
・労働過程の第二の期間、すなわち労働者が必要労働の限界を超えて労苦する期間は、彼にとっては労働を、すなわち労働力の支出を必要とするには違いないが、しかし彼のためにはなんの価値も形成しない。
・それは、無からの創造の全魅力をもって資本家にほほえみかける剰余価値を形成する。
・労働日のこの部分を私は剰余労働時間と呼び、また、この時間に支出される労働を剰余労働(surplus labour)と呼ぶ。
・価値一般の認識のためには、価値を単なる労働時間の凝固として、単に対象化された労働として把握することが決定的であるように、剰余価値の認識のためには、それを単なる剰余労働時間の凝固として、単に対象化された剰余労働として把握することが決定的である。
・ただ、この剰余労働が直接生産者から、労働者から取り上げられる形態だけが、いろいろな経済的社会構成体を、たとえば奴隷制の社会を賃労働の社会から、区別するのである。

★ここでマルクスは剰余労働を規定している。それは労働日のうち「労働者が必要労働の限界を超えて労苦する期間」であり、それは剰余価値を形成する。

■マルクスは、注30でウィルヘルム・トゥキュディデス・ロッシャーの見解について触れているが、『直接的生産過程の諸結果』でもロッシャーについて以下のように述べている。
《W・ロッシャー氏は、明らかに、イギリスの経済学者たちが言っていることには感づきさえもせず、おまけに、シーニアが資本を「節欲」と名づけていることを時期はずれに思いだすのであるが、彼は次のような、文法的にも「器用な」教授的評言を述べている。「リカードの学派は資本をも『貯えられた労働』として労働の概念に包摂させるのをつねとする。これは不器用である。なぜなら、じっさい(!)資本所有者は、なんといっても(!)、資本の単なる(!)生産(!)や維持よりも多くのこと(!)をなしたのだからである。自分の享楽の抑制こそがまさにそれであって、その代償として彼はたとえば利子を要求するのである」(ロッシャー、前掲書[『国民経済学原理』])》(国民文庫65ページ)

■ ロッシャー Wilhelm Georg Friedrich Roscher 1817‐94
ドイツの経済学者で,ドイツ歴史学派の創始者の一人。歴史学と政治学の相互浸透を図ろうとするゲッティンゲン大学の伝統のなかで歴史学と政治学を修め,学位論文は歴史と政治学との関係を論じるものであった。以後ゲッティンゲン大学とライプチヒ大学で教鞭をとる。 1843 年に公刊された《歴史的方法による国家経済学要綱Grundriss zu Vorlesungen ‰ber die Staatswirtschaft nach geschichtlicher Methode》は歴史学派宣言とされ,その中で彼は,F.K.von サビニーや K.F.アイヒホルンの歴史的方法が法学に対して成し遂げたところを国家経済に対して成し遂げようとする旨を言明している。古典派は歴史的観点を欠くゆえに批判されるが,彼にあって古典派の理論研究と彼の歴史研究は必ずしも対立するものでなく,むしろ相互に補完するものと位置づけられていた。
                        (間宮 陽介 「世界大百科事典」)

■歴史学派 れきしがくは
経済法則の普遍性を否認し経済の歴史的特殊性を主張する,1840年代から20世紀初頭のドイツの経済学派。歴史法学と結び,古典派,のち限界効用学派と対立。F.リストを先駆者とし経済史の記述史的研究を主張した旧歴史学派(ロッシャー,クニース,ヒルデブラントら)と,研究を倫理的共同体論に結びつけ,社会政策による労資対立の解決を説く新歴史学派(シュモラー,L.ブレンターノらの講壇社会主義者)とに分かれる。
                                (マイペディア)

第12段落
・可変資本の価値はそれで買われる労働力の価値に等しいのだから、また、この労働力の価値は労働日の必要部分を規定しており、他方、剰余価値はまた労働日の超過部分によって規定されているのだから、そこで、可変資本にたいする剰余価値の比率は、必要労働にたいする剰余労働の比率であり、言い換えれば、剰余価値率=m/v=剰余労働/必要労働ということになる。
・この二つの比率は、同じ関係を別々の形で、すなわち一方は対象化された労働の形で、他方は流動している労働の形で表しているのである。

第13段落
・それゆえ、剰余価値率は、資本による労働力の搾取度、または資本家による労働者の搾取度の正確な表現なのである。

第14段落
・われわれの仮定によれば、生産物の価値は410ポンドc+90ポンドv+90ポンドm であり、前貸資本は500ポンドだった。
・剰余価値は90で前貸資本は500なのだから、ふつうの計算方法では、剰余価値率(利潤率と混同された)は18%と算出され、この比率の低さは、ケアリ氏やその他の調和論者を感動させるかもしれない。
・しかし、じつは剰余価値率は m/C または m/(c+v) ではなくて m/v であり、つまり、90/500ではなくて、90/90=100%であって、外見上の搾取度の5倍よりも大きいのである。
・いま、この与えられた場合には、われわれは労働日の絶対的な長さも、労働過程の期間(日や週など)も、最後にまた90ポンドという可変資本が一時に動かす労働者数も知らないのであるが、それにもかかわらず、剰余価値率m/vは、それが剰余労働/必要労働に転換されることによって、労働日の二つの成分の相互間の比率を正確にわれわれに示しているのである。
・それは100%である。
・つまり、労働者は1労働日の半分では自分のために、あとの半分では資本家のために労働したのである。

第15段落
・要するに、剰余価値率の計算方法は、簡単に言えば、次のようになるのである。
・まず生産物価値全体をとって、そこにただ再現するだけの不変資本価値をゼロに等しいとする。
・残りの価値額は、商品の形成過程で現実に生産された唯一の価値生産物である。
・剰余価値が与えられていれば、われわれはそれをこの価値生産物から引き去って可変資本を見いだすことになる。
・可変資本が与えられていてわれわれが剰余価値を求める場合は、逆である。
・もし、両方とも与えられていれば、可変資本にたいする剰余価値の比率m/vを計算するという最後の運算だけをやればよいのである。

第16段落
・方法はこのように簡単ではあるが、その根底にあって読者には不慣れな見方になじむように、いくつかの例で読者を訓練しておくことが適当だと思われる。
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by shihonron | 2010-03-16 23:30 | 学習会の報告
2010年 03月 09日

第180回 3月9日 第7章 剰余価値率

 3月9日(火)に第180回の学習会を行いました。
 レポーターが体調不良で欠席したため、「第7章 剰余価値率」の第1段落から第4段落までを輪読して検討しました。
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by shihonron | 2010-03-09 23:30 | 学習会の報告
2010年 03月 02日

179回 3月2日 第6章 不変資本と可変資本

 3月2日(火)に第179回の学習会を行いました。
 「第6章 不変資本と可変資本」の第14段落から最後(第26段落)までを検討しました。
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by shihonron | 2010-03-02 23:30 | 学習会の報告