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『資本論』を読む会の報告

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2009年 11月 17日

学習ノート 第4章 第1節 資本の一般的定式 その1

第1段落・商品流通は資本の出発点である。
・商品生産と、発達した商品流通すなわち商業とは、資本が成立するための歴史的前提をなしている。
・世界貿易と世界市場とは、16世紀に資本の近代的生活史を開くのである。

■フランス語版(上巻129頁 江夏・上杉訳、法政大学出版局)では次のようになっている。
「商品流通は資本の出発点である。資本は、販売のための生産と商業とがすでにある発展段階に到達したばあいに、初めて現われる。資本の近代史は、16世的における二つの世界の商業と市場との創出に始る。」

●16世紀とあるがどんなことを念頭において書かれたのだろうかという疑問が出され、大航海時代のことを考えればよいのではないかとの発言がありました。

●なぜ「近代的生活史」と書かれているのかとの疑問が出され、資本主義以前の古い時代にも商人資本や高利貸し資本などが存在していたことを考慮した表現だろうとの発言がありました。

■ 前期的資本
単純な商品流通と貨幣流通の発生に伴って資本主義以前の諸社会に現れた古い資本形態。利子生み資本の古い形態である高利貸資本と,商業資本の古い形態である商人資本をさす。封建的諸身分に寄生する前者,不等価交換(安く買って高く売る)によって利潤を得る後者は,市場経済の成立・産業資本の発達による資本主義以前の生産様式の崩壊に伴って活動基盤を失い没落,貸付資本と商業資本に代わられた。(マイペディア)

■大航海時代
15世紀末以降,スペインやポルトガルを中心とする西欧諸国が探検・航海による〈地理上の発見〉を契機として,アメリカ大陸やアフリカ,アジアをはじめ各地に植民・掠奪・交易によって進出し,世界を一体化させた時代。コロンブスのアメリカ大陸到達(1492年),バスコ・ダ・ガマの喜望峰経由のインド航路発見(1498年)などに始まる。スペインとポルトガルは1494年のトルデシーリャス条約によって,新たに〈発見〉される土地の領土区分を定めた。インディアスと呼ばれた新大陸アメリカでは先住民を苛酷に使役し,金・銀を大量に収奪し(1545年ポトシ銀山発見),やがて労働力調達のためにアフリカ黒人を大西洋奴隷貿易により導入した。ここに,ヨーロッパ(織物・雑貨)→アフリカ(黒人奴隷)→新大陸(黄金)→ヨーロッパという〈三角貿易〉が始まり,西欧に〈商業革命〉をもたらすが,このころから西欧と東欧は〈中心と周辺〉の構造に分化していく。16世紀末からは英国,オランダ,フランスが海外進出の主役となり,17世紀半ばには英国とオランダが二大勢力として対立,ここに大航海時代は終わる。この時期は大規模な〈他者〉との遭遇の時代であり,人種・民族観が形成され,またキリスト教布教が世界化された画期でもあった。(マイペディア)

●フランス語版の「二つの世界」とは、ヨーロッパと新大陸をさしているのではないかとの発言がありました。

第2段落
・商品流通の素材的内容やいろいろな使用価値の交換は別として、ただこの過程が生みだす経済的な諸形態だけを考察するならば、われわれは過程の最後の産物として貨幣を見いだす。
・この商品流通の最後の産物は、資本の最初の現象形態である。

■長谷部訳では「商品流通の質料的内容たるさまざまな使用価値の交換を度外視するならば…」となっている。(河出書房『世界の大思想 資本論1』125頁)岡崎訳では「~すなわち―」を「~または―」とされているいることが多い。ここでの意味は「商品流通の素材的内容」=「使用価値の交換」ということだろう。

●「この過程」とは何かという疑問が出され、「商品流通(の過程)」のことだとの発言がありました。

●「過程の最後の産物として貨幣を見いだす」とはどんな意味で述べられているのかという疑問が出され、商品交換の発展によって貨幣が生みだされること(貨幣の生成)ではないかとの意見が出されました。

第3段落
・歴史的には、資本は土地所有にたいして、どこでも最初はまず貨幣の形で、貨幣財産として、商人資本および高利資本として相対する。
・とはいえ、貨幣を資本の最初の現象形態として認識するためには、資本の成立史を回顧する必要はない。
・同じ歴史は、毎日われわれの目の前で繰り広げられている。
・どの資本も、最初に舞台に現われるのは、すなわち市場に、商品市場や労働市場や貨幣市場に姿を現すのは、相変わらずやはり貨幣としてであり、一定の過程を経て資本に転化すべき貨幣としてである。

●ここでの「土地所有」とは封建的な土地所有のことだとの発言がありました。

●「資本」について、『資本論』のこれまでの叙述では、どれほど触れられていたのかとの疑問が出されました。注の中で取り上げられていることはあっても、実質的に資本が何であるかについては述べられておらず、この第4章ではじめて取り上げられているとの結論になりました。

■高利貸資本
利子生み資本の歴史的な一形態。奴隷制社会,封建社会など資本主義以前の社会から存在し,奴隷所有者,領主,小商品生産者などに高利で金銭を貸し付ける。商業資本と並び前期的資本の一つであり,支配者と生産者を収奪してその社会の生産様式の分解を促進する。資本主義の未発達なところになお現存。(マイペディア)

第4段落
・貨幣としての貨幣と資本としての貨幣とは、さしあたりはただ両者の流通形態の相違によって区別されるだけである。

●ここでの「貨幣としての貨幣」は「資本としての貨幣」に対置されるものとして述べられていて、第3章第3節「貨幣」で取り上げられた「第三の規定における貨幣」のことをさしているわけではないとの発言がありました。

第5段落
・商品流通の直接的形態は、W―G―W、商品の貨幣への転化と貨幣の商品への再転化、買うために売る、である。
・しかし、この形態と並んで、われわれは第二の独自に区別される形態、すなわち、G―W―Gという形態、貨幣の商品への転化と商品の貨幣への再転化、売るために買う、を見いだす。
・その運動によってこのあとのほうの流通を描く貨幣は、資本に転化するのであり、資本になるのであって、すでにその使命から見れば、資本なのである。

■「使命」は、新日本出版社版では「性格規定」となっている。

第6段落
・流通G―W―Gをもっと詳しく見よう。
・それは、単純な商品流通と同じに、二つの反対の段階を通る。
・第一の段階、G―W、買いでは、貨幣が商品に転化される。
・第二の段階、W―G、売りでは、商品が貨幣に再転化される。
・しかし、二つの段階の統一は、貨幣を商品と交換して同じ商品を再び貨幣と交換するという、すなわち売るために商品を買うという総運動である。
・または、買いと売りという形態的な相違を無視すれば、貨幣で商品を買い、商品で貨幣を買うという総運動である。
・その全課程が消えてしまっているその結果は、貨幣と貨幣との交換、G―Gである。
・私が100ポンド・スターリングで2000ポンドの綿花を買い、その2000ポンドの綿花を再び110ポンド・スターリングで売るとすれば、結局、私は100ポンド・スターリングを110ポンド・スターリングと、貨幣を貨幣で交換したわけである。

●「単純な商品流通」に対置されているのは「資本の流通(資本としての貨幣の流通)」だとの発言がありました。

第7段落
・ところで、もしも回り道をして同じ貨幣価値を同じ貨幣価値と、たとえば100ポンド・スターリングを100ポンド・スターリングと交換しようとするのならば、流通過程G―W―Gはつまらない無内容なものだということは、まったく明白である。
・それよりも、自分の100ポンド・スターリングを流通の危険にさらさないで固く握っている貨幣蓄蔵者のやり方のほうが、やはりずっと簡単で確実であろう。
・他方、商人が100ポンドで買った綿花を再び110ポンドで売ろうと、またはそれを100ポンドで、また場合によっては50ポンドでさえも手放さざるをえなくなろうと、どの場合にも彼の貨幣は一つの特有の独自な運動を描いたのであり、その運動は、単純な商品流通での運動、たとえば穀物を売り、それで手に入れた貨幣で衣服を買う農民の手のなかでの運動とは、まったく種類の違うものである。
・そこで、まず循環G―W―GとW―G―Wとの形態的相違の特徴づけをしなければならない。
・そうすれば、同時に、これらの形態的相違の背後に隠れている内容的相違も明らかになるであろう。

■下線部分は、フランス語訳では次のようになっている。
《どちらのばあいにも、彼の貨幣は特殊的、独創的運動をいつも描くのであって、たとえば小麦を売って上衣を買う農民の貨幣が通過する運動とは、全くちがう。》

第8段落
・まず両方の形態に共通なものを見よう。

第9段落
・どちらの循環も同じ二つの反対の段階、W―G、売りと、G―W、買いとに分かれる。
・二つの段階のどちらでも、商品と貨幣という同じ二つの物質的要素が相対しており、また、買い手と売り手という同じ経済的仮面をつけた二人の人物が相対している。
・そして、どちらの場合にも、この統一は三人の当事者の登場によって媒介され、そのうちの一人はただ売るだけであり、もう一人はただ買うだけであるが、第三の一人は買いと売りを交互に行なう。

●図示すると以下のようになるだろう。

・単純な商品流通

人物A   G――W      (買うだけ)
  

人物B   W――G――W   (売って買う)


人物C       W――G   (売るだけ)        

・資本としての貨幣の流通

人物A   W――G      (売るだけ)
    

人物B   G――W――G   (買って売る)


人物C       G――W   (買うだけ)   

第10段落
・とはいえ、二つの循環W―G―WとG―W―Gとをはじめから区別するものは、同じ反対の流通段階の逆の順序である。
・単純な商品流通は売りで始って買いで終わり、資本としての貨幣の流通は買いで始って売りで終わる。
・前の方では商品が、あとのほうでは貨幣が、運動の出発点と終点をなしている。
・第一の形態では貨幣が、第二の形態では逆に商品が、全課程を媒介している。

第11段落
・流通W―G―Wでは貨幣は最後に商品に転化され、この商品は使用価値として役だつ。
・だから、貨幣は最終的に支出されている。
・これに反して、逆の形態G―W―Gでは、買い手が貨幣を支出するのは、売り手として貨幣を取得するためである。
・彼は商品を買うときには貨幣を流通に投ずるが、それは同じ商品を売ることによって貨幣を再び流通から引きあげるためである。
・彼が貨幣を手放すのは、再びそれを手に入れるという底意があってのことにほかならない。
・それだから、貨幣はただ前貸しされるだけなのである。

●「前貸し」という言葉について、『資本論』では、日常的に用いられている場合の意味(決められた期日以前に給料などを支払うこと)とは違っている。それは、再びもどってくることをめざして手放すといった意味だとの発言がありました。

●「前貸し」と「投下」に区別はあるのだろうかという疑問が出されました。

第12段落
・形態W―G―Wでは、同じ貨幣片が二度場所を替える。
・売り手は、貨幣を買い手から受け取って、別のある売り手にそれを支払ってしまう。
・商品と引き換えに貨幣を手に入れることで始る総過程は、商品と引き換えに貨幣を手放すことで終わる。
・形態G―W―Gでは、逆である。
・ここでは、二度場所を変えるのは、同じ貨幣片ではなくて、同じ商品である。
・買い手は、商品を売り手から受け取って、それを別のある買い手に引き渡してしまう。
・単純な商品の流通では同じ貨幣片の二度の場所変換がそれを一方の持ち手から他方の持ち手に最終的に移すのであるが、ここでは同じ商品の二度の場所変換が貨幣をその最初の出発点に還流させるのである。

●前回の図示でいえば、W―G―Wでは、貨幣はA→B B→Cと二度場所を替える。
G―W―Gでは、商品がA→B B→Cと二度場所を替える。貨幣(同じ貨幣片ではないが)は、B→A C→Bと場所を替える。貨幣は、最初の出発点Bの手に還流する。

by shihonron | 2009-11-17 23:47 | 学習ノート


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