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『資本論』を読む会の報告

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2005年 11月 18日

第1回 11月15日(火)


 最初に、『資本論』がどのように計画され、出版されたかを概観し、第1版序文の第10段落までを輪読、検討しました。

■『資本論』はどのように計画され出版されたか

当初の計画
第Ⅰ部 資本の生産過程
第Ⅱ部 資本の流通過程
第Ⅲ部 総過程の諸姿容
第Ⅳ部 理論の歴史のために

はじめの3部が理論的部分、第Ⅳ部が歴史的・批判的または歴史的・文献的部分。

当初の計画では、全4部が2巻にまとめて一度に出版されるはずだったが、マルクスの生前に刊行されたのは、第Ⅰ部「資本の生産過程」を含む第1巻だけ。

第1版 1867年
第2版 1872-73年
著者校閲フランス語版 1872-75年

第Ⅱ部と第Ⅲ部は、マルクスの死後、遺稿をもとにエンゲルスの編集によって出版された。

第2巻「資本の流通過程」
第1版 1885年

第3巻「資本主義的生産の総過程」
第1版 1894年

第Ⅳ部は、はじめカウツキーの編集で独立の著作『剰余価値学説史』3巻として出版された。 1905-1910年

より完全な新版がマルクス=レーニン主義研究所(ベルリン)の編集によって『資本論』第4巻(3冊)として刊行された。 1956-62年

『資本論』の理論的部分全3部の現行版(マルクス=レーニン主義研究所編集『マルクス=エンゲルス全集』版の底本となっているのは

第Ⅰ部 (『全集』23巻) エンゲルス編集 第4版 1890年
第Ⅱ部 (『全集』24巻) エンゲルス編集 第2版 1893年
第Ⅲ部 (『全集』25巻) エンゲルス編集 第1版 1894年


■内容要約

経済的諸形態の分析では、抽象力が自然科学における顕微鏡や化学試薬の代わりをする。

ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態が経済的細胞形態である。

この著作の課題は、資本主義的生産様式、これに対応する生産関係と交易関係の研究である。

●疑問が出されたり、議論になったこと
・第3段落
「貨幣形態をその完成した姿とする価値形態は、非常に無内容で簡単である。それにもかかわらず、人間精神は二千年もまえから空しくその解明に努めてきたのであり、しかも他方ではこれよりずっと内容の豊富な複雑な諸形態の分析に、少なくともだいたいのところまでは、成功したのである。なぜだろうか? 成育した身体は身体細胞よりも研究しやすいからである。そのうえ、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学試薬も役にはたたない。抽象力がこの両方の代わりをしなければならない。ところが、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態が経済的細胞形態なのである。」という部分について

 「ずっと内容の豊富な複雑な諸形態」とはどんなもののことかという質問が出されました。分業、工場や銀行、地代や資本などではないかという発言がありましたが、はっきりとはしませんでした。

 またここでは、社会科学と自然科学の区別を述べており、経済学においては抽象力がとても重要であることを確認しました。

・第5段落
 この著作の課題が資本主義的生産様式とこれに対応する生産関係と交易関係の研究であることを確認しました。

 「パリサイ人」とは何なのかが問題になり、時間までに調べることになりました。

・第6段落
 ここで「資本主義的生産の自然法則から生ずる社会的な敵対関係」と述べられているが、資本主義的生産という社会的な事柄なのに、なぜ「自然法則」という言葉が用いられているのかという疑問が出されました。

・第9段落
「一八世紀のアメリカの独立戦争がヨーロッパの中間階級のために警鐘を鳴らしたように、一九世紀のアメリカの南北戦争はヨーロッパの労働者階級のために警鐘を鳴らした。」とはどういうことかという疑問が出され、次回までに調べて考えてくることになりました。

・第10段落
「資本家や土地所有者の姿を私はけっしてばら色の光の中に描いてはいない。しかし、ここで人が問題にされるのは、ただ、人が経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級関係や利害の担い手であるかぎりのことである。経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼がどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである。」

 ここで「経済的諸範疇の人格化」という表現があるが、この「経済的諸範疇」とは何かが問題になりました。「資本家は、資本の人格化といったこと」という発言があり、商品、貨幣、資本、などのことだろうということになりました。

 また「自然史的過程」の意味が問題になりました。人間の意志からは独立した過程、言い換えれば客観的過程という事ではないかという意見が出ましたが、次回もう一度議論することになりました。 





 

by shihonron | 2005-11-18 08:11 | 学習会の報告


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