『資本論』を読む会の報告

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2011年 04月 26日

第220回 4月26日 第2章 生産資本の循環

4月26日(火)に第220回の学習会を行いました。
「第2章 生産資本の循環」についてレジュメに基づく報告を受け検討しました。

以下はレジュメです。

    第二章 生産資本の循環
    第一節 単純再生産

29W'-G'-Wは,その形態から見れば,W'にとってのみ,その再生産の契機である流通行為を含む。 しかし,W'-G'-Wが行なわれるためには,W'が転換されるWの現実の再生産が必要である。 しかしこの再生産は,W'に表わされる個別資本の再生産過程の外部にある多くの再生産過程によ って制約されている。 ----
30形態Ⅰでは,G-W<A Pmは,貨幣資本から生産資本への第一の転化を準備するだけであるが, 形態Ⅱでは商品資本から生産資本への再転化を準備する。それゆえG-W<A Pmは,形態Ⅱで も,形態Ⅰとで同様に,生産過程の準備局面として現われるが,しかしⅡでは,生産過程への復帰, 生産過程の更新として,それゆえ再生産過程の先行段階として,したがってまた価値増殖過程の反 復の先行段階として,現われる。
31G-Aは単純な商品交換ではなく,剰余価値の生産に役立つべき一商品Aの購買であり,G-Pm はこの目的を遂行するために素材的に不可欠な手続きでしかない。
32G-W<A Pmの達成と同時に,Gは生産資本に再転化されており,新たに循環が開始される。
33 P…W'-G'-W…Pの明細な形態は
   +W+ ---+G+-- W +A 
 P-- W'|+|--G'|+|    +Pm --P
        +w+ ---+g+-- w                      
34貨幣資本の生産資本への転化は,商品生産のための商品購買である。消費は,生産的消費である限 りでのみ,資本そのものの循環にはいる。生産的消費の条件は,消費される諸商品を媒介として剰 余価値がつくられるということである。これは,生産者の生存を目的とする生産とは,非常に異な る。剰余価値生産によって条件づけられた,商品による商品の置き換えは,生産物交換(貨幣によ って媒介されるだけの)自体の場合とはまったく別物である。
・だが,この事態は経済学者たちにより,〔両者を同一視することによって〕過剰生産というものが ありえないということの証拠にされている。
35AおよびPmに転化されるGの生産的消費の他に,この〔資本〕循環は,G-Aという第一の環を 内含しており,この環は労働者にとってはA-G=W-Gである。労働者の消費を含む労働者の 流通A-G-Wのうちでは,第一の環だけがG-Aの結果として資本の循環に入る。第二の行為 すなわちG-Wは,個別資本の流通から生じてくるのではあるが,個別資本の流通には入らない。 しかし,労働者階級の持続的な定在は資本家階級にとって必要であり,それゆえG-Wに媒介され る労働者の消費もまた必要である。
36W'-G'という行為は,資本価値の循環の継続のために,また資本家による剰余価値の消費のため に,W'が貨幣に転化され,販売された,ということだけを想定する。W'が購買されるのは,生産的 または個人的な何らかの種類の消費に役立つからに他ならない。

・しかし,W'が,たとえば糸を買った商人の手中にあってさらに流通するとしても,そのことはこの 糸を生産して商人に売った個別資本の循環の継続には,少しも関係はない。全過程はその進行を 続け,またそれと共に,その進行によって条件づけられる資本家および労働者の個人的消費も進行 を続ける。〔これは〕恐慌の考察に際して重要な一点。
37W'は,販売され,貨幣に転化されしだい,労働過程の,それゆえまた再生産過程の,現実に諸要因に 再転化されうる。
・W'が最終消費者によって購買されているか,それとも商人によって購買されているかは,直接に は事態をなんら変えない。資本主義的生産によってつくり出される商品総量の広がりは,この生 産の規模とこの規模の不断の拡大への欲求とによって規定されるのであり,需要と供給とによっ て規定されるのではない。大量生産は,その直接の買い手としては,他の産業資本家たちの他には, 卸売商人しかもちえない。再生産過程は,そこで産出された商品が現実に個人的または生産的消 費に入り込んでいなくても,ある限界内では同じ規模または拡大された規模で進行しうる。商品 の消費は,その商品を生み出した資本の循環には含まれていない。生産物が販売される限り,資本 主義的生産者の立場から見れば万事は規則正しく進行する。もしこの循環過程が拡大されている ならば(それは生産諸手段の生産的消費の拡大を含む)資本のこの再生産は,労働者の個人的消 費(したがって需要) の拡大を伴うことがありうる。
・このようにして,剰余価値の生産,それと共に資本家の個人的消費もまた増大し,再生産過程全体 は繁栄を極めた状態にありうるが,それにもかかわらず,諸商品の一大部分は外観上消費に入って いるにすぎず,現実には売れずに転売人たちの手中に滞積し,したがって実際にまだ市場にある, ということがありうる。商品の流れが続いて行くうちに,ついには前の流れは外観上消費によっ てのみ込まれているにすぎないということが明らかになる。
・諸商品資本が市場で互いに席を争奪し合う。あとから来た者は,売るために価格を下げて売る。 前のもろもろの流れがまだ現金化されていないのに,その支払期限が到来する。それらの持ち主 たちは,支払不能を宣言せざるを得ないか,または支払いをするためにどんな価格ででも売らざる を得ない。この販売は,需要の現実の状態とはまったくなんの関係もない。それは,ただ,支払を 求める需要,商品を貨幣に転化する絶対的必要と,関係があるだけである。その時に,恐慌が勃発 する。恐慌が目に見えるようになるのは,個人的消費需要の,直接の減少によってではなく,資本 と資本との交換の減退,資本の再生産過程の,縮小によってである。---- 
38貨幣資本として,生産資本への再転化を予定された資本価値として,Gは,その機能を果たすため に商品PmおよびAに転換される。もしG-Wが次々に行なわれる一連の購買または支払いを表 わすとすれば,Gの一部分はG-Wという行為を達成するが,他の一部分は貨幣状態に留まってい る。この部分は,流通から引き上げられている。その場合には,この貯蔵は,それ自体,この部分の 流通によって規定され,流通に予定された一機能である。その場合には,購買元本および支払元本 としてのこの部分の定在,この部分の運動の一時停止,この部分の流通中断の状態は,貨幣が貨幣 資本としての貨幣の諸機能の一つを果たしている状態である。貨幣資本として,というのは,この 場合にはしばらくのあいだ休止している貨幣そのものは,貨幣資本G(G'-g=G) の一部分だ からである。他方,流通から引き上げられた貨幣はすべて蓄蔵貨幣形態にある。ここでは,貨幣の 蓄蔵貨幣形態が貨幣資本の機能になるのであり(G-Wで購買手段または支払手段としての貨幣 の機能が貨幣資本の機能になるのとまったく同様に),しかも,そうなるのは,資本価値がここで は貨幣形態で存在するからであり,ここでは貨幣状態は,産業資本がその諸段階の一つにおいて, 循環の連関によって規定されている状態だからである。
・しかし,同時にここで再び,貨幣資本は産業資本の循環の内部では貨幣機能以外の機能を果たすも のではなく,そして,この貨幣機能は,この循環の他の諸段階とのその連関によってのみ,同時に資 本機能の意義をもつ,ということが実証される。
39G'を,Gに対するgの関係(資本関係)として,表わすことは,直接には貨幣資本の機能ではなく, 商品資本W'の機能であり,そしてこのW'そのものもこれまたwとWとの関係としてはただ生産 過程の結果を,すなわちこの過程で行なわれた資本価値の自己増殖の結果を,表現するだけである。

40流通過程の進行が障害にぶつかり,その結果Gが市場の状況などの外部の事情によってその機能 G-Wを一時停止せざるを得なくなり,そのために長かれ短かれその貨幣状態に留まるとすれば, これもまた貨幣の蓄蔵貨幣状態であり,この状態は単純な商品流通においても,W-GのG-Wへ の移行が外部の事情によって中断されるとすぐに現われる。
・それは,非自発的な蓄蔵貨幣形成である。われわれの場合には,貨幣はこのようにして遊休的潜在 的な貨幣資本の形態をとる。しかし,われわれは,さしあたりこの点にはこれ以上立ち入らない。
41しかし,この双方の場合とも,貨幣状態での貨幣資本の停滞は,運動の中断(それが合目的的なも のであろうと,自発的なものであろうと非自発的なものであろうと,機能的なものであろうと反機 能的なものであろうと)の結果として現われる。

    第二節 蓄積,および拡大された規模での再生産
①生産過程が拡大しうるための諸比率は,恣意的なものではなく,技術的に規定されているのである から,実現された剰余価値は,たとえ資本化するように予定されていても,しばしば幾つもの循環 の反復によってはじめて,現実に追加資本として機能しうる大きさ,すなわち過程進行中の資本価 値の循環に入り込みうる大きさに成長することができる(したがってその大きさになるまで積み 立てられなければならない) 。したがって,剰余価値は凝結して蓄蔵貨幣となり,この形態で潜在 的貨幣資本を形成する。潜在的latentというのは,この資本が貨幣状態に留まっているあいだは 資本として働く資本を形成することができないからである。
・このようにここでは蓄蔵貨幣の形成は,資本主義的蓄積過程の内部に含まれてこの過程に随伴し てはいるが同時にこの過程とは本質的に区別される一契機として現われる。というのは,潜在的 貨幣資本の形成によっては,再生産過程そのものは拡大されないからである。その逆である。潜 在的貨幣資本がここで形成されるのは,資本主義的生産者は自己の生産の規模を直接には拡大し 得ないからである。
・もし彼が自己の剰余生産物を,新たな金もしくは銀を流通に投げ入れる金生産者もしくは銀生産 者に販売するならば,または国内の剰余生産物の一部分と交換に追加の金もしくは銀を外国から 輸入する商人に販売するならば,彼の潜在的貨幣資本は,国内の金財宝または銀財宝の増分を形成 する。そのほかのすべての場合には,たとえば買い手の手中で流通手段であった£78が資本家の 手中で蓄蔵貨幣形態をとっただけである。すなわち,国内の金財宝または銀財宝の配分が変わっ ただけである。

②資本家の取り引きで貨幣が支払手段として機能するとすれば,資本化するように予定されている 剰余生産物は,貨幣には転化されず,債権に転化される。その貨幣は,利子生み証券などに投下さ れた貨幣と同様に,循環の再生産過程には入り込まない(他の個別産業資本の循環に入り込むこ とはできる)のである。
③資本主義的生産の全性格は,前貸資本価値の価値増殖によって,すなわち
 第一にできるだけ多くの剰余価値の生産によって,規定されている。
 第二には 資本の生産によって,すなわち剰余価値の資本への転化によって,規定されている(第 一部,第二二章)。
・さらに,蓄積,または拡大された規模での生産(それは,不断に拡張される剰余価値の生産のため の,それゆえ資本家の致富のための手段として,資本家の個人的目的として,現われ,資本主義的生 産の一般的傾向のうちに含まれている)は,自己の発展を通じて個々の各資本家にとっての必然 事になる。彼の資本の不断の増大は,彼の資本の維持の条件となる。
④われわれは単純再生産を考察したが,現実には,正常な事情のもとでは常に剰余価値の一部分は収 入として支出されなければならず,他の部分は資本化されていなければならない。けれども定式 を複雑にしないためには,剰余価値が全部蓄積されると仮定する。
・P…W'-G'-W'<A Pm…P'という定式は,生産資本がより大きい規模でより大きい価値を もって再生産され,増大した生産資本としてその第二循環を開始(第一循環を更新)するという ことを表現する。
・この第二循環が始まるときには,再びPが出発点として現れる。このPは第一のPの時よりも大 きい生産資本である。それと同様に,定式G…G'において第二循環がG'で始まる場合,G'は,G として,一定の大きさの前貸貨幣資本として,機能する。G'は,第一循環が開始されたときの貨幣 資本よりも大きい貨幣資本ではあるが,それが前貸貨幣資本の機能において登場するやいなや,そ れが剰余価値の資本化によって増大していることとの関連はすべて消えうせている。この起源は, その循環を開始する貨幣資本としてのそれ〔G'〕の形態では,消滅している。P'の場合も,それ が新たな循環の出発点として機能する場合には,同じことである。
⑤P…P'を,G…G'と比較するならば,この二つは決して同じ意義をもってはいない。
・G…G'は,単独な循環としてそれだけを取り上げてみれば,貨幣資本Gは,貨幣を生む貨幣,価値 を生む価値であり,剰余価値を措定する,ということを表現するだけである。
・Pの循環では,価値増殖過程そのものは,第一段階の終了,生産過程の終了と共にすでに達成され ており,第二段階(第一の流通段階) W'-G'の経過後には,資本価値プラス剰余価値は,実現さ れた貨幣資本として,第一の循環で最後の極として現われたG'として,すでに存在する。
・剰余価値が生産されたということは,はじめに考察されたP-Pの形態では ,その第二段階で資 本流通の外に抜け落ち,収入としての剰余価値の流通を表わすw-g-wによって示されている。・このように,全運動がP…Pで現われ,したがって両極点のあいだに価値差が生じないこの形態に おいても,前貸価値の増殖,剰余価値の産出が,G…G'においてと同様に表わされている。ただ, W'-G'という行為が,G…G'においては最後の段階として現われ,P…Pにおいては循環の第 二段階,流通の第一段階として現われるだけである。
⑥P…P'においてP'が表わすのは,生産された剰余価値が資本化され,したがって資本が蓄積され たということであり,最初の資本価値プラスその運動によって蓄積された資本の価値から成って いるということ。
⑦G-G'の単なる終点としてのG'も,これらの循環のどれのなかにも現われるW'も,それ自体と して見れば,運動を表現するのではなく,運動の結果を表現する。すなわち,商品形態または貨幣 形態に実現された,資本価値の増殖を,それゆえG+gまたはW+wとしての,自己の生みの子で ある剰余価値に対する資本価値の関係としての,資本価値を,表現する。このG'およびW'は,こ の結果を,増殖された資本価値の別々な流通形態として表現する。しかし,W'の形態においても, G'の形態においても,行なわれた価値増殖そのものは,貨幣資本の機能でもなければ商品資本の 機能でもない。産業資本の特殊な諸機能に対応する別々の特殊な形態,定在様式として,貨幣資本 は貨幣機能だけを,商品資本は商品機能だけを果たしうるのであり,それら相互の区別はただ貨幣 と商品との区別でしかない。
・同様に,産業資本は,生産資本としての形態においては,生産諸手段と労働力から成っている。産 業資本が,生産部面のなかでは,生産過程一般に適合する構成,したがってまた資本主義的でない 生産過程にも適合する構成においてのみ存在しうるのと同様に,それは,流通部面では,商品と貨 幣というこの部面に適合する両形態でのみ存在しうる。
・≪労働力が他人の労働力であって,資本家は自己の生産諸手段を他の商品保有者から買ったのと まったく同様に,この労働力も労働力の保有者から買ったということによって≫,生産諸要素の 総体は自らが生産資本であると最初から予告しており(告示する,明示している,名のってい  る),したがって生産過程そのものも産業資本の生産的機能として登場するのであって,これと 同様に,貨幣と商品も,同じ産業資本の流通諸形態として登場し,したがってまた貨幣と商品との 機能も,産業資本の流通機能として,すなわち生産資本の諸機能を準備するかまたは生産資本の 機能から生じる流通機能として現われる。ここでは貨幣機能と商品機能とは,産業資本がその循 環過程の異なる諸段階で果たさなければならない機能形態としての両者の関連によって,貨幣資 本の機能であり,また商品資本の機能である。
・貨幣を貨幣として特徴づけ,商品を商品として特徴づける独自な諸属性と諸機能とを,貨幣と商 品との資本性格から導き出そうとするのは間違いであり,逆に,生産資本の諸属性を生産諸手段と してのそれの存在様式から引き出すのもやはり間違いである。

⑧G'またはW'が,G+gまたはW+wとして,すなわち資本価値とその子としての剰余価値との関 係として,固定されるならば,この関係は両方の形態で,すなわちある時は貨幣形態で,他の時は  商品形態で,表現されている。この関係は,貨幣そのものに属する諸属性と諸機能からも,商品そ のものに属する諸属性と諸機能からも生じはしない。どちらの場合にも,価値を生む価値である という資本を特徴づける属性は,結果として表現されているだけ。W'は常にPの機能の産物で  あり,また,G'は常に産業資本の循環中にW'が転化された形態でしかない。
・それゆえ,実現された貨幣資本は,それが再び貨幣資本としてのその特殊な機能を開始するやいな や,G'=G+gに含まれる資本関係を表現することをやめる。G…G'を経過してG'が新たに循 環を開始するときには,それはG'のではなくGの役を演じるのであり,G'に含まれている剰余価 値が全部資本化される場合でもそうである。例では,第二循環は,第一循環のように£422ででは なく,£500の貨幣資本で始まる。循環を開始する貨幣資本は,前回よりも£78だけ大きい。この 区別は,一方の循環と他方の循環とを比較するときに存在する。しかし,この比較は,個々の各循 環の内部には存在しない。貨幣資本として前貸しされる£500(そのうち£78は,以前は剰余価値 として存在した)は,他の資本家がその第一循環を開始するのに用いる£500と少しも違った役割 を演じるものではない。生産資本の循環においても同様である。大きさを増したP'は,再開始に 際してはPとして登場するのであり,いわば単純再生産P…PでのPに等しい。

⑨G'-W'<A Pmの段階では,増大した大きさはW'によってのみ示され,A'とPm'によっては 示されていない。WはAとPmとの合計であるから,W'に内含されているAとPmとの合計が最初 のPよりも大きいことは,すでにW'によって示されている。しかし,第二に,A'とPm'という記 号は誤り。資本の増大には資本の価値構成の変化が結びついており,この変化の進行につれてPm の価値は増大し,Aの価値は常に総体的に減少し,しばしば絶対的にも減少するからである。
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by shihonron | 2011-04-26 23:00 | 学習会の報告
2011年 04月 19日

第219回 4月19日 第2章 生産資本の循環

4月19日(火)に第219回の学習会を行いました。
「第2章 生産資本の循環 第1節 単純再生産」の第1段落から第28段落までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。

以下は検討した範囲のレジュメです。


第二章 生産資本の循環           
 貨幣資本の循環を表わす定式----G-W …P …W'-G' (第一の循環形態)
①生産資本の循環の一般的定式----P…W'-G'-W …P
・この循環の意味----再生産=価値増殖に関連する再生産過程としての生産資本の生産過程。 単に剰余価値の生産ではなく,その周期的な再生産。生産的形態にある産業資本の機能ではある が,一度だけの機能としてではなく,周期的に反復される機能であり,そのため再開始は出発点 そのものによって与えられている。
・W'の一部分は,直接に同じ労働過程に再び生産手段として入ることが有り得る。同じことは,W' のうち資本家が現物で消費する部分についても言える。それはせいぜい農業で問題になるだけ。
②この形態では,すぐに二つのことが目につく。
③第一。G…G'では,生産過程(P)の機能は,貨幣資本の流通を中断して,貨幣資本の両局面G- WとW'-G'との媒介者としてのみ現われる。
・ここ〔P…P〕では,産業資本の総流通過程は,循環を開始する生産資本と,循環を終結する生産 資本とのあいだの中断のみを,それゆえそのあいだの媒介のみをなす。本来の流通は,周期的に更 新され,かつ更新によって継続する再生産の媒介としてのみ現われる。
④第二。総流通は,それが貨幣資本の循環の際にもっている形態とは反対の形態で現われる。それ は,貨幣資本の循環では,価値規定を度外視すれば,G-W-G(G-W・W-G) であった。こ こでは,W-G-W(W-G・G-W) すなわち単純な商品流通の形態である。

第一節 単純再生産
①両極P…Pのあいだの流通局面----過程W'-G'-Wを考察。
②出発点は,商品資本,W'=W+w=P+wである。
・商品資本の機能W'-G'(資本価値=Pの実現と,剰余価値の実現) は,第一の循環形態で考察さ れた。そこでは,この機能は流通の第二局面,全循環の終結局面をなした。
・ここではそれは,循環の第二局面をなすが,しかし流通の第一局面をなす。
・第一の循環はG'で終わり,そしてG'は最初のGと同じく新たに貨幣資本として第二の循環を開 始しうるものであるから,G'に含まれているGとg(剰余価値) とがその軌道を一緒に進み続け るか,それとも異なる軌道を描くかは,さしあたり,それ以上考察する必要はなかった。
・しかし,生産資本の循環では,この点が決定されなければならない。なぜなら,生産資本の第一の 循環の規定がこの点にかかっているから。また,この循環ではW'-G'が第一の流通局面として 現われ,G-Wによって補足されなければならないから。定式が単純再生産を表わすか拡大され た規模での再生産を表わすかは,この点の決定にかかっている。
③単純再生産。不変な諸事情と価値通りでの商品の売買とを前提。
・この仮定のもとでは,剰余価値全部が,資本家の個人的消費に入る。商品資本W'の貨幣への転化 が行なわれ,その貨幣総額のうちの資本価値を表わす部分は,産業資本の循環の中で流通を続ける。 金メッキされた剰余価値部分は一般的商品流通に入り,これは資本家から出発する貨幣流通では あるが,彼の個別資本の流通の外部で行なわれる。
④われわれの例---商品資本W'は1万ポンドの糸。その価値は£500。そのうち£422は生産資本 の価値であり,8440ポンドの糸の貨幣形態として,W'から始まった資本流通を続ける。£78の剰 余価値(=商品生産物の超過部分1560ポンドの糸の貨幣形態)は,この流通から外に出て,一般的 商品流通の内部で別個の軌道を描く。
  +W+ ---+G+-- W+A
    W'|+|--G'|+|    +Pm
      +w+ ---+g+-- w                      
⑤g-wは,資本家が支出する貨幣によって媒介された一連の購買。貨幣は,しばらくのあいだ,日 常の消費に予定された手持ち貨幣または蓄蔵貨幣の形態で存在。この貨幣の果たす,流通手段と しての機能は,貨幣形態にある資本Gの流通には入り込まない。この貨幣は,前貸しされるのでは なく,支出される。
⑥われわれは,これまで,前貸総資本は常に全部その一局面から他の局面へ移行することを前提。こ こでも,Pの商品生産物は,生産資本Pの総価値=£422,プラス剰余価値=£78,を表わしている。 剰余価値は1560ポンドの糸の形態で存在する。1ポンド〔16オンス〕の糸で計算すれば,剰余価値 は2.496オンス〔16×0.1560〕の糸の形態で存在する。
・商品生産物が,たとえば同じ価値構成をもつ,£500の機械だとすると。機械は資本価値と剰余価 値とに分割することはできない。すなわち,両方の価値構成部分は,観念的にのみ商品体の構成諸 部分で表わされうるのであって,糸のようには商品W'の自立的諸要素として表わされ得ない。機 械の場合には,gがその特殊な流通に入る前に,この商品総体(商品資本,機械)が,全部販売され ていなければならない。しかし,[糸の場合も]やはり結局は,1万ポンドが全部販売されること,し たがってまた8440ポンドの販売によってcとvとの価値が補填されることを前提している。
⑦W'-G'によって,W'に含まれる資本価値も剰余価値も,分離しうる存在を,様々な貨幣額の存在 を,受け取る。どちらの場合にも,Gおよびgは,価値(W'において商品の価格として,観念的な 表現をもつにすぎない価値)の,現実に転化された形態である。

⑧w-g-wは単純な商品流通であり,その第一局面w-gは,商品資本の流通W'-G'の中に,し たがって資本の循環の中に,含まれている。これに反して,その補足局面g-wは,この循環から 分離された一般的商品流通の過程として,資本循環の外に抜け落ちる。Wとwとの流通,資本価値 と剰余価値との流通は,W'のG'への転化ののちに分裂する。それゆえ,次のようになる。
⑨第一。W'-G'=W'-(G+g) によって商品資本が実現されることにより,W'-G'ではまだ 同じ商品量に担われていっしょに行われる,資本価値と剰余価値との運動は,分裂しうるようにな る。というのは,両者ともいまや貨幣額として自立的な形態をもっているからである。
⑩第二。gは資本家の収入として支出されるのに,Gのほうは資本価値の機能的形態として,この循 環により規定された自分の軌道を進み続けるということによって,この分裂が生じるとすれば,第 一の行為W'-G'は,後続行為G-Wおよびg-wとの連関においては,二つの異なる流通,W- G-Wおよびw-g-wとして表わすことができる。両者とも,一般的な形態から見れば,普通の 商品流通に属する順序である。
⑪分割し得ない連続的な諸商品体の場合には,実際には価値の構成諸部分が観念的にそれぞれ切り 離される。(これについては後出の第一二章〔「労働期間」の後半〕)
⑫第三。W'およびG'ではまだいっしょに行われる資本価値と剰余価値との運動が,もし部分的に だけ分離する(したがって剰余価値の一部分が収入として支出されない) か,または全然分離し ないならば,資本価値の循環の完了以前に,まだその循環の内部にあるうちに,資本価値そのもの に一つの変化が起こる。

⑬循環Ⅰ[G…G']では流通の第二段階であり,終結段階であるW'-G'は,循環〔P…P〕ではそ れの第二段階であり商品流通の第一の段階である。したがって流通が考察される限りでは,W'- G'は,G'-W'によって補足されなければならない。しかし,G'-W'は,価値増殖過程(ここで はPの機能である第一段階) をすでに終わっているだけでなく,価値増殖過程の結果である商品 生産物W'はすでに実現されている。したがって,資本の価値増殖過程も,増殖された資本価値を 表わす商品生産物の実現も,W'-G'で終わっている。
⑭われわれは,単純再生産,すなわちg-wがG-Wから分離することを,前提してきた。二つの流 通,w-g-wもW-G-Wも,一般的形態から見れば商品流通に属する(両極間の価値差を示し ていない) 。だから,ややもすると(俗流経済学が間違ってのべているように)資本主義的生産 過程を,諸商品,すなわち何らかの種類の消費に予定された諸使用価値の単なる生産と解し,資本 家がそれらの商品を生産するのは,それらを他の使用価値をもつ諸商品と置き換えるため,または, それらをこれと交換するため,でしかないと考えることになる。
⑮W'は商品資本として登場する。そして,全過程の目的である致富(価値増殖) は,剰余価値の  (したがってまた資本の) 大きさにつれて資本家の消費が増大することを排除するものではなく, それを包含する。
⑯資本家の収入の流通。商品wは,まず貨幣に転換して貨幣から私的消費に役立つ一連の他の商品 に転換するのに役立つ。wは,資本家にとって少しも費用のかからなかった商品価値であり,剰余 労働の具体化されたものであり,最初は商品資本W'の構成部分として舞台に登場する。
・このwそのものは,過程進行中の資本価値の循環に結び付けられており,循環が停滞するか攪乱さ れるならば,wの消費が制限されるか停止するだけでなく,wと置き換えられる商品群の販路も同 じことになる。W'-G'が失敗するかW'の一部分しか売れない場合も,同じことである。
⑰資本家の収入の流通としてのw-g-wは,ただwがW'(商品資本という機能形態にある資本) の価値部分である限りでのみ,資本流通に入り込む。
・しかし資本家の収入の流通は,g-wによって自立化されるやいなや,したがってw-g-wとい う全体的形態では,前貸しされた資本の運動には入り込まない。
・それが前貸しされた資本の運動と連関するのは,資本家の存在が資本の存在を前提とし,剰余価値 の消費によって条件づけられる限りにおいてである。

⑱一般的流通の内部では,W',たとえば糸は,商品として機能する。しかし,資本の流通の契機とし ては,商品資本として機能する。糸は,商人に販売されたあとは,糸を生産物とする資本の循環過 程からは離れるが,引き続き商品として一般的流通の範囲内に留まる。
・それゆえ,資本家によって流通に投じられた商品量の現実の最終的変態であるW-G(商品量の 消費への終局的脱落)は,この商品量が彼の商品資本として機能する際の変態からは,時間的にも 空間的にもまったく分離されることが有り得る。資本の流通では達成されているのと同じ変態が, 一般的流通の内部ではこれから行われる。
⑲糸が再び他の産業資本の循環に入り込む場合にも,事態はなんの変わりもない。
・一般的流通は,資本として市場に投じられなかった価値または個人的消費に入り込む価値の流通 を包括しているとともに,個別諸資本の〔循環の〕総体をも包括する。
⑳一般的流通の部分をなす限りでの資本の循環と,自立的な一循環の諸環をなす限りでの資本の循 環との関係は,G'=G+gの流通を考察すれば,明らかになる。
・Gは,貨幣資本として,資本の循環を続行する。gは,収入の支出(g-w) として,一般的流通に 入り込むが,資本の循環から外へ飛び出す。追加貨幣資本として機能する部分だけが,資本の循環 に入り込む。w-g-wでは,貨幣は鋳貨としてのみ機能する。この流通の目的は資本家の個人 的消費である。
21第二局面G-Wでは,資本価値Gが,剰余価値から離れて,貨幣資本の循環の第一段階G-Wにお けると同じ価値の大きさで,再び現存する。位置の相違にもかかわらず,貨幣資本の機能は,同じ ものである(PmとAとへの,生産諸手段と労働力とへの,貨幣資本の転化)。
22こうして資本価値は,補足局面G-W<A Pmに入る。
 すなわち,資本価値の総流通はW-G-W<A Pmである。
23第一。貨幣資本Gは,形態Ⅰ(循環G…G') では,資本価値が前貸しされる最初の形態として登 場した。
・それは,ここ〔P…P〕でははじめから,商品生産物販売によって媒介された,生産資本Pの貨幣 形態への転化として,登場する。貨幣資本は,ここではじめから,資本価値の最初の形態でも終結 の形態でもない形態として存在する。何故ならば,局面W-Gを終結させる局面G-Wは,もう一 度貨幣形態を脱ぎ捨てることによってのみ行われうるからである。
・それだからこそ,G-Wのうちの同時にG-Aである部分も,もはや労働力の購買のための単なる 貨幣前貸しとしてではなく,労働力によって創造された商品価値の一部分をなす£50の価値をも つ1000ポンドの糸が,貨幣形態で労働力に前貸しされる,そういう前貸しとして現われる。ここで 労働者に前貸しされる貨幣は,労働者自身によって生産された商品価値の一つの価値部分が転化 した等価形態にすぎない。また,それゆえにこそ,G-Wという行為は,それがG-Aである限り では,決して貨幣形態にある商品を使用形態にある商品によって置き換えるだけのことではなく, 一般的商品流通そのものから独立した他の諸要素を含むのである。

24G'は,W'の転化形態として現われ,W'自体は,生産過程Pの過去の機能の産物である。それゆえ, 総貨幣額G'は,過去の労働の貨幣表現として現われる。
・われわれの例  10,000ポンドの糸=£500が紡績過程の産物で,そのうち,
           7,440ポンドの糸=前貸不変資本c=£372,
1,000ポンドの糸=前貸可変資本v=£ 50,
1,560ポンドの糸=剰余価値 m=£ 78
・他の事情は不変のままであるとして,G'のうち最初の資本=£422だけが再び前貸しされれば,労 働者はG-Aにおいて,今週生産された10000ポンドの糸の一部分(1000のポンド糸の貨幣価値)  だけを次週に前貸し〔可変資本〕として受け取る。
・W-Gの結果としては,貨幣は常に過去の労働の表現である。補足行為G-Wがすぐに商品市場 で行なわれ,したがって,Gが,市場にある実存する諸商品と交換される限りでは,これもまた一つ の形態(貨幣) から他の形態(商品) への過去の労働の転換である。
・しかし,G-Wは,W-Gとは時間を異にする。例外的には,同時のことも有り得る(資本家間の 差額決済する場合)。W-Gの実行とG-Wの実行とのあいだの時間差は,かなり大きいことも, かなり小さいことも有り得る。W-Gという行為の結果としては,Gは過去の労働を表わすにも かかわらず,G-Wという行為にとっては,Gは,まだ全然市場にはなく将来はじめて市場に見い だされるであろう諸商品の転化形態を表わすことが有り得る(Wが新たに生産されたのちに,G -Wが行なわれればよいから)。同様に,Gは,Wと同時に生産される諸商品を表わすことも有り 得る(たとえば,G-Wという転換(生産諸手段の購入) において,石炭はそれが炭坑から掘り出 される前に購買されることが有り得る)。gが,貨幣蓄積として現われ,収入として支出されない 限りでは,それは次の年にはじめて生産される綿花を表わすこともできる。資本家の収入の支出 であるg-wの場合も同様である。
・労賃A=£50も同様である。この貨幣は,労働者たちの過去の労働の貨幣形態であるだけでなく, 同時に,現在または将来の労働に対する指図証でもある。労働者は,自分の労賃を支払ってもらう 貨幣で,彼自身または他の労働者の将来の労働の転化形態を受け取る。資本家は,労働者に彼の過 去の労働の一部分を与えることによって,労働者に対し労働者自身の将来の労働に対する指図証 を与える。労働者自身の現在または将来の労働で,彼の過去の労働が支払われる。
25第二。流通W-G-W<A Pmでは,同じ貨幣が二度場所を換える。資本家はまず売り手として それを受け取り,買い手としてそれを手放す。商品の貨幣形態への転化は,商品を貨幣形態から再 び商品形態に転化させるのに役立つだけである。資本の貨幣形態,消えうせる〔一時的な〕契機 でしかない。言い換えれば,貨幣資本は,運動に淀みがない限り,それが購買手段として役立つ場 合には流通手段としてのみ現われる。それは,資本家たちが共に互いに購買し合い,支払い差額だ けを決済しなくてはならない場合には,本来の支払手段として現われる。
26第三。貨幣資本の機能はWをAとPmとによって置き換えられること,すなわち,商品資本の生産 資本への再転化を媒介するだけである。
27循環が正常に行なわれるためには,W'が,その価値通りに,そしてその全部が,販売されなければ ならない。さらにW-G-Wは,ある商品を他の商品によって置き換えるということだけでなく, 同じ価値比率で置き換えることをも含んでいる。ここでもそのように仮定する。
・実際には生産諸手段の価値は変動する。資本主義的生産にとっては,資本主義的生産を特徴づけ る労働の生産性の持続的な変動のためだけによっても,価値比率の不断の変動は固有である。
・生産諸要素の商品生産物への転化,PからW'への転化は生産部面で行なわれ,W'からPへの再転 化は流通部面で行なわれる。この再転化は単純な商品変態によって媒介されている。しかし,そ の内容は,全体として考察された再生産過程の一契機である。W-G-Wは,資本の流通形態とし ては,機能的に規定された素材変換を含んでいる。W-G-Wという転換は,さらにWが商品分量 W'の生産諸要素に等しいこと,また,これらの要素が互いにその価値比率を維持することを条件 とする。したがって,諸商品がその価値通りに購買されることだけでなく,それらの商品は循環中 になんらの価値変動が生じないということも前提されている。そうでなければ,過程は正常に進 行し得ない。
28G…G'では,Gは資本価値の最初の形態であり,それが脱ぎ捨てられるのは,再びとられるため。
・P…W'-G'-W…Pでは,Gは過程の中でとられる形態にすぎず,この形態は過程の内部で再び 脱ぎ捨てられる。貨幣形態はここでは,資本の,消えうせる〔一時的な〕自立的な価値形態として だけ現われる。資本は,W'としては貨幣形態をとりたがり,また貨幣形態に蛹化されるやいなや, G'としては,貨幣形態を脱ぎ捨てて再び生産資本の形態に変態したがる。資本は,貨幣姿態に留 まっているあいだは,資本として機能せず,それゆえ価値増殖されない。資本は遊休する。Gは, ここでは流通手段として,ただし資本の流通手段として働く。
・資本価値の貨幣形態がその循環の第一形態(貨幣資本の循環) でもつ自立性の外観は,この第二 形態〔P…P〕では消えうせ,したがって第二形態は形態Ⅰの批判をなし,形態Ⅰを一つの単に特 殊な形態に帰着させる。
・第二の変態G-Wが障害にぶつかれば ,循環は,中断されたままである。しかし資本は,商品形態 にあるよりも貨幣形態にあるほうが長持ちしうる。資本は,貨幣資本として機能しなくても,貨幣 であることをやめはしない。しかし資本は,商品資本としてあまりに長く止めおかれるならば,商 品であることをやめる。資本は,貨幣形態にあれば,その最初の生産資本形態の代わりに,他の産 業資本形態をとることもできるが,W'としてはまったく身動きできない。
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by shihonron | 2011-04-19 23:00 | 学習会の報告
2011年 04月 05日

第218回 4月5日 第1章 第4節 

4月5日(火)に第218回の学習会を行いました。
「第4節 総循環」第21段落から最後(第33段落)までについてレジュメに基づく報告を受け検討しました。

第4節の検討した範囲のレジュメです。


     第一篇 資本の諸変態とそれらの循環
     第一章 貨幣資本の循環 第四節 総循環


(21)このように、資本の循環過程は、流通と生産との統一であり、この両者を包含する。両局面G―WとW’―G’とが流通過程である限りでは、資本の流通は一般的商品流通の部分をなす。しかし、流通部面だけでなく生産部面にも属する資本循環の中の、機能的に規定された諸部分・諸段階としては、資本は、一般的商品流通の内部でそれ独自の循環を行なう。一般的商品流通は、資本にとっては、第一段階では、資本が生産資本として機能しうる姿態をとるのに役立ち、第二段階では、商品機能では自らの循環を更新し得ない資本がその商品機能を捨て去るのに役立つ。それと同時にそれは、資本にとっては、その独自な資本循環を、資本に寄生した剰余価値の流通から分離する可能性を開くのに役立つ。

★《資本に寄生した剰余価値の流通》とは、資本家による個人的消費のための購買を指している。
 
(22)それ故、貨幣資本の循環は、産業資本の循環の最も一面的な、それ故最も適切で最も特徴的な現象形態であり、産業資本の目的および推進的動機――すなわち価値増殖、金儲け、および蓄積――が一目瞭然に表わされている(より高く売るために買う)。第一局面がG―Wであることによって、生産資本の構成諸部分の商品市場からの由来も、また一般に流通による、商業による資本主義的生産過程の被制約性も、現われてくる。貨幣資本の循環は、商品生産であるだけではない。それは、それ自身、流通によってのみ成立し、流通を前提する。このことは、すでに、流通に属する形態Gが前貸資本価値の最初のかつ純粋な形態として現われる――他の両循環形態ではそうではない――ということのうちに示されている。

★《商業による資本主義的生産過程の被制約性》とは、資本主義的生産過程の前提としてのG―W<A Pmという局面が進行するためには、市場に生産諸手段と労働力が商品として登場していなければならないと言うことであろう。
 
(23)貨幣資本の循環は、その循環が常に前貸資本の増殖を含んでいる限りでは、相変わらず常に産業資本の一般的な表現である。P・・Pにおいては、資本の貨幣表現は、生産諸要素の価格としてのみ、したがって計算貨幣で表わされた価値としてのみ現われてくるのであって、記帳ではこの形態で書き留められる。

■【計算貨幣】 Rechengeld  諸商品の価値の大きさは価値尺度たる商品,たとえば金の種々の分量として表現される,――緒商品の価格.そしてこの金の諸分量は,一定の度量標準――たとえば標準金1オンスは..3ポンド17シリング10ペンス1/2とか,純金2分は1円といったような――をもって測られ,かくて緒商品の価値は. したがって価格は.何ポンド何シリング何ペンス,あるいは何円,というように表現されることになる。このように,すべての商品はその交換価値をいい表わすさい,貨幣名でいい表わすことになる. これを貨幣の側からいえば,貨幣は計算貨幣として役立つことになる。計算貨幣というのは,貨幣が価値尺度として機能L,さらに価格の度量標準として機能するという二つの機能にもとづくものである。この二つの機能が結びついて計算貨幣という機能が形成されるのであって,この二つの機能にたいして第三の機能として計算貨幣という機能があるわけではない。(『資本論辞典』より)

 
(24)産業資本がある事業部門から別の事業部門に移る場合にであろうと、それが事業から退く場合にであろうと、新たに登場する資本がまず貨幣として前貸しされ、同じ形態で回収される限りでは、G・・G’が産業資本の循環の特殊な形態になる。この形態は、始めて貨幣形態で前貸しされる剰余価値の資本機能を含むのであり、剰余価値がそれで自己が生まれた事業とは別な事業で機能する場合に最も明確に現われてくる。G・・G’は、一資本の最初の循環で有り得る。それは、その最後の循環で有り得る。それは、社会的総資本の形態として通用しうる。それは、新たに投下される資本――貨幣形態で新たに蓄積された資本としてであれ、一生産部門から他の生産部門に移されるために全部貨幣に転化される旧来の資本としてであれ――の形態である。
 
(25)常に全ての循環に含まれる形態として、まさしく貨幣資本は、剰余価値を生む資本部分すなわち可変資本のためにこの循環〔G・・G’〕を行なう。労賃の前貸しの正常な形態は、貨幣での支払いである。この過程は、比較的短い期限内に絶えず更新されなければならない。なぜなら、労働者はその日暮らしだからである。それ故、労働者に対しては、資本家は絶えず貨幣資本家として、また彼の資本は貨幣資本として、相対されなければならない。ここでは、生産諸手段の購買と生産用諸商品の販売の場合のように直接または間接の決済(その結果、貨幣資本の大部分は実際に商品の形態でのみ現われ、貨幣は計算貨幣の形態でのみ現われ、そして最後に差額の決済のためにのみ現金が現われる)を行なうことはできない。他方では、可変資本から生じる剰余価値の一部分は資本家によって彼の私的消費のために支出されるが、この消費は小売り取引に属し、どのような回り道をするにせよ、現金で、剰余価値の貨幣形態で、支出される。剰余価値のこの部分がどんなに大きかろうと小さかろうと、事態になんの変わりもない。可変資本は絶えず新たに、労賃に投じられる貨幣資本(G―A)として現われ、gは、資本家の私的諸欲求の支弁に支出される剰余価値として現われる。したがって、前貸可変資本価値としてのGと、その増加分としてのgとは、どちらも必ず貨幣形態で保持され、貨幣形態で支出される。
 
(26)G’=G+gという結果を伴う定式G―W・・P・・W’―G’は、その形態のうちに欺瞞を含み、幻惑的性格――前貸しされて増殖された価値がその等価形態すなわち貨幣で定在することから生じる幻惑的性格――を帯びている。〔この定式の〕力点は、価値の増殖にあるのではなく、この過程の貨幣形態に、最初に流通に前貸しされたよりも多くの価値が最後に貨幣形態で流通から引き出されるということに、したがって資本家に帰属する金銀量の増加に、ある。いわゆる重金主義は、没概念的形態G―W―G’の表現、すなわち、一つの運動――もっぱら流通の中で行なわれる、それ故、(一)G―W、(二)W―G’という両行為を、第二行為でWがその価値以上に販売され、それ故その購買によって流通に投げ込まれたよりも多くの貨幣を流通から引き出す、ということによってのみ説明しうる一つの運動――の表現にすぎない。これに反して、G―W・・P・・W’―G’は、唯一の形態として固定されて、より発展した重商主義の基礎をなしているのであり、そこでは商品流通だけでなく商品生産も必要な要素として現われる。

★G―W―G’が没概念的形態だというのは、剰余価値をWが価値以上に販売されることによってもたらされることの表現だからであり、生産過程を含まない流通のみを表している形態だからである。
 
(27)G―W・・P・・W’―G’の幻惑的性格と、この定式に照応した幻惑的解釈とは、この形態が流動的な絶えず更新されるものとしてでなく一度だけのものとして固定されるやいなや、それ故、この形態が循環の諸形態の一つとしてでなくそれの唯一の形態とみなされるやいなや、そこに現われてくる。しかし、この形態は、それ自身、他の諸形態を指し示す。

★《G―W・・P・・W’―G’の幻惑的性格と、この定式に照応した幻惑的解釈》の内容はどのようなものなのか?
 
(28)第一に、この全循環は、生産過程そのものの資本主義的性格を前提し、それ故、この生産過程――それによって制約される独自な社会状態をも含めて――を基盤として前提する。G―W=G―W<A Pmであるが、G―Aは賃労働者を、それ故生産諸手段を、生産資本の部分として想定し、それ故労働過程および価値増殖過程、すなわち、生産過程をすでに資本の機能として想定する。
 
(29)第二に、G・・G’が反復されるならば、貨幣形態への復帰は、第一段階での貨幣形態と同じく、消え失せていく〔一時的な〕ものとして現われる。G―Wは消え失せて、Pに席を譲る。貨幣での絶え間ない再前貸しは、それの貨幣としての絶え間ない復帰と同じく、それ自身、循環の中で消え失せていく諸契機にすぎないものとして現われる。
 
(30)第三に――

  
  G―W・・P・・W’―G’・G―W・・P・・W’―G’・G―W・・P・・等々

 

(31)すでに循環の第二の反復に際して、Gの第二の循環が完了する前に、P・・W’―G’・G―W・・Pという循環が現われ、このようにしてその後の全ての循環はP・・W’―G―W・・Pという形態のもとで考察されうるのであり、そのため最初の循環の第一局面としてのG―Wは、常に反復する生産資本の循環の〔ための〕消え失せていく準備をなすにすぎないのであり、はじめて貨幣資本の形態で投下される産業資本の場合には、実際にその通りである。
 
(32)他方では、Pの第二の循環が完了する前に、最初のW’―G’・G―W・・P・・W’(簡略にすればW’・・W’)という循環、すなわち商品資本の循環が進行している。このように、第一の形態はすでに他の両形態を含んでおり、こうして貨幣形態は、それが単なる価値表現ではなく、等価形態すなわち貨幣での価値表現である限り、消え失せる。

★《単なる価値表現》とは、計算貨幣のことであり定式のPやW’を、《等価形態すなわち貨幣での価値表現》は定式のGを念頭に置いているのではないか。PやW’もまた価値であるが貨幣という形態を取っていない。それが一定の大きさの価値であることは、その価格として表現される。
 
(33)最後に――はじめてG―W・・P・・W’―G’という循環を進行する新たに登場する個々の一資本をとってみれば、G―Wは、この個々の資本が経過する最初の生産過程の、準備局面、先駆である。それ故、このG―Wという局面は、前提されているのではなく、むしろ生産過程によって措定され、または条件づけられるのである。しかしこれは、この個々の〔新登場の〕資本についてだけ言えることである。産業資本の循環の一般的形態は、資本主義的生産様式が前提されている限りでは、したがって資本主義的生産によって規定されている社会状態の内部では、貨幣資本の循環である。それ故資本主義的生産過程は、一つの”先行条件”として前提されている。たとえ新たに投下される産業資本の貨幣資本の最初の循環の中ではそうでないとしても、この循環を越え出る場合にはそうである。この生産過程の絶え間のない定在は、絶えず更新されるP・・Pという循環を想定する。第一段階G―W<A Pmの内部にすでにこの前提そのものが現われる。というのは、一方では、この段階は、賃労働者階級の定在を前提するからであり、他方では、生産諸手段の買い手にとって第一段階G―Wであるものは、その売り手にとってはW’―G’であり、したがって、W’において商品資本を、それ故資本主義的生産の結果としての商品そのものを、したがって生産資本の機能を、前提するからである。

■[貨幣資本循環の特色]貨幣資本の循環は次のような特色を持っている。
① 循環は流通過程で始まり、生産過程を経たのち、流通過程で終わる。
② 産業資本の運動の目的・動機が資本の増殖であることを鮮明に示す。
③ 生産過程は資本の増殖のための不可避の中間項、必要悪として現れる。
貨幣資本の循環は、重商主義者たちが資本を把握すし分析するさいの循環形態であった。
(大谷禎之介『図解社会経済学』248頁)
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by shihonron | 2011-04-05 23:30 | 学習会の報告