『資本論』を読む会の報告

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2008年 05月 18日

第13章 第1節  のレジュメその1

第13章 機械と大工業                 s.391
第一節 機械の発達
機械使用の目的
① 「すべてのこれまでになされた機械の発明が,どの人間かの毎日の労苦を軽くしたかどうかは疑問である。」J・S・ミル『経済学原理』
② だが,このようなことはけっして資本主義的に使用される機械の目的ではないのである。そのほかの労働の生産力の発展がどれでもそうであるように,機械は,商品を安くするべきもの,労働日のうち労働者が自分自身のために必要とする部分を短縮して,彼が資本家に無償で与える別の部分を延長するべきものなのである。それは,剰余価値を生産するための手段なのである。
③ 生産様式の変革は,マニュファクチュアでは労働力を出発点とし,大工業では労働手段を出発点とする。だから,まず第一に究明しなければならないのは,なにによって労働手段は道具から機械に転化されるのか,または,なにによって機械は手工業用具と区別されるのか,である。ここで問題にするのは,ただ大きな一般的な特徴だけである。なぜならば,社会史の諸時代は抽象的な厳密な境界線によっては区分されないということは,地球史の諸時代の場合と同じことだからである。
機械と道具との本質的な相違
④ 数学者や機械学者は道具を簡単な機械だと言い,機械を複雑な道具だと言う。経済学の立場からは,この説明はなんの役にもたたない。それには歴史的な要素が欠けているからである。
 他方には,道具と機械との区別を,道具では人間が動力であるが,機械では動物や水や風などのような,人間力とは違った自然力が動力であるということに求める人もある。

機械の三要素
⑤ すべて発達した機械は,三つの本質的に違う部分から成っている。原動機,伝動機構,最後に道具機または作業機がそれである。
原動機は全機構の原動力として働く。それは,蒸気機関や熱機関や電磁気機関などのように,それ自身の動力を生みだすこともあれば,また,水車が落水から,風車が風からというように,外部の既成の自然力から原動力を受け取ることもある。伝動機構は,節動輪,動軸,歯輪,渦輪,回転軸,綱,調帯,小歯輪,非常に多くの種類の伝動装置から構成されていて,運動を調節し,必要があれば運動の形態を,たとえば垂直から円形にというように,変化させ,それを道具機に分配し伝達する。機構のこの両部分は,ただ道具機に運動を伝えるためにあるだけで,これによって道具機は労働対象をつかまえて目的に応じてそれを変化させるのである。機械のこの部分,道具機こそは,産業革命が18世紀にそこから出発するものである。

道具機または本来の作業機をもっと詳しく考察する
⑥ だいたいにおいて,手工業者やマニュファクチュア労働者の作業に用いられる装置や道具が,一つの機構の道具として,または機械的な道具として再現する。機械全体が,ただ古い手工用具にいくらか変化を加えたその機械化版でしかないか,または,作業機の骨組みに取りつけられて働く器官が,古いなじみのもの(紡錘,針,のこぎり,切断機の刃などのような)であるかである。道具機というのは,適当な運動が伝えられると,以前に労働者が類似の道具で行なっていたのと同じ作業を自分の道具で行なう一つの機構なのである。その原動力が人間から出てくるか,それともそれ自身また一つの機械から出てくるかは,少しも事柄の本質を変えるものではない。本来の道具が人間から一つの機構に移されてから,次に単なる道具に代わって機械が現われるのである。人間が作業のために同時に使用できる労働用具の数は,彼の自然的な生産用具,すなわち彼自身の肉体の器官の数によって,限られている。ジェニー紡績機ははじめから12―18個の紡錘で紡ぎ,靴下編み機は一時に何千本もの針で編む,等々というふうである。同じ道具機が同時に動かす道具の数は,一人の労働者の使う手工業道具を狭く限っている有機体的な限界からは,はじめから解放されているのである。
蒸気機関は産業革命を呼び起こさない                         s.395
⑦ たとえほ,紡ぎ車の場合には,足はただ原動力として働くだけであるが,紡錘を操作して糸を引いたり撚ったりする手は,本来の紡績作業を行なうのである。まさに手工業用具のこのあとのほうの部分をこそ,産業革命はまず第一にとらえる。人間がはじめからただ単純な動力としてそれに働きかけるだけの道具,たとえばひきうすの柄をまわすとか,ポンプを動かすとか,ふいごの柄を上げ下げするとか,うすでつくとかいう場合の道具は,たしかに,まず第一に動力としての動物や水や風の応用を呼び起こす。このような道具は,一部はマニュファクチュア時代のうちに,まばらにはそれよりもずっと前から,機械となるまでに成長するが,しかしそれらは生産様式を変革しはしない。それらがその手工業的形態にあってもすでに機械だということは,大工業の時代に明らかになる。たとえば,1836/37年にオランダ人が用いたポンプは,巨大な蒸気機関がそのピストンを動かしていただけだった。鍛冶工の使うふいごが,その柄を蒸気機関に結びつけ空気ポンプに変えられることがある。蒸気機関そのものも(17世紀の末にマニュファクチュア時代のあいだに発明)どんな産業革命をも呼び起こさなかった。道具機の創造こそ蒸気機関の革命を必然的にしたのである。人間が,道具を用いて労働対象に働きかけるのではなくて,ただ単に動力として道具機に働きかけるだけになれば,動力が人間の筋肉の姿をとることは偶然となって,風や水や蒸気などがそれに代わることができる。もちろん,動力の変化によって元来は人力だけに向くような構造をもっていた機構の大きな技術的変化がひき起こされることもあるということを排除するものではない。

機械の登場・産業革命の出発点----作業機
⑧ 産業革命の出発点になる機械は,ただ一個の道具を取り扱う労働者の代わりに一つの機構をもってくるのであるが,この機構は一時に多数の同一または同種の道具を用いて作業し,また単一な原動力によって動かされるものである。

作業機の規模と数の増大⇒強力な動力を要求⇒蒸気機関の発明(原動機の発達)
⑨ 作業機の規模とその同時に作業する道具の数との増大は,いっそう大規模な運動機構を要求し,この機構はまたそれ自身の抵抗に勝つために人間動力よりももっと強力な動力を要求する。すなわち,人間が均等な連続的な運動の生産用具としてはきわめて不完全なものだということは別にしても,それ以上に強力な動力が要求されるのである。人間はもはや単純な動力として働くだけとなり,したがって人間の道具に代わって道具機が現われているということが前提されれば,いまや自然力は動力としても人間にとって代わることができる。馬の力は最悪。風はあまりにも気まぐれで制御しにくかった。水力は増大した伝動機構の規模が,もはや不十分になった水力と衝突するようになった。マニュファクチュア時代は,大工業の最初の科学的な,また技術的な諸要素を発展させた。アークライトのスロッスル紡績機は最初から水力で運転された。ワットの第2のいわゆる複動蒸気機関の出現によってはじめて次のような原動機が見いだされた。それは,石炭と水を食って自分で自分の動力を生みだし,その力がまったく人間の制御に服し,可動的であるとともに移動の手段でもあり,都市的であって水車のように田舎的でなく,水車のように生産を田舎に分散させないで都市に集中することを可能にし(99),その技術的応用という点で普遍的であり,その所在地に関しては局地的な事情に制約されることの比較的少ない原動機だったのである。ワットの偉大な天才は,1784年4月に彼がとった特許の説明書に示されているが,そこでは彼の蒸気機関が,特別な目的のための発明としてではなく,大工業の一般的な推進者として説明されている。
(99) 「繊維工業の初期には,工場の所在は,水車を回すに足りるだけの落差をもつ流水の存在に依存していた。また,水車の設置は家内工業制の崩壊の発端だったとはいえ,水車は,必ず流水に沿って,またしばしば互いにかなりの間隔をあげて配置されたので,都市的体制よりもむしろ農村的体制の一部をなしていた。そして,流水の代わりに蒸気力が採用されてから,はじめて,工場は,蒸気の生産に必要な石炭と水とが十分にあった都市や地方に集められた。蒸気機関は工業都市の生みの親である。」A・レッドグレーヴ
作業機・原動機。伝動機構は相まって発展                        s.389
⑩ 道具が人間という有機体の道具から一つの機械装置の,すなわち道具機の道具に転化されてから,次には原動機もまた一つの独立な,人力の限界からは完全に解放された形態を与えられた。個々の道具機は,機械的生産の単なる一要素に成り下がる。いまや一つの原動機が多数の作業機を同時に動かすことができるようになった。同時に動かされる作業機の数が増すにつれて,この原動機も大きくなり,そして伝動機構は巨大な装置に広がる。

多数の同種の機械の協業⑫と機械体系⑬~
⑪ 二つのものが区別されなければならない。多数の同種の機械の協業と機械体系とがそれである。
⑫ 前の場合には,一つの製品全体が同じ作業機でつくられる。この作業機がいろいろな作業のすべてを行なうのであって,これらの作業は,一人の手工業者が自分の道具で,たとえば織匠が彼の織機で行なっていたものか,または,何人かの手工業者がいろいろな道具で,独立にであろうと一つのマニュファクチュアの手足としてであろうと,順々に行なっていたものかである(100)。ところが,たった1台の封筒製造機が一時間で3000以上の封筒をつくるのである。1862年のロンドンの産業博覧会に陳列されたアメリカ製の紙袋製造機は,紙を裁《た》ち,糊をつけ,折り目を折って,1分間に300枚をつくりあげる。マニュファクチュアのなかで分割されて一つの順序をなして行なわれる総過程が,この場合には,いろいろな道具の組み合わせによって働く1台の作業機によって完了されるのである。工場(機械経営にもとづく作業場)では,つねに単純な協業が再現するのであって,しかも,同時にいっしょに働く同種の作業機の空間的集合として再現するのである。こうして,織物工場は同じ作業用建物のなかに多数の力織機が並列することによって形成され,裁縫工場は多数のミシンが並列することによって形成される。しかし,ここには一つの技術的な統一がある。というのは,共同の原動機の心臓の鼓動が伝動機構をつうじて多数の同種の作業機に伝えられ,そこからこれらの作業機が同時に均等に衝撃を受けるのだからである。そして,この伝動機構もまたある程度までこれらの作業機に共通である。というのは,各個の道具機のためにはただこの伝動機構の別々な先端が枝になって出ているだけだからである。ちょうど,たくさんの道具が一つの作業機の諸器官をなしているように,今では多数の作業機がただ同じ運動機構の同種の諸器官をなしているだけである。
(100) マニュファクチュア的分業の立場から見れば,織るということは,けっして簡単な手工業的労働ではなく,むしろ複雑なそれだった。したがって,力織機は,非常にさまざまなことをする機械である。近代の機械が最初に征服する作業は,すでにマニュファクチュア的分業によって簡単にされていた作業だという見解は,およそまちがいである。紡ぐことと織ることとは,マニュファクチュア時代のあいだにいくつもの新しい種類に分かれ,その道具は改良され変化したが,労働過程そのものは少しも分割されないで相変わらず手工業的だった。労働からではなく,労働手段から,機械は出発するのである。


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by shihonron | 2008-05-18 12:30 | レジュメ


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