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『資本論』を読む会の報告

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2008年 06月 23日

第13章 第8節のレジュメ その2

e 近代的マニュファクチュアと近代的家内労働との大工業への移行        s.494
  これらの経営様式への工場法の適用によるこの革命の推進
もはや越えられない一定の自然的限界----一つの転換点・機械の時代を告げる鐘
① 女性や未成年者の労働力の単なる乱用,いっさいの正常な労働条件と生活条件との単なる強奪,過度労働と夜間労働との単なる残虐,このようなことによって労働力を安くすることは,結局は,もはや越えられない一定の自然的限界にぶつかり,またそれとともに,このような基礎の上に立つ商品の低廉化も資本主義的搾取一般も同じ限界にぶつかる。ついにこの点にきてしまえば,といってもそれまでには長くかかるのであるが,機械の採用の時が告げられ,また,分散していた家内労働(あるいはまたマニュファクチュア)の工場経営への急速な転化の時が告げられる。
② この運動の最大の実例を提供するものは,「衣料品」〔"Wearing Apparel"〕の生産である。この産業に包括されるものは,麦わら帽・婦人帽製造業者,縁なし帽製造業者,裁縫業者,ミリナーおよびドレスメーカー,シャツ製造業者およびシャツ縫い婦,コルセット製造業者,手袋製造業者,靴製造業者,その他ネクタイやカラーなどの製造。
・1861年の国勢調査によれば,イングランドとウェールズだけで1,024,267人という合計になり,したがって,農耕と牧畜とに吸収される数とだいたい同じである。
③ 「衣料品」の生産は,第一にマニュファクチュアによって営まれる。第二には比較的小さな手工業親方によって営まれるが,彼らは,マニュファクチュアや問屋のために仕事をする。最後に,家内労働者によって営まれ,彼らはマニュファクチュアや問屋の,またあまり大きくない親方さえもの,外業部になっている。大量の労働材料,原料や羊製品などは大工業から供給され,大量の安い人間材料は大工業や農業から「遊離されたもの」から成っている。
・この部面のマニュファクチュアが発生したのは,おもに,需要の変動に応じていつでも出動できる一軍を手もとに置いておきたいという資本家の要求によるものだった。
・これらのマニュファクチュアは,自分のかたわらに,分散した手工業的経営や家内経営を広大な基礎として存続させた。これらの労働部門での剰余価値の大量生産も,同時にまたその製品がますます安くなることも,主として,人間にとって可能な最大限の労働時間と結びついたただ露命をつなぐだけに必要な最小限の労賃のおかげだったし,また現にそのおかげなのである。
・商品に転化される人間の血と汗とのこの安さこそは,絶えず販売市場を拡大したし,また毎日拡大しつつあるのであり,ことにまたイギリスにとっては,それに加えてイギリス的な習慣や好みが広まっている植民地市場を拡大するのである。
・ついに一つの転換点がやってきた。旧来の方法の基礎,すなわち,体系的に発達した分業を多かれ少なかれ伴う労働者材料のただ野蛮な搾取だけでは,拡大される市場のためにも,もっと急速に激しくなる資本家たちの競争のためにも,もはや不十分になった。機械の時代を告げる鐘は鳴った。決定的に革命的な機械,すなわち,婦人服製造,裁縫,靴製造,縫い物,帽子製造,等々のようなこの生産部面の無数の部門をすべて一様にとらえる機械,-----それはミシンである。

④ ミシンが労働者に与える直接の影響                           s.496
ミシンが労働者に与える直接の影響は大工業の時代に新たな事業部門を征服するすべての機械のそれとだいたい同じである。新たなミシン労働者は,もっぱら少女と若い女である。激烈な競争は最も弱い手工労働者を打ち倒す。最近10年間のロンドンでの飢え死に(death from starvation)のものすごい増大は,ミシン裁縫業の拡大に並行している(267-----1週間に6人の飢え死に犠牲者だ!)。
⑤ 社会的経営様式の変革,この生産手段の変化の必然的産物は,種々雑多な過渡形態の入り混じるなかで実現される。これらの過渡形態は,すでにミシンがあれこれの産業部門をとらえている範囲及び時間の長さによって違っており,また,その時の労働者の状態,マニュファクチュア経営と手工業経営と家内経営とどれが優勢かということによっても,作業場の貸借料などによっても,違っている。
・今日イギリスで実際に広まっているのは,資本家がかなりたくさんのミシンを自分の建物のなかに集中し,そのミシンの生産物を家内労働者軍のあいだに分配してそれからあとの加工をさせるという制度である。しかし,過渡形態の雑多なことによって,本来の工場経営への転化の傾向が隠されてしまうのではない。この傾向を助長するものは,第一にはミシンそのものの性質であって,ミシンの多方面の応用可能性は,従来ばらばらに分かれていたいろいろな営業部門が同じ建物のなかで,また同じ資本の指揮のもとで一つにされるということを促すのである。第二には,準備的な針仕事やその他いくつかの作業も,ミシンのあるところでやるのが最も適当だという事情であり,最後に,自分のミシンで生産している手工業者や家内労働者の不可避的な収奪である。ミシンの構造の変化と価格の低下。蒸気機関が人間にとって代わって,それが,すべての同様な変革過程でそうであるように,ここでも決着をつける。一方では比較的大きいマニュファクチュアでの多数の作業機の集積が蒸気力の応用を促すとすれば,他方では蒸気と人間の筋力との競争が大工場での労働者と作業機との集積を速める。こうして,イギリスは今日広大な「衣料品」生産部面でも,そのほかのたいていの産業でと同様に,マニュファクチュアや手工業や家内労働の工場経営への変革を経験している。

産業革命の工場法の拡張による人為的促進                         s.498
⑥ この自然発生的に起きる産業革命は,婦人や少年や児童を使用するすべての産業への工場法の拡張によって,人為的に促進される。労働日の長さ,中休み,始業・終業時刻に関しての労働日の強制的規制や児童の交替制度や一定の年齢に達しないいっさいの児童の使用禁止などは,一方では,機械設備をふやすことや筋肉の代わりに蒸気を動力として用いることを強要する。他方では,時間で失われるものを空間で取り返すために,炉や建物などのような共同的に利用される生産手段の拡張が行なわれる。つまり,一口に言えば,生産手段のいっそうの集積と,それに対応する労働者のいっそうの密集とが現われるのである。マニュファクチュアと家内労働とのあいだのいろいろな中間形態や家内労働そのものについて言えば,それらの地盤は,労働日や児童労働の制限が現われれば陥没してしまうのである。安い労働力の無制限な搾取こそは,これらの形態の競争能力の唯一の基礎をなしているのである。

工場法による「自然の制限」の根絶                             s.499
⑦ 工場経営の本質的条件は,ことにそれが労働日の規制を受けることになってからは,結果の正常な確実性,すなわち与えられた時間内に一定量の商品または所期の有用効果を生産することである。さらにまた,規制された労働日の法定の中休みは,生産過程にある製品をいためないで作業を突然休んだり周期的に休んだりすることを含んでいる。もちろん,このような結果の確実性や作業の中断可能性は,化学的および物理的過程が一つの役割を演じている工業,たとえば製胸業,漂白業,染色業,製パン業,たいていの金属加工業などでよりも,純粋に機械的な工業でのほうがより容易に達成されうる。無制限な労働日や夜間労働や自由な人間乱費の慣行のもとでは,どの自然発生的な障害も生産にたいする永久的な「自然の制限」とみなされやすい。どんな毒薬が害虫を根絶するのも,工場法がこのような「自然の制限」を根絶する以上に確実ではない。そんなことは「不可能」だと,製陶業者諸氏よりも声高く叫んだものはなかった。1864年には彼らに工場法が強制された。そして,早くも16か月後にはいっさいの不可能が消えてなくなっていた。
⑧ あらゆる予言にもかかわらず,陶器の費用価格は上がらなかったが,生産物の量は増加して,1864年12月から1865年12月までの12か月間の輸出は,前3か年の平均にたいして138,628ポンド・スターリングの価値超過を示した。マッチの製造では,少年たちが,昼めしを呑みおろすあいだにさえも,熱い燐混合液の毒気を顔に受けながらそのなかに軸木を浸すということは,自然法則とみなされていた。工場法(1864年)は,時間を節約する必要によって,その蒸気が労働者に届かないような「浸し機」〔"dipping machine"〕の使用を強制した。まだ工場法の適用を受けていないレース製造業の諸部門,壁紙印刷業について。
⑨ この法律が議会を通過したときに,工場主諸君は「われわれが工場法の施行から予期したような不都合は現われなかった。生産が阻害されたというようなことは見いだされない。われわれは同じ時間で前より多く生産している。」
⑩ おそらくイギリス議会の独創性を非難するような人はないであろうが,要するに,この議会は,経験によって,労働日の制限や規制に立ちはだかる生産上のいわゆる自然障害はすべて一つの強制法によって簡単に一掃できるという見解に到達したのである。それゆえ,ある産業部門で工場法が施行されるときには,その間に工場主たちの手で技術上の諸障害を除くための6か月から18か月の期間がおかれるのである。ミラボーの,「不可能? そんなばかなことを言ってくれるな!」という言葉は,近代の技術学にはことによくあてはまる。

工場法は小親方の没落と資本の集積とを促進する
・しかし,このようにして工場法がマニュファクチュア経営から工場経営への転化に必要な物質的諸要素を温室的に成熟させるとすれば,それはまた同時に,資本投下の増大の必要によって,小親方の没落と資本の集積とを促進するのである。

労働力の支出上の不規則----生産そのものの無政府性から生ずる                 s.501
⑪ 純粋に技術的な障害や技術的に排除の可能な障害は別としても,労働日の規制は労働者たち自身の不規則な習慣にぶつかる。ことにそうなのは,出来高賃金がおもになっていて,1日または1週のある部分での時間の空費をその後の過度労働や夜間労働によって埋め合わせることができる場合であるが,この方法は,成年労働者を粗暴にし,彼の仲間の未成年者や女性を破滅させるものである。
 このような労働力の支出上の不規則は,長々しい単調な労働の苦痛にたいする一つの自然発生的な粗暴な反動でもあるとはいえ,それとは比べものにならない大きな度合いで生産そのものの無政府性から生ずるのであり,この無政府性はまた資本による労働力の無軌道な搾取を前提するのである。産業循環の一般的な周期的な局面転換やそれぞれの生産部門での特別な市況変動のほかに,ことにまた,航海に適した季節の周期性によってであろうと流行によってであろうと,いわゆるシーズンがあり,ごく短期間に仕上げなければならない大口注文の突発性がある。このような注文の習慣は,鉄道や電信の普及につれて広がる。

工場法の適用を受けていない工場                              s.502
⑫ まだ工場法の適用を受けていない工場やマニュファクチュアでは,いわゆるシーズン中は周期的にものすごい過度労働が,にわかな注文のために断続的に,広く行なわれる。工場やマニュファクチュアや問屋の外業部,すなわち家内労働の部面では,ただでさえまったく不規則で,その原料や注文に関してはまったく資本家の気まぐれしだいであり,資本家はここでは建物や機械などの償却を顧慮する必要は少しもなく,労働者自身の皮のほかはなにも賭けないでよいのであるが,このような家内労働の部面では,いつでも利用できる産業予備軍かまったく組織的に大量培養されて,それが1年のある時期には最も非人道的な労働強制によって大量殺害され,他の時期には仕事不足によって廃物にされるのである。

⑬ 「営業慣習」----法律の圧力のもとでのみ変革に服する                  s.503
技術上の障害と同じように,このいわゆる「営業慣習」(「営業の発達につれて発達してきた慣習」)も,関係資本家たちによって生産の「自然制限」だと主張されたし,また現に主張されている。彼らの産業は他のどの産業にもまして世界市場に依存しており,したがってまた航海に依存しているとはいえ,経験は彼らのうそをとがめた。いくつかの産業では,すでに充用されている労働量を一年じゅうにもっと均等に配分させるには労働日の規制によるよりほかはないのであり,この規制は,殺人的で無内容でそれ自体大工業の体制には不適当な流行の気まぐれにたいする最初の合理的な制御なのであり,大洋航行および交通機関一般の発達は,季節労働の元来の技術的根拠を廃棄しているのであり,すべてその他の制御できないと言われる事情も,建物の拡張,機械設備の追加,同時に従業する労働者数の増加,おのずから卸売商業制度に呼び起こされる反響によって,一掃されるのである。とはいえ,資本は,労働日を強制法的に規制する「一つの一般的な法律の圧力のもとでのみ」このような変革に服するのである。



by shihonron | 2008-06-23 12:00 | レジュメ


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