『資本論』を読む会の報告

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2008年 05月 12日

第12章 第5節 のレジュメ

 第5節 マニュファクチュアの資本主義的性格   s.380
個別資本の最小規模が増大,加速する生活手段と生産手段の資本への転化
① 比較的多数の労働者が同じ資本の指揮のもとにあるということ-----協業一般の自然発生的な基礎・マニュファクチュアの基礎。
 マニュファクチュア的分業⇒充用労働者数の増大を技術上の必然性にまで発展させる。一人の個別資本家が使用しなければならない労働者数の最小限は,分業によって指定されている。
 さらに進んだ分業の利益は,労働者数のいっそうの増加を条件とし,この増加はただ倍加を重ねることによってのみ行なわれることができる。しかし,資本の可変成分が増大するにつれて不変成分も増大しなければならない。そして,建物や炉などのような共同的生産条件の規模のほかに,ことにまた,しかも労働者数よりもずっと速く,原料が増加しなければならない。与えられた時間に,与えられた労働量によって消費される原料の量は,分業によって労働の生産力が高くなるのと同じ割合で増加する。だから,個々の資本家の手にある資本の最小規模が増大してゆくということ,または,社会の生活手段と生産手段とがますます多く資本に転化してゆくということは,マニュファクチュアの技術的性格から生ずる一つの法則なのである。

労働の社会的生産力⇒資本の生産力,労働者⇒資本家の作業場のの中でしか機能できない
② 単純な協業の場合と同様,マニュファクチュアにあっても,機能している労働体は資本の一つの存在形態である。多数の個別的部分労働者から構成されている社会的生産機構は,資本家のものである。それだから,諸労働の結合から生ずる生産力は資本の生産力として現われるのである。本来のマニュファクチュアは,以前は独立していた労働者を資本の指揮と規律とに従わせるだけではなく,そのうえに,労働者たち自身のあいだにも一つの等級制的編制をつくりだす。単純な協業はだいたいにおいて個々人の労働様式を変化させないが,マニュファクチュアはそれを根底から変革して,個人的労働力の根源をとらえる。それは,もろもろの生産的な欲求と素質の一世界をなしている人間を抑圧することを通じ,労働者の細部的熟練を温室的に助長し,その結果労働者をゆがめて異常なものにしてしまう。一つの奇形物にしてしまう。それぞれの特殊な部分労働が別々の個人のあいだに配分されるだけではなく,個人そのものが分割されて一つの部分労働の自動装置に転化される。労働力は,資本家の作業場のなかでしか,機能しない。マニュファクチュア労働者は,もはやただ資本家の作業場の付属物として生産的活動力を発揮するだけである。

物質的生産過程における精神的な諸能力の分離⇒資本のうちに集積⇒労働者を支配する権力
③ 独立の農民や手工業者が小規模ながらも発揮する知識や分別や意志は,今ではもはやただ作業場全体のために必要なだけである。生産上の精神的な諸能力が一方の面ではその規模を拡大するが,それは,多くの面でそれらが失われていくからである。部分労働者たちが失うものは,彼らに対立して資本のうちに集積される。部分労働者たちにたいして,物質的生産過程の精神的な諸能力を,他人の所有として,また彼らを支配する権力として,対立させるということは,マニュファクチュア的分業の一産物である。この分離過程は,単純な協業に始まり,マニュファクチュアにおいて発展し,大工業において完了する。

社会的生産力の増大と労働者の個人的生産力の低下---- 精神的肉体的不具化 ②④~⑩
④ マニュファクチュアでは,全体労働者の,したがってまた資本の,社会的生産力が豊かになることは,労働者の個人的生産力が貧しくなることを条件としている。
 「無知は迷信の母でもあるが,また勤労の母でもある。反省や想像力は誤りに陥りやすい。しかし,手や足を動かす習慣は,そのどちらにも依存していない。だから,マニュファクチュアが最も繁栄するのは,人が最もはなはだしく精神を奪われて,作業場が人間を部分品とする一つの機械とみなされうるようになっている場合である。」(68) A・ファーガソン
⑤ じっさい,18世紀の半ばには,マニュファクチュアのうちには,ある種の単純ではあるが工場の秘密になっているような作業には好んで半白痴を使用したものもあったのである。
⑥「大多数の人間の精神は,必然的に彼らの日常の作業のなかで,またそれによって発達する。わずかばかりの単純な作業をすることに全生涯を費やす人は自分の知力を用いる機会をもたない。彼は,一般に,一人の人間にとって可能なかぎりの愚かで無知なものになる。」-----A・スミス ⑦スミスは続ける。「彼のきまりきった生活の単調さは,当然,彼の精神の元気をも腐らせる。それは彼の肉体のエネルギーさえも破壊し,一つの細部作業に向くように育成された彼を,その作業以外では自分の力を活発に持続的に使うことができないようにする。彼の特殊な職業における彼の技能は,このように,彼の知的な,社会的な,勇敢な資質を犠牲にして得られたように見えるが,しかし,これは,およそ産業の発達した文明の社会では,労働貧民(the labouring poor),すなわち人民の大多数が必然的に陥らざるをえない状態なのである。」
⑧ 分業のために民衆が萎縮してしまうのを防ぐために,A・スミスは国家の手による国民教育を,極小量にかぎってではあるが,推奨している。これにたいして,G・ガルニエは,徹底的に反対している。彼によれば,国民教育は分業の第一の法則に反するものであって,「他のすべての分業と同じに,手の労働と頭の労働との分業も,社会が富んでくるにつれて,ますます明瞭になり決定的になってくる。他のどの分業とも同じに,この分業も過去の進歩の結果であり,将来の進歩の原因である。それなのに,政府がこの分業を妨害し,その自然の進行を阻止してよいものだろうか? 
⑨ ある種の精神的肉体的不具化は,社会全体の分業からさえも不可分である。しかし,マニュファクチュア時代は,このような諸労働部門の社会的分割をさらにいっそう推し進め,他面ではその特有の分業によってはじめて個人をその生命の根源からとらえる。
⑩ 「一人の人を小分けするということは,彼が死罪に値すれば死刑に処し,それに値しなければ暗殺する,ということである。労働の小分けは人民の暗殺である。」D・アーカート(74)「教養ある人間とは,まず第一に,他人のなすことは何でもすることができる人間と解されうる」ヘーゲル

マニュファクチュア的分業の歴史的進歩性と労働に対する資本の支配確立            s.385
⑪ 分業にもとづく協業,すなわちマニュファクチュアは,当初は一つの自然発生的な形成物である。その存在がいくらか堅固さと幅広さとを増してくれば,それは資本主義的生産様式の意識的な,計画的な,組織的な形態になってくる。本来のマニュファクチュアの歴史が示しているように,それに特有な分業は,最初は経験的に,いわば当事者たちの背後で,適当な諸形態をとってゆくのであるが,やがて,同職組合的手工業と同じように,ひとたび見いだされた形態を伝統的に固守しようとするようになる。この形態が変わるとすれば,それは,労働用具の革命の結果にほかならない。
⑫ マニュファクチュア的分業は,手工業的活動の分解,労働用具の専門化,部分労働者の形成,一つの全体機構のなかでの彼らの組分けと組合せによって,いくつもの社会的生産過程の質的編制と量的比例性,つまり一定の社会的労働の組織をつくりだし,同時にまた労働の新たな社会的生産力を発展させる。社会的生産過程の独自な資本主義的形態としては,マニュファクチュア的分業は,ただ,相対的剰余価値を生みだすための,または資本の自己増殖を労働者の犠牲において高めるための,一つの特殊な方法でしかない。それは,労働の社会的生産力を,労働者のためにではなく資本家のために,しかも各個の労働者を不具にすることによって,発展させる。それは,資本が労働を支配するための新たな諸条件を生みだす。したがって,それは,一方では歴史的進歩および社会の経済的形成過程における必然的発展契機として現われ,同時に他方では文明化され洗練された搾取の一方法として現われるのである。
⑬ マニュファクチュア時代にはじめて独自な科学として現われる経済学は,社会的分業一般を,商品を安くし資本の蓄積を速くするための手段として,考察する。このように量と交換価値とを強調するのとはまったく正反対に,古典的古代の著述家たちはただ質と使用価値に固執する。

マニュファクチュアの発達の歴史的制約(障害)                        s.389
    労働者の熟練⑭,労働者の抵抗と無秩序⑭⑮,都市の手工業と農村の家内工業が土台⑯
⑭ 本来のマニュファクチュア時代(マニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配的な形態である時代)には,マニュファクチュア自身の諸傾向の十分な発達は多方面の障害にぶつかる。マニュファクチュアは,労働者の等級制的編制をつくりだすと同時に熟練労働者と不熟練労働者との簡単な区分をつくりだすとはいえ,不熟練労働者の数は,熟練労働者の優勢によって,やはりまだ非常に制限されている。マニュファクチュアは女や子供の生産的搾取を促すとはいえ,このような傾向はだいたいにおいて慣習や男子労働者の抵抗に出会ってくじける。手工業的活動の分解は労働者の養成費を下げ,その価値を下げるとはいえ,いくらかむずかしい細部労働にはやはりかなり長い修業期間が必要であり,また,それがよけいな場合にも,労働者たちによって用心深く固執される。イギリスでは,7年間の修業期間を規定する徒弟法はマニュファクチュア時代の終わりまで完全に効力を保ち,大工業によってはじめて廃棄された。手工業的熟練はマニュファクチュアでも相変わらずその基礎(これを廃棄するのは大工業s.508)であり,マニュファクチュアで機能する全体機構も労働者そのものから独立した客観的な骨組みはもっていないのだから,資本は絶えず労働者の不従順と戦っている。
⑮ マニュファクチュア時代の全体をつうじて,労働者の無規律についての苦情が絶えない。無秩序
「アークライトは秩序を創造した」ユア
⑯ マニュファクチュアは,社会的生産をその全範囲にわたってとらえることも,その根底から変革することもできなかった。マニュファクチュアは,都市の手工業と農村の家内工業という幅広い土台の上に経済的な作品としてそびえ立った。マニュファクチュア自身の狭い技術的基礎は,一定の発展度に達したとき,マニュファクチュア自身によってつくりだされた生産上の諸要求と矛盾するようになった。

機械----手工業的活動の廃棄
⑰ マニュファクチュアの最も完成された姿の一つは,労働用具そのものを生産するための,またことに,すでに充用されていた複雑な機械的装置を生産するための,作業場だった。
⑱ マニュファクチュア的分業のこの産物はまたそれ自身として生み出した――機械を。機械は,社会的生産の規制原理としての手工業的活動を廃棄する。こうして,一方では,労働者を一つの部分機能に一生涯縛りつけておく技術上の根拠は除かれてしまう。他方では,同じ原理がそれまではまだ資本の支配に加えていた制限もなくなる。


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by shihonron | 2008-05-12 12:50 | レジュメ


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