2008年 06月 16日
第6節 機械によって駆逐される労働者に関する補償説 s.461 ① 労働者を駆逐する機械はそれと同数の労働者を働かせる資本を遊離させる ブルジョア経済学者(ジェームズ・ミル,マカロック,トレンズ,シーニア,J・S・ミル,等々。リカードは後に自説を取り消す)の主張するところでは,労働者を駆逐するすべての機械設備は,つねにそれと同時に,また必然的に,それと同数の労働者を働かせるのに十分な資本を遊離させるという。 ② 弁護論者の補償説の内容 (a)ある資本家(壁紙製造所)が,一人1年30ポンド・スターリングで100人の労働者を充用すると仮定(1年間に支出する可変資本は3000ポンド)。(b)彼は労働者を50人解雇して,残りの50人に1台の機械をつける(1500ポンド)。簡単化のため,建物や石炭などは問題にしないことにする。1年間に消費される原料にはこれまでと同じに3000ポンドかかると仮定する(214,この例解は,前記の経済学者たちのやり方にならって試みたもの)。---この操作〔変態,形態変化〕によっていくらかでも資本が「遊離」されているだろうか? 機械が改良されるたびに,資本が使用する労働者は少なくなる。 (c)新たに採用される機械には,それが駆逐する労働力や労働道具の総額,たとえば1500ポンドではなく1000ポンドしかかからないとすれば,500ポンドの資本が遊離されることになるであろう。 (a) (b) (c) ---30×50=1500 1500 ---新機械 1500 1000---500遊離 原料(不変資本)------- 3000 3000 3000 3000c+3000v 4500c+1500v 4000c+1500v (c)のケースでは,約16人の労働者の雇用財源になる。いや,実際にはこの労働者数は16人よりもずっと少ない。----この500ポンドが資本に転化されるためには,一部分は不変資本にも転化されなければならない。 ③ 機械の製作にはかなり多数の機械工が使用される?----(b)で考える ・新しい機械の製作にはかなり多数の機械工が使用されるものとしよう。それは,街頭に投げ出された壁紙工にたいする補償になるであろうか? ・機械の製作に使用される労働者は,どんなに多くても,機械の充用が駆逐する労働者よりも少ない。解雇された壁紙工の労賃だけを表わしていた1500ポンドという金額は,今では機械の姿で,(1) 機械の製造に必要な生産手段の価値,(2) 機械を製作する機械工の労賃,(3) 彼らの「雇い主」のものになる剰余価値を表わしている。そのうえに,機械は,一度できあがれば,死ぬまで更新される必要がない。だから,追加された数だけの機械工を引き続き就業させておくためには,壁紙工場主は次々に機械によって労働者を駆逐しなければならないことになるのである。 ④ 弁護論者たちが言っているのは遊離された労働者の生活手段のこと 実際,弁護論者たちも,このような資本の遊離のことを言っているわけではない。機械は,50人の労働者を放出し,それによってかれらを「いつでも使える状態」にするだけではない。50人の労働者をかれらの1500ポンドの賃金から遊離することによって,1500ポンドの生活手段を彼等の消費から遊離する。つまり,機械は労働者を生活手段から遊離させるという簡単な少しも新しくない事実が,経済学的には,機械は生活手段を労働者のために遊離させるとか,労働者を充用するための資本に転化させるということになる ⑤ 遊離された資本は新しい投資を見つけ,労働者を雇うであろう⇒そこに補償がある s.463 この説によれば,1500ポンドの価値の生活手段は,解雇された50人の壁紙労働者の労働によって価値増殖される資本だった。この資本は,この50人が再びそれを生産的に消費することができるような新しい「投資」をみつける。だから,おそかれ早かれ資本と労働とが再びいっしょになる。そうなればそこに補償がある。機械によって駆逐される労働者の苦悩は一時的なのである。 ⑥ 機械はそれが採用される部門でだけではなくそれが採用されない部門でも労働者を街頭に投げ出す 1500ポンドは,----貨幣形態で自分たちの雇い主から賃金として受け取っていた----彼らは同じ金額の生活手段を買った。機械が彼らを購買手段から「遊離させた」という事情は,彼らを買い手から買い手でないものに転化させる。だから,かの商品にたいする需要が減ったのである。それだけのことである。もしこの需要の減少が他の方面からの需要の増加によって埋め合わされなければ,これらの商品の市場価格は下がる。市場価格の低落と資本の移動が続いているあいだは,必要生活手段の生産に従事する労働者たちも彼らの賃金の一部分から「遊離させ」られる。だから,かの弁護論者は,機械は労働者を生活手段から遊離させることによって同時にこの生活手段を労働者を充用するための資本に転化させるということを証明しているのではなくて,それとは反対に,きわめつきの需要供給の法則を用いて,機械はただそれが採用される部門でだけではなくそれが採用されない部門でも労働者を街頭に投げ出すということを証明している。 ⑦ 真実は----彼らの前途はなんと見込みのないものであろうか! s.464 経済学的楽天主義にゆがめられた現実の事態-----機械に駆逐される労働者は作業場から労働市場に投げ出されて,そこで,いつでも資本主義的搾取に利用されうる労働力の数を増加させる。第7篇で明らかになるように,ここでは労働者階級のための補償としてわれわれに示されているこのような機械の作用は,それとは反対に,最も恐ろしい鞭として労働者にあたるのである。 たとえあらたな職を求めることができたとしても-----それは,投下を求める新しい追加資本によって行なわれるのであって,けっして,すでに以前から機能していて今では機械に転化している資本によって行なわれるのではない。そして,その場合にも彼らの前途はなんと見込みのないものであろうか! この哀れな連中は,分業のためにかたわになっていて,彼らの元の仕事の範囲から出ればほとんど値うちがなくなるので,彼らがはいれるのは,ただわずかばかりの低級な,したがっていつでもあふれていて賃金の安い労働部門だけである。また,どの産業部門も年々新たな人間の流れを引き寄せ,この流れがその部門に規則的な補充や膨張のための人員を供給する。これまで一定の産業部門で働いていた労働者の一部分を機械が遊離させれば,この補充人員も新たに分割されて他の諸労働部門に吸収されるのであるが,最初の犠牲者たちは過渡期のあいだに大部分は零落して滅んでしまうのである。 ⑧ 経済学的弁護論の眼目----排除された労働者のための生活手段がある! s.464 生活手段からの労働者の「遊離」が機械そのものの責任でないということは疑いもない事実である。機械はそれがつかまえる部門の生産物を安くし増加させるのであって,他の産業部門で生産される生活手段量を直接に変化させはしないのである。だから,社会には機械が採用されてからもそれ以前と同量かまたはもっと多量の,排除された労働者のための生活手段があるのであって,年間生産物のうちの非労働者によって浪費される巨大な部分はまったく別としてもそうである。そして,これが経済学的弁護論の眼目なのである! ・機械の資本主義的充用と不可分な矛盾や敵対関係などは存在しないのである! なぜならば,そのようなものは機械そのものから生ずるのではなく,その資本主義的充用から生ずるのだからである! 機械は, ・(それ自体として見れば)労働時間を短縮するが,⇒(資本主義的に充用されれば)労働日を延長し, ・労働を軽くするが,⇒労働の強度を高くし, ・自然力にたいする人間の勝利であるが,⇒人間を自然力によって抑圧し, ・生産者の富をふやすが,⇒生産者を貧民化する などの理由によって,ブルジョア経済学者は簡単に次のように断言する。 それ自体としての機械の考察が明確に示すように,すべてかの明白な矛盾は,日常の現実のただの外観であって,それ自体としては,したがってまた理論においては,全然存在しないのだ,と。そこで,彼はもはやこれ以上頭を悩ますことはやめにして,しかも自分の反対者にたいしては,機械の資本主義的充用にではなく機械そのものに挑戦するという愚かさを責めるのである。 ⑨ 裏のないメダルがどこにあろう! 資本主義的利用以外の機械の利用は,彼にとっては不可能である。だから,機械による労働者の搾取は,彼にとっては労働者による機械の利用と同じことなのである。機械の資本主義的充用が現実にどんなありさまであるかを暴露するものは,およそ機械の充用一般を欲しないもので,社会的進歩の敵なのだ! まるであの有名な首切り犯人ビル・サイクスの論法そっくりである。「陪審員諸公よ,たしかにこの行商人の首は切られた。だが,この事実は私の罪ではない,それはナイフの罪だ。こんな一時の不都合のためにわれわれはナイフの使用をやめなければならないだろうか? 考えても見られよ! ナイフなしでどこに農工業があろうか? それは外科手術では治療に役だつし,解剖では知識を与えるではないか? しかも楽しい食卓ではちょうほうな助手ではないか? ナイフを廃止する-----それはわれわれを野蛮のどん底に投げもどすことである。」〔ディケンズ〕 機械は,他の労働部門で雇用の増加を呼び起こす ----補償説と無関係 s.466 ⑩ 機械は,それが採用される労働部門では必然的に労働者を駆逐するが,他の労働部門では雇用の増加を呼び起こすことがありうる。しかし,この作用には,いわゆる補償説と共通な点はなにもない。 ・次のようなことが絶対的な法則として結論される。機械によって生産される商品の総量が,それによって代わられる手工業製品またはマニュファクチュア製品の総量と同じならば,充用される労働の総量は減少する。ところが,減少した労働者数によって生産される機械製品の総量は,駆逐される手工業製品の総量と同じままではなく,実際にはそれよりもずっと大きくなるのである。400,000エレの機械織物は100,000エレの手繊物よりも少ない労働者によって生産されると仮定しよう。この4倍になった生産物には4倍の原料が含まれている。だから,原料の生産は4倍されなければならない。しかし,建物や石炭や機械などのような消費される労働手段について言えば,それらの生産に必要な追加労働が増大しうる限界は,機械生産物の量と,同数の労働者によって生産されうる手工生産物の量との差につれて,変動するのである。 ⑪ こうして,ある一つの産業部門での機械経営の拡張にともなって,まず第一に,この部門にその生産手段を供給する他の諸部門での生産が増大する。そのために従業労働者数がどれほど増加するかは,労働日の長さと労働の強度とを与えられたものとすれば,充用される諸資本の構成によって定まる。この割合はまた,かの諸部門そのものを機械がすでにとらえている程度によって,さまざまに違ってくる。 ・一つの新しい種類の労働者が機械といっしょにこの世に出てくる。すなわち,機械の生産者である。機械経営はこの生産部門そのものをもますます大規模に取り入れてゆく。 ・原料について言えば,たとえば,綿紡績業のあらしのような突進は合衆国の綿花栽培を,またアフリカの奴隷貿易を温室的に助成し,同時に黒人飼育をいわゆる境界奴隷制諸州の主要な事業にした。1790年の合衆国では,奴隷の数は697,000だったが,それが1861年には約400万にのぼった。 ・他方,機械羊毛工場の繁栄は,ますます耕地を牧羊場に変えるとともに,農村労働者の大量駆逐と「過剰化」とをひき起こした。 ⑫ ある一つの労働対象がその最終形態に達するまでに通らなければならない前段階または中間段階を機械がとらえるならば,次にこの機械製品がはいってゆくまだ手工業的またはマニュファクチュア的に経営されている作業場では,労働材料といっしょに労働需要もふえてくる。たとえば,機械紡績業は糸を大いに安く大いに豊富に供給したので,手織工たちは当初は支出の増加なしに十分の時間作業することができた。それは,イギリスではジェニー,スロッスル,ミュールという三つの紡績機によって生みだされた800,000の綿織物工が蒸気織機によって淘汰されるまで,続いた。同様に,機械によって生産される衣服材料〔布地〕が豊富になるにつれて,裁断工や仕立女工や縫物女工などの数も,ミシンが現われるまでは,増加する。 ⑬ 機械経営は社会的分業を推進する s.468 機械経営が相対的にわずかな労働者によって供給する原料や半製品や労働用具などの量の増加に対応して,これらの原料や半製品の加工は無数の亜種に分かれてゆき,社会的生産部門はますます多種多様になる。機械経営はマニュファクチュアとは比べものにならないほど社会的分業を推進する。 ⑭ 奢侈品生産の増大,世界市場の拡大,運輸業の発展 s.468 機械のもたらす直接の結果は,剰余価値を増加させると同時にそれを表わす生産物量をも増加させ,したがって,資本家階級とその付属物とを養ってゆく物資といっしょにこれらの社会層そのものを増大させるということである。彼らの富の増大と,第一次的生活手段の生産に必要な労働者数の不断の相対的減少とは,新しい奢侈欲望を生むと同時にその充足の新たな手段を生みだす。奢侈品生産が増大する。生産物の洗練や多様化は,また,大工業によってつくりだされる新たな世界市場関係からも生ずる。ますます多くの外国産嗜好品が国内生産物と交換されるだけではなく,ますます大量の外国産の原料や混合成分や半製品などが生産手段として国内産業にはいってくる。この世界市場的関係にともなって,運輸業での労働需要が大きくなり,運輸業も多数の新しい亜種に分かれる。 ⑮ 遠い将来に実を結ぶ産業部門での労働の拡張,5つの新しい産業 s.469 ・労働者数の相対的減少につれての生産手段や生活手段の増加は,その生産物が運河やドックやトンネルや橋などのように遠い将来にはじめて実を結ぶような産業部門での労働の拡張をひき起こす。 ・直接に機械を基礎として,またはそれに対応する一般的な産業変革を基礎として,全く新たな生産部門,(新たな労働分野)が形成される。この種の主要産業と見ることのできるものは,ガス製造業,電信業,写真業,汽船航海業,鉄道業である。 機械の資本主義的利用の成果----労働者階級のますます大きい部分を不生産的に使用 ⑯ 最後に,大工業の諸部面で異常に高められた生産力は,じっさいまた,他のすべての生産部面で内包的にも外延的にも高められた労働力の搾取をともなって,労働者階級のますます大きい部分を不生産的に使用することを可能にし,したがってまたことに昔の家内奴隷を召使とか下女とか従僕とかいうような「僕婢階級」という名でますます大量に再生産することを可能にする。1861年の人口調査 a 農業労働者(牧夫,農業者の家に住む農僕および下婢を含む)------1,098,261人 b 綿・羊毛・毛糸・亜麻・大麻・絹・黄麻工場および 機械靴下編業および機械レース製造業の全従業者---------------642,607人 c 炭鉱および金属鉱山業の全従業者----------------------------------565,835人 d 全金属工場(熔鉱炉,圧延工場等)および各種金属加工業の従業者----396,998人 e 僕婢階級 ----------------------------------------------------1,208,648人 ⑰ b+c=1,208,442。b+d=1,039,605。どちらの場合にも現代の家内奴隷の数よりも小さい。
by shihonron
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