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『資本論』を読む会の報告

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2009年 12月 08日

学習ノート 第4章 第2節 一般的定式の矛盾 その4 

第22段落
・商業資本と同様に利子生み資本もわれわれの研究の途上で派生的な形態として見いだされるであろう。
・また同時に、なぜそれが歴史的に資本の近代的な基本形態よりも先に現われるかということもわかるであろう。

●これまでは「高利資本」という言葉が使われてきたが、ここでは「利子生み資本」という言葉が使われているという指摘がありました。ただ、なぜここで「利子生み資本」という言葉が使われているのかについてははっきりとはしませんでした。

●「資本の近代的な基本形態」について、それは産業資本のことだろうとの発言がありました。

■第1節の第24段落で「利子生み資本」という言葉がはじめて登場した。
《売るために買うこと、もっと完全に言えば、より高く売るために買うこと、G―W―G’は、たしかに、ただ資本の一つの種類だけに、商人資本だけに特有な形態のように見える。しかし、産業資本もまた、商品に転化し商品の販売によってより多くの貨幣に再転化する貨幣である。買いと売りとの中間で、すなわち流通過程の外で行なわれるかもしれない行為は、この運動形態を少しも変えるものではない。最後に利子生み資本では、流通G―W―G’は、短縮されて、媒介のない結果として、いわば簡潔体で、G―G’として、より多くの貨幣に等しい貨幣、それ自身よりも大きい価値として、現われる。》(国民文庫273頁・原頁170)

第23段落
・これまでに明らかにしたように、剰余価値は流通から発生することはできないのだから、それが形成されるときには、流通そのもののなかでは目に見えないなにごとかが流通の背後で起きるのでなければならない。
・しかし、剰余価値は流通からでなければほかのどこから発生することができるだろうか?
・流通は、商品所持者たちのすべての相互関係の総計である。
・流通の外では、商品所持者はもはやただ彼自身の商品との関係にあるだけである。
・その商品の価値について言えば、関係は、その商品が彼自身の労働の一定の社会的法則に従って計られた量を含んでいるということに限られている。
・この労働の量は、彼の商品の価値に表現される。
・そして、価値量は計算貨幣で表わされるのだから、かの労働量は、たとえば10ポンド・スターリングというような価格に表現される。
・しかし、彼の労働は、その商品の価値とその商品自身の価値を超えるある超過分とで表わされるのではない。
・すなわち、同時に、11という価格である10という価格で、それ自身よりも大きい一つの価値で、表わされるのではない。
・商品所持者は彼の労働によって価値を形成することはできるが、しかし、自分を増殖する価値を形成することはできない。
・彼がある商品の価値を高くすることができるのは、現にある価値に新たな労働によって新たな価値を付加することによってであり、たとえば革で長靴をつくることによってである。
・同じ素材が今ではより多くの価値をもつというのは、それがより大きな労働量を含んでいるからである。
・それゆえ、長靴は革よりも大きな価値を持っているが、しかし革の価値は元のままである。
・革は自分の価値を増殖したのではなく、長靴製造中に剰余価値を身につけたのではない。
・つまり、商品生産者が、流通部面の外で、他の商品所持者と接触することなしに、価値を増殖し、したがって貨幣または商品を資本に転化させるということは、不可能なのである。

●最後の文章をどう理解するかで議論がありました。「この文章は、生産過程で剰余価値が生産されることへとつながる内容を含んでいる。《流通部面の外で、他の商品所持者と接触する》とは、労働力商品の所持者である賃労働者との接触のことをさしているのではないか 」との発言があり、これに対して「ここでは、他の商品所持者との接触は流通部面でしかないこと、流通部面の外では商品所持者は自分自身の商品との関係しか持たず、そこでは価値の増殖が不可能だと述べているだけではないか。先取り的な事柄になるが、労働力商品の所持者との接触は流通部面でのことであり、生産過程では労働者はすでに労働力商品の所持者ではなくなっているのではないだろうか」との反論が出されました。

■計算貨幣について、大谷禎之介氏は以下のように説明しています。
《このように、価格の大きさも現実の貨幣の量もすべて価格の度量標準である貨幣名で言い表されるようになると、売られるべき商品の価格や現実の貨幣ばかりでなく、およそなんらかの物を、価値の大きさとして表現使用とするときには、この貨幣名が用いられるようになる。たとえば、一国の富を価値の大きさとして表現しようとするときには、たとえば円、ドルなどの貨幣名が用いられる。このように貨幣名として表現しているときの貨幣を〈計算貨幣〉と言う。価格の度量標準としての貨幣は同時につねに計算貨幣でもある。》(「貨幣の機能」246頁 『経済志林』Vol.61,No.4 )

■計算貨幣についてのこれまでの叙述
《こうして、価格、または、商品の価値が観念的に転化されている金量は、いまでは金の度量標準の貨幣名または法律上有効な計算名で表現される。そこで1クォーターの小麦は1オンスの金に等しいと言うのに代わって、イギリスでならば、それは3ポンド・スターリング17シリング101/2ペンスに等しいと言われることになるであろう。このようにして、諸商品は、自分たちがどれだけに値するかを、自分たちの貨幣名で互いに語り合うのであり、そして、貨幣は、ある物を価値として、したがって貨幣形態に固定することが必要なときには、いつでも計算貨幣として役だつのである。》(第3章 第1節 価値尺度 国民文庫181頁・原頁115)

《支払手段としての貨幣は、媒介されない矛盾を含んでいる。諸支払が相殺されるかぎり、貨幣はただ観念的に計算貨幣または価値尺度として機能するだけである。現実の支払がなされなければならないかぎりでは、貨幣は、流通手段として、すなわち物質代謝のただ瞬間的な媒介的な形態として現われるのではなく、社会的労働の個別的な化身、交換価値の独立な定在、絶対的商品として現われるのである。この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する。貨幣は恐慌が起きるのは、ただ、諸支払の連鎖と諸支払の人工的な組織とが十分に発達している場合だけのことある。
・この機構の比較的一般的な攪乱が起きれば、それがどこから生じようとも、貨幣は、突然、媒介なしに、計算貨幣というただ単に観念的な姿から堅い貨幣に一変する。それは、卑俗な商品では代わることができないものになる。商品の使用価値は無価値になり、商品の価値はそれ自身の価値形態の前に影を失う。たったいままで、ブルジョアは、繁栄に酔い開化を自負して、貨幣などは空虚な妄想だと断言していた。商品こそは貨幣だ、と。いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ! という声が響きわたる。鹿が清水を求めて鳴くように、彼の魂は貨幣を、この唯一の富を求めて叫ぶ。恐慌のときには、商品とその価値姿態すなわち貨幣との対立は、絶対的な矛盾にまで高められる。したがったまた、そこでは貨幣の現象形態がなんであろうとかまわない。支払に用いられるのがなんであろうと、金であろうと、銀行券などの信用貨幣であろうと、貨幣飢饉に代わりはないのである。》(第3章 第3節 貨幣 b 支払手段 国民文庫242頁・原頁151-152)

《流通過程が単なる商品交換として現われるような形態にある場合をとってみよう。二人の商品所持者が互いに商品を買い合って相互の貨幣請求権の差額を支払日に決済するという場合は、常にそれである。貨幣はこの場合には計算貨幣として、商品の価値をその価格で表現するのに役立ってはいるが、商品そのものに物として相対してはいない。》(第4章 第2節 一般的定式の矛盾 国民文庫275頁・原頁171)

【参考】
 《第二点は、「他の商品所有者たちと接触することなしに」の文言をどう理解するかという点で、単に流通部面の外ということを表現しているにすぎない、という意見と、労働者(労働力商品の所有者としての)のことを指しているという意見が出されました。
 後者は、労働者は流通部面で雇われ(労働力を買われ)、生産過程で労働することで剰余価値を生むということを暗に示唆しているのではないか、という意見でしたが、解決しませんでした。なお、向坂編著の『資本論解説』では、直接の説明はありませんが、この文言にだけ傍点を付しており、間接的にこうした見解を表明しているようでした。
 後日の検討では、次節で《使用価値が価値の源泉であるという特殊な商品》の存在を流通部面で見出し、その特殊な商品の所有者である《他の商品所有者》と接触する(雇う)ことによって剰余価値と資本の発生を論証しようとしているということで、この《他の商品所有者》とは労働者であろうということになりました。》(『資本論』学習会第16回(第2篇第4章第2節「一般的定式の諸矛盾」)の報告より)
    http://members3.jcom.home.ne.jp/study-capital/hokoku/study-wn-capi-016.html

第24段落
・つまり、資本は流通から発生することはできないし、また流通から発生しないわけにはゆかないのである。
・資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に流通のなかで発生してはならないのである。

●「いささかくどい言い回しだが、剰余価値は流通から発生しない、また自分の労働によって商品を生産する場合には流通の外でも剰余価値は発生しないというこれまでの叙述で確認してきたことをまとめている」との発言がありました。

第25段落
・こうして、二重の結果が生じた。

★「二重の結果」とは、貨幣の資本への転化は、流通部面で行なわれなければならないし、また流通部面で行なわれてはならないということ。

第26段落
・貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が当然出発点とみなされる。
・いまのところまだ資本家の幼虫でしかないわれわれの貨幣所有者は、商品をその価値どうりに買い、価値どうりに売り、しかも過程の終わりには、自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。
・彼の蝶への成長は、流通部面で行なわれなければならないし、また流通部面で行なわれてはならない。
・これが問題の条件である。
・ここがロドスだ、さあ跳んでみろ![Hic Rhodus,hic salta!]

■第24段落から第26段落にあたる部分は、フランス語版では以下のようになっている。現行版での第24段落の文章は削除されている。
《こうして、われわれは二重の結果に到達した。
 貨幣の資本への転化は、商品流通の内在的法則を基礎として説明されるべきであるから、等価物同士の交換が出発点として役だつのである。まだ蛹の状態にしかない資本家であるわれわれの貨幣所有者は、まず商品をその正当な価格で買い、次いでその価値どおりに売らなければならないが、それでも最後には、彼が以前に前貸ししたよりも多くの価値を回収しなければならない。貨幣所有者の資本家への変態は、流通部面で起こらなければならず、同時にけっしてそこで起こってはならない。これが問題の条件である。ここがロドスだ、さあ跳べ!》

●岡崎訳の「幼虫」がフランス語版で「蛹」になっていることについて、「どちらであっても蝶として羽化すること――変態について述べている点では差異はない。」との発言がありました。

■【変態】(名)スル
(1)形や状態が変わること。また、その変わった形や状態。
「主権より民主政治に―するに於て/民約論(徳)」
(2)「変態性欲」の略。また、その傾向のある人。
(3)動物が成体とは形態・生理・生態の全く異なる幼生(幼虫)の時期を経る場合に、幼生から成体へ変わること。また、その過程。
(4)植物の根・茎・葉などの器官が本来のものと異なる形態に変わり、その状態で種として固定すること。捕虫葉・葉針・気根・巻きひげなど。
(5)〔物・化〕 同じ化学組成をもちながら、異なった物理的性質を示す状態または物質。特に、単体の場合は同素体、結晶の場合は多形ともいう。また、有機化合物が化学組成を変えずに原子・原子団の位置の変化で別の状態・物質に変わること。転位。(大辞林 第二版)

■ 【羽化】(名)スル
(1)昆虫が幼虫または蛹(さなぎ)から変態して成虫になること。〔養蚕では化蛾(かが)という〕→孵化(ふか)→蛹化(ようか)
(2)人間に羽が生え、空中を飛べる仙人となること。うけ。
「―して登仙(とうせん)するの想あらん/真善美日本人(雪嶺)」 (大辞林 第二版)

by shihonron | 2009-12-08 23:45 | 学習ノート


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