2009年 12月 08日
第1段落・貨幣が繭を破って資本に成長する場合の流通過程は、商品や価値や貨幣の流通そのものの性質について以前に展開されたすべての法則に矛盾している。 ・この流通形態を単純な商品流通から区別するものは、同じ二つの反対の過程である売りと買いとの順序が逆になっていることである。 ・では、どうして、このように純粋に形態的な相違がこれらの過程の性質を手品のように早変わりさせるのだろうか? ●「貨幣が繭を破って資本に成長する場合の流通過程」について、G―W―G’のことだという発言がありましたが、これに対して、ここでは形態を取り上げて問題にしているのだから、価値量の増大については度外視して G―W―G とした方がよいとの意見が出されました。資本としての貨幣の流通と単純な商品の流通の差異は、前者が 買い―売り(売るために買う)、後者が売り―買い(買うために売る)である。そのかぎり、それは売りと買いの順序が逆になっているという純粋に形態的な差異でしかないというものです。 ●「商品や価値や貨幣の流通そのものの性質について以前に展開されたすべての法則」とはどういう内容かという疑問が出されました。さしあたり、商品の価値はその生産に必要な社会的労働の量によって規定され、商品の価値の大きさが商品の交換比率を規制するということだと理解しておこうということになりました。 第2段落 ・それだけではない、このような逆転が存在するのは、互いに取引する三人の取引仲間のうちのただ一人だけにとってのことである。 ・資本家としては私は商品をAから買ってまたBに売るのであるが、ただの商品所持者としては、商品をBに売って次にAから買うのである。 ・取引仲間のAとBにとってはこのような相違は存在しない。 ・彼らはただ商品の買い手かまたは売り手として姿を現すだけである。 ・私自身も、彼らにたいしてはそのつどただ貨幣所持者または商品所持者として、買い手または売り手として、相対するのであり、しかも、私は、どちらの順序でも、一方の人にはただ買い手として、他方の人にはただ売り手として、一方にはただ貨幣として、他方にはただ商品として、相対するだけであって、どちらの人にも資本または資本家として相対するのではない。 ・すなわち、なにか貨幣や商品以上のものとか、貨幣や商品の作用以外の作用をすることができるようなものとかの代表者として相対するのではない。 ・私にとっては、Aからの買いとBへの売りとは、一つの順序をなしている。 ・しかし、この二つの行為の関連はただ私にとって存在するだけである。 ・Aは私とBとの取引にはかかわりがないし、Bは私とAとの取引にはかかわりがない。 ・もし私が彼らに向かって、順序の逆転によって私が立てる特別な功績を説明しようとでもすれば、彼らは私に向かって、私が順序そのものを間違えているのだということ、この取引全体が買いで始って売りで終わったのではなく逆に売りで始って買いで終わったのだということを証明するであろう。 ・じっさい、私の第一の行為である買いはAの立場からは売りだったのであり、私の第二の行為である売りはBの立場からは買いだったのである。 ・これだけでは満足しないで、AとBは、この順序全体がよけいなものでごまかしだったのだ、と言うであろう。 ・Aはその商品を直接にBに売るであろうし、Bはそれを直接にAから買うであろう。 ・そうすれば、取引全体が普通の商品流通の一つの一面的な行為に縮まって、Aの立場からは単なる売り、Bの立場からは単なる買いになる。 ・だから、われわれは順序の逆転によっては単純な商品流通の部面から抜け出てはいないのであって、むしろ、われわれは、流通にはいってくる価値の増殖したがってまた剰余価値の形成を商品流通がその性質上許すものかどうかを、見きわめなければならないのである。 ★マルクスは、売りと買いとの順序の逆転によっては、単純な商品の流通の部面から抜けでしていないという。なぜなら、一つ一つの取引(私とAとの取引、私とBとの取引)は単なる買いや単なる売りであり、順次の逆転は私についてのみいえることで、一方の買いは他方の売りであり、その逆も言えるからである。AとBにとっては、取引の内容は、Aの商品の価格が実現されAは貨幣を手に入れ、最初Aの手にあった商品をBが入手したということである。これは、AとBが直接に取引した場合にもいえることである。第1段落では〈純粋に形態的な相違によって過程の性質が変るのか〉と問題を立て、第2段落では、売りと買いとの順序の逆転は単純な商品流通の部面から抜け出てはいないことを確認し、《流通にはいってくる価値の増殖したがってまた剰余価値の形成を商品流通がその性質上許すものかどうか》という形で問題を再設定している。 第3段落 ・流通過程が単なる商品交換として現われるような形態にある場合をとってみよう。 ・二人の商品所持者が互いに商品を買い合って相互の貨幣請求権の差額を支払日に決済するという場合は、常にそれである。 ・貨幣はこの場合には計算貨幣として、商品の価値をその価格で表現するのに役立ってはいるが、商品そのものに物として相対してはいない。 ・使用価値に関するかぎりでは、交換者は両方とも利益を得ることができるということは、明らかである。 ・両方とも、自分にとって使用価値としては無用な商品を手放して、自分が使用するために必要な商品を手に入れるのである。 ・しかも、これだけが唯一の利益ではないであろう。 ・ぶどう酒を売って穀物を買うAは、おそらく、穀作農民Bが同じ労働時間で生産することができるよりも多くのぶどう酒を生産するであろう。 ・また、穀作農民 Bは、同じ労働時間でぶどう栽培者Aが生産することができるよりも多くの穀物を生産するであろう。 ・だから、この二人のそれぞれが、交換なしで、ぶどう酒や穀物を自分自身で生産しなければならないような場合二比べれば、同じ交換価値と引き換えに、Aはより多くの穀物を、Bはより多くのぶどう酒を手に入れるのである。 ・だから、使用価値に関しては、「交換は両方が得する取引である」とも言えるのである。 ・交換価値のほうはそうではない、 ・「ぶどう酒はたくさんもっているが穀物はもっていない一人の男が、穀物はたくさんもっているがぶどう酒はもっていない一人の男と取引をして、彼らの間で50の価値の小麦がぶどう酒での50の価値と交換されるとする。この交換は、一方にとっても他方にとっても、少しも交換価値の増殖ではない。なぜならば、彼らはどちらも、この操作によって手に入れた価値と等しい価値をすでに交換以前に持っていたのだからである。」 ■《流通過程が単なる商品交換として現われるような形態にある場合をとってみよう。》は、フランス語版では《われわれは流通現象を、それが単なる商品交換として現われる形態においてとりあげてみよう》となっている。また、別の訳では《単なる商品交換としての外観をとる形を考えてみよう》となっていることが紹介されました。 ■計算貨幣について大谷禎之介氏は次のように述べている。 《価格の度量標準は、価格である観念的な金量を測るばかりでなく、貨幣である実在の金そのものを計量するのにも用いられるから、貨幣の度量標準でもある。それは、いわば、金量を測る物差しである。商品の価格で表象されている金であれ、価格である現実の金であれ、およそ金量を言い表すために金の諸量が度量システムとなっているとき、金は計算貨幣として機能しているという》(『図解社会経済学』95頁) また、『資本論辞典』では《…すべての商品はその交換価値をいい洗わすそい、貨幣名でいい表わすことになる。これを貨幣の側からいえば、貨幣は計算貨幣として役立つことになる。計算貨幣というのは、貨幣が価値尺度として機能し、さらに価格の度量標準として機能するという二つの機能にもとづくものである。この二つの機能が結びついて計算貨幣という機能が形成されるのであって、この二つの機能にたいして第三の機能として計算貨幣という機能があるわけではない。》(131-132頁 三宅義夫)と書かれている。 ●具体的な例を上げてみようということになりました。穀作農民がぶどう栽培者から5000円のぶどう酒を、ぶどう栽培者が穀作農民から8000円の小麦を掛買し、支払日に3000円の差額を決済した場合に、5000円分のぶどう酒と小麦は、単なる商品交換としての外観をとったといえる。 ●交換者たちが使用価値において利益を得ることについて、自分の欲望を充足させるのに必要な使用価値を手に入れるという「質」の問題とともに、分業による労働生産性の向上という「量」の問題についても書いているのは興味深いとの感想が出されました。 第4段落 ・貨幣が流通手段として商品と商品との間にはいり、買いと売りという行為が感覚的に分かれていても、事態にはなんの変わりもない。 ・商品の価値は、商品が流通にはいる前に、その価格に表わされているのであり、したがって流通の前提であって結果ではないのである。 ★直接の商品交換でなく、貨幣が媒介するようになっても《使用価値に関しては、「交換は両方が得する取引である」とも言えるのである。交換価値のほうはそうではない》ということは変らない。 第5段落 ・抽象的に考察すれば、すなわち、単純な商品流通の内在的な諸法則からは出てこない諸事情を無視すれば、ある使用価値が他のある使用価値と取り替えられるということの他に、単純な商品流通のなかで行なわれるのは、商品の変態、単なる形態変換のほかにはなにもない。 ・同じ価値が、すなわち同じ量の対象化された社会的労働が、同じ商品所有者の手の中に、最初は彼の商品の姿で、次にはこの商品が転化する貨幣の姿で、最後にはこの貨幣が再転化する商品の姿で、とどまっている。 ・この形態変換は少しも価値量の変化を含んではいない。 ・そして、商品の価値そのものがこの過程で経験する変転は、その貨幣形態の変転に限られる。 ・この貨幣形態は、最初は売りに出された商品の価格として、次にはある貨幣額、といってもすでに価格に表現されていた貨幣額として、最後にはある等価商品の価格として存在する。 ・この形態変換がそれ自体としては価値量の変化を含むものではないことは、ちょうど5ポンド銀行券をソブリン貨や半ソブリン貨やシリング貨と両替えする場合のようなものである。 ・こうして、商品の流通がただ商品の価値の形態変換だけをひき起こすかぎりでは、商品の流通は、もし現象が純粋に進行するならば、等価物どうしの交換をひき起こすのである。 ・それだから、価値がなんであるかには感づいてもいない俗流経済学でさえも、それなりの流儀で現象を純粋に考察しようとするときには、いつでも、需要と供給とが一致するということ、すなわちおよそそれらの作用がなくなるということを前提しているのである。 ・だから、使用価値に関しては交換者が両方とも得をすることがありうるとしても両方が交換価値で得をするということはありえないのである。 ・ここては、むしろ、「平等のあるところに利得はない」ということになるのである。 ・もちろん、商品は、その価値からずれた価格で売られることもありうるが、しかし、このような偏差は商品交換の法則の侵害として現われる。 ・その純粋な姿では、商品交換は等価物どうしの交換であり、したがって、価値を増やす手段ではないのである。 ★「抽象的に考察する」とは、理論的に考察すると言い換えられるように思える。現実には、さまざまな事情によって事態は理論が示すとおりではないことが多いのだが、さまざまな偶然的攪乱要因を捨象することで純粋に考察することができる。 ■《物理学者は、自然過程を、それが最も典型的な形態で、またそれが撹乱的な影響によってかき乱されることが最も少なく現れるところで、観察するか、あるいはそれが可能な場合には、過程の純粋な進行を保証する諸条件のもとで実験を行う。私がこの著作で研究しなければならないのは、資本主義的生産様式と、これに照応する生産諸関係および交易諸関係である。その典型的な場所はこんにちまでのところイギリスである。これこそ、イギリスが私の理論的展開の主要な例証として役立つ理由である。しかしもしドイツの読者が、イギリスの工業労働者や農業労働者の状態についてパリサイ人のように眉をひそめるか、あるいは、ドイツでは事態はまだそんなに悪くなっていないということで楽天的に安心したりするならば、私は彼にこう呼びかけなければならない、“おまえのことを言っているのだぞ! De te fabula narratur! ”と。》(第1版序文) 《分業は、労働生産物を商品に転化させ、そうすることによって、労働生産物の貨幣への転化を必然にする。同時に、分業は、この化体が成功するかどうかを偶然にする。とはいえ、ここでは現象を純粋に考察しなければならず、したがってその正常な進行を前提しなければならない。そこでとにかくことが進行して、商品が売れないようなことがないとすれば、商品の形態変換は、変則的にはこの形態変換で実体――価値量――が減らされたり加えられたりすることがあるにしても、つねに行なわれているのである。》(第3章 第2節 流通手段 a 商品の変態 第11段落 ) ■「平等のあるところに利得はない」の「平等」は、他の訳では「対等性」とか「相等しければ」と訳されている。 第6段落 ・それだから、商品流通を剰余価値の源泉として説明しようという試みの背後には、たいていは一つの取り違えが、つまり使用価値と交換価値との混同が、隠れているのである。たとえばコンディャックの場合には次のようである。 ・「商品交換では等しい価値が等しい価値と交換されるということは、まちがいである。逆である。二人の契約当事者はどちらもつねにより小さい価値をより大きい価値と引き換えに与えるのである。……もしも実際につねに等しい価値どうしが交換されるのならば、どの契約当事者にとっても利得は得られないであろう。だが両方とも得をしているか、またはとにかく得をするはずなのである。……なぜか? 諸物の価値は、ただ単に、われわれの欲望に対する物の関係にある。一方にとってはより多く必要なものは、他方にとってはより少なく必要なのであり、またその逆である。……われわれが自分たちの消費に欠くことのできないものを売りに出すということは前提にならない。われわれは、自分に必要な物を手に入れるために自分にとって無用なものを手放そうとする。われわれは、より多く必要なものと引き換えにより少なく必要なものを与えようとする。……交換された諸物のおのおのが価値において同量の貨幣に等しかったときには、交換では等しい価値が等しい価値と引き換えに与えられると判断するのは当然だった。……しかし、もう一つ別な考慮が加えられなければならない。われわれは、両方とも、余分なものを必要なものと交換するのではないか、ということが問題になる。」 ■コンディヤック 1715‐80 フランスの哲学者。法服貴族マブリ子爵を父としてグルノーブルに生まれた。パリで神学を学び,1740 年僧職につく。当時まだ無名のディドロ,ルソーたち新時代の知識人と親しく交わった。 58 年から 9 年間ルイ 15 世の孫,大公子フェルディナンの家庭教師としてイタリアのパルマに滞在,のちにその《講義録》 (1775) を出版した。 67 年に帰国,翌年フランス・アカデミーの会員に選ばれた。晩年はボジャンシーの近くの田園に隠棲した。哲学的主著には,《人間認識の起源に関する試論》 (1746) と《感覚論》(1754) がある。前者ではロックの学説を継承し,人間の認識の起源として感覚と反省の二つを認める立場をとった。しかし後者では,この立場をさらに徹底させ,人間の精神活動のいっさい (記憶,判断,欲望) を感覚の変形として一元的に説明した。この理論を証明するために彼が構想したのが, 〈私たちと同じように内部が組織されている〉立像で,この立像に順次賦与した嗅覚,聴覚,味覚,視覚,触覚の組合せによってしだいに精神的機能が形成されていく様相を,思考実験的に示した。なお彼は当時のエコノミストと直接のかかわりはなかったが,その著書《商業と統治との相関的考察》 (1776) によって,近代経済学の創始者の一人とみなされている。 (中川 久定 世界大百科事典)
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