『資本論』を読む会の報告

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2008年 06月 09日

第13章 第4節 のレジュメ

第4節 工場                                      s.441
① 本章で考察した事項
・工場の身体,機械体系の編制
・機械が婦人・児童労働を取り入れることによってどんなに資本の人間的搾取材料を増加させるか
・機械が労働日の無制限な延長によってどんなに労働者の全生活時間を没収するか
・巨大に増加する生産物をますます短時間で供給することを可能にする機械の進歩が,どのようにして,結局は,一瞬ごとにいっそう多くの労働を流動させるための,または労働力をますます強度に搾取するための,体系的な手段として役だつことになるか

この節の研究課題-----工場全体に,しかもその最も完成された姿に,目を向けてみよう。
② ドクター・ユアによる自動式工場についての二つの定義
・「絶えまなく一つの中心力(原動力)によって活動させられる一つの生産的機械体系を技能と勤勉とをもって見張る成年および未成年の各種の労働者の協業」
・「同じ一つの対象を生産するために協調して絶えず働く,無数の機械的器官および自己意識のある器官(これらの器官は一つの自動的に運動する動力に従属している)から構成されている一つの巨大な自動装置」
③ この二つの表現は同じではない。一方の表現では,結合された総労働者(社会的労働体)が主体として現われ,機械的自動装置が客体として現われる。
・他方の表現では,自動装置そのものが主体であり,労働者はただ意識のある器官として自動装置の意識のない器官と並列させられ,この器官といっしょに中心的動力に従属させられているだけである。第一の表現は,大規模な機械類のあらゆる適用形態にあてはまるものであり,第二の表現は,機械の資本主義的充用(現代の工場制度)を特徴づけている。それだからこそ,ユアはまた,運動の出発点となる中心機械を,単にアウトマート〔自動装置〕として示すだけではなく,アウトクラート〔専制君主〕として示すことを好むのである。

④ 専門化された労働者の等級制⇒労働の均等化または平等化の傾向
作業道具といっしょに,それを取り扱う手練〔巧妙さ,熟練,技巧〕も労働者から機械に移る。道具の仕事能力は人間労働力の個人的な限界から解放される。こうして,マニュファクチュアのなかでの分業がもとづいている技術的基礎が廃棄される。専門化された労働者の等級制に代わって,自動的な工場では機械の助手たちがしなければならない労働の均等化または水平化〔平等化,平準化〕の傾向が現われる。

⑤ 工場のなかで再現する分業
 自動的な工場のなかで分業が再現するかぎりでは,それは,まず第一に,専門化された機械のあいだに労働者を配分することであり,また,労働者群を,といっても編成された組をなしてはいない群を,工場のいろいろな部門に配分(そこでは労働者群は並列する同種の道具機について作業,彼らのあいだではただ単純な協業が行なわれるだけ)する。マニュファクチュアにおける編成された組に代わって,主要労働者と少数の助手との関係が現われている。本質的な区別は,現実に道具機について働いている労働者(これには動力機の見張りや給炭をする何人かの労働者も加わる)と,この機械労働者の単なる手伝い(ほとんど子どもばかり)との区別である。ほかに,技師や機械工や指物工など(機械装置全体の調整や平常の修理に従事----工場労働者の範囲にははいらない)。この分業は純粋に技術的である。

⑥ 機械による労働の性格変化
・およそ機械による労働は,労働者が自分の運動を自動装置の一様な連続的な運動に合わせることをおぼえるために早くから習得することを必要とする。
・機械設備全体そのものが,多様な,同時に働く,結合された諸機械の一つの体系をなしているかぎり,それにもとづく協業もまた,各種の労働者群を各種の機械のあいだに配分することを必要とする。----工場の全運動が労働者からではなく機械から出発するのだからこそ,労働過程を中断することなしに絶えず人員交替を行なうことができる。これについて最も適切な証明を与えるのは,リレー制度である。
・若者たちは機械を扱う労働をすばやく習得する----単なる手伝いの仕事は,一部は機械によって代替できるものであり,その非常な簡単さのために,この苦役に服する人物はいつでも交替させることができる。

資本家への,労働者の絶望的な従属
⑦ 機械は古い分業体系を技術的にくつがえすとはいえ,この体系は当初はマニュファクチュアの遺習として慣習的に工場のなかでも存続し,次にはまた体系的に資本によって労働力の搾取手段としてもっといやな形で再生産され固定されるようになる。前には一つの部分道具を扱うことが終生の専門だったが,今度は一つの部分機械に仕えることが終生の専門になる。
こうして労働者自身の再生産に必要な費用が著しく減らされるだけではなく,同時にまた,工場全体への,したがって資本家への,労働者の絶望的な従属が完成される。ここでも,社会的生産過程の発展による生産性の増大と,この過程の資本主義的利用による生産性の増大とを区別しなければならないのである。
⑧ マニュファクチュアや手工業では労働者が自分に道具を奉仕させ,工場では労働者が機械に奉仕する。前者では労働者から労働手段の運動が起こり,後者では労働手段の運動に労働者がついて行かなければならない。マニュファクチュアでは労働者たちは一つの生きている機構の手足になっている。工場では一つの死んでいる機構が労働者たちから独立して存在していて,彼らはこの機構に生きている付属物として合体される。「同じ機械的な過程を絶えず繰り返す果てしない労働昔のたまらない単調さは,シシュフォスの苦痛にも似ている。」

労働者が労働条件を使うのではなく逆に労働条件が労働者を使うのだという転倒
⑨ 機械労働は神経系統を極度に疲らせると同時に,筋肉の多面的な働きを抑圧し,心身のいっさいの自由な活動を封じてしまう。労働の緩和〔軽減〕でさえも責め苦の手段になる。なぜならば,機械は労働者を労働から解放するのではなく,彼の労働を内容から解放する〔労働から労働者の興味をはぎとるという意味-----仏語版〕のだからである。資本主義的生産がただ労働過程であるだけではなく同時に資本の価値増殖過程でもあるかぎり,どんな資本主義的生産にも労働者が労働条件を使うのではなく逆に労働条件が労働者を使うのだということは共通であるが,しかし,この転倒は機械によってはじめて技術的に明瞭な現実性を受け取るのである。一つの自動装置に転化することによって,労働手段は労働過程そのもののなかでは資本として,生きている労働力を支配し吸い尽くす死んでいる労働として,労働者に相対するのである。
・生産過程の精神的な諸力が手の労働から分離するということ,そしてこの諸力が労働にたいする資本の権力に変わるということは,機械の基礎の上に築かれた大工業において完成される。個人的な無内容にされた機械労働者の細部の技能など(非常に低級な種類の技能労働だということ)は,機械体系のなかに具体化されていてそれといっしょに「主人」(master)の権力を形成している科学や巨大な自然力や社会的集団労働の前では,とるにも足りない小事として消えてしまう。

⑩ 筋肉労働者と労働監督者とへの,産業兵卒と産業下士官とへの,労働者の分割       s.447
労働手段の一様な動きへの労働者の技術的従属と,男女の両性およびさまざまな年齢層の個人から成っている労働体の独特な構成とは,一つの兵営的な規律をつくりだすのであって,この規律は,完全な工場体制に仕上げられて,前にも述べた監督労働を,同時に筋肉労働者と労働監督者(産業兵卒と産業下士官)とへの,労働者の分割を発展させる。「自動的な工場でのおもな困難は----人々が労働をするさいの不規律な習慣を捨てさせて彼らを大きな自動装置の不変の規則性に一致させるために必要な規律にあった。自動体系の要求と速度とに適合するような規律法典を案出して有効に実施すること----これこそはアークライトの貴重な業績だった! 」ユア
⑪ 工場制度-----工場法典
工場法典には資本家が労働者に対してふるう専制権力が,私的法律として身勝手に定式化されている。大規模な協業や共同的労働手段ことに機械の使用にともなって労働過程の社会的規制が必要となっていくが,工場法典はこうした社会的規制を資本の側から戯画化したものに過ぎない。奴隷使役者のむちに代わって,監督の処罰帳(閻魔帳)が現われる。すべての処罰は,もちろん,罰金と減給とに帰着する。そして,工場リュクルゴスたちの立法者的明察は,彼らにとって彼らの法律にたいする違反のほうがその遵守よりもできればいっそう有利になるようにするのである(190)。
(190) 「ブルジョアジーがプロレタリアートを縛りつけている奴隷状態が工場制度ほどあからさまにさらけだされているところはほかにはない。工場制度では法律上でも事実上でもいっさいの自由がなくなっている。労働者は朝の5時半には工場に行っていなけれはならない。もし彼が数分でも遅刻すれば罰を受け,もし10分遅刻すれば朝食がすむまで入れてもらえないで,1日の賃金の4分の1を失う。彼は命令どおりに食い飲み眠らなければならない。……圧制の鐘が彼をベッドから呼び起こし,朝食の食卓から呼び立てる。では,ひとたび工場にはいればどうか? ここでは工場主が絶対的な立法者である。彼は自分かってに工場規則を制定する。好きなように彼の法典を書き変えたり書き加えたりする。そして,彼がどんなにばかげたことを書き入れても,裁判所は労働者に言う,おまえたちはこの契約を自由意志で結んだのだから,今ではおまえたちもそれを守らなければならない,と。-----これらの労働者たちは,9歳のときから死ぬまで精神的肉体的なむちの下で生活するように宣告されている。」(フリードリヒ・エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』
以下「裁判所の言う」ことを二つの例で説明(略)

⑫ 工場=「緩和された徒刑場(牢獄)」----劣悪な労働環境
ここでは,工場労働が行なわれる場合の物質的諸条件を指摘するだけにしておこう。四季の移り変わりにも似た規則正しさでその産業死傷報告を生みだしている密集した機械設備のなかでの生命の危険は別としても,人工的に高められた温度や,原料のくずでいっぱいになった空気や,耳をろうするばかりの騒音などによって,すべての感覚器官は1様に傷つけられる。工場制度のもとではじめて温室的に成熟した社会的生産手段の節約は,資本の手のなかで,同時に,作業時における労働者の生活条件,すなわち空間や空気や光線の組織的な強奪となり,また,労働者の慰安設備などはまったく論外としても,生命に危険な,または健康に有害な生産過程の諸事情にたいする人体保護手段の強奪となる。フリエが工場を「緩和された徒刑場」と呼んでいるのは不当だろうか?


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by shihonron | 2008-06-09 13:08 | レジュメ


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