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『資本論』を読む会の報告

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2010年 02月 22日

学習ノート  第6章 不変資本と可変資本 その3

第18段落
・およそ生産手段として消費されるものは、その使用価値であって、これの消費によって労働は生産物を形成するのである。
・生産手段の価値は実際は消費されるのではなく、したがってまた再生産されることもできないのである。
・それは保存されるが、しかし、労働過程で価値そのもの操作が加えられるので保存されるのではなく、価値が最初そのうちに存在していた使用価値が消失はするがしかしただ別の使用価値となってのみ消失するので保存されるのである。
・そけゆえ、生産手段の価値は、生産物のうちに再現はするが、しかし、正確に言えば、再生産されるのではない。
・生産されるものは、元の交換価値がそのうちに再現する新たな使用価値である。

■【再生産】商品の生産と流通・消費の過程が不断に繰り返されること。また、その過程。

●「なぜここで価値ではなく交換価値という言葉が用いられているのか」との疑問が出されましたが、「意味としては価値のことであり、差異はないだろう」との発言がありました。

第19段落
・労働過程の主体的な要因、活動しつつある労働力の方は、そうではない。
・労働がその合目的的な形態によって生産手段の価値を生産物に移して保存するあいだに、その運動の各瞬間は追加価値を、新価値を形成する。
・かりに、労働者が自分の労働力の等価を生産した点、たとえば6時間の労働によって3シリングの価値をつけ加えた点で、生産過程が中断するとしよう。
・この価値は、生産物価値のうちの、生産手段からきた成分を越える超過分をなしている。
・それは、この過程のなかで発生した唯一の本源的な価値であり、生産物価値のうちでこの過程そのものによって生産された唯一の部分である。
・もちろん、それは、ただ、資本家によって労働力の買い入れのときに前貸しされ労働者自身によって生活手段に支出された貨幣を補填するだけである。
・支出された3シリングとの関係からみれば、3シリングという新価値はただ再生産として現われるだけである。
・しかし、それは現実に再生産されているのであって、生産手段の価値のようにただ外見上再生産されているだけではない。
・ある価値の他の価値による補填は、ここでは新たな価値創造によって媒介されているのである。

★ ある価値=資本家によって労働力の買い入れのときに前貸しされ労働者自身によって生活手段に支出された貨幣 
 
  他の価値=6時間の労働によってつけ加えられた価値

第20段落
・しかし、われわれがすでに知っているように、労働過程は、労働力の価値の単なる等価が再生産されて労働対象につけ加えられる点を越えて、なお続行される。
・この点までは6時間で十分でも、それではすまないで、過程はたとえば12時間続く。
・だから、労働力の活動によってはただそれ自身の価値が再生産されるだけではなく、ある超過価値が生産される。
・この剰余価値は、生産物価値のうちの、消費された生産物形成者すなわち生産手段と労働力との価値を超える超過分をなしているのである。

■《それゆえ、この過程の完全な形態は、G―W―G’であって、ここでは G’=G+ΔG である。すなわちG’は、最初に前貸しされた貨幣額・プラス・ある増加分に等しい。この増加分、または最初の価値を超える超過分を、私は剰余価値(surplus value)と呼ぶ。それゆえ、最初に前貸しされた価値は、流通のなかでただ自分を保存するだけではなく、そのなかで自分の価値量を変え、剰余価値をつけ加えるのであり、言い換えれば自分を価値増殖するのである。・そしてこの運動がこの価値を資本に転化させるのである。》
(国民文庫263-264頁・原頁165)

★ここでは生産物形成者として、生産手段と労働力をあげている。

第21段落
・われわれは、生産物価値の形成において労働過程のいろいろな要因が演ずるいろいろに違った役割を示すことによって、事実上、資本自身の価値増殖過程で資本のいろいろな成分が果たす機能を特徴づけたのである。
・生産物の総価値のうちの、この生産物を形成する諸要素の価値総額を超える超過分は、最初に前貸しされた資本価値を越える価値増殖された資本の超過分である。
・一方の生産手段、他方の労働力は、ただ、最初の資本価値がその貨幣形態を脱ぎ捨てて労働過程の諸要因に転化したときにとった別々の存在形態でしかないのである。

★《労働過程のいろいろな要因》とは、生産手段(労働手段と労働対象)および労働力である。労働過程の諸契機としては、労働そのもの、労働対象、労働手段があげられていたが、労働は《活動しつつある労働力》に他ならず、労働力は《労働過程の諸要因》の一つ(労働過程の主体的な要因)なのである。

第22段落
・要するに、生産手段すなわち原料や補助材料や労働手段に転換される資本部分は、生産過程でその価値量を変えないのである。
・それゆえ、私はこれを不変資本部分、または、もっと簡単には、不変資本と呼ぶことにする。

★不変資本=生産手段に転換される資本部分

第23段落
・これに反して、労働力に転換された資本部分は、生産過程でその価値を変える。
・それはそれ自身の等価と、これを越える超過分、すなわち剰余価値とを再生産し、この剰余価値はまたそれ自身変動しうるものであって、より大きいこともより小さいこともありうる。
・資本のこの部分は、一つの不変量から絶えず一つの可変量に転化していく。
・それゆえ、私はこれを可変資本部分、またはもっと簡単には、可変資本と呼ぶことにする。
・労働過程の立場からは客体的な要因と主体的な要因として、生産手段と労働力として、区別されるその同じ資本部分が、価値増殖過程の立場からは不変資本と可変資本として区別されるのである。

★可変資本=労働力に転換された資本部分

■《労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象とその手段である。》(国民文庫313頁・原頁193)
■《この全過程をその結果である生産物の立場から見れば、二つのもの、労働手段と労働対象とは生産手段として現われ、労働そのものは生産的労働として現われる。》(国民文庫317頁・原頁196)

第24段落
・不変資本の概念は、その諸成分の価値革命をけっして排除するものではない。
・1ポンドの綿花が今日は6ペンスであるが、明日は綿花収穫の不足のために1シリングに上がると仮定しよう。
・引き続き加工される古い綿花は、6ペンスという価値で買われたものであるが、今では生産物に1シリングという価値部分をつけ加える。
・そして、紡がれた、おそらくはすでに糸になって市場で流通している綿花も、やはりその元の価値の2倍を生産物につけ加える。
・しかし、明らかに、この価値変動は、紡績過程そのものでの綿花の価値増殖にはかかわりがない。
・もし古い綿花がまだ労働過程に入っていないならば、それを6ペンスではなく1シリングでもう一度売ることもできるであろう。
・それどころか、それが労働過程を通っていることが少なければ少ないほど、いっそうこの結果は確実なのである。
・それだから、このような価値革命にさいしては、最も少なく加工された形態にある原料に賭けるのが、つまり、織物よりもむしろ糸に、糸よりはむしろ綿花そのものに賭けるのが、投機の法則なのである。
・価値変化はここでは綿花を生産する過程で生ずるのではない。
・一商品の価値は、その商品に含まれている労働の量によって規定されてはいるが、しかしその量そのものは社会的に規定されている。
・もしその商品の生産に社会的に必要な労働時間が変化したならば――たとえば同じ量の綿花でも不作のときは豊作のときよりも大きな量の労働を表わす――、前からある商品への反作用が生ずるのであって、この商品はいつでもただその商品種類の個別的な見本としか認められず、その価値は、つねに、社会的に必要な、したがってまたつねに現在の社会的諸条件のもとで必要な労働によって、計られるのである。

●「ここで価値革命という言葉が用いられているが、ちょっと大げさな表現に思える。内容としては、価値変動ということだ。」との発言がありました。

●投機の法則について「ここでの仮定では綿花であれば価値(価格)は2倍になるが、それ以外の条件が不変なら糸や布の価値(価格)は2倍未満であり、価格変動による利益は綿花の場合が一番大きい」との説明がありました。

★ここでの「社会的」の反対は「個別的」であろう。第4編 相対的剰余価値の生産では「個別的価値」「社会的価値」という言葉が登場している。

■《一商品の価値がその生産中に支出される労働の量によって規定されているとすれば、ある人が怠惰または不熟練であればあるほど、彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので、彼の商品はそれだけ価値が大きい、というように思われるかもしれない。しかし、諸商品の価値の実体をなしている労働は、同じ人間労働であり、同じ人間労働力の支出である。・商品世界の諸価値となって現われる社会の総労働力は、無数の個別的労働力から成っているのではあるが、ここでは一つの同じ労働力とみなされるのである。これらの個別的労働力のおのおのは、それが社会的平均労働力という性格をもち、このような社会的平均労働力として作用し、したがって一商品の生産においてただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間だけを必要とするかぎり、他の労働力と同じ人間労働力なのである。社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的に正常な生産条件と、労働の熟練度および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である。》(国民文庫78-79頁・原頁53)

■《しかし、労働は、ただ、使用価値の生産に費やされた労働が社会的に必要なかぎりで数にはいるだけである。これにはいろいろなことが含まれている。労働力は正常な諸条件のもとで機能しなければならない。…(中略)…もう一つの条件は、労働力そのものの正常な性格である。労働力は、それが使用される部門で、支配的な平均程度の技能と敏速さをもっていなければならない。》(国民文庫341-342・原頁210)

■《【一物一価】商品の価値は社会的必要労働時間によって決まる。だから、同じ種類の商品の価値は同じである。そこで、商品の価値を表現する商品の価格も、一つの市場では同じである。これがいわゆる「一物一価」である。》(大谷禎之介『図解社会経済学』225頁)

第25段落
・原料の価値と同じように、すでに生産過程で役だっている労働手段すなわち機械その他の価値も、したがってまたそれらが生産物に引き渡す価値部分も、変動することがある。
・たとえば、もし新たな発明によって同じ種類の機械がより少ない労働支出で再生産されるならば、古い機械は多かれ少なかれ減価し、したがってまた、それに比例してより少ない価値を生産物に移すことになる。
・しかし、この場合にも価値変動は、その機械が生産手段として機能する生産過程の外で生ずる。
・この過程では、その機械は、それがこの過程にかかわりなくもっているよりも多くの価値を引き渡すことは決してないのである。

■《もちろん、この生産で形成される価値が社会的必要労働時間によって決定されるように、ここで移転する、生産手段の価値の大きさも、社会的必要労働時間によって決定されているのであって、それの一つ一つが実際に必要とした労働時間によって決定されるのではない。しかも、その生産手段が生産物として実際に生産された時点での社会的必要労働時間ではなくて、それが現在の生産にはいるときにそれを生産するのに社会的に必要な労働時間によって決定されるのである。ただし、この生産が始るときには、生産手段はすでにある大きさの価値をもったものとして存在しているのであって、この生産と同時に、あるいはこの生産の終了時点ではじめてそれの価値がきまるわけではけっしてない。生産手段の価値は、この生産が始る以前にすでに確定している旧価値なのである。》(大谷禎之介「商品および商品生産」「経済志林」第61巻第2号)

第26段落
・生産手段の価値の変動は、たとえその生産手段がすでに過程にはいってから反作用的に生じても、不変資本としてのその性格を変えるものではないが、同時にまた、不変資本と可変資本との割合の変動も、それらの機能上の相違に影響するものではない。
・労働過程の技術的な諸条件が改造されて、たとえば以前は10人の労働者がわずか10個の道具で比較的少量の原料を加工していたのに、今では1人の労働者が1台の高価な機械で100倍の原料に加工するようになるとしよう。
・この場合には、不変資本、すなわち充用される生産手段の価値量は非常に増大し、労働力に前貸しされる可変資本部分は非常に減少するだろう。
・しかし、この変動は、不変資本と可変資本との量的関係、すなわち総資本が不変成分と可変成分とに分かれる割合を変えるだけで、不変と可変との相違には影響しないのである。

by shihonron | 2010-02-22 22:00 | 学習ノート


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