2010年 10月 05日
10月5日(火)に第199回の学習会を行いました。 「第23章 第2節 蓄積とそれに伴う集積との進行途上での可変資本の相対的減少」についてレジュメにもとづく報告を受けて検討しました。 以下はレジュメです。 第23章 第2節 蓄積とそれに伴う集積との進行途上での可変資本の相対的減少 ()内の数字は段落を示しています。 ■蓄積 資本としての剰余価値の充用,あるいは剰余価低の資本への転化 ■蓄積と集積 資本主義的生産様式に特有な社会的労働の生産力の発展は、一定量の資本の蓄積を前提とするが、それは一定量の生産手段と労働力とが資本家の支配のもとに集積されなければ、労働の生産力の発展はおこなわれないからである。この資本の集積の増大が資本の蓄積を増進させるが,資本構成の高度化もまた集積の増大を条件とする。しかし個々の資本家による資本の蓄積は.かならずしも資本の集積をますます増大させるとはいいえない。とくに資本主義の一定の発展段階においては,資本家の家族問での財産の分割がこれに大きな彼割を演ずる. したがって資本の蓄積とともに多かれ少なかれ資本家の数も増加する。またそうでなくとも.各種生産部門において個々の資本家の経営としてあらわれる資本の集積は、社会的需要を無視して同じ部門の生産の拡大となるわけではない。種々なるあらたな部門への分散がおこなわれる。資本の蓄積はかくしてー方ではつねに資本の集積の地大を促進するとともに他方ではまたその分散をともないつつ,全体として社会的資本の蓄積を増進するのである。 (『資本論辞典』より) ■資本の集積・集中 concentration and centralization of capital [英語] Konzentration und Zentralisation des Kapitals [ドイツ語] 資本の集積とは、個別資本のもとで獲得した剰余価値を資本へ追加することによる資本価値の増大であり、生産手段と労働力の集積、およびそれに伴う労働者への指揮を意味し、資本蓄積の別の表現である。一般的には資本の集積の増大は資本の蓄積を増進するが、資本家財産の相続における分割の場合や、あるいは剰余価値がもとの資本から分離して独立の新たな個別資本として機能する場合には、資本家数が増大し資本蓄積は分散する形で集積される。しかし、これら以外は、資本の集積は社会的資本の蓄積によって制約される。資本の集中とは、二つ以上の資本がそれぞれの自立性を失い結合あるいは合併・吸収することによる資本価値の増大である。それは資本家による資本家の収奪であり、多数小資本の少数大資本への吸収促進であって、蓄積や集積とは異なって社会的資本の蓄積の限界によって制限されることはない。 このように集積と集中には明確な区別があるが、社会的蓄積過程においては、資本の蓄積を基礎として資本の集中がおこり、この集中によって集積が促進されるというように、両者は作用しあう。そして資本の集積と集中いずれにおいても、競争と信用がその進展のもっとも有力な槓杆(こうかん)として役だつ。またそれは、資本の動員をおこさせ、株式会社制度の展開を促進させ、株式持合いの支配集中にまで至らせる。さらに資本の集積と集中の相互規定的進行は、個別資本の巨大化、市場集中度の高度化をもたらし、高い参入障壁を形成させ、少数巨大資本の独占的市場支配を可能にして独占化の傾向を招来している。 [ 執筆者:海道勝稔 ](小学館『日本大百科全書』より) (1)これまでわれわれは資本の増大する過程の一つの特殊な局面だけを見てきた。すなわち、資本の技術的構成が不変のままで資本の増大が生ずるという局面である。だが、過程はこの局面を超えて進む。 ■資本の技術的構成 《資本の構成は、…生産過程で機能する素材の面からみれば、それぞれの資本は生産手段と生きている労働力とに分かれる。この構成は、一方における充用される生産手段の量と、他方におけるその充用のために必要な労働量との割合によって規定される。…第二の構成を資本の技術的構成と呼ぶことにする。》(国民文庫188頁・原頁640) ●生産手段の量については、原材料などについては比較できるが、機械などの設備についてはどんな単位で比較することができるのだろうかという疑問が出されました。同一の機械であれば台数で比較できるが、質的に異なった機械ではどうなのかという疑問です。 (2)資本主義体制の基礎がひとたび与えられれば、蓄積の進行中には、社会的労働の生産性の発展が蓄積の最も強力な槓杆となる点が必ずあらわれる。 ■労働の社会的生産カ [社会的的労働の生産力] 労働の自然的条件に受動的に依存する〈自然的生産力〉にたいして、自然カの社会的統御、その積極的利用にもとづく生産カは社会的生産カである。したがって、それはたんに〈自然発生的〉ではなく,歴史的発展の所産である。社会的分業・協業・工場内分業l ・機械の使用にもとづく生産力は,すべて社|会的生産力である。 (『資本論辞典』より) (3)土地の豊度や製品の品質で質的に実証されるような単独で労働する独立生産者の技能を別とすれば、労働の社会的生産度は、一人の労働者が与えられた時間に労働力の同じ緊張度で生産物に転化させる生産手段の相対的な量的規模に表される。一方の生産手段(原料や補助材料)の増大は労働の生産性の増大の結果であり、他方の生産手段(充用される機械や役畜や鉱物性肥料や排水管、建物や巨大な炉や運輸機関など)の増大はその条件である。とはいえ、条件であろうと結果であろうと、生産手段に合体される労働力に比べての生産手段の量的規模の増大は、労働の生産性の増大を表している。だから、労働の生産性の増加は、その労働量によって動かされる生産手段量に比べての労働量の減少に、また労働過程の客体的諸要因に比べての主体的要因の大きさの減少に現れるのである。 ■《労働過程の諸契機は、合目的的な活動または労働そのものとその対象とその手段である。》《国民文庫 第1分冊313頁・原頁193》 (4)資本の技術的構成の変化は、資本の価値構成に反映する。可変資本部分に比べて不変資本部分がだんだんに増大していくという法則は、商品価格の比較分析によって(すでに展開されたように)一歩ごとに確証される。消費される生産手段の価値すなわち不変資本部分だけを代表する価値要素の相対的な大きさは、蓄積の進展に比例するであろうし、他方の、労働の代価を支払う価値要素、すなわち可変資本部分を代表する価値要素の相対的な大きさは、一般に、蓄積の進展に反比例するであろう。 ★《すでに展開されたように》と書かれているが、どの箇所のことを指しているのだろうか? (5)不変資本部分に比べての可変資本部分の減少、または資本価値の構成の変化は、資本の素材的諸成分の変動をただ近似的に示すだけである。なぜなら、労働の生産性の上昇につれて労働の消費する生産手段の規模が増大するだけはでなく、その規模に比べてその価値が低下するからである。 (6)蓄積の進展は、可変資本部分の相対量を減らすとはいえ、けっして同時にその絶対量の増大を排除するものではない。 3000c+3000v=6000 vは50% ↓ 14400c+3600v=18000 vは20% (7)労働の社会的生産力は大規模の協業を前提する。この前提のもとでのみ以下のことが可能になる。 ①労働の分割と結合とを組織すること ②絶対的大量的集積によって節約すること ③素材から見ても共同的にしか使用されえない労働手段(機械体系など)を生み出すこと ④巨大な自然力に生産への奉仕を強制すること ⑤生産過程を科学の技術的応用に転化させること 商品生産では生産手段は私人の私有である。このような商品生産という基礎の上では、大規模な協業は、ただ個別資本の増大によってのみ、または、ただ社会の生産手段と生活手段が資本家の私有物に転化されて行くのにつれて、実現される。商品生産という地盤は、大規模な生産を、ただ資本主義的形態においてのみになうことができる。したがって、個々の商品生産者の手のなかでのある程度の資本の蓄積が、独自な資本主義的生産様式の前提になる。(独自な資本主義的生産の歴史的な基礎としての本源的蓄積) 労働の社会的生産力を増大させるための方法は、すべて、同時にまた剰余価値または剰余生産物の生産を増加させる方法であり、この剰余生産物はそれ自身また蓄積の形成要素である。資本の蓄積につれて独自な資本主義的生産様式が発展するのであり、また独自な資本主義的生産様式の発展につれて資本の蓄積が進展するのである。この二つの経済的要因は、互いに与え合う刺激に複比例して資本の技術的構成の変化を生み出すのであって、こり変化によって可変成分は不変成分に比べてますます小さくなっていくのである。 (8)各個の資本は生産手段の大なり小なりの集積であって、その大小に応じて大なり小なりの労働力軍の指揮権を持っている。どの蓄積も新たな蓄積の手段になる。それは、資本として機能する冨の増加につれて、個別資本家の手の中でのこの冨の集積を拡大し、したがって大規模生産と独自な資本主義的生産方法との基礎を拡大する。 社会的資本の増大は多数の個別資本の増大によって行われる。他の事情はすべて変わらないと前提すれば、個別資本は、またそれとともに生産手段の集積は、それらの資本が社会的総資本の可除部分をなしている割合に応じて増大する。 同時に、元の資本から若枝が分かれて、新しい独立な資本として機能する。そのさい、とりわけ、資本家の家族のあいだでの財産の分割は、一つの大きな役割を演ずる。したがって、資本の集積につれて資本家の数も多かれ少なかれ増えるのである。 このような集積は、直接に蓄積にもとづくものでありまたむしろ蓄積と同じなのであるが、それは二つの点によって特徴づけられる。第一に、個別資本家の手のなかでの社会的生産手段の集積の増大は、他の事情が変わらなければ、社会的冨の増大の程度によって制限されている。 第二に、社会的資本の、それぞれの特殊な生産部面に定着している部分は、多数の資本家のあいだに配分されていて、彼らは互いに独立して競争する商品生産者として相対している。だから、蓄積とそれに伴う集積とが多数の点に分散されているだけではなく、現に機能している資本の増大と交錯して新たな資本の形成や古い資本の分裂が行われているのである。それゆえ、蓄積は、一方では生産手段と労働指揮との集積として現れるのであるが、他方では多数の個別資本の相互の反発として現れるのである。 ★「大規模生産と独自な資本主義的生産方法との基礎」とは、大規模な協業のこと。 ★《個別資本は、またそれとともに生産手段の集積は、それらの資本が社会的総資本の可除部分をなしている割合に応じて増大する。》とはどういうことか? ある個別資本別資本が社会的総資本の100万分の1を占めているなら、その個別資本別資本の増大は社会的資本の増大した量の100万分の1だということか。スッキリとしない。 ★《資本家の数》は言いかえれば、個別資本の数ということ。 ★《個別資本家の手のなかでの社会的生産手段の集積の増大は、他の事情が変わらなければ、社会的冨の増大の程度によって制限されている。》とはどういうことか? 後で出てくる資本の集中との区別を意識しているのだろうか? ★《社会的生産手段》とは、単に「社会の生産手段」という意味か、あるいは、個人的に使用することができない生産手段、多数の労働者が結合してはじめて使用可能な生産手段(機械体系)のことか? ★《蓄積は、…多数の個別資本の相互の反発として現れる》とは、個別資本のもとで蓄積は行われるが、それは多数の個別資本間の競争でもあるということか。 (9)このような、多数の個別資本への社会的総資本の分裂、またはその諸部分の相互の反発に対しては、この諸部分の吸引が反対に作用する。これは、もはや、生産手段や労働指揮の単純な蓄積と同じ意味の集積ではない。それはすでに形成されている諸資本の集積であり、それらの個別的独立の解消であり、資本家による資本家からの収奪であり、少数のより大きい資本への多数のより小さい資本の転化である。 この過程を第一の過程から区別するものは、この過程はただすでに存在し機能している資本の資本の配分の変化を前提するだけであり、したがってそれが行われる範囲は社会的冨の絶対的な増加または蓄積の絶対的な限界によって制限されてはいないということである。一方で資本がふくれあがるのは、他方で多くの手の中から資本がなくなるからである。これは、蓄積および集積とは区別される本来の集中である。 (10)事実として、競争戦は11:02安くすることによって戦われる。商品の安さは、他の事情が同じならば、労働の生産性によって定まり、この生産性はまた生産規模によって定まる。したがって、より大きい資本はより小さい資本を打ち倒す。さらに思い出されるのは、資本主義的生産様式の発展につれて、ある一つの事業をその正常な条件のもとで営むために必要な個別資本の最小量も大きくなるということである。競争は多数の小資本家の没落で終わるのが常であり、彼らの資本は一部は勝利者の手に入り、一部は破滅する。 このようなことは別としても、資本主義的生産の発展につれて、一つのまったく新しい力である信用制度が形成されるのであって、それは当初は蓄積の控えめな助手としてこっそりはいってきて、社会の表面に大小さまざまな量でちらばっている貨幣手段を目に見えない糸で個別資本家や結合資本家のてに引き入れるのであるが、やがて競争戦で一つの新しい恐ろしい武器になり、そしてついには諸資本の集中のための一つの巨大な社会的機構に転化するのである。 資本主義的生産と資本主義的蓄積とが発展するにつれて、それと同じ度合いで競争と信用とが、この二つの最も強力な集中の槓杆が、発展する。 それと並んで、蓄積の進展は集中されうる素材すなわち個別資本を増加させ、他方、資本主義的生産の拡大は、一方では社会的欲望をつくりだし、他方では過去の資本集中がなければ実現されないような巨大な産業企業の技術的な手段をつくりだす。だから、今日では、個別資本の相互吸引力や集中への傾向は、以前のいつよりも強いのである。 しかし、集中運動の相対的な広さと強さとは、ある程度まで、資本主義的冨の既成の大きさと経済的機構の優越によって規定されているとはいえ、集中の進展はけっして社会的資本の大きさの絶対的増大には依存しないのである。そして、このことは特に集中を、ただ拡大された規模での再生産の別の表現でしかない集積から区別するのである。 集中は、既存の諸資本の単なる配分の変化によって、社会的資本の諸成分の単なる量的編成の変化によって、起きることができる。一方で資本が一つの手の中で巨大なかたまりに膨張することができるのは、他方で資本が多数の個々の手から取り上げられるからである。 かりにある一つの事業部分で集中が極限に達することがあるとすれば、それは、その部門に投ぜられているすべての資本が単一の資本に融合してしまう場合であろう。与えられた一つの社会では、この限界は、社会的総資本が単一の資本家なり単一の資本家会社なりの手に合一された瞬間に、はじめて到達されるであろう。 ★《資本主義的生産の拡大は、一方では社会的欲望をつくりだし》とはどういうことか? フランス語版では《資本主義的生産の発展は、社会的な必要を創出するとともに》となっている。より大規模な生産設備などへの欲求のことか。 .■《信用制度はこのようにして幻想的な資本たる仮空資本をとおして、みずからの活動分野を拡大し,一つの結合資本をつくりだすのである。かくて.信用制度は資本主義的個人企業が資本主義的株式会社に漸次的に転形するための主要基礎をなす。.ゆえに,株式会社の行なう集中はたんなる集中一般ではなく,信用を媒介とする集中であり、これにより他の資本の集中形態と同様に、さらにそれよりはるかに大規模に、蓄積に直接関係なくして、生産規模の拡大ないしは資本の集中を可能ならしめる。》(『資本論辞典』55頁). (11)集中は蓄積の仕事を補う。というのは、それによって産業資本たちは自分の活動の規模を広げることができるからである。産業施設の規模の拡大は、多人数の総労働をいっそう包括的に組織するための、その物質的推進力をいっそう広く発展させるための、すなわち、個々ばらばらに習慣に従って営まれる生産過程を、社会的に結合された科学的に処理される生産過程にますます転化させて行くための、出発点になるのである。 ★《その物質的推進力》とは、結合された労働者の発揮する力ということか。 (12)しかし、蓄積、すなわち再生産が円形から螺旋形に移って行くことによる資本の漸次的増加は、ただ社会的資本を構成する諸部分の量的編成を変えさえすればよい集中に比べて、まったく緩慢なやり方だということは、明らかである。(鉄道建設における株式会社を媒介として集中の果たした役割) また、集中は、このように蓄積の作用を強くし早くすると同時に、資本の技術的構成の変革を、すなわちその可変部分の犠牲においてその不変部分を大きくし、したがって労働にたいする相対的な需要を減らすような変革を、拡大し促進するのである。 (13)集中によって一夜で溶接される資本塊も、他の資本塊と同様に、といってもいっそう速く、再生産され増殖され、こうして社会的蓄積の新しい槓杆となる。だから、社会的蓄積の進展という場合には、そこには――今日では――集中の作用が暗黙のうちに含まれているのである。 ★集中によって形成された資本は、そうでない資本に比べてなぜ「いっそう速く、再生産され増殖され」るのか? (14)正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は、特に、新しい発明や発見、一般に産業上の諸改良を利用するための媒介として役だつ。しかし、古い資本も、いつかはその全身を新しくする時期に達するのであって、その時には古い皮を脱ぎすてると同時に技術的に改良された姿で生き返るのであり、その姿では前よりも多くの機械や原料を動かすのに前よりも少ない労働量で足りるようになるのである。このことから必然的に起きてくる労働需要の絶対的な減少は、いうまでもないことながら、この更新過程を通る資本が集中運動によってすでに大量に集積されていればいるほど、ますます大きくなるのである。 (15)要するに、一方では、蓄積の進行中に形成される追加資本は、その大きさに比べればますます少ない労働者を引き寄せるようになる。他方では、周期的に新たな構成で再生産される古い資本は、それまで使用していた労働者をますます多くはじき出すようになるのである。 ■大谷禎之介『図解社会経済学』では、以下のように述べられている。 §1 資本構成の高度化をともなう資本蓄積と可変資本の増減 [高度化が進めば可変資本の増大率は資本全体の増大率よりも低い]資本の蓄積が進行していくなかで、労働の生産力の発展が蓄積のテコとなる点が現れないではいない。こうして資本蓄積と労働の生産力の発展とは相互に促進しあって進んでいく。その結果、必ず、資本構成の高度化が生じないではいない。新たに投下される資本は一般に可変資本を含んでいるから、蓄積はそれだけ労働力への需要を絶対的に増加させるが、それが資本構成の高度化をともなう場合には、可変資本部分は不変資本部分に比べて相対的に減少するから、可変資本部分の増大率、したがってまたこれによる労働需要の増大率は、資本全体の増大率よりも低くなる。ただ、生産力の発展にともなって生産手段の価値が減少するので、価値構成の高度化は技術的構成の高度化と同じテンポで進むわけではない。 §2 資本の集中と可変資本の増減 [集中による既存資本の構成高度化が労働需要を減少させる] 蓄積の進行中に、一方では、社会的総資本の一部が多くの個別資本に分裂・枝分かれして個別資本の数を増大させるが、他方では、既存資本の合併・併合、倒産資本の併呑による資本の集中が進み、一部の個別資本の巨大化と個別資本の数の減少が生じる。この過程を強力に推し進めるテコが、諸資本の競争と銀行制度、そして銀行制度と結びついた株式会社の設立である。この過程で、資本の生産力が急速に増大すると同時に、資本の技術的構成が高度化し、労働需要を絶対的・相対的に減少させる。 [資本の集中にともなう構成高度化は労働者の解き離しをもたらす] 資本の集中による資本規模の増大は、社会的総資本の大きさを変化させない。したがって、集中の過程での資本構成の高度化は、可変資本の絶対的減少による、労働者の解き離しをもたらす。 [構成高度化をともなう固定資本の更新も労働者を解き離す] さらに、固定資本の更新期がきた資本が固定資本の更新を行うさいには、つねに最新の機械設備などを設置しようとする。この場合には、それらを動かすのには旧来のものよりも少ない労働で足りるから、こうした新しい固定資本の充用は、そりまで使用していた労働者の一部を確実にはじき出す。ここでも可変資本の絶対的減少による、労働者の解き離しが生じる。
by shihonron
| 2010-10-05 23:30
| 学習会の報告
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