『資本論』を読む会の報告

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2010年 05月 25日

第189回 5月25日 第16章  第17章

5月25日(火)に第189回の学習会を行いました。
レジュメに基づいた報告を受け、「第16章 剰余価値率を表す種々の定式」および「第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化」を検討しました。

以下は当日配布されたレジュメです。

第16章 剰余価値率を表す種々の定式

第1段落
・すでに見たように、剰余価値率は次のような定式で表される。

   Ⅰ 剰余価値/可変資本(m/v)=剰余価値/労働力の価値=剰余労働/必要労働

はじめの二つの定式は価値の比率を表し、第三の定式はこれらの価値が生産される時間と時間の比率を表している。
・これらの定式は、古典派経済学では、事実上仕上げられているが、意識的には仕上げられていない。
・古典派経済学では、次の派生的な定式に出会う。

   Ⅱ 剰余労働/労働日=剰余価値/生産物価値=剰余生産物/総生産物

ここでは、同一の比率が、順々に労働時間の形態、労働時間が具体化される価値の形態、これらの価値が存在している生産物の形態で、表現されている。もちろん、生産物の価値というのは、ただ労働日の価値生産物だけをさすと理解すべきであり、生産物価値の不変部分は除外されているものと想定されている。

第2段落
・これらすべての定式においては労働の現実の搾取度または剰余価値率は、まちがって表現されている

 Ⅰ 6時間の剰余労働/6時間の必要労働=3シリングの剰余価値/3シリングの可変資本=100%

Ⅱ 6時間の剰余労働/12時間の労働日=3シリングの剰余価値/6シリングの価値生産物=50%

第3段落
・この派生的な定式は、実際には、労働日またはその価値生産物が、資本家と労働者とのあいだに分割される比率を表現している。
・したがって、この定式が、資本の自己増殖度の直接的表現として妥当するならば、剰余労働または剰余価値は決して一〇〇%に達することができない、というまちがった法則が妥当することになる。
・剰余労働が全労働日を吸収するためには(ここでは労働週や労働年などの平均日を問題にしている)、必要労働はゼロにまで低下しなければならないであろう。
・しかし必要労働が消滅すれば、剰余労働もまた消滅する、なぜなら、剰余労働は必要労働の一つの機能にすぎないからである。
・ところが、剰余価値率または労働の現実の搾取度では、それが可能である。
・たとえば、L・ド・ラヴェルニュ氏の査定によれば、イギリスの農業労働者の剰余労働は、その必要労働に対して、三対一の割合であり、これは、三〇〇%の搾取率である。

★《剰余労働は必要労働の一つの機能にすぎない》とはどういう意味だろうか? 剰余労働と必要労働は相対概念だということか。

■【相対概念】
他の概念と相関してはじめて存在しうるような概念。例えば、親・子など。絶対概念に対していう。

■フランス語版では《だが、必要労働が消滅すれば剰余労働も同じく消滅する。剰余労働は必要労働の関数でしかないからである。》(下巻175頁・原頁229)となっている。

■剰余労働について第7章では次のように説明されていた。
《労働過程の第二の期間、すなわち労働者が必要労働の限界を超えて労苦する期間は、彼にとっては労働を、すなわち労働力の支出を必要とするには違いないが、しかし彼のためにはなんの価値も形成しない。それは、無からの創造の全魅力をもって資本家にほほえみかける剰余価値を形成する。労働日のこの部分を私は剰余労働時間と呼び、また、この時間に支出される労働を剰余労働(surplus labour)と呼ぶ。》(国民文庫374頁・原頁231)

第4段落
・労働日を不変の大きさとして取りあつかう学派的方法は、定式Ⅱの適用によって確立された。
・なぜなら、ここでは、剰余労働はつねにある与えられた大きさの労働日と比較されるからである。
・価値生産物の分割がもっぱら注目される場合も、同様である。
・すでにある価値生産物に対象化された労働日は、つねに与えられた限界を持つ労働日である。

第5段落
・剰余価値と労働力の価値とを価値生産物の分割部分として表すことは――この表現様式は、ともかくも資本主義的生産様式そのものから生ずるものであって、その意義はのちに解明されるであろう――、資本関係の独特な性格、すなわち、可変資本と生きた労働力との交換、およびそれに照応した生産物からの労働者の排除をおおい隠す。
・それに代わって、労働者と資本家とが生産物をそのさまざまな形成諸要因の割合に基づいて配分するある協同関係、といういつわりの外観が現れる。

★《可変資本と生きた労働力との交換》とは、貨幣の形態での資本と生きた労働力の交換のことであり、資本家による労働力商品の購買のことと言っていいか?

★《それに照応した生産物からの労働者の排除》とは、労働力を売った労働者は、自分たちが生産した生産物を自分のものとはできないこと、生産物のすべては資本家のものになるということだろう。

第6段落
・定式Ⅱは、つねに定式Ⅰに逆転化されうる。
・たとえば、 6時間の剰余労働/12時間の労働日 とするならば、必要労働時間は、一二時間の労働日から六時間の剰余労働を引いたものに等しく、次のようになる。
  6時間の剰余労働/6時間の必要労働=100/100

第7段落
 第三の定式は、私がすでに時おり先取りしていたものであるが、次の通りである・・

   Ⅲ 剰余価値/労働力の価値=剰余労働/必要労働=不払労働/支払労働

第8段落
・定式 不払労働/支払労働 は、資本家が支払うのは、労働にであって、労働力にではないという誤解をまねくかもしれないが、この誤解はさきに与えられた説明によって解消する。
・不払労働/支払労働 は、 剰余労働/必要労働 の通俗的な表現にすぎない。
・資本家は、労働力の価値、あるいはその価値から背離した労働力の価格を支払って、それと引き換えに生きた労働力そのものの処分権を受け取る。
・資本家によるこの労働力の利用は、二つの期間にわかれる。
・一つの期間では、労働者は、一つの価値=彼の労働力の価値、したがって等価を生産するだけである。・こうして資本家は、前貸しした労働力の価格に対して、同じ価格の生産物を受け取る。
・それは、あたかも彼がこの生産物をできあいのものとして市場で買ったようなものである。
・それに対して剰余労働の期間では、労働力の利用は、資本家のために価値を形成するのであるが、それは資本家には価値の代償を要しない。
・資本家は労働力のこの流動化を無償で手に入れる。
・この意味において、剰余労働は不払労働と呼ばれうる。

★「通俗的な表現」とは、厳密に正確ではなく「俗受けする表現」ということだろうか? マルクス以前に「不払労働」という表現を用いていた人がいたのか?

■「第8章 労働日」の第16段落では《「安売り親方」(“ underselling masters ”)については、ブルジョア的立場でさえも「職人の不払労働(the unpaid labour of the men)が彼らの競争の基礎をなしている」と理解している。》という記述(国民文庫43頁・原頁265)がある。なお引用はジョージ・リード『製パン業の歴史』からと註80で示されている。

■《必要労働と剰余労働との区別は,より通俗的には, (支払労働>(bzahlte Arbeit)と〈不払労働)(unbezalte Arbeit) との区別としてもあらわされうる. といっても,資本家は労働力に支払うのではなく労働に支払うかのように誤解してはならない. 必要労働時間には.資本家は,彼の支払う労働力の価格と同じ価格の生産物を受けとる. それは,あたかも市場で既製品を買ったようなものである. 他方,剰余労働時間には,労働力は資本家のために無償で価値を形成する. 資本家は,この労働力の流動化を,なにものをも支払うことなく入手する.この意味で,必要労働は支払労働,剰余労働は不払労働とよばれうることになる》(『資本論辞典』385頁)

★可変資本(貨幣)→必要労働が対象化した価値=前貸しした可変資本と同じ価値の生産物
 前貸した価値ゼロ(無償)→剰余労働が対象化した価値(剰余価値)

第9段落
・したがって、資本は、A・スミスが言うように、労働に対する指揮権であるだけではない。
・それは、本質的に不払労働に対する指揮権である。
・すべての剰余価値は、それがのちに利潤、利子、地代などのどのような特殊な姿態に結晶化しようとも、その実体からすれば、不払労働時間の体現物である。
・資本の自己増殖についての秘密は、資本が他人の一定量の不払労働に対し処分権を持つということに帰着する。

 第六篇 労賃                      
  第一七章 労働力の価値または価格の労賃への転化

*初版の編別構成は---第五章絶対的および相対的剰余価値の生産にかんする追加的研究
            (四)労賃という形態に転化した労働力の価値または価格
*労働力と労働,労働力の価値規定,労働力の価値の貨幣表現=労働力の価格 等は解明済み
*労賃とは労働力の価格という意味ではすでに頻出

①ブルジョア社会の表面
 賃金⇒労働の価格(一定量の労働に支払われる一定量の貨幣)として,現われる。

②労働の価値の大きさを労働によって規定するというばかげた同義反復
・ある商品の価値とはなにか? その商品の生産に支出された社会的労働の対象的形態である。
・何によってその商品の価値の大きさを計るか? その商品に含まれている労働の大きさによっ  てである。
・12時間労働日の価値はなにによって規定されているだろうか? 12時間から成っている一労働  日に含まれている12労働時間によって。これはばかげた同義反復である

③商品「労働」の矛盾----商品は対象物
・商品として市場で売られるためには,労働は,売られる前に存在していなければならない。
・労働者が労働に独立の存在を与えられるのなら,彼が売るものは商品であって労働ではない。

④⑤剰余価値の説明ができない
・貨幣すなわち対象化された労働と生きている労働とが直接に交換されるとすれば⇒価値法則を 廃止するか,貸労働によって立つ資本主籤的生産そのものを廃止することであろう。
・等価物どうしが交換されるとすれば,労働者は12時間の労働と引き換えに6s.を受け取る。彼の労 働の価格は彼の生産物の価格に等しい。この場合には彼は彼の労働の買い手のために剰余価値を 生産しない。6s.は資本に転化せず,資本主義的生産の基礎は消滅する。しかし,まさにこの基礎 の上でこそ,彼は自分の労働を売るのであり,彼の労働は賃労働なのである。
・彼は12時間の労働と引き換えに6s.よりも少なく,すなわち12時間の労働よりも少なく受け取ると しよう。不等な諸量を等置することは,ただ価値規定を廃棄するだけではない。自分自身を廃棄 する矛盾は,およそ法則として言い表し,または定式化することなどできない。
・より多い労働とより少ない労働との交換を,一方は対象化された労働で他方は生きている労働だ という形態の相違から引き出すことは,なんの役にもたたない。
・商品の価値量を規定するものは,その商品の生産に必要な労働の量であって,労働の対象的形態で はないのである。

⑥⑦ここまでのまとめ
・商品市場で直接に貨幣所持者に向かい合うのは,じっさい,労働ではなくて労働者である。 労働 者が売るものは,彼の労働力である。彼の労働が現実に始まれば,それはすでに彼のものではなく なっており,したがってもはや彼によって売られることはできない。労働は,価値の実体であり内 在的尺度ではあるが,それ自身は価値をもってはいない。
・「労働の価値」という表現---価値概念はまったく消し去られているだけではなく,その反対 物に転倒されている。それは一つの想像的な表現であって,たとえば土地の価値というようなも のである。
・このような想像的な表現は生産関係そのものから生ずる。それらは,本質的な諸関係の現象形態 を表わす範疇である。現象では事物が転倒されて現われることがよくある。

⑧古典派経済学の到達点と限界
・古典派経済学は,日常生活から無批判的に「労働の価格」というカテゴリーを借用し,そのあとで, どのようにこの価格が規定されるか?を問題にした。
・古典派経済学が発見したこと。---需要と供給とが一致すれば,その他の諸事情が不変ならば, 価格の振動はなくなる。そのときは,需要供給はなにごとかを説明することをやめる。労働の価 格は,需要と供給とが一致していれば,需要供給関係とは無関係に規定される価格,すなわち労働 の自然価格である。そして,これが分析されるべき対象(科学的分析の真の対象)である
・労働の偶然的な市場価格を支配し規制する価格(労働の「必要価格」,「自然価格」)は,他の 商品の場合と同じに,貨幣で表現された労働の価値でしかありえない。このようにして,経済学は, 労働の偶然的な価格をつうじて労働の価値に到達しようと思った(古典派経済学は,このように して,労働の偶然的な価格から労働の実在的な価値にさかのぼった,と思い込んだ)。
・次に,他の諸商品の場合と同じに,労働の価値も生産費によって規定された。

・労働者の生産費,すなわち,労働者そのものを生産または再生産するための費用とはなにか? こ の問いが,最初の問いに代わって,無意識的に経済学のなかに滑り込んできた(古典派経済学は その時まで自分の研究対象であった労働の価値の代わりに,労働力の価値を置いた)。というの は,経済学は,労働そのものの生産費を問題にしていては循環論法に陥り,先に進めなかったから である。経済学が労働の価値と呼ぶものは,じつは労働力の価値であった。
・人々は,労働の市場価格といわゆる労働の価値との相違や,この価値の利潤率にたいする関係・労 働によって生産される商品価値にたいする関係などに没頭してしまって,分析の進行が労働の市 場価格からいわゆる労働の価値に達しただけではなく,この労働の価値そのものをさらに労働力 の価値に帰着させるに至ったということに,ついに気がつかなかった。
・このような自分自身の分析の結果を意識していなかったということ,「労働の価値」とか「労働 の自然価格」とかいう範疇を問題の価値関係の最後の十全な表現として無批判に採用したという ことは,あとで見るように,古典派経済学を解決のできない混乱や矛盾に巻き込んだのであるが, それがまた俗流経済学には,原則としてただ外観だけに忠実なその浅薄さのための確実な作戦基 地を提供したのである。

労賃---その不合理性
⑨労働力の価値と価格が労賃(労働そのものの価値・価格)というそれらの転化形態にどのように 現われるか


・慣習的な1労働日は12時間,労働力の日価値は3s.(6労働時間を表わす価値の貨幣表現)
・労働者が3s.を受け取るならば,彼は12時間機能する彼の労働力の価値を受け取るわけである。
・もしこの労働力の日価値が1日の労働の価値として言い表わされるならば,12時間の労働は3s.の 価値をもつ,という定式が生ずる。
・労働力の価値は,このようにして,労働の価値(貨幣で表わせば,労働の必要価格)を規定する。・もし労働力の価格が労働力の価値からずれるならば,労働の価格もまたいわゆる労働の価値から ずれるわけである。


・労働の価値=労働力の価値の不合理な表現⇒労働の価値はつねに労働の価値生産物よりも小さ い。資本家は労働力をそれ自身の価値の再生産に必要であるよりも長く機能させる。
・前の例では,12時間機能する労働力の価値は3s.ところが,この労働力の価値生産物は6s.である。・こうして,6s.という価値をつくりだす労働は3s.という価値をもっている,という一見してばかげ た結論が出てくるのである。

⑫労賃形態の役割---搾取関係を隠蔽
・1労働日の支払部分すなわち6時間の労働を表わしている3s.という価値は,支払われない6時間を 含む12時間の1労働日全体の価値または価格として現われる。つまり,労賃という形態は,労働日 が必要労働と剰余労働とに分かれ,支払労働と不払労働とに分かれることのいっさいの痕跡を消 し去る。すべての労働が支払労働として現われる。
・夫役---夫役民が自分のために行なう労働と彼が領主のために行なう強制労働とは,空間的に も時間的にもはっきりと感覚的に区別される。
・奴隷労働---労働日のうち奴隷が自分のために労働する部分も,彼の主人のための労働として (不払労働として)現われる。奴隷が自分のために労働することを所有関係がおおい隠す。
・賃労働---剰余労働または不払労働でさえも,支払われるものとして現われる。賃金労働者が 無償で労働することを貨幣関係がおおい隠すのである。
・だから,労働力の価値と価格が労賃という形態に,すなわち労働そのものの価値と価格とに転化することの決定的な重要性が分かる。現実の関係を目に見えなくしてその正反対を示すこの現象形態こそは,労働者ならびに資本家のあらゆる法律観念,資本主義的生産様式の一切の神秘化,この生産様式のすべての自由幻想,俗流経済学の一切の弁護論的空論の基礎である。---⑬

労賃(労働に対する賃金)の観念を生み出す事情---労賃形態の必然性
      (労働にたいする支払いのように見える理由)
・労賃の秘密を見破るためには世界史は多大の時間を必要とするのであるが,この現象形態の必然 性,その存在理由を理解することは容易。---⑭
(a) 資本と労働とのあいだの交換は,人間の知覚には,他のすべての商品の売買とまったく同じ仕方 で現われる。買い手は或る貨幣額を与え,売り手は貨幣とは違った或る物品を与える。---⑮
(b) 交換価値と使用価値とはそれ自体としては通約のできない量⇒「労働の価値」とか「労働の 価格」とかいう表現も,「綿花の価値」とか「綿花の価格」とかいう表現以上に不合理なものに は見えないのである。---⑯
(c) 労働者は自分の労働を提供したあとで支払を受けるということ。貨幣は,支払手段として機能 する場合には,提供された物品の価値または価格をあとから実現するのである。提供された労働 の価値または価格をあとから実現する。---⑯
(d) 労働者が資本家に提供する「使用価値」は,実際には彼の労働力ではなくその機能なのであり, たとえば裁縫労働とか製靴労働とか紡績労働とかいう一定の有用労働である。その同じ労働が別 の面から見れば一般的な価値形成要素であるということ,この性質によって労働は他の一切の商 品から区別されるのであるが,それは普通の意識の領域の外にあるのである。---⑯

⑰労働者の立場から
・たとえば12時間の労働にたいして,6時間で生産される価値,たとえば3s.を受け取る労働者の立 場に立って見れば,彼にとっては実際には彼の12時間の労働が3s.の購買手段である。
・彼の労働力の価値の変動によって,または需要供給関係の変動によって賃金は4s.または2s.に変 わりうるが,労働者はつねに12労働時間を提供する。
・だから,彼の受け取る等価の大きさが変わるごとに,その変動は彼にとっては必然的に彼の12労働 時間の価値または価格の変動として現われるのである。
・この事情は,労働日を一つの不変量として取り扱うアダム・スミスを惑わして,逆に,次のような 主張をさせることになった。すなわち,生活手段の価値が変動したために同じ労働日が労働者に とってより多くの貨幣に表わされたりより少ない貨幣に表わされたりしても,労働の価値は不変 である,というのである。「労働者が自分の労働の報酬として受け取る諸商品の量がどうあろう と,彼が支払う価格は常に同じである。この価格は現実には,時にはこれらの諸商品のより大き な分量を,時にはより小さな分量を買うことができるが,変動するのは諸商品の価値であって, 諸商品を買う労働の価値ではない。・・・・・・等量の労働は常に等しい価値である」

⑱資本家の立場から
・資本家は何を望むか?できるだけ多くの労働をできるだけ少ない貨幣で手に入れようとする。彼 が関心をもつのは,ただ労働力の価格と労働力の機能がつくりだす価値との差だけである。
・彼はどんな商品でもできるだけ安く買おうとするのであって,いつでも,自分の利潤は価値よりも 安く買って高く売るという単純な詐取から生ずるのだと考えているのである。
・それゆえ,もし労働の価値というようなものが現実に存在していて,彼がこの価値を支払うのだ とすれば,資本というものは存在しないだろうし,彼の貨幣も資本に転化しはしないだろうという ことには,彼は決して気付くことができない。

⑲労賃の現実の運動がしめすもの
・労賃の現実の運動が示す諸現象⇒労働力の価値が支払われるのではなくて労働力の機能すなわ ち労働そのものの価値が支払われるのだということを証明しているように見える。
・第一には,労働日の長さの変動につれての労賃の変動である。
・第二には,同じ機能を果たす別々の労働者たちの労賃の個人的差異である。

⑳現象形態は普通の思考形態として直接にひとりでに再生産される
・「労働の価値および価格」または「労賃」という現象形態は,本質的な関係としての労働力の価 値および価格とは区別される。
・現象形態のほうは普通の思考形態として直接にひとりでに再生産されるが,その背後にあるもの は科学によってはじめて発見されなければならない。
・古典派経済学は真実の事態にかなり近く迫ってはいるが,それを意識的に定式化することはして いない。古典派経済学は,ブルジョアの皮にくるまれているかぎり,それができないのである。
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by shihonron | 2010-05-25 23:30 | 学習会の報告
2010年 05月 18日

第188回 5月18日 第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動

5月18日(火)に第188回の学習会を行いました。
レジュメに基づいた報告を受け、「第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動」の第4節を検討しました。

以下はレジュメです。

第4節 労働の持続と生産力と強度とが同時に変動する場合

★「労働の持続」とは「労働日」あるいは「労働時間」のこと。

第1段落・この場合には明らかに多数の組合せが可能である。
・すべての可能な場合の分析は、第3節までで与えられた解明によって容易である。
・二つの重要な場合について簡単に注意するだけにしておく。

第2段落・(1)労働の生産力(労働力の価値を規定する労働部門での)が低下して同時に労働日が延長される場合。

第3段落
ケース1 剰余価値の絶対量は減少し、労働力の価値に対する割合も減少
 A 12時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=6時間(3シリング)  M=V
       ↓
 B 12時間労働日 V=8時間(4シリング)・M=4時間(2シリング)  M=0.5V

ケース2 剰余価値の絶対量は不変だが労働力の価値に対する割合では減少
 A 12時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=6時間(3シリング)  M=V
       ↓
 B 14時間労働日 V=8時間(4シリング)・M=6時間(3シリング)  M=0.75V

ケース3 剰余価値の絶対量は増加するが労働力の価値に対する割合は不変
 A 12時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=6時間(3シリング)  M=V
       ↓
 B 16時間労働日 V=8時間(4シリング)・M=8時間(4シリング)  M=V

ケース4 剰余価値の絶対量も労働力の価値に対する割合も増大する
 A 12時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=6時間(3シリング)  M=V
       ↓
 B 18時間労働日 V=8時間(4シリング)・M=10時間(5シリング) M=1.25V

・労働の生産力が低下して同時に労働日が延長される場合には、剰余価値の比率的大きさは減少しても
その絶対量は変わらないことがありうる。(ケース2)
・また、剰余価値の絶対量は増加してもその比率的な大きさは変わらないこともありうる(ケース3)し、また延長の程度によっては剰余価値が絶対的にも比率的にも増大することもありうる(ケース4)のである。

第4段落
・1799年から1815年までの期間にイギリスでは生活手段の価格騰貴は、生活手段で表される現実の労賃が下がったのに、名目的な賃金引き上げを伴った。
・このことから、ウェストやリカードは、農耕労働の生産性の減退が剰余価値率の低下を引き起こしたという結論を引き出し、この彼らの空想のなかでしか妥当しない仮定を、労賃と利潤と地代との相対的な量的関係についての重要な分析の出発点にした。
・ところが、高められた労働の強度と強制された労働時間の延長とのおかげで、剰余価値は当時は絶対的にも相対的にも増大したのである。
・この時代こそは、無限度な労働日の延長が市民権を獲得した時代だったのであり、一方では資本の、他方では極貧の、加速度的な増加によって特別に特徴づけられた時代だったのである。

第5段落
・(2)労働の強度と生産力とが増大して同時に労働日が短縮される場合

第6段落
・労働の生産力の上昇と労働の強度の増大は両方とも、労働日のうち必要労働時間を短縮する。
・労働日の絶対的な最小限界は、一般に、労働日のこの必要ではあるが収縮可能な構成部分によって、画される。
・1労働日全体をそこまで収縮すれば、剰余労働は消滅するであろうが、それは資本の支配体制のもとではありえない。
・資本主義的生産形態の廃止は、労働日を必要労働だけにかぎることを許す。
・とはいえ、必要労働は、その他の事情が変わらなければ、その範囲を拡大するであろう。
・なぜならば、一方では、労働者の生活条件がもっと豊かになり、彼の生活上の諸欲求がもっと大きくなるからである。
・また、他方では、今日の剰余労働の一部分は必要労働に、すなわち社会的な予備財源と蓄積財源との獲得に必要な労働に、数えられるようになるであろう。

■フランス語版では《資本主義制度が廃止されれば、剰余労働が消滅し、労働日はそっくりそのまま必要労働に縮小されうるであろう。しかし、忘れてはならないのは、現在の剰余労働部分、準備財源と蓄積財源との形成にあてられる部分が、この場合には必要労働として計算されるということであり、また、必要労働の現在の大きさを制限するものは、雇主の冨を生産するように運命づけられている賃金労働者階級の生計費だけであるということである。》となっている。

第7段落
・労働の生産力が増進すればするほど労働日は短縮されることができるし、また労働日が短縮されればされるほど労働の強度は増大することができる。
・社会的に見れば、労働の生産性は労働の節約につれても増大する。
・この節約には、単に生産手段の節約だけではなく、いっさいの無用な労働時間を省くことが含まれる。
・ 資本主義的生産様式は、各個の事業では節約を強制するが、この生産様式の無政府的な競争体制は、社会全体の生産手段と労働力との最も無限度な浪費を生みだし、それとともに、今日では欠くことができないにしてもそれ自体としてはよけいな無数の機能を生み出すのである。

第8段落
・労働の強度と生産力とが与えられていれば、労働のすべての労働能力ある社会成員のあいだに均等に配分されていればいるほど、すなわち、社会の一つの層が労働の自然必然性を自分からはずして別の層に転嫁することができなければできないほど、社会的労働日のうちの物質的生産に必要な部分はますます短くなり、したがって、個人の自由な精神的・社会的活動のために獲得された時間部分はますます大きくなる。
・労働日の短縮の絶対的限界は、この面から見れば、労働の普遍性である。
・資本主義社会では、ある一つの階級のための自由な時間が、大衆のすべての生活時間が労働時間に転化されることによって、つくりだされるのである。

■フランス語版では《この意味では、労働日の短縮はその最後の限界を、手の労働の普遍化のうちに見出す。》となっている。

★労働可能なすべての人が生産的労働を担うことによって、労働時間の短縮は極限にまで可能となり、自由な時間を個人の才能の開花のために使うことができるということだろう。

■《言うまでもなく、社会形態が異なれば、必須生活手段と剰余生産物への新生産物の分割のあり方も量的・質的に著しく異なる。とりわけ階級社会では、必須生活手段は剰余生産物に比べて量・質ともに貧弱であらざるをえない。しかし、ここでも階級間の力関係の変化で必須生活手段の内容は変化しうるものであって、固定的なものではけっしてない。かなめは、どんな社会でも、社会の総生産物は労働する諸個人の再生産にはいる部分とそれを超える部分とに分かれるのだというところにある。必須労働と剰余労働との区別は階級社会だけのものだとする一部の論者は、このことの意義と重要性とに気づいていないのである。》(大谷禎之介『図解社会経済学』27ページ 大谷禎之介氏は、通常の訳語では「必要生活手段」「必要労働」とされているものを「必須生活手段」「必須労働」と訳している。)


■《生産手段が社会によって把握されるとともに、商品生産は廃止され、したがってまた生産者にたいする生産物の支配も廃止される。社会的生産の内部の無政府状態にかわって、計画的・意識的な組織が現われる。個体生存競争はなくなる。こうして、はじめて人間は、ある意味では、動物界から最終的に分離し、動物的な生存条件から真に人間的な生存条件にはいりこむ。人間をとりまく生活諸条件の全範囲は、いままで人間を支配してきたが、いまや人間の支配と制御のもとにはいる。人間は、自分自身の社会化の主人となるから、またそうなることによって、はじめて自然の意識的な真実の主人となる。これまでは、人間自身の社会的行為の諸法則は、人間を支配する外的な自然法則として人間に対立してきたが、いまや、人間によって十分な専門知識をもって応用され、したがって人間によって支配されるようになる。人間自身の社会化は、これまでは、自然と歴史とによって無理に押しつけられたものとして人間に対立してきたが、いまや、人間の自由な行為となる。これまで歴史を支配してきた客観的な外的な諸力は、人間自身の制御に服する。このときからはじめて、人間は十分な意識をもって自分の歴史を自分でつくるようになる。このときからはじめて、人間によってはたらかされる社会的な諸原因は、主として、またますます大きくなる度合いで、人間が欲するとおりの結果を生むであろう。これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である。》(国民文庫『空想から科学へ』112-113頁)
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by shihonron | 2010-05-18 23:30 | 学習会の報告
2010年 05月 11日

第187回 5月11日 第14章 ・第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動

5月11日(火)に第187回の学習会を行いました。
「第14章 絶対的および相対的剰余価値」の第18段落から最後(第29段落)までを輪読して検討、レジュメに基づいた報告を受け、「第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動」の第1節から第3節までを検討しました。

以下は当日配布されたレジュメです。


第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動

■フランス語版(第17章)ではタイトルは「剰余価値と労働力の価値との間の量的比率に
おける変動」となっている。

★さらに立ち入って剰余価値率の変動を考察の対象にしているといえるのではないか?

前文

第1段落・労働力の価値は、平均労働者の習慣的に必要な生活手段の価値によって規定されている。
・この生活手段の量は、一定の社会の一定の時代には与えられていて、不変量とみなされる。
・この生活手段の価値は変動することがありえる。
・このほかに、生産様式につれて変わる労働力の育成費と労働力の自然的相違(性や年齢)の二つが労働力の価値規定に参加する。
・これら二つの要因は以下の研究では除外されている。

★生活手段の価値の変動による労働力の価値の変動のみを取り上げて考察する。

第2段落
・(1)商品は価値どおりに売られる。(2)労働力はその価値よりも低くなることはない。を前提にする。
・労働力の価格と剰余価値との相対的な大きさは次の3つの事情に制約される。
 (1)労働日の長さ、すなわち労働の外延量
 (2)労働の正常な内包量。したがって一定の時間に一定の労働量が支出されるということ。
 (3)労働の生産力。したがって生産条件の発展度に従って同量の労働が同じ時間に供給する生産物    の量が大きかったり小さかったりすること

第1節 労働日の長さと労働の強度とが不変(与えられていて)で労働の生産力が可変である場合

第1段落・この前提のもとでは労働の価値と剰余価値とは3つの法則によって規定されている。
・第1に、与えられた長さの1労働日は、たとえどのように労働の生産性が、またそれにつれて生産物量が、したがってまた個々の商品の価格が変動しようとも、つねに同じ価値生産物に表される。

第3段落
・第2に、労働力の価値と剰余価値とは互いに反対の方向に変動する。
・労働力の価値(必要労働時間)と剰余価値(剰余労働時間)の和が1労働日の価値生産物(新価値)。

第4段落
・1労働日の価値生産物が不変量であるとすれば、この不変量は剰余価値と労働力の価値との合計に等しく、一方が減少しなければ、他方が増加することはできないということは自明である。
・このような事情のもとでは、絶対量の変動は、労働力の価値のそれであろうと、剰余価値のそれであろうと、同時にそれらの相対的なまたは比較的な量が変動しなければ、不可能である。

第5段落
・労働の生産力が上がることなしには、労働力の価値が下がることはできないし、したがって剰余価値が上がることはできない。
・労働の生産性の増進は労働力の価値を低下させ、したがって剰余価値を増進させるが、逆に生産性の減退は労働力の価値を高くして剰余価値を減少させる。

第6段落

・リカードは、剰余価値または剰余労働の大きさの変動は、労働力の価値または必要労働の大きさが逆の方向に変動することを条件とするとはいえそれだから両方が同じ割合で変動することは決してないということを見落としていた。
・両方とも同じ大きさだけ増加または減少する。しかし、価値生産物または労働日のそれぞれの部分が増加または減少する割合は、労働の生産力の変動が生ずるよりも前から行われていた最初の分割によって決まるのである。

 12時間労働日 V=8時間(4シリング)・M=4時間(2シリング)  V:M=2:1
       ↓
 12時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=6時間(3シリング)  V:M=1:1
         Vは25%低下     Mは50%上昇

・労働日の生産力におけるある与えられた変動の結果として生ずる剰余価値の増加または減少の割合は、労働日のうち剰余価値に表される部分が最初に小さければ小さいほど大きく、最初に大きければ大きいほど小さい。

第7段落・第3に、剰余価値の増加または減少は、つねにそれに対応する労働力の価値の低下または上昇の結果であって、けっしてその原因ではないのである。

第8段落
・労働力の価値と剰余価値との絶対的な量的変動はそれらの相対的な大きさの変動なしには不可能だとすれば、今度は、労働力の価値と剰余価値との相対的な価値量の変動は労働力の価値量の変動なしには不可能だということになるのである。

第9段落
・剰余価値の量的変動の限界は、労働力の新たな価格限界によって与えられている。しかし、事情がこの法則の作用することを許す場合にも、色々な中間運動が起こりうる。労働の生産力が高くなったために、労働力の価値が4シリングから3シリングに低下しても、労働力の価格は3シリングにまで下がらない(剰余価値が1シリングは増加しない)ことがありうる。3シリングを低落の最低限界とする低落の程度は、一方の側では資本の圧力が、他方の側では労働者の抵抗が秤の皿に投げ込む相対的な重さ(簡単に言えば力関係)によって定まる。

第10段落

・労働力の価値は一定量の生活手段の価値によって規定されている。
・労働の生産力につれて変動するのは、この生活手段の価値であって、その量ではない。
・その量そのものは、労働の生産力が高くなれば、労働力の価格と剰余価値とのあいだになんらかの量的変動がなくても、労働者にとっても資本家にとつても同時に同じ割合で増大することがありうる。
・労働日の分割が元のままならば、ただ、両者のそれぞれが、量は2倍になったが価格はそれだけ安くなった使用価値に表されるだけであろう。労働力の価格は変わらないとはいえ、それは労働力の価値よりも高くなっているであろう。
・労働力の価格は、労働の生産力が高くなる場合には、労働者の生活手段量が同時に引き続き増大するにつれて絶えず下がるということもありうるであろう。
・しかし、相対的には、すなわち剰余価値に比べれば、労働力の価値は絶えず下がってゆき、したがって労働者と資本家の生活状態の隔たりは拡大されるであろう。

★ここでは、価値ではなく、価格ではないのか? フランス語版では価格になっている。

・労働の生産性が2倍になると、労働力の価値は2分の1に低下する。しかし、労働力の価格は2分の1にまで低下せず25%だけ低下する場合もありうる。

A 12時間労働日 V=8時間(4シリング、400単位の使用価値)・M=4時間(2シリング、200単位の使用価値量)   
       ↓
B 12時間労働日 V=6時間(労働力の価値2シリング+1シリング=3シリング、600単位の使用価値)・M=6時間(3シリング、300単位の使用価値)  

AからBへの変化において、労働力の価格は25%下落するが、入手できる生活手段の量は50%増大する。しかし、労働力の価格は、剰余価値の200%から100%に減少する。

第11段落・リカードは前記の3つの法則をはじめて厳密に定式化した。
・彼の説明の欠陥は、(1)法則が妥当する場合の特殊な諸条件を、資本主義的生産の自明な一般的な諸条件とみなしているということである。労働日の長さの変動や労働の強度の変動を見落とし、労働の生産力だけが唯一の可変的要因とされた。
・(2)他の経済学者たちと同様に、剰余価値を、そのものとしては、すなわち利潤や地代などのようにその特殊形態から独立には研究したことがなく、剰余価値に関する諸法則を直接に利潤率の諸法則と混同している。

第2節 労働日と労働生産力とが不変で労働の強度が可変である場合

第1段落
・労働の強度の増大は、同じ時間内の労働支出の増加を意味する。
・強度のより大きい労働日は、同じ時間のより小さい労働日に比べて、より多くの生産物に具体化される。
・生産物には相変わらず同量の労働がかかるのでその価値は元と変わらない。
・生産物の数は、この場合には、生産物の価格が下がることなしに、増加する。
・時間数が元のままならば、強度のより大きい労働日はより大きい価値生産物に具体化され、したがって、貨幣の価値が元のままならば、より多くの貨幣に具体化される。
・この労働日の価値生産物は、その強度が社会的標準度からどれだけずれるかによって、違ってくる。
・だから、同じ労働日が以前のように不変な価値生産物に表されるのではなく、可変なか生産物に表される。
・もし1労働日の価値生産物が、変わるならば、この価値生産物の両部分、労働力の価値と剰余価値とは、同じ程度であろうと違った程度にであろうと、同時に増大しうることは明らかである。

A 価値生産物6シリング=労働力の価格3シリング+剰余価値3シリング

B 価値生産物8シリング=労働力の価値4シリング+剰余価値4シリング

・労働力の価格が上がることは、この場合には必ずしもその価格が価値を超えて上がることを含んではいない。
・逆にその価格の上昇が、その価値よりも下への低下をともなうこともあり得る。
・これは、労働力の価格上昇が労働力の速められた消耗を償わない場合には、いつでも起きることである。

第2段落
。一時的な例外はあっても、労働の生産性の変動が労働の価値の大きさの変動をひき越し、したがってまた剰余価値の大きさの変動をひき起こすのは、ただ、その産業部門の生産物が労働者の習慣的な消費に入る場合だけである。

・強度の変化する場合には、この制限はない。
・労働の量の変動が外延的であろうと内包的であろうと、その量的変動には、労働の価値生産物の大きさの変動が、この価値を表す物品の性質にはかかわりなく、対応するのである。

★必要生活手段を生産する部門で用いられる機械を製造する産業部門での労働の生産力の上昇は、必要生活手段の価値を低落させ、労働力の価値を低下させるのではないか。ここでは価値移転については度外視しているということだろうか?

★労働量の外延的変動(増加)とは、労働時間の延長のことであり、内包的変動(増加)とは、労働の強度の増大のことだろうか? 前文の第2段落参照

第3段落・労働の強度がすべての産業部門で同時に同程度に高くなるとすれば、新たなより高い強度が普通の社会的標準度になり、したがって外延量としては数えられなくなるであろう。
・しかし、その場合にも労働の平均強度が国によって違うことに変わりはなく、したがってそれはいろいろに違った各国の労働日への価値法則の適用を修正するであろう。
・強度のより大きい一国の1労働日は、強度のより小さい他の国の1労働日に比べれば、より大きい貨幣表現に表されるのである。

★高い強度の労働を外延量として数えるとは、例えば強度の高い12時間の労働量が標準的な強度の18時間の労働と等しいものとしてして評価されるということだろうか?

■「第13章 機械と大工業 第3節 機械経営が労働者に及ぼす直接的影響 c 労働の強度」の第2段落《このような、与えられたある時間内により大量の労働が圧縮されたものは、いまや、そのとおりのものとして、つまりより大きい労働量として、数えられる。「外延的な大きさ」としての労働時間の尺度と並んで、今度はその密度の尺度が現れる》という箇所につけられた註157の中では次のように述べられている。《価値尺度としての労働時間への影響が生ずるのは、ここでもまた、内包的な大きさと外延的な大きさとが同じ労働量の二つの正反対で互いに排除し合う表現として表れるかぎりでのことである。》(国民文庫309-400頁・原頁432-433)

第3節 労働の生産力と強度が不変で労働日が可変である場合

第1段落・労働日は二つの方向に変化することがありうる。それは短縮されるかまたは延長されることがありうる。

第2段落・(1)労働の生産力と強度とが変わらない場合の、労働日の短縮は、労働力の価値を、したがってまた必要労働時間を変化させない。
・それは剰余労働を短くし、剰余価値を減らす。剰余価値の絶対量とともにその相対量も、すなわち労働力の不変な価値量に対する剰余価値量の割合も減少する。
・ただ労働力の価値をその価格よりも低く押し下げることによってのみ資本家は損害を免れることができるであろう。

第3段落
・労働日の短縮に反対するすべての決まり文句は、この現象はここで前提されているような事情のもとで起きるものと想定しているのであるが、現実にはこれとは反対の労働の生産性や強度の変動が労働日の短縮に先行するか、またはすぐそのあとに起きるのである。

第4段落・(2)労働日の延長。
 A 12時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=6時間(3シリング)  M=V
       ↓
 B 14時間労働日 V=6時間(3シリング)・M=8時間(3シリング)  M=1.5V

・労働力の価格が変わらないならば、剰余価値の絶対量とともにその相対量も増大する。
・労働力の価値量は、絶対的には変わっていないにもかかわらず、相対的には下がっている。
第1節の諸条件のもとでは、労働力の相対的価値量は、その絶対量の変動なしには変動しえなかった。
・ここでは、それと反対に、労働力の価値量の相対的な変動は、剰余価値の量の絶対的な変動の結果なのである。

第5段落
・1労働日を表す価値生産物は、労働日そのものが延長されるにつれて増大するのだから、労働力の価格と剰余価値とは、増加分が同じであるかないかは別として、同時に増大することもありうる。
・この同時的増大は、労働日が絶対的に延長される場合とこの延長がなくても労働の強度が増大する場合である。

第6段落
・労働日が延長されれば、労働力の価格は、たとえ名目的に変わらないか、または上がりさえしても、労働力の価値よりも低く下がることがありうる。
・労働力の日価値は、労働力の標準的な平均耐久力、または労働者の標準的な寿命にもとづいて評価される。
・労働日の延長と不可分な労働力の消耗の増大は、ある点までは、代償の増加によって埋め合わされることができる。
・この点を超えれば、この消耗は幾何級数的に増大してゆき、それと同時に労働力のすべての正常な再生産条件と活動条件は破壊される。
・労働力の価格と搾取度とは、互いに通約される量ではなくなる。
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by shihonron | 2010-05-11 23:30 | 学習会の報告